柳田邦男のレビュー一覧

  • 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2

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    金田一秀穂さんは
    日本語は緊急事態に向かないと言う

    緊急事態を宣言します、には
    本当に緊急事態なの?

    緊急事態宣言を発出します、だと
    ああそうですかとどこか他人事

    日本語の得意は落とし所を探す事

    ロックダウンより20時閉店
    和を持って貴しとなす、それでいい

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    2023年06月27日
  • みんな、絵本から

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    ネタバレ

    ぎゅっと読み聞かせのいいところが詰まっている。
    詩集のようになっているからすぐに読み終えられるし、大切な事も伝わるし、写真もいい。
    読み聞かせのすごい力10ヶ条の中から
    ・読み手の情感をこめた読み方によって、子どもの心に絵本の内容が「現実体験」に等しいかたちで、深く染み渡って記憶される。
    ・子どもが自分で時間をコントロールすることができる唯一といえるメディアである。子どもはゆっくりと絵の細かいところまでたのしんだり、前の貢に戻ったりして、深く記憶に刻んでいく。

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    2023年05月05日
  • 雨の降る日は考える日にしよう [絵本は人生に三度]手帖I

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    おすすめの絵本がいくつも紹介されていました。
    どれも読んでみたいと思う本でした。

    あらすじだけ読んで ホロリときてしまうのもありました。

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    2023年03月18日
  • 大人が絵本に涙する時

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    絵本の力
    「絵本」はさまざまな世代と社会の、大人の複雑なストレスを解放してくれるような気持ちになる。特に「星の王子さま」は人間が生きる上での大切なものを感じさせ、辛い悲しいことでも乗り越えさせてくれる。昔出逢った絵本をもう一度ゆっくり、じっくり自分の経験を振り返りながら読むと違った世界が見えるかもしれない。

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    2022年05月19日
  • 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2

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    コロナ後の日本社会はどのように変化してゆくのか。変化した社会にどう生きるか。桐野夏生さんの「不寛容な時代、自由な小説から力を得て欲しい」の言葉に、不安の塊がふうっと軽くなりました。

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    2022年04月04日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    精神病により自殺を図った息子が脳死を経て心停止するまでの11日間において、父親として臓器移植等を体験し考えたことを綴ったノンフィクション。

    海外文学作品を引用した心情表現、医学の専門的な内容等、難解な部分はあるものの、あとがき、解説等が充実しており、読みやすく工夫されている。
    家族が脳死になったら家族としてどう向き合うか、また、自分が脳死になった場合の臓器提供をどうするか等、考えずにはいられなくなる内容だった。

    読後に少し調べてみたところ、本書が発行されてからの25年の間に臓器移植法が制定・改正され、本書発行時は認められていなかった心停止前の脳死患者からの臓器移植も行えるようになっているようだ。
    本書の著者は、息子が脳死となってから心停止するまでの数日間の猶予があったからこそ、息子の死を受け入れることが出来ていた。
    心停止を待たずとも臓器移植を行える現代においては、脳死した患者家族の葛藤は、より大きいと思う。
    本書の影響により、そのような家族の心に負う傷を少しでも小さくしてくれる枠組みが構築されていることを期待したい。

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    2021年11月11日
  • ガン回廊の朝(あした)(上)

    購入済み

    先人の英知

    国立癌センター設立時の実話です。
    50年以上も前から早期発見、早期治療を呼び掛けその時代でできうる限りの最高の医療を目指し奮闘する医師たちの姿に心を打たれました。

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    2021年09月27日
  • 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2

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    20人によるエッセイ。
    共感できる話が一つや二つはあるのではないでしょうか。
    私は瀬戸内寂聴さんでした。

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    2021年09月27日
  • 空白の天気図

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    良質なノンフィクション。筆者も言っているようにノンフィクションの旬の時期は短いが、この本は長く読み継がれて欲しい。

    描れている人もプロフェッショナルなら、柳田さんもプロとして丁寧で熱い仕事をされていると思います。

    戦後の日本はこういった人たちの必死の頑張りで復興し発展したのだと思う。我々もしっかりしなければ。

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    2020年09月11日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    赤裸々にご自分の家族を描いたノンフィクション。精神を病んで自殺された次男、やはり精神を病んでいる奥様、長男も一時生死を彷徨う病気になる等これだけ大変な中作家活動を続けられるのは凄い。本作は、自死された息子さんの為に、彼が残した日記、文章、親子の会話の記憶等から、彼自身が確かに存在した証を残したい、それを自己犠牲という形で実現したいという考え方に惹きつけられていた事を理解して、その実現を助けようともがく残された家族の実像が見事に表現されている。ノンフィクション作家ならでは、と言おうか。

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    2020年09月03日
  • 「想定外」の罠 大震災と原発

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     阪神大震災から23年たった、とのニュースを見て、ふと読む。冒頭の、「想定外のシナリオを一々つぶさに想定していてはいつまでたっても物はできない。確率的に優先度を決め、コストとの兼ね合いで線引きをする必要がある」これがだめだ、という文が効く。恥かしながら、本書読後の今、「じゃ、どうすんの?」という問いに自ら答えられず・・・。深く、重い課題である。

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    2018年01月23日
  • この国の失敗の本質

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    あらゆる要素を抽出し、時代の抽象化をすることで、未来の形を捉えることができるということをはじめに感じた。やはり歴史から学ぶことは多い。

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    2018年01月21日
  • ガン回廊の朝(あした)(下)

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    国立がんセンター総長の田宮猛雄がガンにより死去したあと、国家事業としてセンター設立を決定した時の首相・池田勇人が、咽頭ガンによりセンターに入院することになります。総長の比企能達をはじめとするセンターの医師たちは、マスコミ対応に苦慮しながらも池田の治療に専念し、池田自身の驚異的な体力も味方して、東京オリンピックの開会式への首相の出席を実現するに至ります。

    そのほか、胃ガンに比べて早期発見が難しいとされていた肺ガンの克服に向けて、ファイバー・スコープの改良に取り組む医者と技術者の二人三脚の様子や、ガンという病に対する医学の限界を誰よりもよく知っているセンターの医師たちが、みずからガンに侵されたときの姿を活写しています。医療は人間の生と死にどのようにして向き合うのかということについて考えさせられる作品でした。

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    2018年01月18日
  • ガン回廊の朝(あした)(上)

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    1962年に設立された国立がんセンターを舞台に、ガン撲滅のために戦った臨床医や研究者の姿を描いたノン・フィクション作品です。

    入道を思わせる相貌で、センターの医者たちを厳しく指導した院長の久留勝と、学閥にとらわれることなく全国から人材を呼び集め、久留たちが働く研究と治療の舞台を整えたセンター総長の田宮猛雄をはじめとして、最先端の医療に取り組む医者たちが登場します。久留を中心にしたカンファレンスでは、各人の診断が厳しく検証されました。彼らは、そのような切磋琢磨を経て、ガンの早期発見・治療の成果をあげていきました。さらに著者は、縦割りの弊害を乗り越える外来部・病棟部・臨床検査部の三部門制や、患者本位の看護の実現のために尽力した総婦長・石本茂の努力にも注目しています。

    本巻の冒頭と末尾には、センター総長の役職を務めあげ、自身もガンに倒れることになった田宮の高潔な人格を示す印象的なエピソードが置かれており、強く印象づけられました。

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    2018年01月18日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    脳死に向き合う父親の、情に寄り切らず、理にも寄り切らない、率直な思いと考えを述べたドキュメンタリーである。洋二郎氏は存命であったなら恐らく優れた作家になってであろう感性と文章力を感じさせられるが、彼自身の好きだった作品名を章名に用いて作品名もタルコフスキーの「サクリファイス(犠牲)」から拝借している。

    愛する人の「実感とは異なる死」と対峙したとき、医学的法的解釈では到達し得ない「何か」を11日間の感情や思考の変遷とともに的確に言い表している。死は点ではなくプロセスと捉え、死を状態ではなく受け止める側の在り方なのだと感じさせられる。特に臓器移植を決意したあとに、腎臓の提供は許諾したものの膵臓は見送る行は遺族の微妙な感情の立ち位置を理解させる。洋二郎氏が逝去したとき「マタイ受難曲」のアリアの「憐れみ給え、我が神よ」が流れたのは、クリスチャンでないものに対しても死の神秘と尊厳な印象を与えざるをえない。

    脳死というものを考えるとき理論や定義ではなく死生観への配慮はもとより、賢一郎氏が語るように臓器提供=医療に参加するという敬意の念が求められるのであろう。息子の死という痛みを伴いながら脳死というものに対して改めて議論を提起しており色々と考えさせられた。

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    2018年01月03日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    まず、毎日なかなか意識しない「生と死」の存在を再確認させられた。次に、うやむやにしていたドナーの意思表示。おそらく高校生の頃、なにかの校内での集会で渡されたカード。カードで意思表示するだけでなく、家族にも伝えておこうと思う。

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    2017年11月29日
  • 零式戦闘機

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    物語は著者である柳田さんが堀越二郎氏にインタビューする場面から始まる。
    インタビュー時の堀越氏の年齢は72歳。
    そもそも柳田さんが零戦に関心を抱いたきっかけは新聞の投稿川柳だった。
    「ゼロ戦の心長髪族知らず」
    では「ゼロ戦の心」とはいったい何なのか?
    掲載紙である読売新聞紙上で、読者の投書による論争が始まったのだ。
    飛行機の構造について何ひとつ知識を持たない私にもわかるように、とても丁寧に当時の様子が再現されていた。
    まったく新しい発想による戦闘機の開発。
    若き技術者たちが集まり、それぞれの得意分野において全力を尽くした結果が「零戦」という形をとったのだとわかる。
    わずかな狂いも許されず、軍部からの要求はとても現実的とは思えないようなものばかり。
    開発にかけられる時間も限られている中で、どのような飛行機を作っていくのか。
    全体の形は?翼は?速度優先にするのか、強度優先にするのか。
    「えっ、そこから?」と思うような本当にゼロからの出発だった。
    零戦開発者として堀越氏の名前は有名だが、ひたすら計算に明けくれた者や何度も何度も設計図を書き直した者など、多くの人間の努力と苦労と工夫の結晶だったのだと、あらためて知ることができた。
    試運転飛行での事故で失われていく機体。不具合を確かめようとして犠牲になった命。
    もちろん戦闘機は戦争のための凶器だ。
    それでも、堀越氏たちの海外に負けない性能を持った飛行機を日本人の手でという熱い思いが伝わってくる。

    世界の最先端飛行機となった零戦も、他国の激しい技術開発に飲み込まれていく。
    あまりにも有能すぎたために、軍部が新しい開発の時期を逸したこともポスト零戦の登場を遅らせた原因のひとつだろう。
    規則が絶対と言われてた軍の担当官にも、堀越氏もいっさい臆することなく進言している。
    技術者の誇りと自信があればこそ零戦は完成したのだろう・・・とも思う。
    ひとつの工業製品が、まったく新しい発想を持つ人たちの手によって作り上げられていく過程が素晴らしかった。
    技術後進国と言われている自分たちにも出来るのだ、やってやるのだという気概が、当時の人たちのようすから感じ取れる作品だった。

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    2017年03月02日
  • 零式戦闘機

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    日本の底力…
    匠のわざ…
    日本の技術力が再認識されているが、後進国から這い上がろうとした、この時代の技術者達の熱意と努力があってこその現在。
    零戦を反戦・愛国・悲劇等の見方ではなく、工業製品としての視点でみている点が印象的。

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    2016年11月07日
  • ガン回廊の朝(あした)(下)

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    非常に面白かった。
    がんの難しさや、それを克服しようとする医師達の戦いが臨場感たっぷりに描かれていた。

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    2016年07月25日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    ノンフィクション作家として、航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントを多数発表している柳田邦男氏が、1993年に25歳にして精神疾患から自殺を図り、脳死状態で11日間を共にした次男・洋二郎氏を追悼するために著した作品。1994年に文藝春秋に掲載されたものに加筆、再構成し、更に別途発表した脳死・臓器移植論を加えて、1995年に出版、1999年に文庫化された。1995年に菊池寛賞受賞。
    内容は、洋二郎氏が自殺を図った日から、脳死を経て、心肺停止状態になるまでの11日間を、洋二郎氏が精神を病み始めた中学時代以降の追想、及び洋二郎氏の残した日記や文章を断章として加えて、克明に綴ったものである。
    柳田氏は、本作品の執筆の動機を、「あえて簡潔にいうなら、彼の究極の恐怖心を取り除いてやるためだといおうか。・・・彼が抱いていた究極の恐怖とは、人間の実存の根源にかかわることで、一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れ去られ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独のことだった」と語っており、また、洋二郎氏の生前の意思に沿って、心肺停止後、腎臓移植(自らドナー登録をしていた骨髄移植はできなかったが)も行っている。
    しかし、洋二郎氏の持っていた“究極の恐怖心”とは、実は全ての人間のものであり、我々は、自分の死に対し、自らがどのように折り合いをつけるのか、死んだ人間に対し、残された人間がどのように対処するのか、自らのこととして常に考えておかなければならない。
    自ら及び大切な人の死と生について、改めて考えさせる一冊である。
    (2006年7月了)

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    2016年04月23日