柳田邦男のレビュー一覧
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自殺により脳死状態となった作者の次男について、家族が脳死を受け入れ、臓器提供を決定するプロセスを書いたノンフィクション。加えて作者の脳死に対する考えを記した論考。三人称の死として科学的に脳死=死亡と捉えることはできても、「二人称」としての家族の死亡を受け入れるには時間が必要になることが当事者目線で書かれている。
ある意味当然のことではあるが、家族の死は単純に科学的に受け入れることはできない。平素科学的な事実に基づいて世の中を見てきたであろう作者が次男の脳死に直面し、その受け取り方の違いをリアルに書いているという点で胸に来るものがあり、貴重な読書体験であった。 -
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精神病により自殺を図った息子が脳死を経て心停止するまでの11日間において、父親として臓器移植等を体験し考えたことを綴ったノンフィクション。
海外文学作品を引用した心情表現、医学の専門的な内容等、難解な部分はあるものの、あとがき、解説等が充実しており、読みやすく工夫されている。
家族が脳死になったら家族としてどう向き合うか、また、自分が脳死になった場合の臓器提供をどうするか等、考えずにはいられなくなる内容だった。
読後に少し調べてみたところ、本書が発行されてからの25年の間に臓器移植法が制定・改正され、本書発行時は認められていなかった心停止前の脳死患者からの臓器移植も行えるようになっているようだ。
本書の著者は、息子が脳死となってから心停止するまでの数日間の猶予があったからこそ、息子の死を受け入れることが出来ていた。
心停止を待たずとも臓器移植を行える現代においては、脳死した患者家族の葛藤は、より大きいと思う。
本書の影響により、そのような家族の心に負う傷を少しでも小さくしてくれる枠組みが構築されていることを期待したい。 -
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先人の英知
国立癌センター設立時の実話です。
50年以上も前から早期発見、早期治療を呼び掛けその時代でできうる限りの最高の医療を目指し奮闘する医師たちの姿に心を打たれました。 -
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国立がんセンター総長の田宮猛雄がガンにより死去したあと、国家事業としてセンター設立を決定した時の首相・池田勇人が、咽頭ガンによりセンターに入院することになります。総長の比企能達をはじめとするセンターの医師たちは、マスコミ対応に苦慮しながらも池田の治療に専念し、池田自身の驚異的な体力も味方して、東京オリンピックの開会式への首相の出席を実現するに至ります。
そのほか、胃ガンに比べて早期発見が難しいとされていた肺ガンの克服に向けて、ファイバー・スコープの改良に取り組む医者と技術者の二人三脚の様子や、ガンという病に対する医学の限界を誰よりもよく知っているセンターの医師たちが、みずからガンに侵されたときの姿を活写しています。医療は人間の生と死にどのようにして向き合うのかということについて考えさせられる作品でした。 -
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1962年に設立された国立がんセンターを舞台に、ガン撲滅のために戦った臨床医や研究者の姿を描いたノン・フィクション作品です。
入道を思わせる相貌で、センターの医者たちを厳しく指導した院長の久留勝と、学閥にとらわれることなく全国から人材を呼び集め、久留たちが働く研究と治療の舞台を整えたセンター総長の田宮猛雄をはじめとして、最先端の医療に取り組む医者たちが登場します。久留を中心にしたカンファレンスでは、各人の診断が厳しく検証されました。彼らは、そのような切磋琢磨を経て、ガンの早期発見・治療の成果をあげていきました。さらに著者は、縦割りの弊害を乗り越える外来部・病棟部・臨床検査部の三部門制や、患者本位の看護の実現のために尽力した総婦長・石本茂の努力にも注目しています。
本巻の冒頭と末尾には、センター総長の役職を務めあげ、自身もガンに倒れることになった田宮の高潔な人格を示す印象的なエピソードが置かれており、強く印象づけられました。 -
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脳死に向き合う父親の、情に寄り切らず、理にも寄り切らない、率直な思いと考えを述べたドキュメンタリーである。洋二郎氏は存命であったなら恐らく優れた作家になってであろう感性と文章力を感じさせられるが、彼自身の好きだった作品名を章名に用いて作品名もタルコフスキーの「サクリファイス(犠牲)」から拝借している。
愛する人の「実感とは異なる死」と対峙したとき、医学的法的解釈では到達し得ない「何か」を11日間の感情や思考の変遷とともに的確に言い表している。死は点ではなくプロセスと捉え、死を状態ではなく受け止める側の在り方なのだと感じさせられる。特に臓器移植を決意したあとに、腎臓の提供は許諾したものの膵臓は見送る行は遺族の微妙な感情の立ち位置を理解させる。洋二郎氏が逝去したとき「マタイ受難曲」のアリアの「憐れみ給え、我が神よ」が流れたのは、クリスチャンでないものに対しても死の神秘と尊厳な印象を与えざるをえない。
脳死というものを考えるとき理論や定義ではなく死生観への配慮はもとより、賢一郎氏が語るように臓器提供=医療に参加するという敬意の念が求められるのであろう。息子の死という痛みを伴いながら脳死というものに対して改めて議論を提起しており色々と考えさせられた。 -
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物語は著者である柳田さんが堀越二郎氏にインタビューする場面から始まる。
インタビュー時の堀越氏の年齢は72歳。
そもそも柳田さんが零戦に関心を抱いたきっかけは新聞の投稿川柳だった。
「ゼロ戦の心長髪族知らず」
では「ゼロ戦の心」とはいったい何なのか?
掲載紙である読売新聞紙上で、読者の投書による論争が始まったのだ。
飛行機の構造について何ひとつ知識を持たない私にもわかるように、とても丁寧に当時の様子が再現されていた。
まったく新しい発想による戦闘機の開発。
若き技術者たちが集まり、それぞれの得意分野において全力を尽くした結果が「零戦」という形をとったのだとわかる。
わずかな狂いも許されず、軍部からの要求はとても現実的とは思えないようなものばかり。
開発にかけられる時間も限られている中で、どのような飛行機を作っていくのか。
全体の形は?翼は?速度優先にするのか、強度優先にするのか。
「えっ、そこから?」と思うような本当にゼロからの出発だった。
零戦開発者として堀越氏の名前は有名だが、ひたすら計算に明けくれた者や何度も何度も設計図を書き直した者など、多くの人間の努力と苦労と工夫の結晶だったのだと、あらためて知ることができた。
試運転飛行での事故で失われていく機体。不具合を確かめようとして犠牲になった命。
もちろん戦闘機は戦争のための凶器だ。
それでも、堀越氏たちの海外に負けない性能を持った飛行機を日本人の手でという熱い思いが伝わってくる。
世界の最先端飛行機となった零戦も、他国の激しい技術開発に飲み込まれていく。
あまりにも有能すぎたために、軍部が新しい開発の時期を逸したこともポスト零戦の登場を遅らせた原因のひとつだろう。
規則が絶対と言われてた軍の担当官にも、堀越氏もいっさい臆することなく進言している。
技術者の誇りと自信があればこそ零戦は完成したのだろう・・・とも思う。
ひとつの工業製品が、まったく新しい発想を持つ人たちの手によって作り上げられていく過程が素晴らしかった。
技術後進国と言われている自分たちにも出来るのだ、やってやるのだという気概が、当時の人たちのようすから感じ取れる作品だった。