香山リカのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
じっくり読んで考えてもらうような記事を女性雑誌に載せることはもはや出来ない。
女性として今の日本に生まれた、という現状に疑問を抱くことなく、それを追認する雑誌。そのなかでどう振舞うのが自分に得か、という観点だけから関心の対象を決定する。そして、その対象を少しでも越えるものには、一切興味を示さない。
彼女たちが『女の子らしさ』と思い込んでいるものの中には、文化的・社会的に押し付けられた人工的な『女の子らしさ』が多く含まれている。
大胆にピアスの穴を開けたり、電車の中で平気で化粧をしたりするのは、外の環境を変えられないので自分の極めて私的な世界を限りなく拡張しようとの無意識の欲望から出てくる行為かもしれない。
女性雑誌の読者もいまどきの学生たちも、『身の回りにしか関心が無い』という、ある種の新しいリアリズムに急激に傾きつつある。そしてそのリアリズムは「自分に起きた事を全て認め、その上で自分の特に気になる事だけに関心を持つ」という現状追認にしてあまりにも視野の狭い価値観や生き方、と定義したほうがいい。
-
Posted by ブクログ
自分は就職活動の経験もないし、現在のところする予定もない。
だから、この本に登場する若者達の心情をどこまで理解できているのかはわからない。
けれど、そんな自分が読んだ限りでは、彼らの心情の1つひとつに、その都度納得し、共感した。
最後まで読んでみると、今時の若者は随分と複雑な精神構造をしているんだな、と思ってしまうが、1つひとつに納得できているということは、少なからず自分も彼らと同じような精神構造をしているのかもしれない。
一方で、筆者の主張もよくわかる。
鋭くて、痛いところを突かれている気がする。
それでもやっぱり、この本に登場するような若者達がこの本を読んだところで、なかなか筆者の言うように、就職や仕事を大袈裟なものと考えずに、ひとまず就職してみるという気にはなれないのかもしれないな、と思う。
簡単そうで、それは難しい。
それが難しいことである理由の1つには、本書で明らかにされたように、「自分」であったり、「したいことをしたい」という気持ちであったりとシンプルでありながらとてつもなく大きな要素がそこに関わっているからなのだろう。
何故人は、「自分」というものを客観的に見ずにはいられないのだろうか。
速水健朗の「自分探しが止まらない」でも明らかにされたが、現代社会には、自分を客観的に見るための仕掛けが至る所に存在する。
自分を客観的に見るということは確かに必要なことだとは思うのだけれど、一方でそれが自分で自分の首を絞めていることになっているというか、わざわざ窮屈な状況へと自分自身を追い込んでしまっているような、そんな気がする。
だからこそ、筆者は「大袈裟に考えるな」とか「ひとまず」と主張したのかもしれない。
就職活動中の人でなくとも、仕掛けに足を取られて自分を客観的に見ずにはいられない人にとっては、多かれ少なかれこの本に登場する若者達の心情にも、それに対する筆者の主張にも、共感できる部分があるのではなかろうか。 -
Posted by ブクログ
こいつはおもしろい!そしてかなり複雑な内容を読みやすく書くことの手本でもある。日本人の劣化、としてある種の思考停止状態をよしとする、寛容への耐性が著しく低下している、妙な平等主義と他への想像力欠落、などについて適切適量の引用で実例を見せながら説明。社会についてはなんと!ヤングの「排除型社会」のわかりやすい入門編になっている(^^)。フェミニズムの衰退についても触れられ、荷宮「フェミニズムはなぜ衰退したか」の「戦略的失敗」的理解を取らず、他と同じく弱者に対する寛容の欠落で説明している(でもそれはフェミにとっては致命的だが^^;)。倫理的な欲求というのは確かに理念で日常世界の外にあるようだが、しかし原理的に内在しているとする柄谷行人については、外だと言うと昨今ならスピリチュアルとか行っちゃうよ、と現実に引き戻していたりする。このバランス感覚はこの人のいいところだなぁ。
-
Posted by ブクログ
もともと香山リカ先生のファンで、この本を読み始めました。まず最初に『61歳で大学教授を辞めて北海道で僻地のお医者さん始めました』(集英社クリエイティブ)を最初に読んでいたので、その続編のように感じ、文章に引き込まれて大変面白かったです。一気に読み上げることができました。臨床検査データと、その人の人生の背景を深く探ることの日本柱で医療を続けることの難しさを感じました。
総合診療医の先生が素晴らしいなぁと思うとともに、北海道などの過疎の地域では精神科を受診することの難しさを感じました。日本のどこでも平等に医療サービスを受けるできるようになるといいですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ香山リカ先生がへき地医療にやってきた。
その後が知りたくて読んでみた。
ちなみに「へき地」とは行政用語で、差別語ではない、と主張しておられる。(その通り)
概ね半径4km以内に医療機関がなく、かつ、近くの医療機関までの距離が通常の交通機関を利用して30分以内の場所という定義があるらしいが、香山先生の赴任先である北海道むかわ町穂別は40km圏内に医療機関はなく、設備の整った都市部までは救急車で向かっても1時間以上かかる場所にある。
そして、肝心の役に立っているのか、という点については「使い物になる時と、そうでない時がある」という。
精神科医の罠で、症状があっても、それを精神的、または状況によるものという精神科医デバイスが働いてしまい、科学的な医療判断を下せないことがある、という点。
最も、これにはいい点もあって、事情を聞くうちに、数値の悪化した原因がわかることもある。総合医療はとても広範囲な症状を扱う医療なのだ。
病院には、頼りになる所長やベテラン看護師もいて、設備もそれなりに整っているので、今のところ問題は起きていないようだが。
それより驚いたのは、北海道の精神科は、都市部でも予約4ヶ月待ちという状況もあるということ。精神科医がとても足りていない状況なのだ。
穂別には予約なしで診てくれる医師がいるとの噂で、遠方からも訪れるらしい。地元の診療を優先するために、地元の人の診療後に受け入れているという。
大変ならやめていいという所長のお言葉もあったが、精神科の患者を診ることが、自分の専門であるという安心感ももたらしてくれるので、今の所続けているらしい。
結局のところ、先生が「使いもの」になっているのかどうかこの本を読む限り、「使い物になる時と、そうでない時がある」という先生の言葉しかない。それは穂別の住民が決めることだろう。
ともあれ、引き続きエールを送りたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ正直言って、あまり好印象ではなかった人だけど、北海道のむかわ町に、医者として来てくれたことはありがたいと思って手に取った。
すると意外や意外。僻地医療に至るまでのさまざまな要素を明かしていくのだけれど、だんだん過去に遡って・・・。
「人生は60代が一番よ」と言って、娘が59歳の時突然亡くなったお母様も天晴れだが、その後の香山リカさん、人生というのは、目の前の選択肢を選んでいくうちに、(選ばれなかった選択肢ももちろんあるわけだが)運命が決まっていくものなのだと、改めて思わせてくれる本だった。
振り返って簡潔に書かれているが、そこは文筆家としての経験が長いので、読みやすくまとまっている。
私は今、香山リカさんを知ることができて、よかったと思っている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ香山リカ「さよなら、母娘ストレス」
・圧倒的支配力をもつ母親からの支配と従属、あるいは介入と受容の関係性。
☆社会学者 水無田気流 「戦後の日本社会は女性に自立して外で働け、でも家庭はおろそかにするなという矛盾したメッセージを伝えてきた。」「矛盾した教えを説く母親は娘にとって非合理でえたいの知れない存在にもなる」
・境界性パーソナリティ障害について。
特定の人物に対して、私を見捨てないでと依存ししがみつき(見捨てられ不安)と呼ばれる強い執着を見せる一方で、、常に相手に自分のすべてを奪われからっぽにさせられる(のみ込まれ恐怖)という恐怖も感じている。
自分とは何者かという問題になかなか答えを出すことができず、その内面の不安定さをすべて外界の人間や現象(所帯 世代 性別)に投影して見てしまう。
私にかまわないで、好きにさせてとメッセージを発しながらも、一方でもっとかまって、世話をしてとも望んでおり、自分で自分のその矛盾をどう解決すればよいか、わからなくなっている。
↓
本心 正論 本音 矛盾に対する怒り の発露 認めてみる
・白雪姫
どうしてお母さんの娘なのに、お母さんの考えに従えないの?
⇅
私はこんなにやってきたのに、あなたはできないのね
自分より器量の良い、同性の娘を持つことは、正気の沙汰ではない。
同類性にそむく 親和的でないこと
自己嫌悪になり、一方的に罪悪感を感じつづけてしまったこと、病んだ心身に対する恨みや憎しみ。
一般的に母親は負かしたり乗り越えたりするのでなく、包み込み、呑み込み、自分と一体化していることを確認しようとする。
いま注目されている母親の分離不安は、子供が幼い段階で起きる。その姿はお母さんが仕事に出かけるのはイヤだとむずかるこどもの姿と重なる。
母親は、娘に対してなんだ私と同じじゃないという気安さを感じる。娘の年齢が上がれば上がるほど、母は娘の成長過程を自分の過去として思い出すことが増え、ますます娘への優位性を高めていく。
☆思想家 内田樹「息子と父親の闘争が娘と母親のあいだのヘゲモニー(主導的地位。指導権。)闘争」にシフトしていること、「かつ戦績も母親の圧勝」であることを早くも指摘している。
☆社会学者 上野千鶴子「娘の母に対する怨嗟の感情は、自責感と自己嫌悪としてあらわれる。母を好きになれない自分を、娘は好きになれない。なぜなら母は娘の分身であり、娘は母の分身だから。」
・娘が、自分の分身なのだという思いをこじらせ、娘を従属させてしまう母親。
娘自身の主体(意欲 情熱)は、ないがしろにしてもいいものなのか。
☆教育実践活動 高浜正伸 「孤母- 核家族化、地縁の希薄化、夫の無理解などによって孤独な子育てを強いられることになった母親」
自己愛的な人というのは実は不安が強すぎてそうなったというタイプが少なくないのだ。
自己愛的だからこそ、娘に対してもライバル意識を持ってしまい、娘が示す愛着行動に拒絶的になる場合がある。その傷つきを回避するため、娘はさらに自己愛の強い自分を作り上げ、母親があなたにはかなわないとひざまずくところを空想することで何とか生きのびていくしかないのである。
☆作家 角田光代「私に言葉を教えたのはこの人なのに、いつのまにかに、私たちの言葉はこんなにも大きく隔たってしまった。」「王国の王としてでもない、母としてでもない、自分とは別人格の人とみなすことができ」、「そうしてはじめて、義務感からでも罪悪感からでもなく、私は母とつきあえるようになった」
・自我状態療法のすすめ
本当の母親はこんなじゃないと自身を尊重してくれる母親を強く、具体的にイメージする。ほら母親はこうだったじゃないと自分の記憶をだますのだ。
自分の中にある母親像を上書きしたり、別の人間をイメージの中の本当の親と思い込んだりすることもできるのでもある。そうすることが自分の心を慰め、励ましてくれるということである。
それが母親でなくとも赤の他人からでも、けなされたり、甘やかされたり、おせっかいされたくない。十分に手をかけてもらいたい、褒めてもらいたい、一人前の人間として扱ってほしいとおもう。
①怒りを持つ、好意を持てないことを「悪い」と思わない。
きちんと自分の気持ちを受け入れ、心に決める。
②根拠のない脅し(呪文)に呆れる。
おびえても、引き戻されない。
③介護や援助のときは割りきって。
同情で胸を痛めたり自分を責めたりせず、乗り切るだけ。 -
Posted by ブクログ
求めればキリがない。
捨てることは、心を楽にする。と言うことはわかっていながら、それが難しい。
大学教授を辞めて、僻地医療に携わる香山リカさんと、IT企業を立ち上げ、時代の寵児から1人の仏僧になった小野流光さんの会話。
小野さんの、仏教という堅苦しい枠に嵌らずユーモアのある励ましや、助言が心を和ませる。香山さんも、一時期よりも、なかり丸くなられた気がします。
人の役に立ちたい。程度は人それぞれだと思うし、誰に会うかで、人はその後の生き方も決まってくる気もします。そういう意味で、人との縁は大切。1人では生きられないことを真っ先に悟って、これまでの人とのご縁や、これからの縁を大切にしていきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルに惹かれて手に取った。
わかってほしい、と強く願う人とそうでもない人、わかってもらえっこないとあきらめている人、その違いってなんだろう
わかってもらえてると思ってたのに…というパターンもある
そもそもわかってもらえる、ということは、自分が思い描くパターンがあるという、そんなの無理なんだから期待しないほうがいいに決まってる
158ページが心に残った。
認知症のおばあちゃんが、過去のことはほとんど忘れてるのに、孫のことはかろうじてわかっていて完全に完璧に味方、頭をなでてくれて、お母さんには内緒だよとお菓子までくれる
孫はおばあちゃんが1番の理解者だという、
何もわからなくなってしまったおばあちゃんが1番わかってくれていると孫は感じる
施設に住むおばあちゃんが実際には孫を守れるはずもないのに、孫はおばあちゃんに守られていると感じるという
わかってもらうってなんだろう。興味関心がある、親身になってくれる、それだけでいいのではないかと思えてくる。
いろんな人に自分の中のそれぞれの部分を,その時々で少しずつ理解してもらえればいいんじゃないかと作者は結論づけている。
ほんとにそうだな、と思えた。