香山リカのレビュー一覧
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ネタバレ快感だと思うことが能力を最大限に引き出す。無意識状態がアイデアを生む(風呂場など)。1意欲×2体験→ひらめき、3睡眠→記憶の整理整頓と歪み補正、4居場所→安全基地、この4つがチャレンジを生む。行動し、出会い、気づき、受け入れることで成長する。
仕事には、依頼者の都合だけでなく、「自分の思い」をのせる。なりたい職業よりやりたいことを大事に。
フェルミ推定は、結論から全体から単純にの問題解決縮図。地頭力(効率)と対人感性力(目の前の人を大切に)をバランスよく使う。
事例を知ることはメガネをかけかえること。忙しい時こそ身の回りの整理を。 -
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本書は、「WEBRONZA」での連載「香山リカの新しい『リベラル』の話をしよう」などに加筆し再構成された昨年12月末に出されたものです。
精神科医としての豊富な臨床経験をもとにこれまでも様々な発信を続けてきた著者が、戦争法が強行された状況を踏まえ、これからどのように考え行動したらいいのかを問いかける内容。権力者のもつ精神的構造とそれをある意味容認する社会的な風潮に関する分析は、なるほどと思わせるものでした。「新書」のカテゴリーにある実態(売れる売れない、読んだ後あとに残らないもの)を紹介しながら、効果や効率だけが強調される市場主義が「反知性主義」を生み出し考える力を削ぎ落としているという指摘 -
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◎若者論を類型別に明快に語る
テレビでもよく出てくる香山リカ先生の著書。2002年に書かれた本だが、あまり古さを感じさせない。
最近の若者が考えそうなことを、6つの類型に分けて、さらにその類型ごとに詳しく解説してくれている。たとえば買い物。買い物は自分で自分をほめるために行くイメージもあるが、買い物に行った先で「これ似合いますよ」ととりあえず言われているにもかかわらず気持ちよくなって購入してしまい、店を出た後に買わなければよかった、となるというのだ。
これ以外にもいろんな話が書いてあるけど、まさにその「現代の若者」の真っただ中にいる私にとっては目からウロコで、自分で気付いていなかったこと -
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こうしなければ、いけない。こうでなければ、いけない。自分探しをしないといけない。確かに、自分が好きでやっていることなのか、それとも、やらされていることなのか、分からなくなる時があります。
本書は、気楽にいこうよ!と言う感じの本。具体的な処方箋と言うよりも、香山さんの元に訪れる患者などの具体例を見せることで、そんな自分に気付いてもらおうと言う本。
努力が必ず報われる訳でもないし、全てがうまく行くこともないかもしれないからこそ、たまには何も考えずに、肩の力を抜いて、何もしないこと。ほったらかしにすることも大切かなと思う。
でも、もしないと課そうとしている自分もいけないので、やはり無意識に実行 -
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そして、この「過剰適応」はそれをする人にとっては、たいへんなストレスになります。
このように本当はただの幻でしかない「やりがい」がどこかにあるはず、と信じてそれを求めて右往左往したり、「あの人はそれを手に入れてる」とうらやましがったりする、というのはむなしいことです。
だからいま「やりがい」を感じていないからと言って、決してあせることはないのです。それどころか、もしかするとそれはもうとっくの昔に手に入っているかもしれません。
弱音は遠慮なく吐いたほうがいい。
特別なことをしなくても、人に大げさにほめられなくても、ふつうの日々を送っているだけで、それはたいへんなことです。
深呼吸は「6回」がちょ -
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ネタバレ2014年の56冊目です。
香山リカという名前がペンネームだと初めて知りました。
でもその名前を使うことで自分を使い分けているということでした。確かに香山リカという名前で病院に勤めていたらそこの精神科は大変なことになっているでしょうね。ある意味勤務医として仕事をするためには必要な使い分けなのかもしれません。
自分の存在意義を確認するのが難しい社会になって、「私」とはなんなのかという主題を考えざる得ないということです。私はこう思う。という私とは他者によって形成された存在であるという考え方ある事は認識できていましたが、改めて”私”はなんなのか何に従って行動し発言し決めるのかということだが、その時私 -
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「弱者切り捨て」のグローバリズムに席巻された新自由主義の潮流の中で、「自由と公正を柱とする福祉国家」のモデルは崩壊してしまうのか。
「弱者にやさしい社会」が失われつつあることを危惧する著者が、精神科医としての実体験も交えながら「『神なしのヒューマニズム』は果たして可能か」「なぜ、弱者を救わなければならないのか」と問う。
「大きな物語の終焉」に際して、「新しい物語」を求める社会の要請に応えられなかった自身を含む「リベラル派知識人」の不作為責任を指摘する第3章は必読。当時「わかってくれるクレバーな人にだけわかってもらえればよい」という著者が抱いた印象は、そのまま日本の教会が固持してきた姿