無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで202万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
『苦役列車』を読んで、一番怖かったのは主人公ではなく自分だった
『苦役列車』を読み終えたとき、最初に浮かんだ感想は「自分と似ている」だった。
もちろん、主人公の貫多のような人生を歩んできたわけではない。家庭環境も、仕事も、人間関係も違う。それでも彼の感情だけは妙に理解できてしまった。
特に、要領がよく、爽やかで、人に好かれる友人へ向ける嫉妬だ。
最初は「友人が羨ましい」という単純な話だと思っていた。しかし読み返すうちに、貫多が欲しかったのは友人そのものではなく、「自分より豊かな人間が存在する」という事実に耐えられなかったのではないかと思うようになった。
そう考えたとき、急に他人事ではなくなった。
私は昔から偏差値を気にして高校を選び、大学を選び、社会人になってからも就職偏差値のようなものを見てしまう。「自分は世間のどこにいるのか」を確認し続けてきた。
それは誰かに勝ちたいからではなく、自分が下ではないことを確認して安心したいからだ。
結婚し、子どもができたとき、「これでようやく他人と比較しなくて済むのではないか」と思ったことがある。
しかし、それは幻想だった。
子どもが生まれると、今度は他人の子どもが気になる。目の大きさ、着ている服、成長の早さ。比較の対象が自分から子どもへ移っただけだった。
このとき気づいた。
比較する相手が問題なのではない。比較しなければ安心できない自分の心の構造が問題なのだと。
『苦役列車』は、社会の底辺を描いた小説として紹介されることが多い。
しかし私には、貧しさや労働よりも、「他人との比較でしか自分の価値を測れない人間」の物語として読めた。
そして、一番怖かったのは、その構造が主人公だけのものではなかったことだ。
本を閉じたあと、主人公から距離を置くことはできなかった。
鏡を見せられたような気分だった。
Posted by ブクログ
予想に反して、とても爽やかな読後感であった。
それは、書き手の類まれな潔さによるのかもしれない。芥川賞受賞直後のインタビューで、父親が性犯罪者であることや風俗店通いしていることなどをカミングアウトしているのを見て、よくある偽悪趣味だと誤解していた。
「私小説の逆襲」というキャッチコピーも、読み終わった今は“宣伝に偽りなし”と得心できる。大抵の場合、本の帯に賑賑しく印字された、出版社側の売らんかなの目論見満載の宣伝文句は、作品全体の雰囲気や作品本来のテーマを無視してセンセーションのみを煽る下劣なものが少なくない。
だが、今回は違う。
二つの意味で、この西村賢太の『苦役列車』は正しく「私小説の逆襲」に他ならない。第一に、田山花袋から連綿と続く私小説の系譜は、日本近代文学史みたいな授業でならば、それは日本の小説の王道であると教えられる。しかしその王道はここ数十年途絶えていた。僅かに平成10年頃までに書かれた車谷長吉の作品群が最後の悪あがき的な打ち上げ花火であった。関係者の名誉を棄損し、自らの尊厳も貶めるのが宿命の私小説に世間は辟易していた。平成7年の地下鉄サリン事件は、日本の安全神話を打ち砕く衝撃だったが、その直後の芥川賞の選考過程で、車谷長吉の『漂流物』を選ぶことができなかった。選考委員の判断が偏狭であったわけではない、世間の気分そのものが「躊躇いもなく人を殺す」心情の告白に耐えられる状況ではなかったといえる。だから、平成7年に私小説は芥川賞の前に敗北したと言えるのだ。
その直後、車谷長吉は、良く言えば私小説としての性格を極力抑制し、小説としての虚構性を一層昇華させた作品である『赤目四十八瀧心中未遂』で当然のごとく直木賞を獲る。これは車谷個人には栄誉かもしれないが、悪く言えば「私小説という身をすてて名をとった」と言えると思う。さらに数年後には、些細な名誉棄損訴訟に敗れた車谷は「私小説作家廃業」を宣言する。
だから、日本の文学界で私小説は完全に敗北していたのである。
最後の私小説作家たる車谷長吉と比べてみると、私が感じた西村賢太の「潔さ」が明確に浮かび上がる。
その「潔さ」は「失うものが何もない」という開き直りと同義語である。
世間的には脱落者ではあっても慶応大学文学部卒という学歴エリートであった車谷は、どうしても自嘲に湿り気が貼りついている。さらには、たとえば同窓だという某社の広報部長を実名で攻撃する筆致には棘がありすぎた。「毒」であらねばならぬと自認する筆致は自らをも相手をも本当に殺す危険のある「毒」だった。
それに比べると、西村の筆致も極めて毒々しいのに、人を殺す「毒」は全く含んでいない。義務教育を終えただけの「失うものは何もない」彼は不必要に「悪」を装うこともない。主人公である自分がセリフや行動の上で「悪」や「毒」を体現した直後の、ふっとした真情吐露の場面では、かならず真っ当な真人間としての本音が吐かれる。
真人間が小説的魅力を全く持たず、真っ当な発言が全然説得力を持たない現代では唯一無二の真っ当さの貫き方だと逆説的には言えてしまうかもしれない。
因縁の石原慎太郎が文庫版の解説を書いている。これも面白い。
失うものが何もないという逆説的には恵まれた私小説作家が受賞の結果裕福になってしまったのちの「変容」が如何なものか、石原は「尽きせぬ興味がある」と解説を締めている。
Posted by ブクログ
主人公の強い劣等感や相手を妬む感情。今の自分の状況を生まれのせいにして自ら環境を変えようともしない姿が終始強烈な印象で一気に読み進めてしまった。ここまで負の感情全開な主人公応援できない!けど自分にもある醜い感情をバーンと突きつけられたような気にもなる小説だった。でも主人公は親の不祥事でどう頑張っで自分は所詮あの親の子なのだと諦めていたが自分は絶対そうならないと抗うことはできたと思う。生き方で抵抗しながら生きることだってできたのにそれに負けたのは自分の選択。反面教師じゃないけれど人に対して抱いていた負の感情について改めて考えるきっかけになりました。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
小説・文芸
小説・文芸
試し読み
小説・文芸