あらすじ
劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。(解説・石原慎太郎)
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Posted by ブクログ
はるか昔に単行本で読んだはずだが記憶に薄い
文庫本で再読
いや面白い
そして無限に読めてしまいそうな文章力
これほどハイスピードでページをめくれる体験は最近の読書では無かった
こんな作品を忘れるわけがないので単行本は記憶違いなのかもしれないと思った
長らく滞納している家賃支払いのため1日500円貯金、風俗のため1000円貯金は笑った
急に連投される「プリミティブ」にニヤリとし、日下部カップルの会話にうんざり
著者にしてやられた満足感
これはもう全作品読まないといけない作家だわ
Posted by ブクログ
これは私のことか!?と思いました。無性に私小説を書きたくなりました。激おすすめ。孤独感や劣等感、友達づくりに悩んだり、周りに壁を作りがちな人に読んでほしいです。悩むなら、とにかく読め、読めーー!!
Posted by ブクログ
19歳で友達も居らず女の子にもモテない、仕事も低賃金で過酷。一見大変そうだし大変なんだろうけどそういう環境でしか得られない価値観はそういう環境でしか得られないんだろうな。キラキラしてる側は自分がキラキラしてることに気づけないんだろうな。
Posted by ブクログ
10年ぶり3回目。
石原慎太郎の解説がサイコーだぜ
収録されている『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』こそ白眉
この作品は著者自身の思い入れが強く、これ以降を自身の創作の第二期ととらえ、作風も変わっているとのこと。表題作にしたかったが、苦役列車が芥川賞をとったため急遽で同時収録にあいなったとされている(やまいだれの歌、あとがきより)
Posted by ブクログ
小説らしい非現実性よりもクズの私小説が好きだと改めて認識した。人間失格を初めて読んだ時のような感覚。面白いものでも読んで気分のいいものでもなく、自分の中の汚い部分が照射されたような気持ちになる小説。
Posted by ブクログ
私小説への印象を変えてくれた1冊です。
読む以前は、「私小説=不幸自慢」という印象がやはり少しばかりありました。
ですが本作品は、恥辱や怨望のような人間誰しもが抱いてしまう上に、他者には中々吐露しにくい心情を正直に・誠実に描くことで、このような感情をある種の美しさにまで昇華することを実現していると感じます。
これを可能にしたのは、作者自身が身をもって苦難を体験していたことに由来しているのではないでしょうか。それによって、石原慎太郎さんが仰っていたような、「現代の作品にはあまりみられない作家の心身性やリアリティ」を孕むことに成功しているのだと思います。
また、少々くどい文体も、それ自体が主人公の精神性(暴力的だが繊細・短絡的だが回りくどい)を表しているように思えます。難読な漢字等についても同様で、もちろん時代によるものもあるとは思いますが、主人公自身が自身の豊富な語彙を持つことを他者に対する優越感として抱いていることを表現しているようにも感じました。
総じて、私小説という形式だからこそ描くことが出来た醜くも美しい物語という感想を抱き、このジャンルに対する理解が少し深まったと感じました。
Posted by ブクログ
今年の新潮文庫の100冊に入っていたので、読んでみました。
あまりの凄さに西村賢太さんについてイロイロと調べてしまいました。
この作品は2011年の芥川賞受賞作なんですね。
受賞して10年以上経っているとは、時代の流れは速いものです。
文庫本で170ページ弱。
この薄い本の中には人間の本能がこれでもか!っていうほど詰まっています。
主人公・貫多はホント歪んでいて、人間のネガティブな面(本能)がむき出しなのです。
ここでいう人間のネガティブな面とは、人間誰しも持っている、エゴ・見栄・どうでもいいプライドを言ってます。
普段私たちは本能を薄ーーーーい皮(それを理性と言うのだと思う)でどうにか抑えているのだと思うのですよ。
人様に見せるもんじゃないし、万一人様に見られたら恥ずかしいじゃないですか。
しかし、彼は抑えない。
いや、抑え方を知らないから抑えられないのかもしれません。
読んでいくとわかるのですが、それは彼なりの自己防衛なのかもしれません。(本人は自覚ないけど)
彼には「父親が犯した犯罪」という壁があるのです。
その壁が彼と社会(他者)を断絶させるものとして大きく立ちはだかっているのです。
仲良くなっても父親の犯罪を知ったら、皆自分の元を離れていく。
それが怖いから最初から人と仲良くならない。
人一倍誰かとつながりたいのに、自分を守るために敢えて嫌われようとする。
短い文章にこれだけの心情を表現しているんですよね。
いや~、凄い!恐れ入ります。
まあ、読んでいて明るくなる本ではないことは間違いないです。
わたしも読んでいる間、自分のどろっどろで黒くて臭いものをダダ洩れにしながら読んでましたので(笑)、イヤーーな気分になりながら読みました。心臓えぐられる感じです。
それだけ人の心を動かすものがこの作品にはあるんです。
石原慎太郎氏の解説がホントに素晴らしくて!
文学としても高評価をつけたい作品です。
Posted by ブクログ
西村賢太作の私小説。芥川賞受賞作。
屈折した作家がその内面を自らの筆致で曝け出す私小説がとても好き。その人が本当に思っていることが体面を抜きに伝わる形式の娯楽は、人の言葉から不要な意味を受け取ってしまうことが多い自分にとってはとても安心して享受することができる。
自分がラジオやエッセイが好きなのもこの理由によると思う。
『苦役列車』の貫多はとにかく情けなく、コンプレックスに押し潰されて性欲を持て余す19歳の青年。p.98で日下部の彼女がブスだという描写に半ページくらい費やしているところが好き。執拗すぎる。居酒屋での会話から日下部はすでに彼女を顔ではなく内面で選ぶことができているのがわかるが、貫多はその感覚が全くピンと来ていなそうだった。日下部は高校の時普通に可愛い彼女と普通に恋愛していて、次のフェーズに進んでいるんだろうが、貫多はそれを伺い知ることすらできない。
p.108の、『差し当たり今の自分の日下部に対するスタンスを定める為に』日下部を野球観戦に誘うシーンも凄い。この説明リアルすぎる。まだ日下部に対する情はわずかに残っていたのに、丁寧に関係を修復していく気概もなければやりかたもわからずただ自傷的に関係を壊していくようすを、こんなに端的に表せるのがすごい。人に対するスタンスを定める、っていう感覚はもうヤンキーなんだけど、生来臆病な性格だからこういう書き方になるんだろうなと思う。
ことあるごとに「根は〇〇であるから、」という表現が挟まるのが面白かった。貫多が生まれついて頭が悪く、倫理観が低く、他者を理解し敬う心が欠けていることを強調する表現だとは思うが、著者も著者でちょっと性格を環境ではなく生来のものだと考えすぎだと思う。
Posted by ブクログ
自身の存在意義を確立できていない人間にとっての、この社会での生きづらさや不安要素、感情の動きが事細かに表現されていて、いい意味で不快感がすごかった。だけども実際そんな人間が考える妬み嫉み他責は、全部自信の無さから派生している感情だろうから目に見える実績を求めるのだろうな〜という思考回路がよく分かるお話だった。
私自身にも重なる部分が多々あって耳が痛いような気分になりました。ここまで赤裸々に人間臭さを表現してくれるなんて、仲間を見つけたようでなんだか嬉しい。それでも何もしなくても居心地のいいところなんて大体成長がないんだから長居するのは良くないね。
Posted by ブクログ
YouTubeを見ていて、売れない若手芸人がこの本を好きでずっと読んでいたというのを聞いたので。
自分とは真逆の人間です、この主人公は!だから感想としては、不器用だな〜この人、もっとこうすればいいのに。である。だけど、これも人間だし、ゼロイチじゃないから自分にも少なからずこういう部分はあったりして、それが誰しも多かれ少なかれ当てはまるんだろうな。だから読まれ続けるんだろうな。
Posted by ブクログ
ただただ貫太が最低で気持ちがいい。私小説と言っても、今まで読んできた太宰治屋三島由紀夫やドストエフスキーは、どれも文学少年のどこか上品な絶望を書き綴ったものだった。
それに対して西村賢太は上品の欠片もなく、ただただ下品。下品なのと裏腹に難しく古風な言葉使いが対照的でおもしろい。これも貫太の見栄っ張りで衒学的なところと合ってる気がする。開けっぴろげにしてくれてありがとうまたよもう
Posted by ブクログ
正直自分は、これに共感することは無かったんだけれども、人間の鬱屈とした感情を包み隠さず、そして何故か活き活きと描かれていて、ページを捲る手が止まらなかった。
Posted by ブクログ
女々しく且つだらしない貫多の行動と洞察、思考に共感する所がある。具体的には貫多の他責思考で嫉妬深く自分本位な性格なところや、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで嫌いになった友人とその彼女までもを卑劣な目に合わせたくなるその攻撃的な衝動と言動。
それらは読者である自分にも見出せる共通点でもありつつも長らく蓋してきた醜悪な部分でもあり、ページをめくるごとに眼前に取り出して見せられ眺められているようだった。辱めを受けたかのような錯覚を受け、同時にその反応すら見られているような。そんな私小説の醍醐味を久しぶりに味わえた。
視点を変えると、私はここまで自分を曝け出すことはできるだろうかと考える。恐らくできない。
Posted by ブクログ
表紙、題字フォント、カバーからして陰鬱な印象を受けた。独特な文章だが、読み辛いとは思わないし、寧ろ引き込まれてしまう。
妬み嫉みに塗れたその日暮らしの主人公がいて、それを俯瞰的(一般人に近い客観的)な視点で捉える作者がいて。子どもは親を選べない。11歳の時点で人生が決まったという単純かつ短い文の放つ哀しみが強烈で、貫多が合理的かつ器用に生きていくことの難しさを要所要所で突きつけられ、暗澹たる気持ちにさせられた。
西村氏を一目見た時からなんだか纏っているものが尋常ではないと感じてはいたが…
「落ちぶれて…」では何頁にもわたって、ギックリ腰で苦しむ様、それを1人で抱えながら孤独に生きていかなければならない虚しさが描かれていてなんとも言えない。それでも、「小説家として名を馳せたい」という強烈な想いを胸に、筆者が生きてくれて、書き続けてくれて良かったと、一読者として思う。芥川賞おめでとうございます、西村先生!
Posted by ブクログ
育った環境の不条理さや劣等感、恵まれた環境で育った周りの人間への怒り。この私小説では主人公の感情が痛いほど刺さる。
西村先生の書く独特な文章も含め素晴らしい作品。
Posted by ブクログ
貧困の中でそれに抗いもしない若者の私小説。文体が古く一文が長いので読みにくいようで引き込まれる文章。心情や情景の表現力がそれまで読んだ本と違った。
Posted by ブクログ
個人的には読み終えてとても安心するような感じだった。
やはりかのような不慮の事態に陥るより先に、不覚の死に恥晒かすより先に、いっそ先手を打って自らの意思で自分に始末をつけてしまうのが結局は為だと、
と上記の文章にはとても共感できる気持ちになるのでした。
Posted by ブクログ
⚫︎感想
私小説らしきものはあまり読んだことが無かったため、身に迫るものがあった。貫多の父は連続強姦犯として、彼が小学生のときに捕まった。可能性として誰もが被害者、加害者、またそれぞれの家族になり得る。そんな危うさをしみじみと考えるきっかけとなった一冊。
⚫︎あらすじ
劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。解説・石原慎太郎。
Posted by ブクログ
どこまでいっても卑屈で逆に清々しい。
やはり人間どこか歪んだ部分、歪んだ思考はあるけどそれを隠して出来るだけ綺麗に見せようとするものだけど、こんなに卑屈さを隠さずにいると寧ろ卑屈さを貫くことに価値があるのではと思ってしまうほど。
貫多がどんなに卑しい人間だろうとやはり、文字が読める、書籍が買える、著者の感情を拾う感性、文章で表現できるという強みがあって良かったなと思った。
また本能的に気持ち悪く感じる描写がすごくリアルで読んでる途中で悪心がするほど。
異臭立ち込める私小説という印象でした。
Posted by ブクログ
西村賢太の代表作にして、芥川賞受賞作。
北町貫多は、中学を卒業後、高校もいかずに実家を飛び出し、当面の生活費をまかなうために港湾での日雇い人足として働いていた。
日当5,500円で過酷な労働に勤しんでは、その金を安酒と安風俗に使い込んでしまう。
貫多は、そんな何も積み上がらない日常に危機感を持ちながら、自分の不運を嘆き、社会の不公平さを呪い、自らの自堕落さを嫌うのだが、相も変わらず同じ日常を繰り返すのだった。
そんなある日の港湾での勤務で、大学生の日下部に出会う。
日下部は貫多と同じ歳ながら、スポーツで鍛えた身体と端麗な容姿を持つ青年だった。
貫多は日下部に好意を寄せ、親交を深める。日下部は他に友達もいない貫太にとって、唯一の親しい親友になった。
日下部に感化され、貫多は真面目に働くようになり生活は好転し始める。
しかし、些細なことから日下部と口論になり、暴言を吐いてしまったために疎遠になる。また、港湾でも社員と揉め、出禁を言い渡される。
このような悲惨な状況になったところで第一部が終わる。
第二部『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』では、中年になった貫多が売れない私小説作家として生計を立てている姿が描かれる。
以上があらすじ。
本作は私小説に分類される通り、作者西村賢太自身の経験を基に創作されている。
貫多は小学生の時に父親が性犯罪者となり、厭世的な性格と自暴自棄な考え方になってしまった。
短気で無愛想、無思慮で無遠慮、怠惰でありながら、周りの人を馬鹿にして生きている。
それ故に彼女もおらず、友人すらいない。
著者が同じ状況を体験していただけに、この描写にリアリティがあり、読み手に重いショックを与える。
本作の最大の魅力は、貫多が苦しみ、しかし強かに人生を生き抜いてゆく様を味わうことができる点にあるだろう。
貧困と孤独にあえぎながらも自尊心を持ち続け、最底辺で前向きに足掻いている。
この没落は決して我々と無関係ではない。可能性の程度はあれど、等しく起こり得ることであり、だから同情と興味を誘われるのだ。
巻末の石原慎太郎による解説が秀逸。
Posted by ブクログ
卑屈を絵に描いたような男の話であるが、憎めないところもあり、どこかシンパシーも感じる。
この男が底辺から抜け出せない境遇は、自ら招いた所が大きいと思う。
Posted by ブクログ
劣等感に溺れた男の物語。
自己や他人を顧みず嫉妬や承認欲求を暴走させて周りに悪態をつき勝手に一人になっていく。
人間が誰もがもってる本性を包み隠さず曝け出して生きていく過程を生々しく書いた小説だった。
Posted by ブクログ
汚いし、腹立つし、みっともないし…なんだけど、私の中にもある同じようなものが刺激される。
例えば日下部と美奈子に悪態をつく場面。私はそんな素直に言わないけど、結局頭の中ではいろんな人に悪態ついてる。口に出すか出さないかは大きな違いかも知れないけど、結局同じ。本を読んでそれに気づいちゃって苦い気分を味わった。
Posted by ブクログ
人生で初めて読みました"私小説"。
意外と面白いジャンルですね!
その人の生きてきた道程や経験などが知れます。
作者の西村先生がどんな人間だったのか?
"素直さ"と"正直さ"どちらも似た意味かもしれないが
嘘を付いてない所と捻くれてない所と表そうか(笑)
文章で殴り書きされているので、なんか新鮮だった。
フィクションを交えてるのかなぁ~?
俺には全て事実にしか見えなかったです(笑)
僕的には、すっごい捻くれてるなぁ~って
感じがしました(笑)
読んでいて笑えましたし、なんか憎めないというか
近くにいたら「まぁまぁ」と宥める自分が想像できたり
だらしない男を見て、「おもろいなぁコイツ」って
思ってしまったかもしれないです。
解説で石原慎太郎が書いていたが
「どんな人間でも密かに悪行を夢見る」
これは誰しも考えた事はあるかもと思った。
遠回しに芥川賞に必要な要素も伝えてる様に見えた。
フィクションだけじゃつまらんみたいな(笑)
あまり女性にはお勧めできないな。
だらしない男の典型的な要素が詰まりつまっている。
でも、その人の人生を知るのは面白いから勧めたい。
あと漢字が難しかったなぁ。
畢竟とか煩瑣とか購めるとか(笑)
何回もSafariで調べて読んだ、勉強になりました。
Posted by ブクログ
2011年第144回芥川龍之介賞
2012年 映画化 公開時のキャッチは
「友ナシ、金ナシ、女ナシ
この愛すべき、ろくでナシ」
そして西村賢太さんは、2022年2月心停止、54歳で亡くなりました
主人公の名前は、北町貫多
西村賢太のもじりだとも
私小説部分が多いらしい
父親の性犯罪により 両親は離婚
引越しを繰り返しながら 中学卒業と同時に
家を飛び出し 東京の片隅で苦役のその日暮らし
酒と女が大好きで
仕事は金が底をついたら仕方なく
卑屈であさましく、自分の現状に怒りを持ちながら 自堕落
プライドは 山のごとく
劣等感は 海のごとく
読みながらダメっぷりに辟易しながら
自虐的滑稽譚とも思える
文章は明確で クラシックの感じもする
自堕落の太宰治が 死を目指していそうなら
こちらは 底辺で死ぬまでは生きそうなのだ
ただ この小説が西村氏の私小説でなければ
興味を持てるかというと不確か
「落ちぶれて袖の涙のふりかかる」
ギックリ腰の文学化
あるいは 純文的ギックリ腰
“落ちぶれて”を引用しているけど
川端康成賞にノミネートされ文学の仕事も
そろそろ充実し始めている頃
あー西村さんも 文学賞欲しいんだなってところに哀愁さえありました
この作品の中で 孤独死からの腐敗を心配しているくだりがありました
現実ではタクシーの中で意識を失ったそうです
なんとも
Posted by ブクログ
昔、映画版を観た時は主人公の言動に不快感を覚えてしまって楽しめなかったのだけど、小説は主人公の劣等感から来る不器用さ・卑屈さの描写がが分かりやすくて、主人公のダメな部分も楽しめることができた。なんなら共感すらした。
裕福さは違えど昔より主人公に近付いてる気がする。
Posted by ブクログ
この人は、
私小説家として生きる道しかなかったのだろう。
根っからの臆病者が恐れていたように、
たった一人で死んで、
腐乱した体で発見されるということが、
避けられた現時点から読むと、
良かったねとすら思う。
私小説家というものは、
限りない自己批判性と客観性を持ち合わせて、
幾ばくかの真実と、幾ばくかの誇張と、
大いなる主観を言語化する能力を研ぎ澄ませているのだろう。
この貧困の中を生き抜いた貫多。
心身がむさ苦しく、臭い、貫多。
おそらく憐れみなど全力で拒むだろう。
でも思うのだ。
芥川賞を取れて、よかったね。
生きていて、よかったね。
ただ一方で西村賢太に物足りなさを感じたのは、
強烈に病的なねっとりジメジメした自己愛にまみれた私小説であれば、
私は圧倒的に車谷長吉が好きだからだ。