工学の知識もなければ歴史なんてのもまあ苦手なわけで、でも『鋼鉄都市』は読めたしなといったところで、要は手に取るまでが長かったのですが、古典に学ぶべしと読んでみれば楽しいのなんの。以前Xで呟いた通り、九死に一生スペシャルな短編集でした。あらすじの「ロボット開発史」の文言から誰が予想できますか? めちゃくちゃ面白かったです。
お気に入りエピソードは「われ思う、ゆえに……」と「うそつき」、「逃避」です。
本の裏のあらすじはむしろロビイとかハービイとか、比較的穏やかな個体に言及しているのですが、あの、あんまりハートフル期待されても困りませんか????
といったところで、ロボット開発史というよりは、開発史の体をとった事件簿的な印象でした。破天荒なエピソードしかねえ。いいぞ。
「ロビイ」でホッとさせておいて、からの本編(?)。ドノヴァン&パウエル関連のエピソードは全部ハチャメチャで楽しかったですね。「野うさぎを追って」でひと区切りついたかと思えば、「逃避」でさらにとんでもない目に遭っていてよかったです。
以下は各エピソードについて。
「ロビイ」
この個体に関連する命名は何かといろんな場所で見かけることがあったのですが、これが本物かーと思いながら。平行六面体の頭部とボディ、八才児より長い手足となると、ロボットパルタを縦に引き延ばした感じ? 時代もあって母親があんまりにもステレオタイプ的ですが、こんな造形じゃ無理もないかも。ロビイの処分に関しては擁護できませんが、子どもの友達付き合いを含むご近所コミュニティが形成できないところのストレスは察するに余りあります。
一方の父親も大人しく従うわけにはいかないと、策を講じていたのはナイスですがちょっと無謀すぎませんかね?????? 最初の九死に一生が出ました。ロビイだから助かったし、だからこその策ではありますけど。万が一とか億が一とか、ちょっとよぎりませんか?
『ブー・ブー・ドールズ』の違う可能性を見ました。
「堂々めぐり」
セレンを取りに行くだけの簡単なクエストのはずが……。
古いロボットたちの造形というか、それを含む所作がなんとなく気持ち悪いのは完全に設計ミスじゃないのかなと思いますわよ。どこぞの悪の天才科学者のセンスを見習ってほしい。
というぼやきはさておき、堂々めぐりの原因は至ってシンプル。三原則、めちゃくちゃ干渉しあってるやん。そして二度目の九死に一生でした。
「われ思う、ゆえに……」
話が通じない人、もといロボットを説得しようとするなんてもちろん徒労でしかないのですが、その徒労を乗り越えなければまず間違いなく死ぬという三度目の九死に一生。地獄の一言。
基本的にロボットは人間より頭が良いはずで、そのせいで鬱病になった個体も他所の宇宙で見かけましたが、キューティはそれとはベクトルが違った。どうしてそう変な方向にばかり思い切りがいいのよ!
あまりの話の通じなさに苛立ったり、むしろ笑いがこみ上げたりする愉快なエピソードでした。あのロボットはなかなかいいぜ。
「野うさぎを追って」
難儀も難儀、地獄のバグ取り。何かおかしいということだけはわかる、ゲームのデバッグ中の我々の気持ちになれる貴重なエピソードでした。ましてや彼らは命懸け、うっかり四度目の九死に一生を経験する羽目に。ドノヴァン達にとっては三度目の九死に一生ですが、不思議なことにこれが一番生命的危機を感じました。最後の最後で調査箇所がかなり絞れたのはナイスプレーでしたね。ややこしい運用になればなるほど調べる箇所も増えて一向に解決せんのや。聞いてるかドールズちゃん。
エラーもそれぞれ、反応もそれぞれ。オペレッタのセリフを諳んじたり、信仰に目覚めたり、指をひねくりまわしたり、ロボットたちの個性も様々で楽しくなってきました。
「うそつき」
ひとの心が読める、というところでもうロクでもない予感しかしなかったのですが、ハービイは真面目で良心的でした。それが災いしたというか。最初は某マザーコンピューター的なエラーかと思っていたのですが、全然そんなことはなかったです。だからかえって質が悪いというかなんというか。
この件に関してはどうしようもなく誰も悪くないのですが、とにかく章タイトルの一言に尽きる。ハービイはかわいそうでしたが、ロボ全般がジレンマに対する柔軟性に欠ける仕様なのは今も昔も変わりませんね。そろそろ修正したれよ。
「迷子のロボット」
なんて思っていたら、第一条が例外的に緩和されてまたトラブルが起きました。お前たちはいつもそうだ。
ここにきて国家レベルのとんでもない規模の九死に一生が出ました。全ネスターを破棄するのが一番手っ取り早いのはそう。
ロボットたちも初期に比べるとずいぶんと賢くなって、というか主張できるようになって、進化を感じます。なんとなくきな臭さも感じますが、それを防ぐための三原則だぞといったところで。キューティの時も第一条が機能していなければ危なかったですね。
「逃避」
さてここでジレンマをうまく回避できそうなロボ、ブレーンが現れました。
なんだか雲行きが怪しくなったところでテストとくれば、あのコンビの出番ですよね!
かわいそうに、有無を言わさず九死に一生の星間飛行とは。人類は操作しなくていいなんて安心で安全で気楽なものですが、まるで娯楽がない(しかも設計ミスではなかったとは)。これだからロボットは……と言いつつも、ブレーンが童謡を歌い出すような事態にならなくてよかったです。それよりも何よりも星間ジャンプ。九死に一生の九のほうを、しかも二回も引きましたね? 一のほうも二回引けてよかったですね。
現実逃避の悪ふざけというにはちょっとやりすぎなブレーンちゃん、かわいいですね。
「証拠」
キャルヴィン博士の言うところの「愚かしい、無益なもの」の発展形だと思います。
バイアリイが本当にロボットではなかった(あるいはロボである自覚がなかった)としても同じ対応をしたんだろうなーとしか。「ご自分の欲しいものに責任を取るのはあなたなんですから」と言われた通りに事態がひっくり返るのが楽しかったです。
それはそれとして、ぶん殴られるためだけに組み立てられたロボがいるとすればめちゃくちゃ不憫ですね。
「災厄のとき」
コメント不能です。私の時代がまだこの話題に追いついていません。
強いて言えば『人間とは何か』(マーク・トウェイン)と共通するものを感じました。
……と書いていたのですが、どうしてコメントできないのかと考える度に、作品内の、情勢がマシンにコントロールされているという事実に対する反発心のようなものを感じたので追記します。
もう少し考えてみたところ、博士の言うような「マシンだけが避けられないもの」になる未来がまるで見えないので腹落ちしていないのだという結論です。マシンに従うだけの未来なんて! という気持ちが全くないわけでもないのですが、そこは対話の中で「人類にはそもそも発言権がない」と触れられている通りのことだと思います。ところが現在の人工知能も発言権以前の問題。もしかすると川上ではもっと優秀なのかもしれませんが、我々川下のところに届く品質があれではお話になりません。それとも、末端のところにまで進化したAIが普及している現実をもっと喜ぶべきでしょうか。
それはさておき、あらゆる紛争を避けられる未来が訪れるのなら誰だってそれを望むはずだと思いたいのですが、こんな調子の現実にそんな未来は果たして訪れるのでしょうか。
この、マシンに管理される未来はスペースワープ技術よりも近いところに見えていそうなのに、現実にはあまりにも遠すぎるから受け入れ難かったのだなあというところで終わります。
改めて、この小説に予想された未来が驚くほど現実に近くて、かつ希望に満ちたものだと感じました。
俺たちの未来もまだまだこれからだ!