宮本輝のレビュー一覧
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ネタバレ作者あとがきより
「小説にしてしまうとあまりに小説になりすぎる」という思い出や経験を……「これ以上書くと創作の領域だというぎりぎりの分水嶺あたりをうろつきながら」書かれたそうだ。
書かれたもの総て「いのち」にかかわること。
「いのち」とは? 命でも生命でもなく。
前のエッセイ集は「命の器」
「どんな人と出会うかはその人の器次第」と書いてあった。
これはグサッと刺さる。
解説の行定勲監督は
「どの登場人物にも嘘がないのは、「どれだけの人生に触れ、そのどの急所に目を向けてきたか」にあると思う。」
「真実は一つではない。その出来事のどんな側面に何を感じるかで違ってくるという宮本さんのものの見方」と。
このエッセイ『いのちの姿』の解説なのですが…宮本輝さんを読むヒントでしょうか。
今までに読めた小説に関わる背景やきっかけが興味深い。
そういえば 私は『泥の河』を小説だと思っていなかったような気がする。創作は作り事でも「嘘がない」からかもしれない。
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Posted by ブクログ
何とまあ、あっさりと。。。
最後まで、、最後の最後まで、人間は人間のまま、ちょっとしたことで過ちをする。
熊吾の伸仁への言葉。何の意図から出てきたのか。よくわからん。
房江も伸仁も、何故あんな親父を再び受け入れることができたのか。
訳がわからぬ。
ただ、この長い小説は、色んな局面の光(時代、人、天災、裏切、病気、色欲)に照らされて浮かび上がる様々な熊吾の反射を描くことで、熊吾という人間がどういう人なのかを知っていくものなのかも知れない。
前巻で、女房を殴る根拠が明かされ、そしてこの巻では、人を助けることや実は頑固さがないことなどが描かれ。。
今の自分にはそんなところしか、味わえない。
何故青桐を切らせたのか、何故木俣にとって切る必要があったのか、
最後の妄言のセリフとして何故ああしたエピソードを出すのか、
何故タクシーの運転手の機嫌を損ねて言うべきことがあったのか。。
よくわからない。多分、照らし合わせる、私の物差しがまだ無いからだろう。親が死んだら?自分がその歳まで生きたら?もう少しまた見えてくるものがあるのだろうか。
唯一、教条的な言葉としては、自分の宿命を知り、その宿命に意思を持って争うことが必要ということ。
最後は、呆気なく去っていく。
そんなものなのかも。
『何があっても、大したことはありゃあせん』というのは、生死の境を経てもそういうものなのかも知れない。
最後の最後のシーンがあまりにも清々しくて、サザエさんのエンディングのような印象を覚える。
何がどうということもなく、、
人間はさまざまなことがら、運命、宿命に翻弄され、その中で自分の意思でできることもあれば、自分の意思ではコントロールしきれずに成長しない自分に振り回され、そうやって日々を重ねていくことが生きることなのか。
自分の嫁や子どもがいたら、また何かわかることが出てくるのか。。。
伸仁は、明らかに熊吾の教えを地肉にしているところもある。
色々考えてみたが、人間はやっぱりよう分からん。
よう分からんのに分かった風に思うことや、分かったとして正義を振りかざすのはおっトロシイことやなということかと感じた。
そして、宮本輝を初めて読んだ時のように、やはりBlue heartsが聞こえてくる。
『この旅は気楽な帰り道 のたれ死んだところで 本当の故郷』
数年後に読んでみて、また、異なる感想が出てくるのか、どうなのか。
ただ、市井に生きる人々の、剥き出しの生を感じ、前世代の、幼少期から青年期の父母と、老年期の祖父母と会話しその息吹を感じることができたのは収穫。地続きの、等身大の人間として、コミュニケーションすることのできる機会を与えてくれた。
そして、こうした市井の人々の息吹を描くことで、歴史を追体験するというアプローチとして、夜明け前と楡家の人々を読んでみようと思う。
中学時代に挫折した夜明け前も、今なら少しは読めるかも知れない。
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ネタバレ何とも言えぬ。何をしてるのやら。
時代のせいにして、運のせいにして。
偶然のせいにして。
何に出会うか、何が起こるかは、時代や偶然、周りの環境、出会う人々、自分の特質により大きく変わるが、最終的に何を選ぶのかは自分の意思。
腋の甘さ。
房江回復と自分の本質の出現。落ちていく熊吾。
未だ許してもらえると思っていた熊吾のアホさ加減。
最後のシーンで骨身に沁みたようだが、果たして次の最終巻ではどうなるのか。。
伸仁はどうこの事態を捉えたのか。その内面の動きは読み取れず。
どこに向かうのか、どこに辿り着くのか。今また、混沌に放り出された感覚。
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なんとも言えない。簡単な成長物語としてのビルドゥングスロマンではなし、時代小説のようなものでもなし、ましてやエンターテイメントでもなし。人間が剥き出しに描かれている様に感じるものの、良いとか悪いとか、主題が何か、今の自分には判然としない。
紆余曲折、毀誉褒貶の人間模様。人間の多様面と厚さ、深さ、複雑怪奇さを感じる。人間の矛盾、弱さ、汚さ、儚さと、苛烈さ、酷薄さと、強さ優しさ、潔さと。美と醜が渾然一体となって、混沌のままに呈示される。どちらも人間の本質なのか。
正に海。掴めない。
ただ、その中でも、幼子を前にした父親を人間として見る感じる描写は、自身の父親もそうであったかもと思わせてくれて少し親に近づけてくれる。
そして、この物語を読み進めることによって、『分かった気になって、人間を善悪の二項対立で簡単に判別しがちな私自身の薄っぺらな人間観』と、『なんでも勝ち負けに落とし込んでしまう考え方』が、豊かになるかも知れない期待が出てきた。
全9冊の大作を読み進める中で、どんな変化が自分に起こるのか、起こらないのか、楽しみである。 -
Posted by ブクログ
戦後間もない頃(高度成長期くらいか)の阪神地区(主に海側)の下町を舞台とする短編集。生まれ育った環境との「地縁」と、人間の「性(さが)」を強烈に描いた作品。
その日暮らしが精一杯の少年時代・少女時代を過ごした登場人物たちが、大人になって昔を思い出したり、再会したりする話。当然、大人になるまでの間に、彼らは人生の辛苦を舐めているのだが、まだ10代前半くらいの段階で世の中のいろいろな場面を知ってしまうのである。
彼らは子供の頃に、日雇い労働、イカサマ詐欺師、水商売、ギャンブルなどなど、さまざまな職業の大人たちを見て育つ。仕事内容だけならまだしも、お金の使い方、ドロドロした人間関係、窃盗・嘘・恐喝など、大人たちの背徳も知ってしまう。そして、そのような大人にならじと「反発心」を抱いていたはずが、大人になってみれば同じような振る舞いを繰り返してしまうもの。(例:親の不倫を知って嫌悪感を抱きつつ、いざ自分が大人になったら不倫してしまう)
次の言葉が印象に残った。
「俺がお前たちの年齢の頃はな、世の中の裏の裏までとうに知っとったんやで」
暗いテーマの短編集なのだが、思わずページが進んでしまう、ぞっとする一冊であった。 -
Posted by ブクログ
ロダンはいう「石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たなければならない」
水には、そんな力強さがある。
志乃子は、「私は水の流れに乗って、それに身を任せて今日まできたと思っていたが、そうではないのだ。流れとともにかたちを変え続ける水に沿って生きてきて、今日の自分というものを得たのだ。どんな尖った細い難所でも、水はそのかたちになってくぐり抜けていく。私も水のかたちと同化して、微笑みながら難所をくぐり抜ける」
志乃子には、春のひだまりのような柔らかさがある。
志乃子は、ヒビが入った古備前の壺を見て、5万円で購入する。それが、実際には300万円で売れたのだ。志乃子には、本物を見分けるセンスがあると三好老人はいう。そして、病気のために閉店となっていた喫茶店グールドで、骨董品を売りながら、喫茶店を任される。
また、手文庫からは、手紙とリュックサックが見つかり、その持ち主が横尾文之介。北朝鮮から日本脱出する時の手記だった。彼は自分の家族だけでなく、150人近くの人を脱出させようとした。その脱出した時の女のお腹の中に子供がいた。それは、志乃子の息子が就職した美容師の兄だった。人々は繋がって、それぞれの幸せを追い求めていくのだった。
志乃子、美乃、沙知代。アラファイブの女たちの活躍を祈る。
ある意味では、北朝鮮脱出劇などは、戦争体験の人たちの語り継ぐ物語だ。1947年生まれという戦後世代の作者が、父親や母親が潜ってきた物語を受け継いでいる。私の父親は大正15年生まれ。よく考えたら、父親の戦争経験を全く聞かなかった。お爺は、明治23年生まれ。お爺とは、一緒に生活したけど、戦争の話をしたことがなかった。なぜか、今頃になって、そのことが残念だと思う。