あらすじ
昭和41年春、大学生になった伸仁は部活動にアルバイトに青春を謳歌し、房江は兎我野町のホテルで賄い婦の仕事を得て働いている。別居の熊吾は進行する糖尿病に苦しみながらも、木俣の高級菓子の夢、中古車センターの運営、森井博美の活計等、大小様々な難事の解決に奔走していたのだが……。37年の時を経て紡がれた奇跡の大河小説圧倒的な感動のフィナーレ。(解説・堀本裕樹)
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現在松坂熊吾ロス状態。
37年かけた小説が遂に完結。37年ですよ、完結を待たずに亡くなった方もいらっしゃるでしょう。筆者自身も申し訳なかったとインタビューに答えておりました。そう思うと私は運が良かった。
偶々この小説を知ったのが50歳になった昨年で、第一部の感想にも書きましたが、主人公松坂熊吾も同じ50歳、時代背景が全く違いますが、何か運命を感じて読み始めた結果、私自身にとっては今後生きていく上での大きな指標となりました。
筆者自身の父親を元にした自伝的大河小説、実際は3分の1ぐらいが実際に起こった事で後は創作と言う事です。それにしても魅力的な登場人物、そして彼ら彼女らの生き様を見ますと全てが事実ではないかと感じてしまいます。
50歳で出来た息子が二十歳になるまで生きていたいと願った松坂熊吾、見事71歳で天に召されました。つまり筆者の父親ですね。そして、34歳で書き始めたこの小説を書き終えたのが同じ71歳。震えましたよ。
松坂熊吾が亡くなるシーン、その瞬間50歳の私がいつか死ぬ時が来る、その時娘たちに何を残してやれるのか、そして現在76歳の私の父がいつか死ぬ時が来る、父は私に何を残してくれたのか、この二つの思いが合わさって涙が止まりませんでしたね。
本当にこの年齢で読めた事に感謝します。
息子がいたら50歳になったら読む本として遺言に残したい。(娘にちょっと刺激的w
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大河小説とは、よく言ったものだ。人間一人ひとりが雨粒としてこの世に生まれて、他の人と出会い、大きな流れとなって大河となる。主人公の熊吾は、粗野で弱い部分もありながら、世の中や人間を正しく、深く見つめ、その縁を繋いでいく。途中、大きな岩や嵐やいろいろな困難を乗り越えたり、流されたりしながら、人々の織りなす大河はさらに大きな海へと流れていく。途方もない年月を重ねて紡がれたこの小説だからこそ、これだけの流れを描くことができたし、何年もかけて読み終えた今、登場人物一人一人の人生がいろいろな思いを抱えながら、流れていく様をいっしょに流れて来たような錯覚を覚える。私は彼らと共にどこに流れ着いたのだろう?いや、まだ私は私の人生を流れていかなければならない。でも、ただ流されるのではなく、世の中や人間の営みをよく見聞きし、そして考え、しっかりと流れていかなければ、そんな決意が、最後のページを閉じた私に迫って来た。
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今年の2月から3月にかけて、第1部から第9部まで読み返しました。これで3度目になりましたが、読めば読むほど味わい深く、新たな発見に心が波立ち、夢中になって読みました。
熊吾を巡り、本当にたくさんの人々が登場しますが、「流転の海読本」(堀井憲一郎著)を傍らに置いて各巻の人物相関図を確認しながら読むと、複雑な人間模様が頭に入って読み進めることができました。
「出会いとは決して偶然ではないのだ。でなければ、どうして、出会いが、ひとりの人間の転機と成り得よう」と宮本輝さんが「命の器」に書かれているように、流転の海でも、登場人物たちが何か不思議な繋がりを持っているように感じます。
今回の再読で一番心に残った人物は、辻堂忠でした。第1部から登場していて、熊吾を慕い、熊吾から計り知れない程の恩を受けていた人物でした。それなのに…
最初に第9部から感想をまとめました。これから、第1部から順に、まとめていきたいです。
どの巻にも、心に沁みる言葉が散りばめられています。
この本との出会いは、私にとって偶然ではなかったとさえ思えます。
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37年間を21日で通り過ぎてしまった
宮本輝という作家の素晴らしさをあらためて心に刻むことができた
人生とは
作家宮本輝がずっと我々に問いかけ続けたのであろう
熊吾ほど多くの人に愛され、信頼された人間は数少ないと思う
それとともにこれ程人に裏切られた人間も少ないだろう
我々の人生も色々なことが起きる
残りの人生、どう向き合うか
流転の海は私に考える場を与えてくれた
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何が起きても、大した事ありゃあせん。
50歳、70歳になった時にもう一度読み返したい。
私も、人間臭くて、かっこつけて、誰かの心に残る、そんな人生を歩んでいきたい。
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読み終わってしまった(涙)
自分は50うん歳になる令和の4年まで、ずっと流転の海を読まずにおりました。
なんとこの最終巻の文庫本の発売が令和3年。
一巻目の発売から出会っていたら読み終えるまで37年かかったかも。もしもその頃から読んでいたら、ずっと心の片隅にあった本だったかもしれない。
そして大好きな青が散るをまた読もうと思います。伸仁がモデルの青が散るも、流転の海の読後は違った発見があるかもしれない!
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流転の海完結編。全9巻。
宮本輝は毎回、人生とは、人の宿命とは、幸福とは、などいろいろなことを考えさせられる。
この作家に出会えたことで、人生が深まったように感じる。
Posted by ブクログ
とうとう最終巻まで読み終わってしまいました。
第八部で妻子と別居することになり、殺伐とした第九部になるのかと思いきや、意外にものどかな日常が綴られていきます。
一緒には暮らさないけれども、家族として互いを思いやりながら暮らす熊吾と房江は、もしかすると初めて穏やかな生活を手に入れたのかもしれません。
作中でも語られますが、熊吾は人と人とをつなぐのがとてもうまい。
自分の部下にはしょっちゅう裏切られるし、家族とは別居するはめになるのだから、もしかすると親しい他人という距離が、一番熊吾との安定した関係を築けるのかもしれません。
”雑用が満足にできない人間は、どんないい大学を優秀な成績で卒業していても使い道がないのだ。”
苦労人の熊吾だからこその、人を見るポイントです。
苦労しながら一生懸命に生きている人たちに、なんとか生きる道筋を示しながら、少しずつ熊吾はその人生を清算しているように見えました。
裏切った人たちも多いけど、敵対した人たちも多いけど、それでもなお熊吾を慕い支えようとする人たちがいたことは、熊吾の人生が豊かなものであったことの証だと思います。
最後の最後に病院を転院することになり、まさかの展開でしたが、温かで穏やかな読後感でした。
ちょっと熊吾ロスになるかも。
第一部を読んでいた時は、もっと嫌なやつと思っていた筈なんですけどね。
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遂に最終章となった。
松坂熊吾が71歳の人生を全うした。
この小説からは多くの事を学んだ。
男として、父親としての生き方を。
大将と呼ばれ、人に対して優しく
世話好きな熊吾は、その人の良さと
経営者として、どんぶりな経営で人に騙されて、横領されたりして生活が苦しくなるが、
なんとか逞しく生きていく。
作者が最終章は自分が熊吾の歳にならないと
書けないと完成まで37年の時間を費やしたこの様な作品はきっと出てこないのではないだろうか!
この作品を世に送り出してくれた作者に感謝の気持ちでいっぱいだ。
Posted by ブクログ
長い大河小説を読み終えた。
市井の人間ではあるが、含蓄のある言葉と人と人とを結び合わせる力を持った熊吾。
その家族の戦後20年の話。
逞しく変わっていく妻子に比べると転落と言えるような熊吾の生涯。
最後に熊吾が愛した人々が別れに訪れるシーンに涙した。
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三十七年かけての
「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」
は、遂に完結しました。
書き上げたのが71歳とは、熊吾との縁を感じずにはいられませんでした。
「宿命っていうのは、ものすごい手強い敵や」
宿命と闘いながら、自分の生老病死に立ち向かっていかなくちゃ
ですね。
素晴らしい長編作です。
Posted by ブクログ
10年ほど前に読み始めたが、当時まだ第5巻までしか書き上げられておらずそこで中断したままだった。このたび遂に全巻完結し文庫化されたとのことで第1巻から再読したが、1か月で全9巻一気読み、圧倒的な面白さでした。
なにより松坂一家のみならず登場人物ひとりひとりが背負う人間性を丁寧に描き、自分自身の遠い記憶を呼び覚ますような昭和30~40年代の大阪の下町に浸り続けたひと月でした。
登場人物があまりにも多く、人間関係が複雑にまじりあってわからなくなるので今回は人物相関図を作りながら読み進めていったのが大正解。前半で登場した人物ややりとりを最後まで絡んでおり丁寧に回収されていることなどあらためて素晴らしいと感じた。
完結編を前にして商売も家族も最悪の状況になりそうで心配したが全員それなりに幸せの形を迎え穏やかな結末になった。
物語の登場人物が死んで冥福を祈る気持ちになったのはア初めてでした。素晴らしい作品に感謝します。
Posted by ブクログ
松坂一家の長い物語が終わった。9巻。文庫本で5000ページくらいか。感想を書き切ることは到底不可能と知り、読み方について少し書いておきます。一冊目は、知人からのオススメで読んだ。もちろん存在は知っていたし、宮本氏の「優駿」や「螢川」「泥の川」などを読んできた。僕が高校生の頃に1番読んだ作家だった。
二冊目を読むまでは少し時間を空けた。他の本も読む。同じようにして、一冊読んでは、海外ミステリーを読んだり、旅行エッセイを読んだりと、インターバルに別の本を挟んで読んだ。なんだかんだで、約2年読み終えるまでかかった。
感慨というか、なんというか、もうこれ以上に読むものがないのだという虚無感というか、
なんとも言えない喪失感に取り囲まれている。
Posted by ブクログ
何とまあ、あっさりと。。。
最後まで、、最後の最後まで、人間は人間のまま、ちょっとしたことで過ちをする。
熊吾の伸仁への言葉。何の意図から出てきたのか。よくわからん。
房江も伸仁も、何故あんな親父を再び受け入れることができたのか。
訳がわからぬ。
ただ、この長い小説は、色んな局面の光(時代、人、天災、裏切、病気、色欲)に照らされて浮かび上がる様々な熊吾の反射を描くことで、熊吾という人間がどういう人なのかを知っていくものなのかも知れない。
前巻で、女房を殴る根拠が明かされ、そしてこの巻では、人を助けることや実は頑固さがないことなどが描かれ。。
今の自分にはそんなところしか、味わえない。
何故青桐を切らせたのか、何故木俣にとって切る必要があったのか、
最後の妄言のセリフとして何故ああしたエピソードを出すのか、
何故タクシーの運転手の機嫌を損ねて言うべきことがあったのか。。
よくわからない。多分、照らし合わせる、私の物差しがまだ無いからだろう。親が死んだら?自分がその歳まで生きたら?もう少しまた見えてくるものがあるのだろうか。
唯一、教条的な言葉としては、自分の宿命を知り、その宿命に意思を持って争うことが必要ということ。
最後は、呆気なく去っていく。
そんなものなのかも。
『何があっても、大したことはありゃあせん』というのは、生死の境を経てもそういうものなのかも知れない。
最後の最後のシーンがあまりにも清々しくて、サザエさんのエンディングのような印象を覚える。
何がどうということもなく、、
人間はさまざまなことがら、運命、宿命に翻弄され、その中で自分の意思でできることもあれば、自分の意思ではコントロールしきれずに成長しない自分に振り回され、そうやって日々を重ねていくことが生きることなのか。
自分の嫁や子どもがいたら、また何かわかることが出てくるのか。。。
伸仁は、明らかに熊吾の教えを地肉にしているところもある。
色々考えてみたが、人間はやっぱりよう分からん。
よう分からんのに分かった風に思うことや、分かったとして正義を振りかざすのはおっトロシイことやなということかと感じた。
そして、宮本輝を初めて読んだ時のように、やはりBlue heartsが聞こえてくる。
『この旅は気楽な帰り道 のたれ死んだところで 本当の故郷』
数年後に読んでみて、また、異なる感想が出てくるのか、どうなのか。
ただ、市井に生きる人々の、剥き出しの生を感じ、前世代の、幼少期から青年期の父母と、老年期の祖父母と会話しその息吹を感じることができたのは収穫。地続きの、等身大の人間として、コミュニケーションすることのできる機会を与えてくれた。
そして、こうした市井の人々の息吹を描くことで、歴史を追体験するというアプローチとして、夜明け前と楡家の人々を読んでみようと思う。
中学時代に挫折した夜明け前も、今なら少しは読めるかも知れない。
Posted by ブクログ
あとがきに書かれている「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」という表現が非常にしっくりときた。
沢山の人物が登場し、亡くなっていくが、どこか淡々としていて、悲しみとは違った感情にさせられた。長い小説だが、読み終わってしまい、寂しい気分。
Posted by ブクログ
流転の海、最終巻。辻堂とあんな感じになったのは意外。看病中に知り合った男についていく博美がかわいそうだなあ。前巻の「長流の畔」を読んで3年が経ったので、いろいろ登場人物を忘れていて、大団円も感動が薄いかな。流転の海シリーズの中で、一番面白くなかった巻かもしれないが、まずは完結してよかった。
Posted by ブクログ
第一部から長かった。読み終わったー!
人間の心のヒダとかキビについても、もちろん色々と思うけど、流転の海シリーズで割と重要なの、食べ物に関する描写やエピソードだなぁ、とあらためて思った。
こういうのサラッと読ませるの凄い。
Posted by ブクログ
【「自伝に戻って来た?小説」、遂に完結!】
宮本輝「野の春(流転の海 第九部)」新潮文庫
宮本輝が34歳で書き始めた「自伝的小説」が、物語を進めるに従ってだんだん「自伝」を離れていった、と作者本人が振り返る作品である。2018年に発刊された単行本の文庫版が今月売り出されたのて、文庫しか読まない僕もようやく手にした。
最終巻にふさわしく主な登場人物が一通り現れ、主人公松坂熊吾はそれまでやって来た複数の事業を整理し、妻・房江はホテル・多幸クラブの食堂での仕事を軌道に載せる。ひとり息子・伸仁が二十歳を越え、五十で彼を持った熊吾なりに責任を果たしたという思いに浸るが、(僕にとっては)まさかの結末を迎える。
「自伝からどんどん離れていった」はずの小説だったが、熊吾の長い語りや、病院のやたらと詳しい描写(僕には作者の批判とも読めるくらい詳しい)など、作者の本当の想いや気魄が相当こもっている気がした。その意味でこの物語は、最終巻にして「自伝に舞い戻って来た」感じさえするのである。
戦後すぐから万博直前にかけての大阪の街の細かい描写、そして物語の最後でようやく僕が幼稚園に入るかな?という時代背景(「駅前第一ビルと第二ビルがもうすぐ建ち始める」んやそうです)なども含め、9巻通して僕には忘れ難い作品になった。
Posted by ブクログ
読み終わってしまった。
読み終わってしまった。
感想なんか書けへん。
この作品を超えると作品を今後読むことはない気がする。37年間ブレずに書き続けられた著者を心からすごいと思う。あとがきにもあったけど、最後まで健康で書き終えてくださったことに感謝しかない。