あらすじ
志乃子は一個の鼠志野の茶碗をきっかけに、骨董の世界へ足を踏み出していく。茶碗と同時に貰い受けた手文庫には、小さな手縫いのリュックサックと、敗戦後に命懸けで、北朝鮮から三十八度線を越え帰国した、ある家族の手記が入っていた。残りの人生で何が出来るかを考えた彼女は、その持ち主を探し始める――。ひたむきに生きる人々の、幸福と幸運の連鎖から生まれた、喜びと希望の物語。
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主人公と同じ年代というのもあり、久々にのめり込んで読んでしまった。人にはそれぞれ考えや歴史があり、それを纏って生きている。それを誰にいうでもなく自慢するでもなく嘆くのでもなく。
なのに見た目や振る舞いだけで人を判断していた主人公はそれを後悔をしていた。それは自分にもある性質なので主人公とともに反省をした。
後半の、終戦後の北朝鮮からの脱出劇は、実際に経験された方から伺った内容をもとにしているとのこと。なので読むのがとても辛かったし、とても恐ろしかった。
この「水のかたち」は宮本輝氏の作品の中でも私にとって感銘を受けた作品の上位になった。
(おこがましくてすみません)
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一つの茶碗を手にしてから人との縁や繋がりが広がり続けて、様々な人と接する事や様々な事が日常に起こるけれど主人公は自分という尺からは無理をして逸脱せずに、常に自分というものを大切にしている。主人公はその素晴らしさに気がつかないが友人はそれを感じて影響を受けて、人生の捉え方や生き方が変わっていく。
人との繋がりの中で、戦後の壮絶な経験をしながらも自分の信念を変えずに人々を救った名もなき人の事も知り思いを馳せる主人公。
そのどれもに私は感情が動かされました。
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今まで読んだ宮本輝の中で1番好きかもしれない
水の流れのままにではなくて、水のかたちのままに
『善き人』の強さを最近強く感じる自分にとって、なんだか救われたような気持ちになる話だった
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平成28年9月
主人公の人生が平凡だったものから変わっていく。
その中で主人公の中にあるものは変わらず大切に一滴一滴の力を大切に。
ファニー(偽物)が世界を席巻している時代。
偽物、まがいもの、うらっつらだけ。そういうのに人間は騙されやすい。
一丈のほりを越えぬもの、十丈二十丈のほりをこうべきか
一丈の幅の堀を越えたら、一気に十丈二十丈がやすやすと越えられるようになる。その一丈の堀を越えてみることが大切。
この本を上下と読んで、
やっぱり人生って難しいね。自分も今、40になろうとしているところで。この主人公と同じように、今までの自分の人生って何だったんだろう、ヘイヘイボンボンと生きてきて、このまま死んでいくのか。
主人公のように何かがおきた時それを勇気を出してやってみる。偽物ばかりの世の中で本物を大切にやってみる。一滴一滴の食い込む水の遅い静かな力を!!
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物語以前に宮本輝の文章が好きである。
読んでいると、ほっとして気持ちが温かくなる。
この物語も主人公は恵まれた女性だが、「水のかたち」を柔らかく醸し出すために存在しているようだ。
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宮本輝は書きたいものをたくさん心に持っていると以前読んだことがあるが 彼は後半の想像を絶する過酷な引揚げの話を後世に伝えたくて この本を企画したのではないか?
だから あえていつも口元が笑っているように見える 春のような雰囲気のおばさんを主人公に持ってきて 恵まれすぎる暖かいお話で舞台の準備をしたのじゃないか
始まりはなんともおだやかな 人をなごませる主婦が主人公 家族も次々登場する人物も いい人ばかり
近所の古い喫茶店の2階に亡きマスターが集めた骨董品(がらくた?)があり 見亡人にすすめられその中から 気軽に2~3 もらうけることになるが これらが後に大変価値のあるものと分かり 骨董の世界入り込んでいく 彼女にはどうやら骨董品を見極める才能があるらしい また次々と出会う人たちも温かみにおある人ばかりで この人たちに助けられながら最後はビル群の中の 趣味の良い喫茶店に骨董品をならべる経営者になってしまう なんとも調子が良すぎてはがゆい
彼女が貰い受けた骨董品は文机や茶碗のほかに手の込んだ細工物の手文庫であったが この箱の中に手縫いの小さな汚いリュックサックがあり ビッシリと書き込まれたメモの束が入っていた
これの内容は「ほのぼの」から一転して非常に厳しいもので敗戦後北朝鮮に取り残された人たちの記録であった 軍人は先に逃げてしまい 一般人は朝鮮人や突然南下してきたロシアの兵隊にひどい目に会う 大勢が犯され衣類を剥がれ野ざらしの死体になったなかで 一人の男性の知恵と強い意志によって1年後の良い季節を選んで 150人もの日本人を海路によって38度線を突破 引揚後も才覚によって 戦後の厳しい時代を乗り越えた記録であった たくさんの偶然に助けられ奇跡的に一緒に引き上げることが出来た幼子に伝えたくて書き残したようだが 戦後の生活苦の中 途中で途切れた状態になっている 苦労の末書き残した人の家族がまだ生きておられることがわかり続きを聞く旅に出る
敗戦後大陸や南方から奇跡的に 命からがら引き上げてきたという話は聞いたことがあるが ここまで悲惨で生々しいものははじめて
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自分を自分以上のものに見せようとはせず、自分以下のものに見せようともしないシノコが主人公。水のように、素直に正直に周りに馴染み、溶け込み、自然に自分の思い描く通りに周りがなっていく。こころが穏やかになる一冊。
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ごく普通の生活をしていた主婦が人との繋がりによって自分の幸せを広がっていく、ありそうでありえない物語の後編。
主人公は自分の力で引き寄せたのではない様々な事柄は、その生き方によって、自ずと引き寄せられていく、その生き方は相手に合わせて変化しながらも、結局は変わらない信念のようなものによって繋がっていくのだと伝えてくる、そんな話だった。そうした生き方を表したタイトルの言葉は、作者の思いが込められているのか、まあわかるような、そうかなぁというところもありか。
朝鮮半島からの過酷な脱出の物語は、ストーリーの中で重要な要素ではあるけど、これはこれで別の話の方が良かったのではないかなとも思う。
作者あとがきには、善き人たちの繋がりというテーマに欠かすことのできない無名の庶民の力を盛り込んだとあったが、そんな逸話も含めていろいろなストーリーが繋がっていく面白さがあった。
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ロダンはいう「石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たなければならない」
水には、そんな力強さがある。
志乃子は、「私は水の流れに乗って、それに身を任せて今日まできたと思っていたが、そうではないのだ。流れとともにかたちを変え続ける水に沿って生きてきて、今日の自分というものを得たのだ。どんな尖った細い難所でも、水はそのかたちになってくぐり抜けていく。私も水のかたちと同化して、微笑みながら難所をくぐり抜ける」
志乃子には、春のひだまりのような柔らかさがある。
志乃子は、ヒビが入った古備前の壺を見て、5万円で購入する。それが、実際には300万円で売れたのだ。志乃子には、本物を見分けるセンスがあると三好老人はいう。そして、病気のために閉店となっていた喫茶店グールドで、骨董品を売りながら、喫茶店を任される。
また、手文庫からは、手紙とリュックサックが見つかり、その持ち主が横尾文之介。北朝鮮から日本脱出する時の手記だった。彼は自分の家族だけでなく、150人近くの人を脱出させようとした。その脱出した時の女のお腹の中に子供がいた。それは、志乃子の息子が就職した美容師の兄だった。人々は繋がって、それぞれの幸せを追い求めていくのだった。
志乃子、美乃、沙知代。アラファイブの女たちの活躍を祈る。
ある意味では、北朝鮮脱出劇などは、戦争体験の人たちの語り継ぐ物語だ。1947年生まれという戦後世代の作者が、父親や母親が潜ってきた物語を受け継いでいる。私の父親は大正15年生まれ。よく考えたら、父親の戦争経験を全く聞かなかった。お爺は、明治23年生まれ。お爺とは、一緒に生活したけど、戦争の話をしたことがなかった。なぜか、今頃になって、そのことが残念だと思う。
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2023年5月6日
一気読み。
真っ当な人には真っ当な人がくる。
秀でた人には秀でた人がくる
朱に交われば赤くなるの言葉通り。
もしや利を狙った輩が蔓延るのでは?
とか、騙す組織が現れるのでは、と心配したが、信頼できる人たちの繋がりだった。
戦争の爪痕は語りついでいくべきと思う。
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「善き人たちのつながり」
あとがきにあるこの言葉につきる物語でした。
余りにも良いことばかり?なので、どこかに落とし穴が?とうがった読み方をしていた自分を反省…
少しも後ろめたいことをしたくないという気持ち、その思いに正しく生きていきたいという気持ちは、自分が生きる上で大切にしたい事と一緒だなと思った。
とはいえ、実際にそこまで正しく真っ直ぐにはできていないから、ついついうがった読み方をしてしまったのだろうな。
更年期、今までの自分、これからの自分を考える主人公には共感できる部分もありつつ、やはり、男性が描く女性という気も。可愛らしすぎて、嫉妬を感じてしまっただけかなぁ…いや、実際、幸運に恵まれて、また新しい世界に飛び込むことになった、主人公は羨ましい限り。
歳をとっても、希望の持てる物語でした。
夫や、周りの人たちの深みに改めて気づくシーンがあったけれど、本当にそうだなと。他者への尊敬の念と、善く生きるということを改めて考えるきっかけになった。
あと、京都に行きたくなります…
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50歳の主婦がたまたま古美術品を手に入れたことから、日常の生活が大きく変化していくさまを描いた長編小説。
宮本輝の作品を手に取ったのは、何年ぶりだろう。その昔、『泥の河』をはじめ『青が散る』『錦繍』など10冊ほど読んだ記憶があるが、最近はとんとご無沙汰していた。
友人の薦めで借りたのだが、まずは安定感のある品のいい文章が心地よい。複数の大きなエピソードも違和感なく収まり、力まかせの作家からは得られない良質な穏やかさがある。そういえば芥川賞の選考委員も務めていたのだったっけと、改めて作者の力量を思い知った。
夫と3人の子どもと暮らす女性の視点から、更年期やら五十肩やらの身近な話題も取り入れているのは、初出がその年頃の女性をターゲットにしたファッション誌『エクラ』だったからかな。
それにしても、主人公は何と行動力のあることか。まっとうに生きていれば、人とのつながりの中から自然に幸せが生まれてくるという優しい眼差しにも励まされ、私もまだまだ何かできそうだと前向きな気持ちになった。
余談だが、再三登場するきゅうりのサンドイッチを早速作ってみた。厚手のキッチンペーパーで何度も絞れば、男性の手を借りずともかなり水気は切れる。玉子サンドに珈琲も添えて、優雅なランチタイムとなった。
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更年期障害を迎えようとしている平凡な主婦を主人公に、サッシの施工を生業としている夫、子供3人の一家と取り巻く善良な人々のお話。
なかなかあり得ない偶然の連鎖も、今の世の中の状況を鑑みると救いのお話でした。
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志乃子は鼠志野の茶碗に出会うことで、人生が動き出した。物との出会い、人との出会い、その時々で大きな決断を迫られながら、彼女はごく自然に歩むべき方向を選んでいく。そこに無理はなく、水が山から湧き、滝になり、川に流れ込み海に注いでいくように、環境に合わせて形を変えても、水がその本質を失わないように、彼女もその素直さ、謙虚さ、礼儀正しさを失わない。
自分を、自分以上のものに見せようとはせず、自分以下のものに見せようともしない、50歳の平凡な主婦として描き出される志乃子、ただものじゃない。
小さな茶碗をきっかけに喫茶店兼骨董品店のオーナーへの道が開かれるのが、決して偶然ではなく必然のように思えてくるから不思議。
志乃子だけではなく、苦労に苦労を重ねジャズシンガーとして花開いた友人・沙知代、地味だけど人間としての強さを持つ夫・琢己、喧嘩っ早いけど喧嘩相手といつの間にか仲良く心を通わせる横尾など、すべての登場人物が滋味に溢れ、魅力的なのもいい。
登場するすべての人に名前が与えられ、人物造形がしっかりなされているのも、この作品が「人間」を描いていると感じる一因。人間を描き、物や人との出会い、「縁」というものの不思議を描き、素直な心の強さを描いた作品でした。
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初の宮本輝
ゆったり、まったり時が流れていく感じ。
最初はこんなテンションで上下巻なんて最後まで読めるかなぁと思っていた。
ハラハラドキドキというのがほとんどなく、よくある日常というのでもなく、かと言って奇抜でもない。
それでいて、最後まで読ませてしまうのがすごい。
主人公は確かに運が良くて羨ましい。
そうそうガラクタのようなものの中から一攫千金の品に巡り合えるかな。
しまいにはハイセンスな喫茶店まで破格の賃料で貸してもらえて羨ましいけど、自分がその立場になっても、手に余すぎる。
その度量があるからこそ、それだけの幸運が舞い込むのかも。
主人公が人生を達観していく様を見ているようだった。
題名がぴったりおさまって、人生ってそういうことかもと考えさせられた。
きゅうりのサンドイッチがなんとも美味しそうだった。
Posted by ブクログ
題名の「水のかたち」を見たときの印象は、水に形があるの?っていう小さな違和感であった。が、読み進めてゆくと作者がその題名に込めた前向きで、その環境に適応する柔軟な生き方が見えてくる。ジャズやコーヒーなどの小物も年代相応のスパイスとなっている。
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下巻は勢いで読む。
主人公の周りには、善き人たちが集まってくる。
それは主人公が、心根の正しい善き人間だからなのだろう。
上巻に比べると、心に沁みる場面は少なかったと思う。
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下巻に入っても、川の流れに乗るかのように、志乃子の前にある扉が次々と開いていく。若干うまくいき過ぎな感もあるけど、この本のテーマに「幸福の連鎖」も含まれるのだから、これでいいのだと思えます。50代の知識も経験もそれなりに積んだ女性が、新たな人脈を得て才能が花開いたのなら素晴らしいことですしね。コツコツとまっとうに生きていけば、そのうち運や道が開けてくるかもしれないと、ほっこりとできました。作品中に織り込まれている敗戦後に38度線を越える話は実話がベースになっている知り、胸が痛んだ。
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「自分を善人に仕立て上げよう気なんて、ひとかけらも持ってはれへん」「自然にすなおで、自然に謙虚で、自然に礼儀正しい」主婦が、次々と「善い人」と出会い、大金を手に入れ、そのうえ遂には喫茶店を経営することとなってしまう。何とも魅力的な物語。
この『グールド』という喫茶店、どこかにあったら、ぜひとも行ってみたくなってきた。
一方、要所に挿入される、大戦後の北朝鮮から帰還する一家を記した手記は、実話だそうで、光と影のように、主人公と「善き人たち」とのつながりを一層引き立てている。
また、宮本作品らしく、記録しておきたい箴言があちこちに。
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宮本作品を読むと希望を得られる。『水のかたち』は出会いを大切に受け止める。その連続が幸福の連鎖を生み出す事が描かれていると感じた。
作品の中にある下記の言葉が心に残っている。
『心は巧みなる画師の如し』
『他者への畏敬』
『石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません』
他の作品も読みたくなりました。
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…石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません。…
というロダンの言葉が作中に引用されているが、この物語の核心はこの一言に尽きると思う。良い流れに身を委ねて、次の一歩を踏み出す。人と人とのつながりって、おもしろいものなのよね。この人はと思ったら細くてもなが~く付き合えるようにしておくこと。それが自分の人生も豊かにしてくれるんだなぁとしみじみと思った。私もあの志乃子さんたちが住む場所の住人になって、志乃子さんたちと知り合って、いろいろおしゃべりしたいなと思った。
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主人公の志乃子が50歳とちょうど私と同年代で、親近感を覚えながら読み始めました。
働き者の夫と3人の子供を持つ主婦の志乃子が、たまたま古美術品を手に入れたことから人生が動き出すお話。
平凡な主婦という設定だけど、実はただ者ではない気がしたよ。良いものを見分ける目利きの天性の才能がある。
すなおで謙虚で礼儀正しく、自分を自分以上のものに見せようとはせず、自分以下のものに見せようともしない、そんな善き人である志乃子。彼女が物との出会い、人との出会いで新たな人生を切り開いていくのだけど、これは偶然ではなく彼女が引き寄せたものなんじゃないかなという気がした。
50歳でこんな風に人生の風向きが変わることがあるのかなぁ。ご縁もあるけど、自分次第なのかなぁ。私の後半の人生はどうなるんだろうと思ったりもした読書となりました。私の身にも何か起きて何か変わらないかなぁ。漫然と生きているだけでは何も変わらないかぁ…
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自分を自分以上のものに見せようともしないし、自分以下のものにも見せようとしない、自然で素直でおっとりと話す、おそらく目立つ美人と言うわけでもないのだろうが、男女問わず人を惹きつける魅力のある、50歳の主婦・志乃子。
そう言う「善き人」は「善き人」を引き寄せるのだろう。沙知代も早苗も、夫・琢巳も魅力的な人達だ。そうして縁や出会いによって、それぞれの人生がまた新たな扉を開いていく。一見穏やかながら、50を過ぎてからまた人生が動き出す志乃子や沙知代には、希望のようなものをもらえるし、心地の良い作品だった。
『自分以上のものに見せようとしない。自分以下のものにも見せようとはしない。』
『自分を、自分以上のものに見せようとはせず、自分以下のものに見せようともしないというのは至難の業だ。人間はすぐにうぬぼれる。絶えず嫉妬する。他人の幸福や成功をねたんだり、そねんだりする。自分を周りからいい人だと思われようとする。』
それからもう一つ、志乃子が言っていた言葉で、印象に残った言葉があった。それは、家出をした娘に対して言った「私は、こんなことをしてやろうかってふと思ったことを、実際に行動に起こしてしまう人間が嫌いなの。それがいいことなら、すばらしい意志と行動力よ。でも、良くないことなら、その衝動を抑えるのが教養というものよ。」この言葉は、その通りだなあ、と思った。
そして、この作品の中のもう一つの軸である手文庫とその中にあった手記の持ち主・横尾文之助と家族の決死の38度線越え。文之助もまた非常に魅力的な人物だった。
何より、あとがきまで読んで驚くのが、この文之助一家の話は事実に基づいたものだと言うことだ。
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そんなアホな、と、言いたくなるような何もかもがうまく行き過ぎ、世間は狭いというか、あっちもこっちも実は知り合い、って。
でもずんずんと読み進むことができる。
そうだ、私は嫉妬しているのだ。ほぼ同い年のこのヒロインに。絶対に私とは真逆の資質を持ったこの50女に。
たまたま気に入った茶碗がすごい逸品で、大金が手に入ったり、その縁で趣味の良い喫茶店を始めることになったり、もうすべてのことが良いほうに良いほうにと回り始めるのだ。
だけど、私はいつも思う。こういう「運」はただの偶然などではないのだ。その人の持つ徳や資質が呼び寄せるのだ。だから私には絶対にそんな運はめぐってこない。きっと死ぬまで。それを再確認するのはちょっと辛い作業でもあるけれど半世紀も生きているとそんなことでもがいたり奮起したりはしないのだ。
致し方なし。というあきらめの境地だけである。
「横尾文之助」氏が実在の人物であり彼にまつわる逸話が実話であったことはこの本を読んだ中でいちばんの収穫で興味深いくだりであった。なにせ、文中に出てくる地名は私の故郷でもあるのだからより身近に思い入れを持ったとしても不思議ではない。
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面白いけど…好きなセリフもたくさんあるんだけれど…いろいろ都合がよすぎやしないだろうか。主人公の人柄が呼び込む、人の輪とか幸運とか運命とか、そういうことなのかもしれないけれど。
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上巻に続いて下巻を読んだが、下巻の方が話の展開があったせいか読みやすく、テンポ良く読めた。
しかしながら最後までなんとも言えない「偽善的」な「いい話」がむずがゆく心地よく読むことは出来なかった。
結局、何が言いたかった話なのかもよく分からず、敷いて言えば因果応報的な話なのだとすれば、あまりにただ長いだけの小説だったと思う。