中島義道のレビュー一覧
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親ガチャ、という言葉は刺激が強い。けれど、どこか、中空だ。親は選べないけど、こうした私がいるのは、先祖から延々とつないできた命の営みの必然だったりする。問題は、この言葉が一見生まれによる不運さ、を切り取っているようで、強烈に親ガチャで決まるような社会は生きるに値するのか? という問いを内包しているのではないか、ということだ。生まれに着目すれば、次にでてくるのは育ち。育ちとは何か。環境と引き継いだものの影響の及ぼしあい。
しかし、親ガチャで決まるということは、この間の一切合切が、省略されたレールの上に載っているということか。透明カプセルのなかで、社会そのものをスルーする。そこにあるのは、うまくやっていくために意図的にコントロールする仮面をかぶった自己と、そうでない自己の強烈な解離がおそらくあるのだ。
この本は池田清彦、中島義道、和田秀樹、室井佑月、森達也、香山リカ、土井隆義さんの小論集。視点が、それぞれ少しづつ違っていて、不思議なトートロジーの尾を踏むような現象が同時多発的にみられているようだ。これは何を意味するのだろうか。たぶん、突破力の圧倒的な不足なのではないだろうか。 -
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英語コンプレックスが嫌だなと思い解消の糸口がないか探すため読んでみた。
英語コンプレックスは西洋人への肉体コンプレックスと重なると言う部分はなるほどと思った。
ただ本の中でも記載があるが、近年日本人の体型も変わって来ているので現在はあまり当てはまらないと思う(自分のスタイルが別にいいわけではない)
どうしてもネイティブに近づく=上手いと思ってしまうけど、筆者が英語が国際語ならばアメリカ人やイギリス人のように英語を話す必要はない、と書いており、それは少し安心した。
筆者のコンプレックス解消までの変遷を読み、ネイティブより下だと言う意識を持ちすぎず対等な個人として向き合い、間違ってもいいので誠実に伝えようとする、ということの繰り返しがコンプレックス解消につながるのかなと思った。 -
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ネタバレこんな家庭環境の人もいるのだなぁという感じだし、解決法が提示されていないので後味が微妙ですが、本題以外で印象的なところをいくつか。
・ある心的状態が愛であるために不可欠の条件(一)相手の個体に向かっていること。言いかえれば、ほかの人とは交換不可能であること。
(二)相手の肉体のみならず、ひろく心と呼ばれているものに 惹かれていること。言いかえれば、心ある肉体としての相手に惹かれていること。
(三)相手の姿を見たい、その声を聞きたい、その肌に触れたい等々、その人を感じたいと欲望すること。
(四)相手の諸属性を、その固有のあり方においてよいものとみなしている
・愛する側に立つ人間は、たえず攻撃をあらたにし、相手の価値をせりあげなくてはならないのにひきかえ、反対に、愛さない側に立つ人間には、まっすぐな一本道を、苦労せずに、のうのうとたどってゆける。
より少なく愛している者は拷問者である。言葉の一つ一つが、態度の一つ一つが、目配せの一つ一つがより多く愛している者の肉体をえぐり、切り開き、悲鳴を上げさせる。しかも、相手の苦しみはいかなる同情も呼び起こさない。彼(女)は淡々と拷問を重ねるのである。
・われわれは真剣に誰かを愛するとき、孤独になる。なぜなら、愛とはまさにその人個人を愛するからであり、ほかの誰とも交換不可能であって、基本的には誰にもその思いをわかってもらえないからである。
・愛する者は愛される者の表象を支配できるが、その存在を支配することはできない。
世界全体が愛される者(土屋)の表象=観念と化してしまい、森羅万象は愛される者の香りに満たされる。しかも愛する者(節子)はそれが表象であること、つまり実物ではないことを心の底で知っている。彼女は、この表象界において、愛される者を神のように自由自在に創造することができる。いかなる微細な現象にも愛される者のしるしを刻み込むことができる。寄せる波の一つ一つに土屋を見ることができる。 -
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タイトルにつられて読んだがなかなか面白かった。
善人(というより弱者、大衆)に対して批判的な意見があんまり受け入れられている印象なくて個人的に疑問に思ってたところをドンピシャで突かれた。
著者の主張と自分の意見が異なる部分ももちろんあったが概ね理解できる内容であった。
ニーチェについてはよく知らなかったが本書で紹介されている限りでは面白そうな主張をしているなと感じた。
自分自身は本書で描かれている善人な部分も持ち合わせているのでそれに甘えないように気をつけなければいけないと再度確認できた。
強者になりたいともなりたくないとも思う複雑な気持ちである。 -
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“必ず人は死ぬ、死ねば何も無い、それはどういうことだろう?何もない、何もない……それがずっと何億年も続くと考えると、背筋が寒くなり………” という表現が後半にあったが、これは自分も幼い時に考えてたことで、それが言語化されてて、文字で見てるだけで、死について別に考えてないのに、やや怖くなった。
でも大人になるにつれて、いつしか死んだ後の世界について考えるのをやめた、怖いから。考えそうになった段階でシャットダウン。考えるのを辞めた時点で筆者の言うマジョリティに属したわけです。
でもその死を、絶対的不幸と捉えてそれ以外の不幸は蚊に刺されたようなもんだと言ってる考え方がとても新鮮だった -
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ネタバレこのあたりで、誤解を避けるために、「物事をはっきり言う」さいの「はっきり」とは何かについて、考察してみましょう。それは、もちろん第一には心に思ったことをそのまま言うことです。ブスと思ったら「ブス」と言う。ハゲと思ったら「ハゲ」と言う。「おさな子のように」そのまま言葉にする。私は、こんな単純なことを言っているのではない、と続くと思うでしょう? 残念でした。私は、まずこんな単純なことから始めることを提唱しているのです。ただしその場合、自分にいかなる禍が降りかかっても、責任を取らねばならない。ここが「おさな子」と違うところで、そのために相手から刺されてもしかたない、社会から抹殺されてもしかたない、と覚悟して周囲の人々にあらゆる差別語を投げつけるのは勇ましいものです。
ただし、これは最低レベルの「はっきり」であり、私が提唱しているのは、このレベルからさらに「正確に」というレベルに高めることです。差別語の卑劣で暴力的なことは、それぞれの個人の複雑で豊かな人間性をきわめて単純にラベリングしてしまうところにある。「デブ」とか「オカマ」とか「中卒」という単語を相手にぶつけて、相手をまずそういうマイナスのクラスにぶち込んでしまうのです。それぞれの人には、眼の覚めるような豊かな個性と性格と能力と表情があるのに、それをすべて切り捨てて、「彼はユダヤ人だから」とか「彼女は私生児だから」というくくり方をする、そして、--ここが最も暴力的なことなのですがーーそのほかの彼(女)の個性的な特徴を完全に無視してしまう。
日本語に「やはり(やっぱり)」という副詞がありますが、「やっぱり商売人だよな、計算高いもの」とか「やっぱり育ちが悪いよな、礼儀がなっていないもの」という確認のみとなり、マイナスの観念はますます太っていくというわけです。
こうしたラベリングは最も楽であり、たしかに愉快な側面もありますから、われわれは全力でそうした誘惑を回避しなければならない。そのためには、眼前の人間をグループの一員としてではなく、なるべく個人として見ること、彼(女)をよく観察し、よく感じ、よく考えて正確に言葉で描写すること、これに尽きます。 -
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中島義道さんの著作を読むのはこれで3,4冊目だと思います(うろ覚えですが)。
「非社交的社交性」という題名に惹かれて読みましたが、これ、カントの言葉だったんですね。不勉強の極みでした。
しかしながら、哲学について基礎知識がなくても、この本は十分に楽しめる内容ですので、不勉強でも大丈夫です(私がいうのもオカシイですが)。
前半は著者の過去の暮らしぶりや思想について語っており、後半は著者が開いた勉強会で出会った、「社交性」という意味において一風変わった(?)人々のエピソード集、のような形になっています。
著者の本を何冊か読んでいると一度は出会ったことのある内容が前半に詰め込まれていて、(うーん?)となるのですが、それもそのはず、この本は新聞連載されていた記事をまとめたものだからです。
ですから、著者の本を何冊か読んでいる人は前半を飛ばして、後半の面白い(?)内容を読んでもいいと思います。
自分の言った(著作の中で書いた)事を言葉面だけ理解して対応してくる人々に著者が辟易させられるシーンでは、気の毒に思いながらも笑ってしまいました。
極端なことを言うと、その極端につられてくる人たちがいる、ということなんでしょうか。
今あらためて読んでみると、このエピソードに挙げられた人の中には、発達障害などのハンディを持つ人がいるのかもしれないなと思いました。
しかしまぁ、世の中には様々な人がいるものだなあ、と考えさせられた一冊でした。 -
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哲学者の老年期とはいかなるものか、という単純な好奇心から読むには、ちょっとハードルが高かったかもしれない。
『形而上学』を書くことが自身の集大成になると分かっていながら、老いと残り時間を感じることの苦しさ。
その手前には『宗教論』で国の反感を買い、大人しくしておきなさいと言われたことに対する苛立ちや、フィヒテとの相入れなさを痛感するまでの〝時間のロス〟があった。
〝何事をか成しえて〟権威を持った人は、それを無意識的に手放せないようになってしまうというか。
頭の中が現役であると自分では思っているのかもしれないけれど、隔たりがあることを周りは分かっている状況に、出くわしたりする。
カントやそうした人を見ていると、ただただ自然と老いを受け入れられたらなぁと思うのでした。