中島義道のレビュー一覧

  • ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白

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    中島義道はかなり好きです。
    その社会的不適応さが。
    そして、自分のそうした側面に気づいていて、開き直るのではなく、意外なほど真剣に悩んでたりするところが。

    今回の本は、そんな中島義道の本の中でも、特別にイイ。

    …や、違うかな。
    あたしの好みから言えば、『私の嫌いな10の人びと』とか『偏食的生き方のすすめ』の方が、断然あたし好みなのだけど。

    だから、この本がイイっていうのは、好みというより、共感、って感じ。

    今までの本の中でも共感できる部分っていうのは、確かにあったのだけど(あたしも中島義道の嫌いな10の人びとのうち、8人は確実に嫌い)、それでも、中島義道は(少なくとも、おそらく)あたしの数倍はエキセントリックなので、「やっぱ中島義道は違うなぁ」みたいな感じだったのですが、この本は、全然、そんなことなく。
    うわぁ、あたしと同じだ…って。

    ただし、読み始めは微妙。
    というのは、あたしも確かにひとを愛することが極端に不得手だけれども、というか、そういうのが実感としてほとんどわからないのだけれども、それでも、そういうことは言明してはいけないこと、だと思っていたからです。
    なので、そういうことをタイトルにしてしまう正直さに、ちょっと戸惑ったり。

    でも読んでみると、かなりイイ。
    実感にぴったり。

    ……。
    これ以上感想を綴ると、不必要に、不用意に、いらないことまで書いてしまいそうなので、今日はこの辺でやめちゃいます。

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    2013年10月16日
  • ぐれる!

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    「どうせ死んでしまう」という当然だけど、誰も言わないこと。
    その考えに取り付かれた作者が、自分をごまかすことなく、発明した生き方が本書で紹介される「ぐれる」という方法です。

    ごまかさないという強さが、コミカルにすら感じるけれど、説得力を感じ、視野が広くなるような気持ちがしました。

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    2013年10月13日
  • 人生に生きる価値はない

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    唯我独尊ともいえる発言を連発してもあまり嫌みがないのがいい。
    エッセイなので、哲学書にありがちな小難しさもほとんどなく、あっさりして読みやすい。

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    2013年09月28日
  • 生きるのも死ぬのもイヤなきみへ

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    正直、イライラする本なんだけど(笑)、読み終わったら死に対しての考えが変化した気がするから良しとします。これが行動に影響するかは分からないけど、得るものは確実にあって、読んで良かったという実感もあります。

    オススメです!とは言えないけど、筆者が正直な物言いをするからある意味爽快なんで、気になったら読んでみて下さい。

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    2013年09月21日
  • 人生に生きる価値はない

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    中島義道先生による哲学エッセイ集。長年、カント研究に取り組んできた人だけあって、本書全体を覆うニヒリズムが心地よい。(中島先生の書くところによると、ニヒリズムの始祖はニーチェではなく、カントらしい)
    本書を読んで初めて知ったのだが、中島先生と、分析哲学の大家である野矢茂樹先生は同門(共に師匠は大森荘蔵先生)とのこと。このお二方、共通点がまるで見いだせないのだけど、実際、野矢先生は本書の解説で「人生に生きる価値はないとは、いったいどういう意味なのだろう」と記述している(汗)。でも、きっと仲は悪くないのだと思うが。
    話が逸れたが、私も、あと何十年か「生きる意味」とか「人生の目的」を探し続けて、見つからないまま墓に入ることが目に見えるようで、何とも虚しいことこの上ない。この虚しさを心から楽しめるようになりたいものだね。

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    2013年09月02日
  • 「哲学実技」のすすめ そして誰もいなくなった・・・・・・。

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    宇宙ニヒリズム的な考え、とことん詰めて真理を何よりも優先する、そこらへんが哲学者の条件と思う。けどおれもA君みたいな感じだな、それだけじゃ生きられない。

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    2013年08月18日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    この本の肝は後半の「集団生活に溶け込めなかった人たち」のお話です。

    講義中に突然どうでもいいことを延々と質問し続ける生徒、受講料を延滞しても取り立ててこなかった方が悪いと本気で信じる人たち、ルール化されれば守るけどルールにないことは何をやってもいいと思ってしまう事例、怒られても何に怒られるのかがさっぱりわからないばかりか「なぜ怒られているのですか?何をすればよいのですか?」と聞く案件。
    どれもこれも最近目立ってきた若者の行動ですが、羅列されると自分もどれかやってるのではないかと不安になってきます。

    「状況を読むことを学ばずにある程度の年齢になった者は、それを挽回することは非常に難しい」という事実とどう向き合っていくのか、この本ではそこに触れられていないのですが真剣に考えなくてはいけないと思います。

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    2013年08月05日
  • <対話>のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの

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    どうして日本でのコミュニケーション・日常生活が何となく窮屈なのか。上辺だけのとりとめもない会話ばかりで、つながりも持ちづらいのか。そうした疑問に対して向き合う視点を与えてくれ、内容もかなり痛快。

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    2013年07月13日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    ネタバレ

    <Key Learnings>
    ・社交性
    万人ウケする社交性→ミニマムでよし。が、自分を相容れない人を全部排除するのではなく、上手くそれなりには付き合う様に。

    そのかわり、自分のワガママが通る場所を確保せよ

    ・他人の目、評価が気になる→仕事か、
    他人を恐れる人
    =他人による自分の評価を恐れる人
    =他人によく思われたいという欲求が強い人

    これを希薄化して気にならなくする方法は、2種類

    1)カントみたいに仕事で評価されれば、どんな変人でも、仕事によって多くの人と結びついていられ、しかもかなりのワガママが通る
    が、誰にでも出来る事ではない

    2)1人でいいから、本当の理解者、本当に信頼出来る人、自分が行きていることそのものが励みになる人(普通は、親、恋人、友人など)
    =私を本当に必要としている人、私のワガママを聞いてくれる人
    が居れば、生きていける

    ・日本の変な教育
    教室に入る時「失礼します」と言わねばならにと命じられて「何故ですか?」と尋ねた息子はしかられた。「ボランティア活動したい人?」と聞かれ手をあげなかった理由を問われ「したい人がすればいいと思って」と言って咎められた。息子が学校からもらったパンフには、「電車やバスに乗る時、むやみにたったり、大声を出したりしない。まわりの人が嫌な気持ちになるようなことはしない。スクールバスに乗る時は、運転手さんや知っている人にあったら、さわやかに気持ちよく挨拶する。車内のものを大切に扱う。」等々の注意書きが。定型的言葉が飛び交い、個人の言葉を圧殺する、調教現場の風景が広がっている。

    インターナショナルスクールでは、
    食道で1人でご飯を食べ、サッカーの練習を1人でしていても、先生に「それのどこが問題なんですか?」ときょとんとした顔で言われる。遠足も学芸会もスポーツ大会も、参加したい人だけ参加すればよい。昼に食べなくても、ひとりで食べても、誰も何も言わない。林間学校の注意書き通りに靴やグッズをそろえて行っても、他の子達は、革靴で来ることも、お菓子だけ持って来た子もいたが、先生は放っておく、のだそうだ。
    文字通り放っておいたわけではない。
    人種差別的発言をされて、その子を息子が殴った、と校長室に呼び出された。校長先生は、その場にいた子全ての証言を元に、3日間の掃除の罰を与えた。そして「相手も反省しています。それにしてもヨシは強いなぁ。」と笑った。「同級生を殴ったのですから、罰を受けるのは当たり前です。ありがとうございます。」と言った。

    →こういうのを聞くと、インター、特に海外の学校っていいなぁと思う。自主性が本当にきちんと育つのだ。自主性の芽を摘む事にしか興味のない日本教育で育った私には皆目検討もつかなかったのだが、こういうことである。

    ・帰国子女@日本
    祖国日本では、教育機関のみならず、個人が集団から離れて行動しようとするや否や、四方八方からワガママだ!という石つぶてが飛んでくる。
    欧米の個人主義的教育が必ずしも正しいわけではなく、我が国の集団主義的教育が必ずしも間違っているわけでもないだろう。が、みんな一緒主義が強すぎる。過度の協調性信仰から身を離してもいいのではないか?

    ・ウイーンに家を持つ事
    日本人にはあまりオススメできない
    →ヨーロッパに家を持つのはどこもこんなもんだよね…

    1)言語の壁
    家主と渡り合うだけのドイツ語ができねばならない。(ほとんどのウイーンの家主は英語ができない)暖房費がかさむ、排水溝が詰まった、などをみんなドイツ語でこなさねばならない

    2)文化の壁
    恐ろしく頭の固いウイーン人と日々戦わねばならない

    3)距離の壁
    9千キロの彼方。体力と気力とマメさが必要。

    4)気候の壁
    10月末から3末まで真冬という気候に耐えなければならない

    5)インフラの壁
    駅前商店街もコンビニも出前も赤提灯もなく、自動販売機もない
    日本にくらべた格段に不便である

    というわけで、誰かウイーンに家を持ちたい人いますか?

    ・日本でまかり通っている名前と違う物、イメージ
    ウイーンのカフェでウインナーコーヒーを注文してもウエイターは首を傾げるであろう。そんなものはないからである。日本でウインナーコーヒーと称しているものは、アインシュペンナー、もしくはメランジュにあたる。ついでにウインナーソーセージもない。

    音楽の都ウイーン、というイメージから、ウイーン人はみんなクラシック音楽ファンに違いない、という思い込み。
    国立歌劇場に入った事のあるウイーン人は数%。モーツァルトやベートーベンに全く興味がない生粋のウイーン人はうじゃ2いる。

    クリムトもシーレもウイーンの芸術アカデミーでは拒否された。ウイーン人は時代の新調をおいそれと認めようとしない頭の固さがあるらしい。

    ・言葉を文字通り受け取る欧米、言葉の中身や意味がわからなくても気にしない、わかろうとも思っていない日本人

    日本人は、言葉とそれが指すものの間にズレがあっても、橋渡しがなくともなんともない。
    書いてある文字が全くわからない掛け軸を堂々とかけ、客人もそれをしつこく聞こうとはしない。法事で全く意味の分からないお経をありがたく聞いている。
    だが、ヨーロッパ人は、あれは何だ、これは何だ、と五月蝿い程聞いてくる。茶席では、何故茶碗をまわすのか、何故粉なのか、と質問攻めにする。彼らにとって、書いてある事の意味がわからないのは不安だからだ。

    日本人にとっては、「駐車禁止」と書いてある場所に自転車を置き、「駆け込み乗車はおやめください!」というアナウンスの響く構内を電車に駆け込む。とくに反抗的態度であるわけでもない。
    言葉の文字通りの意味と、本当の意味が分離しているから、問題とも思わない。
    だから、日本にはヨーロッパの何百倍もの放送や指示看板がある。

    ・お節介文化
    ヨーロッパ的には意味のない言葉が、公共空間にだら2と垂れ流されている。
    防災行政無線から「子ども達の下校時間になりました!子ども達を犯罪から守りましょう!」
    電車には「閉まるドアにご注意ください」「携帯電話はご遠慮ください」「お忘れ物のないように…」
    ATMも「いらっしゃいませ」「毎度ありがとうございます」
    機会がよくしゃべる。

    こういったものはヨーロッパにはほとんどない。
    講義をしたが、少数派なので、改善されなかった。なぜなら、日本国民はそういう放送を望んでいるから。

    劇場で階段を上がると「こちらが劇場1階でございます!」と叫ぶ女性。誰が見たって1階なんだからやめれと頼んでも、「間違える方もいる」とやめない。交替時間になり、次の人はそこにつったってるだけだったが、それで何の問題もない。

    「間違える人は間抜けなんだから、彼らに合わせる必要はない」というヨーロッパ風の考えが、日本には絶対根付かない。

    ★誠実、あるいは誠意の意味の違い
    ヨーロッパでは、自分の心に素直になること、神は全て見ているから、というのが誠実。
    でも日本では、誠意は行為と結びついているので、誠意は行為に表れなければならない。しかも何か誠意かは、社会的文脈で決まっているので、社長の葬式に出ない社員、生徒の悩みを真剣に受け止めない教師は(本人の意思に関わりなく)誠意はない。
    西洋では、共同体に反しても自分の精神に誠実である、ことがありえるのに対して、日本ではその可能性は閉ざされている。西洋の伝統では悪を誠実に意欲するのが可能だが、日本ではあり得ないのだ。

    ・理論だけを押し通せばいいのではない。なぁなぁ社会への順応。権力に従う事。
    いかに正しいと信じている事でも、それが社会の大勢と異なっている場合は、それを貫こうとすると、大変くたびれる人生が待っている。

    ・30年以上前はチカンもセクハラも合法だった
    痴漢なんて当たり前、セクハラという言葉すらなかった。被害者が訴えても、誰も真剣に聞いてくれなかった。これらに対して魔女裁判の様に過敏に対応するという思想はついこの30年くらいのもの。今や痴漢は平凡な殺人事件より痴漢を大きく取り上げる。これは成果を上げていて、それはいいが、「女とは」とちょっと言っただけでセクハラと言われ身の危険があるという社会は逆差別だ。

    →まぁね。でもそれがまかり通っていた時代は許せないわ。


    ・リア充になれない若者たち 状況が全く読めない根本的欠陥

    WHO?
    彼らは人生の調教の時期である高校生までは、成績優秀ないい子であり、家庭でも学校でもどうにか生き延びられる。が、大学以降は自由度が増え、総合的な人間力で生きていかなければならず、その要素に人間関係というものがあると知り、怖じ気づく。その訓練を今まで怠り、ある時期に飛び越えるべきハードルを全く越えずにハタチになってしまったから。

    彼らは、拒否されることを通じて、自分に欠陥があることは知っているが、その実感がない。自分のロジカルで合理的な態度の何処が悪いのか、と不満げ。

    学歴が高く、勉強熱心で、努力を惜しまなくても、人間関係を築く事が
    絶望的に下手で、それを自覚して人間恐怖症になっている。ひとりで行きて行くのは難しい。働く事は出来るが、そこには人間がいるので、そこでつまづいてしまう。

    とても傷つきやすく、すぐ「不当な仕打ち」を受けたと言って逃げ出してしまう。極めてプライドが高く、たとえ自分に責任があるとわかっていても、みんなの前でそれを指摘されると、特に差別と思われる言葉を言われると、それをどうしても許せない。大変な屈辱を感じ、自分を棚に上げて、相手を責める。

    WHY?
    これはまさに現代のヒステリックな差別禁止・差別語禁止教育の賜物で、その教育自体は悪くないが、言葉の総体を捉えずに、「もちろん」や「無能」の様に、相手の一言に敏感に反応し、相手を切り捨ててしまう態度は、生きる力をますます削ぎ落とす。

    彼らには、フロネーシス(それぞれの状況ごとに適切に判断し、行動するという実践知)が決定的に欠けている。現在、ありとあらゆる知識はネットで手に入るが、フロネーシスは、実践を通して生身の他人との関係を通して獲得する他ない。

    すなわち、
    努力が報われなかったり、他人に誤解されたり、だまされたり、あるいは時折思いがけず救われたり、要は「痛い目」に合わねば、身体の芯に染み入る様にはわからないのだ。

    ハタチくらいまでにこれを習得しないと、その後身につけるのは至難の業で、痛い目を避けて来たので、社会に出ると、まともに降り掛かってくる他人の威力に怖じ気づく。それを避けているうちに、もはや生きられないと、途方に暮れる。(あ)

    HOW?
    人生のある時期に、他人の振る舞いの「意味」がわかるための、実地教育を受けずにきたものには、それぞれに状況に応じてこうこうと具体的に教えなければならないが、それが次の具体的場面にまったく適用できず、いつまでたっても「正しい振る舞い方」を学習しない。

    彼らは自分が「正しい」と思い込みたいので、常識と縁を切り、自分のプライドが保たれる道を模索する。だがそんなものないし、今更普通にも戻れないので、先が見えなくなる。

    現代社会は一方で、物事を深刻に捉えず、全てに対してそつなく、軽くすべるように生きる若者達で充満してもいる。(い)

    その対比がますます真摯で不器用な若者達の居場所を失くし、思い切って治そうと思っても、プライドが許さない。

    (い)は味方ではないが、敵でもないのだから、異質な人だからと言ってむやみに恐れたり、軽蔑することもないのだ。

    多様な人々がもみ合う集団の中でもまれ、恥をかき、攻撃され、不当な仕打ちを受けながら、学ぶしかないのである。


    <哲学info.>
    ・カント
    嘘も方便を否定

    ・ニーチェ
    あらゆる真面目な仕事なんて無意味だ
    人生に意味、価値、目的を探すことなんて錯覚

    ・アリストテレス
    フロネーシス=それぞれの状況ごとに適切に判断し、行動するという実践知

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    2013年07月05日
  • 私の嫌いな10の言葉

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    一言でいえば、「愉快」だった。


    中島氏の本は、好き嫌いがはっきり別れると思う。
    というのも、きっと彼の本が、
    他のフィクション小説・なんらかのテーマにそって学術的な知見をまとめ、それをふまえて最終的に自身の知見をくわえる、といった本にくらべて、
    圧倒的に、作者自身の「我」が全面に感じられる本だからだ。
    彼の主張に賛同する、しない。
    共感する、しない。
    ・・・なんて分かれ道の前段階に、
    まず彼の「我」が、生理的に好きか嫌いか。
    みたいな、分かれ道がある気がする。


    人に、安易にすすめられる本じゃない。
    というか、これほどすすめにくい本はない。
    私は、好きだ。
    正しいと思う、良いと思う、というよりも、(そう思うところは個人的に多々あるが)好ましく思う、という方がしっくりくる。


    人を、都合よく分類して
    ◯◯派だとか、◯◯なタイプだとか、
    あっち側だとかこっち側だとか、
    それだけをもって、すっきりさせるのは、
    安易すぎるかなあ、という気がするが、
    これを読むと、
    つい、そうゆうことを考えずにはいられない。
    彼の本を、愉快に思う。
    私は、”そうゆうタイプ”なのだろう。

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    2013年07月03日
  • 怒る技術

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    積極的に怒っていくことで、他者との違いを浮き彫りにする。
    それが、日本社会で幅をきかせている「空気を読め」という文化を軽減する一つの方法。
    みたいな本。

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    2013年06月30日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    第Ⅱ部に出てくる若者たち.協調性がない!との一言で片付けられるのが一般的だが、中島先生は「哲学塾」を通して彼らを指導してきた.素晴らしいことだ.程度はあるにしても、現代人の誰もが空気を読まない行動を取ってみたいと願望している.それをある意味で癒してくれる著作だと感じた.

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    2013年06月28日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    前半はタイトル通り、「非社交的社交性」に関する筆者のエッセイであるが、後半はただの面白人間紹介になってる。それがいい。

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    2013年06月18日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    ネタバレ

     久しぶりに、ストンと腑に落ちた本である。特に第Ⅰ部。精神衛生上の秘訣と言ってよい、人間関係上のヒントを紹介してくれている。特に軽症?の人間関係ノイローゼの人には、病院の受診などより効果的ではないだろうか。また、翻って著者には「働くことの喜び、達成感」という事もあるのではないかと、お節介ながら忠告をしたくなってくる。

     第Ⅱ部では、著者が主宰する哲学塾での様々なエピソード、トラブル集が披露されている。マネジメント職の方には一読をお薦めしたい。しかし、ここに出てくる人は逆に、臨床医学の世話になった方が良いのではと思われる。この先生も「罵倒」というガス抜きをしつつ、意外と根気よくつきあっているなと感心させられた。

     いずれにせよ、深刻になって読む必要なし。「いろんなヤツが居るなあ」程度の気持ちでの一読をお薦めしたい。

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    2021年10月21日
  • 非社交的社交性 大人になるということ

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    第Ⅰ部 非社交的社交性
    第Ⅱ部 こころ優しく凶暴な若者たち
    の2本立て。第Ⅰ部は中島義道の著作を何冊か読んだ経験があれば、そう目新しい話でもないかも。大人しい。文章自体が丸くなった?第Ⅱ部の、著者とかかわりのあった若者たちのエピソードの方はなかなか面白かった。ここで書かれている人たちは実在するのか疑問に思えるくらい、強烈だ。「空気を読まない」ことと「空気が読めない」ことは全然違うなぁ、と。

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    2013年05月22日
  • 異文化夫婦

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    中島義道の本が出てるっと思ったら、哲学本ではなくて、初の小説とのこと。

    中島義道が描くんだから、とてもハッピーにはならないだろうと、思って読んだけども、やはり・・・。

    小説『異文化夫婦』は、2009年にだされた『ウィーン家族』を改題したもので、ある夫婦(家族)についての物語。三人称形式で夫の康司に焦点を当てて描かれている。

    暴力などのシーンはないのだけども、相容れることの無い2人の関係にとても気分の悪くなる内容だった。

    家族や夫婦の愛、それを逆説的に表現されている。
    人間の内面を書き起こされているようでもあって、終始辛くなった。

    受け入れたくない人間関係なんだけども、ほんとは、こんなもんじゃないのだろうか?と共感すら感じてしまうところが、また辛い部分だった。

    女性が読むのと男性が読むのとでまた違ってくるんだろうな。
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    【内容(「BOOK」データベースより)】
    冬、ウィーン。口論の絶えない夫婦、多喜子と康司。無謀から大怪我をした妻は、心配をしない夫を詰る。「人が苦しんでいる時に責めるあなたとは、話ができない」。干渉を迷惑、実害とする夫に、妻は愛がないと嘆く。しかし、別れたいという言葉の裏に、別れたくないという気持ちが透けて見える。ああ、ひとりになりたい。己が一番大切なのは、自分なのだ―。自己愛と依存、夫婦の相克を細部まで描いた、著者初めての小説。
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    2013年04月19日
  • カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ―

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    二人称。筆者の若き姿と思しき架空の青年への書簡というスタイルは精悍でスマート、クール。自分語りはたいてい鼻に着くものだがそれすらクールに見えるのは、ある種の壮絶な事実が支えているからだろう。自己愛だけではここまで構築できない。気取りや顕示欲と紙一重ながら力量で読ませる。

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    2013年04月15日
  • <対話>のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの

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    『対話』とは言語を用いた、発展する相互理解である。

    1.自身の体験談で対話のなさを嘆く
    2.会話と対話の違い、日本と欧米の相互理解の過程の違いを示す
    3.対話の意義

    この三部構成からなる。

    最初はがんばっている教授の憤りを荒々しくぶつけているだけで抵抗感を感じるが、読み進めて行くと主張の妥当性、重要性や危機感などが感じられる。おそらく麻痺した日本人に対して、軽くでなく、ガツンと言わないと伝わらないんだという著者なりの考えなのだろう。
    優しさや思いやりの使い方、認識が甘いと横暴な一面があるなど、納得できる。責任を負うのを避け、摩擦を嫌い、言葉を失いつつある日本人。昔いた近所の怖いおばさんやおじさんがいなくなったのも、対話することを避けるようになったことによる弊害か。

    今までここまで深くは考えてなかったので☆4つ!あえて突っ込むなら、最初は体験談を交えて自論を展開してたのに途中で文献、それも少し前の歴史的文献を持ち出したところが少し読んでる流れをせき止められた感じがした。

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    2013年04月07日
  • 異文化夫婦

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    夫の目線で仲の悪い覚めた夫婦、家族関係を描いた、そしてこれといった起伏もない小説だが、どこか納得したり共感させられるものがある、ある意味不思議な気持ちにさせられた作品。

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    2013年04月04日
  • ひとを〈嫌う〉ということ

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    この本の主題は、理不尽な理由で嫌う、嫌われることは自然なことである、ということ。

    嫌う、嫌われることに対する恐怖心が薄れ、ぐっと心が軽くなった。

    「嫌い」という感情を少し客観的に見られるようになり、今後の人生は今までよりも器用に送れる気がする。

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    2013年03月27日