中島義道のレビュー一覧
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人間の心のうちに潜む差別感情について、哲学的に考察した一冊。差別問題を考えるにあたって、必読である。
外形的制度による差別が廃されて尚、差別問題が一向に解消しない要因を人間の心に求め、「不快」「嫌悪」「軽蔑」「恐怖」などの感情を丹念に分析する試みが興味深かった。他者への否定的感情及び自己への肯定的感情が絡み合い、差別感情が作り上げられていくということが理解できた。
著者は、人間が差別感情を抱くこと自体は自然であり、寧ろそうした感情の統制に走るべきではないと示している。それを前提とした上で、如何に差別感情に自己が向き合うかを問うているスタンスに共感した。
著者が差別感情への対処において、カ -
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昨今、「差別」を巡る言説はその数を増やし、社会は差別を根絶する方向へ(徐々に、時には逆行しつつも)向かっているように感じる。政治的、社会的な運動はその顕著な例だろう。こうした傾向に対して、例え保守的なイデオロギーを内面化しておらずとも、違和感を感じるものは少なくないのではないか。すなわち、そうした運動によって差別は本当に解消されるものなのか、寧ろそうした耳障りの良い言説の中で排除されている者がいるのではないか、という問題がここで浮かび上がる。
差別とは、制度的な改革によって完全に解消されることはなく、ともすれば我々の認識、ひいてはあらゆる行為にまで根付いたものではないか。
筆者は、このような忌 -
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中島義道先生が、カントの『実践理性批判』、『宗教論』を中心に《悪》について考察してきたことを分かりやすく説明する哲学書。
(自己愛を持つ)人はすべからく《悪》(根源悪)を抱いている。全ての素晴らしく見える行為の中にも「自己愛」が潜んでいる。だからこそ自分にある、その《悪》への自覚を持ちつつ悩み、後悔することが大切なのだ。
「何故?」と苦しみながら問い続けることが『善く生きること』なのだと。
周囲に同調して正しいと信じる精神的自動機械にならないように。
カントの厳格過ぎる道徳法則にウンザリする人も多いと思う。私自身もその1人。
カント研究で有名な中島先生の著作は何冊か読んだことがあるが、この本 -
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哲学者中島義道さんの本。タイトルに惹かれて読んだけどはちゃめちゃ難しかった!ら、最後のあとがきでまさにその通りのことを中島さんご自身が書かれていて、さすがだなと思ってしまった。
哲学とは何か、がすごくよく分かる。複雑だしまどろっこしいし、すごいややこしいけど、でも言わんとしていることは分かる。何よりも同じ感覚を持っている自覚があるから、死に対してこういう考え方が出来るのかっていうのはすごく面白かった。永遠と紙一重の死。
哲学っていうのは逃れられないものから自分を救うために全てを細かく言葉にして解明していくことなのか。それはやっぱりスピリチュアルとか心理学とは違う、全く別の学問だよなと思った -
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中島義道の読者の平均像は知る由もないが、想像するに中島本人とは似ても似つかぬマジョリティの一員を自認する人がほとんどではないか。麻木久仁子の解説を読んで、自分もまた似たような感覚で中島本と対峙していると感じた。
本書の刊行から十数年が経ち、当時よりも個人が尊重され世間の圧力が減退しているところも多い(特に男女の関係にまつわる箇所は今なら活字にするのをためらうのではないかと心配になるような記述も散見される)。
しかしその反面、バラバラとなった個人を束ねるルールや絆、優しさ等の同調圧力はかえって増しているのではないかと気になる場面も増えている。このあたり著者の感想を聞いてみたい気もする。
マイノリ -
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若い時は相手の嫌なところも「嫌い」と言い合いながらも一緒にいることができた気がする。そして、振り返ってみれば、そういう人とは長い付き合いになっているのも事実。
大人になってからの関係はなかなかそうはいかない。
上手に嫌い合いながら、嫌いと言うこと(特に言われること)に過敏になりすぎずに生きましょう、と言うようなことが書かれている。
確かに今の時代、ちょっとしたことですぐに傷つく人が増え、「被害者のふりをした加害者」が大手を振るって跋扈する世の中になっている感も否めない。それはまるで「私にあなたを嫌いにならせないでくれ!」と叫んでいるかのようにも見える。
著者はそちら側の、むしろ「自らに嫌い -
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社会的弱者は言葉を否定され続け、言葉を語ることを諦めてしまう。日本の和の精神が言葉の足かせになっている。日本はルール違反に対しても寛大だが、他人の苦境も見て見ぬふりをする。要するに個人と個人のコミュニケーションをほぼゼロに留めておく国だ。日本人は客観的な立場から論理を使って語るのはそれほど苦手ではない、しかし、主観的に語る対話、(ここで言う「対話」とは各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観に基づいて何事かを語ること)はにがてである。日本人は(一般的に)言葉を額面通りに受け取る関係よりも、発話者の意図と言葉の字面が微妙にずれることを了承するのに独特の美学をもっている。しかし、その美学にかまけ
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今の私にぴったりな本だったので、著者の言う「1割」の人間だったということなのでしょう。
まず全く説教臭くないところが良い。こうした方がいいああした方がいいというようなことは全く言わない。似たようなことを言っている本は他にもあるような気がしますが、この語り口であるから入ってくる、という感じがしました。
人を嫌うということについてじっくり考えさせられる本。そして嫌うことや嫌われることに対する無意識の忌避感を疑わせてくれる良本。
感じたくないだけで、既にそこにある嫌悪感をどう捉えるか。
次の日からの世界を少し味わい深くさせてくれる1冊だと感じました。 -
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■生きづらさの果てにあるもの、その究極形態の一つが自殺といえる。
自殺した本人の遺書や遺族らへの聴き取りをもとに厚生労働省が集計した過去10年間の自殺原因・動機別の統計がある。それを見ると成人の場合、ずっと「健康問題」が第1位であるが、20歳未満ではその割合が年々減少し代わって「学校問題」が第1位となっている。また、小中学生を中心に「家庭問題」も増えている。
近年の日本では経済格差の拡大が大きな社会問題となっているが、それとともに「経済・生活問題」も自殺原因としてよく指摘されるようになった。事実、成人の場合ではそれが全体の2~3割を占めるようになっている。しかし20歳未満ではそれほど多くは -
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生きてるだけで、目線を送るだけで、"誰かを踏み付けてるかもしれない"という繊細な心を持つことが必要、との主張。
障害を持った友人、知人らと接する時や、自身が主催している社会問題の勉強会の時にあったどこか"モヤモヤ"した、スッキリしない部分をハッキリ言語化してもらった感覚。
日々、もっと繊細に生きようと強く思えた。
仏教はなんでこんなに『苦』にフォーカスするんだろうとモヤモヤしていたのだが、確かに著者の視点で世の中を見渡したら『苦』ばかりだなと、論点はズレるが、後書きを読んで、別の納得感も得られた。
数十年経ったら古典として、多くの人に読まれ継がれそう