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残虐な事件が起こるたび、その〈悪〉をめぐる評論が喧しい。しかし、〈悪〉を指弾する人々自身は、〈悪〉とはまったく無縁なのだろうか。そもそも人間にとって〈悪〉とは何であるのか。人間の欲望をとことん見据え、この問題に取り組んだのがカントだった。本書では、さまざまな文学作品、宗教書などの事例を引きつつ、カントの倫理学を〈悪〉の側面から読み解く。
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Posted by ブクログ
中島義道先生が、カントの『実践理性批判』、『宗教論』を中心に《悪》について考察してきたことを分かりやすく説明する哲学書。 (自己愛を持つ)人はすべからく《悪》(根源悪)を抱いている。全ての素晴らしく見える行為の中にも「自己愛」が潜んでいる。だからこそ自分にある、その《悪》への自覚を持ちつつ悩み、後悔...続きを読むすることが大切なのだ。 「何故?」と苦しみながら問い続けることが『善く生きること』なのだと。 周囲に同調して正しいと信じる精神的自動機械にならないように。 カントの厳格過ぎる道徳法則にウンザリする人も多いと思う。私自身もその1人。 カント研究で有名な中島先生の著作は何冊か読んだことがあるが、この本ではカントの人間への鋭い観察眼と人間らしさへの「優しさ」に触れた気がした。 論理的である分、少し面倒な部分もあるかも知れないが、中島先生のカント論を《善》ではなく《悪》から見ることで非常にスッキリと分かりやすく教えてくれる良い本だと思います。
カント倫理学における「道徳的善」を裏側から抉りだす傑作。「根本悪と最高善」に引きちぎられる人間の姿を綴ったくだりは荘厳な宗教画のような迫力とドラマを感じた。
すべての人間は、道徳的には悪にならざるを得ない。 善人ほど悪である…! どんなに善であろうと欲しても、動機においても行為においても、人は義とされない。 誠実であろうとすればするほど、人は自分自身に絶望する。 しかし、人はどこまでも道徳法則の尊敬に従って行為しなければならない格率が定められている限り、...続きを読む履行不可能な義務が人間には科せられている!! 人間の持つ原罪を哲学の点から暴き出している。 やはり、自分のエゴイズムを穴が空くほど見つめつつ、他人や善人の持つエゴイズムやごまかしを徹底的に追及する中島氏の原点はやはり、カントにある。
冒頭からあまりにおもしろくて一気読みした1冊。 うわこれ私もずっと思ってた嬉しい…!と感動しながら読み進めてくといきなり身体をものすごい勢いでえぐられる感覚が。自分が中途半端な人間なのを突きつけられるのだ。天秤でいえばただゆらゆらと揺れてる感じ。だからこの際どっちにもズドンズドンと振り切ってやろうと...続きを読む思った。それで中庸を保ちたい
タイトルの「悪について」の悪は悪一般についてを語ったものではない。カントの言説を通して中島先生の考える根源悪について語ったものである。こういう原罪に近いような悪って、きっと現代倫理学で扱うような対象ではないんだろうなと思った。 道徳的な生き方とは何かと考えるとき、それは行為そのものではないことに気付...続きを読むく。では行為を漂白したときに何が残るかといえば行為と関係した意志である。たぶん今時の倫理学ではその意思が自己愛と深い絆で結ばれていることを前提として様々話が組み立てられていくのだろうけど、カントや中島先生はそれを許さない。厳格主義というだけのことはある。カントは適法的行為とは何かを主題に挙げなかったということだが、挙げる必要が無いという以前に挙げられなかったのではないだろうか。中島先生も挙げられないように見える。強いて挙げてしまうと、アイヒマンの持つ定言命法の格率と、グリーンフェルト氏のぎりぎりの所で持ち続けた定言命法の格率に決定的な違いを見出しづらいことが露呈する。 定言命法による確率を最優先すべきだとカントは言うが、中島先生はそうは言っていない。ただ悩めと。自己の選択が善だと正当化することは言わずもがな、善悪が無いと達観することも不道徳極まりない。 生きづらい生き方を選ぶ人もきっと多いんでしょうね……としか言えない自分がいる。
カント倫理学の立場から「善」とはなにかを検討し、「悪」とはそこからはみだした「その他」的なものとする。タイトルに期待して「悪」と断罪された存在をこそもっと考察して欲しかったのだが、とりあえずは自分で考察するための材料がいくつも示唆されており、それなりに得るものはある。論理的な構成だがわかりやすく高水...続きを読む準。
中島義道氏の本業、カントについての本です。 主にカント倫理学について平易に書かれていて、哲学を学ぶ人はもちろん、倫理や道徳に興味のある人ならぜひ読むべき本だと思います。 厳格主義で知られるカントですが、彼の定言命法は常に頭の隅に置いておく必要があるように思えます。
タイトルだけを見ると、なんだか犯罪心理分析のような本かと思ったが、本書は「カント哲学」の「根本悪」をわかりやすく解説している本だった。 カントというとわかりにくいイメージがあり、またこの「根本悪」という言葉も性悪説?なのかとやや批判的に思っていたのだが、筆者の言葉をかりると、カントがいうところの「悪...続きを読む」は、キリスト教の原罪よりも、より”人間的”なのだ。 筆者は、カント哲学をわかりやすく解説しつつ、我々に考えるヒントを与えてくれているようだ。 「善く生きること」を求めるがゆえ、悪に陥るという矛盾した構造に悩むことを、筆者は力強く肯定的に問いかけている。 この本はカント哲学の入門書として最適な一冊だと思う。
厳格な倫理思想として知られるカントの倫理学を、「悪について」という観点から解き明かしている。 カントの問題は、何が適法的な行為であるかを規定することではなく、道徳的に善い行為を、単なる適法的な行為から鋭く区別することだった。著者はこうしたカントの問題意識の中に深く沈潜することで、カントの「形式主義...続きを読む」といわれる道徳法則についての議論が、一見道徳的に見える行為の中にびっしりとはびこっている「自己愛」をえぐり出す鋭い刃として機能していることを読み取っていく。ここでの著者の議論は、上に述べた論理的明晰さと繊細さが類まれな統一を見せており、まさに圧巻である。 カントの倫理学の中には何が適法的行為であるかを教えてくれるような規準は存在しない。そのために、自分が正しいと信じることとこの世の掟との相克に身を置く者は、どのように行為するべきなのか悩むことになる。それどころか、みずからの信念とこの世の掟のどちらにしたがったとしても、彼(彼女)は、みずからのとった行為が、はたして善かったのだろうかと悩み続けなければならない。悩み続けることによって、彼(彼女)は、自分が道徳的でありたかったということを、さらには、自分が幸福になりたかったということを、知ることになると著者は言う。このように展開される議論にも、この著者らしい繊細さが細部にまで行き渡っていて読者を魅了する。
半年くらい前に読んだときは途中で読むのをやめてしまった本だが、今回は最後まで引き込まれて読んだ。 また半年くらいしてからもう一度読んでみたい。 この本に書かれている『道徳的な善さ』の良さは分かるが、そこに意識を向けて生きると人生が重く苦しく気が狂いそうだ。 『道徳的な善さ』を注視しながら生きる著者...続きを読むは強い。 【2010年10月23日追記】 再読したが、前より理解しやすくなっていた。
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