中島義道のレビュー一覧
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哲学の入門というと哲学史から勧めることは多いが、この本はそういう慣習と離れて哲学が私たちの身の回りとどう繋がるかから踏み込んでいて大変わかりやすかった。
私たち存在の根源にもつながる、死だったり時間をそれに答えを出すのでなくて考えることに哲学がある。
それは小難しいことでなくとも考え続けること。
明日が次がどうなるかわからないだとか、それこそ思考実験のようで普段は想起しないことー明日、世界が破滅するかもしれない…目覚めないかも知れないーそういったことについて思いを巡らすきっかけにもなった。
かといって難しいことはなく、また形式的だったり権威的な文章で語られていないため読みやすい。
時たま抽出 -
Posted by ブクログ
タイトル通り、中島義道氏が嫌いな特徴の人を書き連ねている。著者の本を読むのは4冊目なので、こういった人たちが嫌いなのだろうなとは予想がついた。いわゆる大多数の人が嫌う人々についてではなく、世間一般に肯定されている人々をバッサリと切り捨てている。
あとがきに記載の通り、本書にあげられている人々の特徴は「物事をよく考えず、世間の感受性に漠然と合わせている」こと。真に自分の経験から得た信念ではなく、世間・周囲がそう言っているから、という理由でそれに迎合する姿勢である。そういった意味では自分としてもそのような考えない人々は好まないが、自分自身考えることができずに周りに合わせる生き方をある程度してきたこ -
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私がくれない理由としては
ただ弱いだけなんだ
家族や知人との関係を切りたくにも切れない無力な自分
徹底的な人間になりたくてもどうもなれない無力な弱い自分
そんな自分がどうしようもなく嫌だ。。。
真実を味わい尽くす、絶望を味わい尽くす
味わい尽くせるならまだいいが、味わい尽くせないだろう
限られた存在としての私が
中途半端のまま死んでいく
絶望しきれない、ポジティブになりきれない。。。
「徹底的にならなくていいじゃん、バランスが大切さ」なんて言っても
納得できない。。。分からないがどうも納得できない
鬱陶しい。なんて絶望的
個人は個人の絶望を語れない
言い出した途端 普遍的な絶望、概念としての -
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『差別感情の哲学』で著者について興味を持ったため、手に取った作品。
前半は著者の人生を振り返りつつ、非社交的社交性(カントの言葉、「人間嫌い」ではない)について著している。
後半は著者が主催する「哲学塾」での、現代若者(中高年も一部含むが)の生きにくさを多数のエピソードを使って著している。
全体的に意外と取っつきにくさがなく、エッセイのような感じでスラスラと読み進めることができる。
面白いのは後半であり、20代の自分と随所に比較して読み進めた。登場人物の言動に対して奇怪だなと思う一方、自分としてもこのレベルではなくとも人との関わりで同様の行為をしてきたのではないかと省みた。自分勝手というより -
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ネタバレ嫌われる勇気とかとも似てるような人間関係や社会に悩む若者(青年)への本。
今の筆者が進路に悩む若者に語りかける形式で進んでいく。彼は親から期待されている道と自分の興味の狭間で悩んでいるという。
自分の若いときの話を引き合いに出しながら、『弱い』若者に向けて主にカントの哲学にそっていかに自分が『強く』なったのか、どんなことに苦しみを、救いを、感じたのかを告白する。
著者は自分は強くなったという。しかし決して幸福になったとは感じていない。彼は強くなる過程でいろんな人の存在を打ち消してきた。それがよかったのか悪かったのか。ただその道は生き延びるために必要だったのだ、という。
彼自身、強くなったことを -
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タイトルだけを見ると、なんだか犯罪心理分析のような本かと思ったが、本書は「カント哲学」の「根本悪」をわかりやすく解説している本だった。
カントというとわかりにくいイメージがあり、またこの「根本悪」という言葉も性悪説?なのかとやや批判的に思っていたのだが、筆者の言葉をかりると、カントがいうところの「悪」は、キリスト教の原罪よりも、より”人間的”なのだ。
筆者は、カント哲学をわかりやすく解説しつつ、我々に考えるヒントを与えてくれているようだ。
「善く生きること」を求めるがゆえ、悪に陥るという矛盾した構造に悩むことを、筆者は力強く肯定的に問いかけている。
この本はカント哲学の入門書として最適な一冊だ -
Posted by ブクログ
「奴隷的サービス」と「醜と不快の哲学」が特に面白かった。ある食堂で、「72番さんです。お待たせしました!」と不快な物扱いをされたことを思い出す。「72番の札でお待ちのお客様、お待たせいたしました」だろ!この店員がいる時には、そっと店を後にする私...。
「たとえどんなによいことでも、人々の言葉が一律になってしまったら、用心しなければならないと思う。そのことを、われわれは歴史からうんざりするほど学んできたはずである」
「「他人の気持ちがわかる人」とか「他人の痛みがわかる人」というスローガンをもとに、他人の感受性を尊重する教育がなされているように見える。だが、この場合、じつは「わかる」内容は、感受