中島義道のレビュー一覧
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日本的スピーチの怒りに関して書かれている頁は痛快だった。私は結婚式とかでよく聞く「諸先輩方を差し置いて誠に僭越ながら・・・」みたいなのが大嫌いなので、読んでて爆笑だった。
ルール違反者を徹底的に追跡するドイツ人の話、中島先生が違法自転車をぶっ倒して歩く話などは本当におもしろい。
しかし、子供に対するプールサイドを走るなとかの日本の注意喚起に関しては、事故が起こってからじゃ遅いのでそれはうるさくてもいいんじゃないかな?と思った。欧米(米はわからないが)ではそこも自己責任になるのかもだけど。特にプールの場合、中には泳げない子供だっているわけだし、万が一ぶつかって落ちて溺れたなんてことがあれば大変 -
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著者の中島義道はドイツ哲学を専門とする哲学者で、本書にも出てくる通り、「戦う哲学者」との異名を持つ。
本書は、「音漬け社会・日本(=うるさい日本)」に対して、著者が様々なところに寄せた告発文を素材にまとめたもので、1996年に発刊され、その後いくつかの出版社で文庫化されている。単行本出版時の反響は大きく、朝日新聞の「天声人語」、NHKのラジオ番組、The Japan Times、Chicago Tribuneなどに取り上げられたという。
内容は、日本の社会が如何に「音漬け社会」となっているかを、駅、電車、バス、商店街、デパート、銀行、竿竹屋、広報車、海水浴場、プール、防災無線、美術館、京都や日 -
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賛否分かれるかもしれませんね。
うちは賛成です。
悪いことを悪いといけないのは
おかしいことだと思うんですよね。
他人をしかられることを嫌と思っているのは
はっきりいって自己保身なんですよね。
しかられなければ何がいけないことも
わからない。
だから本当にしかってくれる人
目を向ける「おせっかい」って大事だと思いますよ。
うちはそういうのがあったから
見た目はかなりあれだけれども
しょうもないことはやらかさないですし。
この本が賛成の理由は
CMや注意書きの項目。
こんなん言われなくてもわかるでしょ?
どれだけ考える力ないのと
同じ人間としてあきれてしまいました。 -
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過去というものは、あっという間に過ぎ去ってしまう。客観的時間と実感には大きな隔たりがあり、その点を理解することが時間に対する了解の第一歩ともいえる。
過去における実感を未来に投影した場合、人生とははかないものであるという悲観的な、人生の短さに対する嘆きが生まれてくる。
客観的時間とは、認識によって生み出されたものであり、認識とは、自己とは他のものに対する態度。つまり、自己の概念を、自分がいま見えているものという風に拡張すると、他者とは今見えていない、実感できないもの、それは不在ということになる。
過去の認識とは、とりもなおさず、不在への態度によって紡がれる。
屁理屈のような論理だが、実は人間は -
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ネタバレ初中島作品。
簡単に人物を批評すれば、この上ない比類ない皮肉屋であり、環境がそうさせた典型例だとも感じた。
心理学的用語でいえば、離人症、ACである。
苦しみ続けることによって変化する。自殺してしまったらその苦しみさえ無に帰してしまう。
106⇒人類には粗野な人種と繊細な人種がいる。全く別に人種。粗野な方が総じて人生というゲームで勝ち続け、繊細な方は負けに負ける。それによってどんどん偏屈な人間になっていく。
107⇒粗野なものは悩まない強さ、気にしないという鈍感さ、そして忘れるというずるさを持っている。
繊細なものは粗野にはなれない。
そして日本に蔓延する思いやり教、優しさ教、気 -
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ネタバレ「嫌い」と言う感情には罪悪感が付き物。だから誰かを嫌いになった時、それを自分に誤魔化そうとして、そんなこと無い事の証明を一生懸命しようとして、無理して誰かと付き合おうとしたり、行きたくもない飲み会やら食事会に行ったりして、時間をすり減らし、自分の時間さえもすり減らし、そのことにより自分がストレスでいっぱいになる。
そういうことに心当たりのある方は、この本を読むと「嫌う」と言う感情に素直になれるかもしれないです。
「誰かを好き」、と言う感情に理屈が無いのだとしたら、「誰かを嫌い」、と言う感情に理屈が無い筈。通常人は、「嫌い」を表現する時に、「あの人はこうでああで、だから良くない。だから嫌い」