【感想・ネタバレ】非社交的社交性 大人になるということのレビュー

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Posted by ブクログ 2014年07月16日

同じ著者が書いた本の中では、最も明るい展開であった(過去を清算し、割り切った感じがする)。「あとがきに代えて」だけでも読む価値があり、思い当たる人に勧めたくなった。

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Posted by ブクログ 2023年04月28日

後半、著者の主宰する塾に通う若者達の生態が事細かに紹介されるが、そこが本書の読みどころだろう。おそらく発達障害と絡めて語られることが多そうな人々であるが、この本では一切そのフレーズは出てこない。「哲学に取り組むにふさわしい生きづらさを抱えた(今どき珍しい)若者たち」ととらえ、著者自身半ば呆れつつも正...続きを読む面から向き合う姿はユーモラスでありながら、少し崇高さを感じもした。

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Posted by ブクログ 2020年08月09日

『差別感情の哲学』で著者について興味を持ったため、手に取った作品。
前半は著者の人生を振り返りつつ、非社交的社交性(カントの言葉、「人間嫌い」ではない)について著している。
後半は著者が主催する「哲学塾」での、現代若者(中高年も一部含むが)の生きにくさを多数のエピソードを使って著している。

全体的...続きを読むに意外と取っつきにくさがなく、エッセイのような感じでスラスラと読み進めることができる。
面白いのは後半であり、20代の自分と随所に比較して読み進めた。登場人物の言動に対して奇怪だなと思う一方、自分としてもこのレベルではなくとも人との関わりで同様の行為をしてきたのではないかと省みた。自分勝手というよりも、自分が真に正しいと思うからこそ、彼らは奇怪な言動を起こしている。それがズレていることを学ぶのは、日々の日常生活における人間関係の中である。自分が正しいと思うだけでなく、人間関係を通じた自己批判の精神をもつことが社会で生きることに必要不可欠である。一人で生きるにはこの社会は難しい、割りきった人間関係を構築することが必要なのではないか。

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Posted by ブクログ 2016年02月21日

P80 自由意志
「現実には、ただそのつどさまざまな行為Hが生じているだけである。だた、Hが災いだとみなされる瞬間、ここに報復の図式が被せられ、Hを引き起こした者はHを思い留まることもできたはずだという図式が描かれる。自由意志とは、人間の強迫観念から生まれた壮大なフィクションなのである。

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Posted by ブクログ 2015年04月03日

「確かに人を傷つけることは悪である。だがわれわれは、残念なことに、いかなる場合も誰一人として傷つけずに生きることはできないのだ。とすれば、「心の弱い人」はいかに人から傷つけられても、それを跳ね返して生けていけるだけの「強さ」を身につけるように自己鍛練すべきであろう。」

「「善意だらけ」の状態を演技...続きを読むと知っているうちはいいのだ。だが、善意の演技はいつの間にか当人を酔わせ、真実を見えなくさせる。そして、真実を語る人を排斥することになるのである。」

「じつは、すべての誇りは傲慢や軽蔑と紙一重なのである。あらゆる言葉は、語る人の個人的意味付与とは独立に、その社会における「普通の」意味(価値)を帯びてしまうのだから。」

「日本社会における大原則を言っておく。部下は上司の命令を受けたとき、それを自分がより有利になるように解釈してはいけないんだ。むしろ、いつも自分がより不利になるように解釈しなければならない。」

久々に読んだ中島義道さんの本。

あの、『常識なぞあえて外れろ』がモットーのように思える中島さんが、世間に溢れる『常識外れ』の若者に辟易して、非社交的な若者にも最低限そこだけは持っていてほしい社交性を説いた本。


何か権威たるものを持ち合わせていないものが、“その”振る舞いをすると、ただの不適合者にしか見えない悲しい日本。

ただ、日本の未来や彼らの未来など案じても意味がない。なぜなら、未来などないからである。

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Posted by ブクログ 2014年12月13日

読む目的
中島さんの人となり、思想の元を知るため。

一言でいうならどんな内容?
中島さんの生い立ちや考えてきたこと、講義の体験談などを交えながら、大人になることについて語られている。

詳細
第1部 ご自身の生い立ちをもとに、人との関わり方、哲学への姿勢などが描かれる

第2部 講義にきていた人へ...続きを読むの対応などを交えながら、若者論、生き方論について、中島さんの持論が展開される。

心に留った点


引用
一抹の不安とともに、いままさに人生に船出しようとしているきみは、すばらしい可能性を秘めている。それは、きみは希望を捨てずに努力をすれば何でもできるという無責任な激励ではなく、きみがどう生きて行くかはすべて君の手中にあるということだ。
この意味で、サルトルとともに言えば、誰でも否応なく自由なのだ。

きみは自分の本質をそう決定し、それが人生を来ていると解釈した時点で、その責任はきみにある。

何が1人の人間の行為やあり方を決定するかは、じつのところまったくわからない。だから、どんな人でもどんな瞬間でも、「いままで」を完全に断ち切って新しいことを選べるのだ。

私が選んだのだと自分に言い聞かせる姿勢は、特別えらくもならないかもしれないし、金持ちにならないかもしれないけれど、強く柔軟で深みのある大人、すなわちよい大人になるように思う。

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Posted by ブクログ 2014年09月21日

【超速読】とある方からのある目的による推薦で、なぜそうされたのか考えながら目通しだけした。哲学者の著者は、現代の生きづらさを抱えるタイプの若者の資質を理解できる。それでも彼らの他者に対する過度な恐れっぷりには驚いており、社会で生きる術を知る人間とそうでない人間の溝が、時代の変遷とともに深まっていると...続きを読む感じさせる。吉本隆明の「大衆の中での孤独を楽しむ」生き方と同質なものを著者も持っているように思われた。哲学の基礎(教科書レベルでも)を知っておくとよさそうだ。いずれ近いうちに熟読します。

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Posted by ブクログ 2013年12月22日

たまたま本棚に平積みしていたので、手にとった本。この分野の本をあまり読んでいなかったこともあり、興味深く読んだ。特に現在の若者像。生きにくさを感じて、社会に適応できない学生たちが、魅力的に描かれている。

タイトルの「非社交的社交性」という言葉は、カントの言葉のようだが、私自身ももう少し一般常識程度...続きを読むの哲学を知っておかねばいけないなと改めて考えさせられた一冊。

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Posted by ブクログ 2013年11月30日

筆者が思いのままに自説を展開していく。中心テーマの1つに現代の若者の社交があり、彼らが抱える生きづらさをエピソード付きで描写する。
筆者は生きづらさを抱え、苦しむことで、人生について考えるようになることが出来るんだと言っている。苦しむ若者をそっと後押ししてくれてるように感じられ、また筆者自身が風変わ...続きを読むりであることもあり面白かった。

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Posted by ブクログ 2013年08月05日

この本の肝は後半の「集団生活に溶け込めなかった人たち」のお話です。

講義中に突然どうでもいいことを延々と質問し続ける生徒、受講料を延滞しても取り立ててこなかった方が悪いと本気で信じる人たち、ルール化されれば守るけどルールにないことは何をやってもいいと思ってしまう事例、怒られても何に怒られるのかがさ...続きを読むっぱりわからないばかりか「なぜ怒られているのですか?何をすればよいのですか?」と聞く案件。
どれもこれも最近目立ってきた若者の行動ですが、羅列されると自分もどれかやってるのではないかと不安になってきます。

「状況を読むことを学ばずにある程度の年齢になった者は、それを挽回することは非常に難しい」という事実とどう向き合っていくのか、この本ではそこに触れられていないのですが真剣に考えなくてはいけないと思います。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年07月05日

<Key Learnings>
・社交性
万人ウケする社交性→ミニマムでよし。が、自分を相容れない人を全部排除するのではなく、上手くそれなりには付き合う様に。

そのかわり、自分のワガママが通る場所を確保せよ

・他人の目、評価が気になる→仕事か、
他人を恐れる人
=他人による自分の評価を恐れる人
...続きを読む=他人によく思われたいという欲求が強い人

これを希薄化して気にならなくする方法は、2種類

1)カントみたいに仕事で評価されれば、どんな変人でも、仕事によって多くの人と結びついていられ、しかもかなりのワガママが通る
が、誰にでも出来る事ではない

2)1人でいいから、本当の理解者、本当に信頼出来る人、自分が行きていることそのものが励みになる人(普通は、親、恋人、友人など)
=私を本当に必要としている人、私のワガママを聞いてくれる人
が居れば、生きていける

・日本の変な教育
教室に入る時「失礼します」と言わねばならにと命じられて「何故ですか?」と尋ねた息子はしかられた。「ボランティア活動したい人?」と聞かれ手をあげなかった理由を問われ「したい人がすればいいと思って」と言って咎められた。息子が学校からもらったパンフには、「電車やバスに乗る時、むやみにたったり、大声を出したりしない。まわりの人が嫌な気持ちになるようなことはしない。スクールバスに乗る時は、運転手さんや知っている人にあったら、さわやかに気持ちよく挨拶する。車内のものを大切に扱う。」等々の注意書きが。定型的言葉が飛び交い、個人の言葉を圧殺する、調教現場の風景が広がっている。

インターナショナルスクールでは、
食道で1人でご飯を食べ、サッカーの練習を1人でしていても、先生に「それのどこが問題なんですか?」ときょとんとした顔で言われる。遠足も学芸会もスポーツ大会も、参加したい人だけ参加すればよい。昼に食べなくても、ひとりで食べても、誰も何も言わない。林間学校の注意書き通りに靴やグッズをそろえて行っても、他の子達は、革靴で来ることも、お菓子だけ持って来た子もいたが、先生は放っておく、のだそうだ。
文字通り放っておいたわけではない。
人種差別的発言をされて、その子を息子が殴った、と校長室に呼び出された。校長先生は、その場にいた子全ての証言を元に、3日間の掃除の罰を与えた。そして「相手も反省しています。それにしてもヨシは強いなぁ。」と笑った。「同級生を殴ったのですから、罰を受けるのは当たり前です。ありがとうございます。」と言った。

→こういうのを聞くと、インター、特に海外の学校っていいなぁと思う。自主性が本当にきちんと育つのだ。自主性の芽を摘む事にしか興味のない日本教育で育った私には皆目検討もつかなかったのだが、こういうことである。

・帰国子女@日本
祖国日本では、教育機関のみならず、個人が集団から離れて行動しようとするや否や、四方八方からワガママだ!という石つぶてが飛んでくる。
欧米の個人主義的教育が必ずしも正しいわけではなく、我が国の集団主義的教育が必ずしも間違っているわけでもないだろう。が、みんな一緒主義が強すぎる。過度の協調性信仰から身を離してもいいのではないか?

・ウイーンに家を持つ事
日本人にはあまりオススメできない
→ヨーロッパに家を持つのはどこもこんなもんだよね…

1)言語の壁
家主と渡り合うだけのドイツ語ができねばならない。(ほとんどのウイーンの家主は英語ができない)暖房費がかさむ、排水溝が詰まった、などをみんなドイツ語でこなさねばならない

2)文化の壁
恐ろしく頭の固いウイーン人と日々戦わねばならない

3)距離の壁
9千キロの彼方。体力と気力とマメさが必要。

4)気候の壁
10月末から3末まで真冬という気候に耐えなければならない

5)インフラの壁
駅前商店街もコンビニも出前も赤提灯もなく、自動販売機もない
日本にくらべた格段に不便である

というわけで、誰かウイーンに家を持ちたい人いますか?

・日本でまかり通っている名前と違う物、イメージ
ウイーンのカフェでウインナーコーヒーを注文してもウエイターは首を傾げるであろう。そんなものはないからである。日本でウインナーコーヒーと称しているものは、アインシュペンナー、もしくはメランジュにあたる。ついでにウインナーソーセージもない。

音楽の都ウイーン、というイメージから、ウイーン人はみんなクラシック音楽ファンに違いない、という思い込み。
国立歌劇場に入った事のあるウイーン人は数%。モーツァルトやベートーベンに全く興味がない生粋のウイーン人はうじゃ2いる。

クリムトもシーレもウイーンの芸術アカデミーでは拒否された。ウイーン人は時代の新調をおいそれと認めようとしない頭の固さがあるらしい。

・言葉を文字通り受け取る欧米、言葉の中身や意味がわからなくても気にしない、わかろうとも思っていない日本人

日本人は、言葉とそれが指すものの間にズレがあっても、橋渡しがなくともなんともない。
書いてある文字が全くわからない掛け軸を堂々とかけ、客人もそれをしつこく聞こうとはしない。法事で全く意味の分からないお経をありがたく聞いている。
だが、ヨーロッパ人は、あれは何だ、これは何だ、と五月蝿い程聞いてくる。茶席では、何故茶碗をまわすのか、何故粉なのか、と質問攻めにする。彼らにとって、書いてある事の意味がわからないのは不安だからだ。

日本人にとっては、「駐車禁止」と書いてある場所に自転車を置き、「駆け込み乗車はおやめください!」というアナウンスの響く構内を電車に駆け込む。とくに反抗的態度であるわけでもない。
言葉の文字通りの意味と、本当の意味が分離しているから、問題とも思わない。
だから、日本にはヨーロッパの何百倍もの放送や指示看板がある。

・お節介文化
ヨーロッパ的には意味のない言葉が、公共空間にだら2と垂れ流されている。
防災行政無線から「子ども達の下校時間になりました!子ども達を犯罪から守りましょう!」
電車には「閉まるドアにご注意ください」「携帯電話はご遠慮ください」「お忘れ物のないように…」
ATMも「いらっしゃいませ」「毎度ありがとうございます」
機会がよくしゃべる。

こういったものはヨーロッパにはほとんどない。
講義をしたが、少数派なので、改善されなかった。なぜなら、日本国民はそういう放送を望んでいるから。

劇場で階段を上がると「こちらが劇場1階でございます!」と叫ぶ女性。誰が見たって1階なんだからやめれと頼んでも、「間違える方もいる」とやめない。交替時間になり、次の人はそこにつったってるだけだったが、それで何の問題もない。

「間違える人は間抜けなんだから、彼らに合わせる必要はない」というヨーロッパ風の考えが、日本には絶対根付かない。

★誠実、あるいは誠意の意味の違い
ヨーロッパでは、自分の心に素直になること、神は全て見ているから、というのが誠実。
でも日本では、誠意は行為と結びついているので、誠意は行為に表れなければならない。しかも何か誠意かは、社会的文脈で決まっているので、社長の葬式に出ない社員、生徒の悩みを真剣に受け止めない教師は(本人の意思に関わりなく)誠意はない。
西洋では、共同体に反しても自分の精神に誠実である、ことがありえるのに対して、日本ではその可能性は閉ざされている。西洋の伝統では悪を誠実に意欲するのが可能だが、日本ではあり得ないのだ。

・理論だけを押し通せばいいのではない。なぁなぁ社会への順応。権力に従う事。
いかに正しいと信じている事でも、それが社会の大勢と異なっている場合は、それを貫こうとすると、大変くたびれる人生が待っている。

・30年以上前はチカンもセクハラも合法だった
痴漢なんて当たり前、セクハラという言葉すらなかった。被害者が訴えても、誰も真剣に聞いてくれなかった。これらに対して魔女裁判の様に過敏に対応するという思想はついこの30年くらいのもの。今や痴漢は平凡な殺人事件より痴漢を大きく取り上げる。これは成果を上げていて、それはいいが、「女とは」とちょっと言っただけでセクハラと言われ身の危険があるという社会は逆差別だ。

→まぁね。でもそれがまかり通っていた時代は許せないわ。


・リア充になれない若者たち 状況が全く読めない根本的欠陥

WHO?
彼らは人生の調教の時期である高校生までは、成績優秀ないい子であり、家庭でも学校でもどうにか生き延びられる。が、大学以降は自由度が増え、総合的な人間力で生きていかなければならず、その要素に人間関係というものがあると知り、怖じ気づく。その訓練を今まで怠り、ある時期に飛び越えるべきハードルを全く越えずにハタチになってしまったから。

彼らは、拒否されることを通じて、自分に欠陥があることは知っているが、その実感がない。自分のロジカルで合理的な態度の何処が悪いのか、と不満げ。

学歴が高く、勉強熱心で、努力を惜しまなくても、人間関係を築く事が
絶望的に下手で、それを自覚して人間恐怖症になっている。ひとりで行きて行くのは難しい。働く事は出来るが、そこには人間がいるので、そこでつまづいてしまう。

とても傷つきやすく、すぐ「不当な仕打ち」を受けたと言って逃げ出してしまう。極めてプライドが高く、たとえ自分に責任があるとわかっていても、みんなの前でそれを指摘されると、特に差別と思われる言葉を言われると、それをどうしても許せない。大変な屈辱を感じ、自分を棚に上げて、相手を責める。

WHY?
これはまさに現代のヒステリックな差別禁止・差別語禁止教育の賜物で、その教育自体は悪くないが、言葉の総体を捉えずに、「もちろん」や「無能」の様に、相手の一言に敏感に反応し、相手を切り捨ててしまう態度は、生きる力をますます削ぎ落とす。

彼らには、フロネーシス(それぞれの状況ごとに適切に判断し、行動するという実践知)が決定的に欠けている。現在、ありとあらゆる知識はネットで手に入るが、フロネーシスは、実践を通して生身の他人との関係を通して獲得する他ない。

すなわち、
努力が報われなかったり、他人に誤解されたり、だまされたり、あるいは時折思いがけず救われたり、要は「痛い目」に合わねば、身体の芯に染み入る様にはわからないのだ。

ハタチくらいまでにこれを習得しないと、その後身につけるのは至難の業で、痛い目を避けて来たので、社会に出ると、まともに降り掛かってくる他人の威力に怖じ気づく。それを避けているうちに、もはや生きられないと、途方に暮れる。(あ)

HOW?
人生のある時期に、他人の振る舞いの「意味」がわかるための、実地教育を受けずにきたものには、それぞれに状況に応じてこうこうと具体的に教えなければならないが、それが次の具体的場面にまったく適用できず、いつまでたっても「正しい振る舞い方」を学習しない。

彼らは自分が「正しい」と思い込みたいので、常識と縁を切り、自分のプライドが保たれる道を模索する。だがそんなものないし、今更普通にも戻れないので、先が見えなくなる。

現代社会は一方で、物事を深刻に捉えず、全てに対してそつなく、軽くすべるように生きる若者達で充満してもいる。(い)

その対比がますます真摯で不器用な若者達の居場所を失くし、思い切って治そうと思っても、プライドが許さない。

(い)は味方ではないが、敵でもないのだから、異質な人だからと言ってむやみに恐れたり、軽蔑することもないのだ。

多様な人々がもみ合う集団の中でもまれ、恥をかき、攻撃され、不当な仕打ちを受けながら、学ぶしかないのである。


<哲学info.>
・カント
嘘も方便を否定

・ニーチェ
あらゆる真面目な仕事なんて無意味だ
人生に意味、価値、目的を探すことなんて錯覚

・アリストテレス
フロネーシス=それぞれの状況ごとに適切に判断し、行動するという実践知

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Posted by ブクログ 2013年06月28日

第Ⅱ部に出てくる若者たち.協調性がない!との一言で片付けられるのが一般的だが、中島先生は「哲学塾」を通して彼らを指導してきた.素晴らしいことだ.程度はあるにしても、現代人の誰もが空気を読まない行動を取ってみたいと願望している.それをある意味で癒してくれる著作だと感じた.

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Posted by ブクログ 2013年06月18日

前半はタイトル通り、「非社交的社交性」に関する筆者のエッセイであるが、後半はただの面白人間紹介になってる。それがいい。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年06月16日

 久しぶりに、ストンと腑に落ちた本である。特に第Ⅰ部。精神衛生上の秘訣と言ってよい、人間関係上のヒントを紹介してくれている。特に軽症?の人間関係ノイローゼの人には、病院の受診などより効果的ではないだろうか。また、翻って著者には「働くことの喜び、達成感」という事もあるのではないかと、お節介ながら忠告を...続きを読むしたくなってくる。

 第Ⅱ部では、著者が主宰する哲学塾での様々なエピソード、トラブル集が披露されている。マネジメント職の方には一読をお薦めしたい。しかし、ここに出てくる人は逆に、臨床医学の世話になった方が良いのではと思われる。この先生も「罵倒」というガス抜きをしつつ、意外と根気よくつきあっているなと感心させられた。

 いずれにせよ、深刻になって読む必要なし。「いろんなヤツが居るなあ」程度の気持ちでの一読をお薦めしたい。

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Posted by ブクログ 2013年05月22日

第Ⅰ部 非社交的社交性
第Ⅱ部 こころ優しく凶暴な若者たち
の2本立て。第Ⅰ部は中島義道の著作を何冊か読んだ経験があれば、そう目新しい話でもないかも。大人しい。文章自体が丸くなった?第Ⅱ部の、著者とかかわりのあった若者たちのエピソードの方はなかなか面白かった。ここで書かれている人たちは実在するのか疑...続きを読む問に思えるくらい、強烈だ。「空気を読まない」ことと「空気が読めない」ことは全然違うなぁ、と。

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Posted by ブクログ 2021年03月10日

中島義道さんの著作を読むのはこれで3,4冊目だと思います(うろ覚えですが)。

「非社交的社交性」という題名に惹かれて読みましたが、これ、カントの言葉だったんですね。不勉強の極みでした。
しかしながら、哲学について基礎知識がなくても、この本は十分に楽しめる内容ですので、不勉強でも大丈夫です(私がいう...続きを読むのもオカシイですが)。

前半は著者の過去の暮らしぶりや思想について語っており、後半は著者が開いた勉強会で出会った、「社交性」という意味において一風変わった(?)人々のエピソード集、のような形になっています。

著者の本を何冊か読んでいると一度は出会ったことのある内容が前半に詰め込まれていて、(うーん?)となるのですが、それもそのはず、この本は新聞連載されていた記事をまとめたものだからです。
ですから、著者の本を何冊か読んでいる人は前半を飛ばして、後半の面白い(?)内容を読んでもいいと思います。

自分の言った(著作の中で書いた)事を言葉面だけ理解して対応してくる人々に著者が辟易させられるシーンでは、気の毒に思いながらも笑ってしまいました。
極端なことを言うと、その極端につられてくる人たちがいる、ということなんでしょうか。
今あらためて読んでみると、このエピソードに挙げられた人の中には、発達障害などのハンディを持つ人がいるのかもしれないなと思いました。

しかしまぁ、世の中には様々な人がいるものだなあ、と考えさせられた一冊でした。

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Posted by ブクログ 2019年07月22日

前半は新聞の連載などをまとめた内容。後半は自身の哲学塾で出会った変わった立ち振る舞いの人たちについての話。

環境と自己についてのエセー集といった感じではあるのだけど「哲学するのに向いている人向いていない人」といった経験をもとに「困った人たち」について語っていて一気に読めてしまった。

いわゆる哲学...続きを読むについての話は第1部で語られているのだけど、「絶望に陥らない不幸」として、悩むことの前提条件が欠けている点を突いた第2部が圧倒的におもしろい。
ここでは「悩んでいる人=病人」といった捉え方を拒絶して「悩んでいる人は治せない」という当たり前のことを言っているだけなのだけど、なぜ世間一般ではそう捉えていないのかは気になった。

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Posted by ブクログ 2018年05月13日

前半と後半のカラーがやけに違うなという印象。著者と生徒のやり取りは真剣なんだろうとは思うけど
笑ってしまった。後半は軽いエッセーのような感じ?でも実は深い内容かも。
期待していた内容とは違っていたので星3つ。

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Posted by ブクログ 2017年10月18日

中島義道の自叙伝的な要素もある。

日本独特の変な空気。

変な人々。
でもそれを変だと思ってしまう自分も,
日本の空気にしみこんでしまっているんだろう。

2017/10/13

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Posted by ブクログ 2015年05月06日

・哲学者のエッセー集。本書は、カントの研究者が半生を振り返る前半、自身が主催する哲学塾を通じて若者と触れ合う中で出会った数々の「生きにくい」若者の特徴を紹介する後半で構成されている。
・正直、物凄く為になるとか面白いという訳ではなかった(なので★3つの評価にした)けれども、若者の生きにくさについて真...続きを読む摯に(これはいい意味でも悪い意味でもそうで、同じレベルで喧嘩しているという言い方もできるかもしれない)向き合う著者の姿勢に、やや大人気ないと思う反面、分かったようなことを言って誤魔化したりしない几帳面さを感じた。
・人間関係の悩みは一生続くものだし、誰しも直面する課題。人間関係が上手くいかない「生きにくさ」の解決策として哲学に希望を託して若者が集まるようだけど、著者は「哲学は生きにくさをわかることはできても解決はできない」と言っている。そして、その対処法、社会の掟は叱られ怒られ嫌われて「体験知」を積み重ねるうちに何となくわかっていく、というものらしい。そんな人間関係に悩む人には『嫌われる勇気』を是非薦めたい。

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Posted by ブクログ 2015年03月19日

前半と後半との整合性が・・・・
後半に出てくる人々は発達障害とかの問題とは無関係なのかな。
まあ、こういう人たちがいるということはわかった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年06月28日

哲学者って真面目な変人だと感じられた。
「哲学塾 カント」を主宰する著者の主張する非社交的社交性は、カントの言葉。
生きる意味や人生についてなどの本質的な思考を避けて社会におもねる、あるいは社会に有益なことを追及することを優先するマジョリティの生き方ではなく、そこに生きにくさを感じ悩んでいる人々に哲...続きを読む学を薦める書。
13-89

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Posted by ブクログ 2013年06月14日

中島義道さんの著書が読みたくて、ってひとが読むもんではないかなあ。
半分くらいは私塾で起きたことの愚痴、としか言いようがなかった。
けっこういろんなひとがおってええやんって思える人間のつもりやけど、さすがにこれは共感できへんかったなあ。
授業を受けにくる生徒の行動も行動やけど、もうちょっと、それこそ...続きを読む「大人な」対応をしてほしいと思った。
ただ、前半部分の哲学について書かれているところはなかなかおもしろかった。
「非社交的社交性」って、嫌いなひとともなんとか楽しく距離を取りつつも接するという認識でよいのかな。とりあえず、他の著書を読んでみたい。

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Posted by ブクログ 2013年06月18日

よくも悪くも哲学者なので、書いてあることが難解。2度、三度と読まないとなかなか理解できないと思う。他にも読みたい本や聞きたいCDもあるので、そうそう付き合っていられない。科学は突き詰めれば哲学に到達し、哲学は突き詰めれば信仰(宗教とは限らない)に行き着くのだ。ここ最近買った本はすべて不満足だ。

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Posted by ブクログ 2013年05月19日

この本は中島義道ファンでないひとにはおすすめしません。後半はひたすらコミュ障の若者と中島義道とバトル話が続きますが、そういう人が増えたのか、哲学を志向するひとにそういう人が多いのか、わかりかねますが… 生きづらい方達であることは確か。嫌にならず受け入れている中島義道はある意味やはり
すごい。

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