【感想・ネタバレ】ひとを〈嫌う〉ということのレビュー

あらすじ

あなたに嫌いな人がいて、またあなたを嫌っている人がいることは自然なこと。こういう夥しい「嫌い」を受け止めさらに味付けとして、豊かな人生を送るための処方を明らかにした画期的な一冊。

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Posted by ブクログ

若い時は相手の嫌なところも「嫌い」と言い合いながらも一緒にいることができた気がする。そして、振り返ってみれば、そういう人とは長い付き合いになっているのも事実。
大人になってからの関係はなかなかそうはいかない。
上手に嫌い合いながら、嫌いと言うこと(特に言われること)に過敏になりすぎずに生きましょう、と言うようなことが書かれている。

確かに今の時代、ちょっとしたことですぐに傷つく人が増え、「被害者のふりをした加害者」が大手を振るって跋扈する世の中になっている感も否めない。それはまるで「私にあなたを嫌いにならせないでくれ!」と叫んでいるかのようにも見える。

著者はそちら側の、むしろ「自らに嫌いを禁じている人間」にこそ読んでほしいと言っていたが、相手の気に触ることは何も言わないように、気を遣って生きることが疲れた人にもおすすめできるのではないかと思う。

嫌いなら離れる、別れる、関わらない、のではなく、「そういうところ嫌だわ」と言い合いながらやっていくことが理想的なのだろう。
嫌う(というよりムカつく)ことも人生における刺激であり、若さを保つ秘訣にもなっているのだと著者は言う。

傷つけることを恐れず、言いたいことはちゃんと伝えて、嫌われたらそれでいい。「あら、それくらいのことで。小さい人ね。」でよいのかもしれない。

今や親が子どもに嫌われないように気を使うというよく分からない時代。嫌なことを言われ慣れていない子どもが大人になっていくのだから、世の中はさらに息苦しくなることも危惧される。

過剰な気遣いを要求され、当たり前だったことができなくなっている世の中になっていることに気付かされた時、「お互い様」の精神でもっと肩の力を抜いて生きていける世の中にしていくことの方が大切なのではないかと思った。

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2024年08月27日

Posted by ブクログ

今の私にぴったりな本だったので、著者の言う「1割」の人間だったということなのでしょう。
まず全く説教臭くないところが良い。こうした方がいいああした方がいいというようなことは全く言わない。似たようなことを言っている本は他にもあるような気がしますが、この語り口であるから入ってくる、という感じがしました。
人を嫌うということについてじっくり考えさせられる本。そして嫌うことや嫌われることに対する無意識の忌避感を疑わせてくれる良本。
感じたくないだけで、既にそこにある嫌悪感をどう捉えるか。
次の日からの世界を少し味わい深くさせてくれる1冊だと感じました。

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2023年02月06日

Posted by ブクログ

この書物を読んで。
脳内揺さぶられましたが、究極のエゴイストには、私はなれないかな。
ただ、興味深すぎる内容

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2022年11月27日

Posted by ブクログ

ちょっとした嫌いの理由が言語化できていると思う。具体的だけど、読んで嫌になることもなく、アンガーマネジメントに役立つと思われる。

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2017年06月09日

Posted by ブクログ

今年のベスト。
薄い文庫本にもかかわらず、「嫌われれる勇気」よりこちらの方が確信に迫っていて、良い。

筆者はかなり極端な意見を持っているので、全て同意できるわけではないが、これを読んで救われた気持ちになった。
自分の負の部分と向き合う勇気、そしてそれは負ではないということ。それも含めて愛すべき自分なのだということ。

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2015年08月21日

Posted by ブクログ

「誰からも好かれる人だ」、と皆に言われる一方で、自分から好きだと思える人はかなり少ない。こんな非対称な好意が成り立つはずがなく、何処かで「本当は嫌われてるんじゃないか?」と思っていたりもする。それで良い。その気持ちを受け入れて生きれば良い。なるほど、そうやってさらっと、人を嫌う気持ちに蓋をせずに生きた方が良いのかもしれないな。

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2015年07月22日

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理不尽な理由で他人を嫌う、あるいは他人から理不尽な理由で嫌われるということそのものを、自分自身の在り方の現れとして肯定している。

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2015年04月05日

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ネタバレ

昔は人を嫌うことも嫌われることもほとんどなかったのに、最近、どうも人を嫌い、人から嫌われることが多くなった。
人間的に成長しているはずなのに、これはどういうことなのだろうと思っていたところ、この本に出会った。

以下、勝手な解釈。
人を嫌うことは、人を好きになるように自然な感情。
人を嫌うことを避ける気持ちは、自己愛から来る自己防衛。
もっと素直に人を嫌い、人から嫌われればいいではないか。

もっと自然にありのままの自分でいようと思える本。

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2015年01月23日

Posted by ブクログ

自身の体験をまじえながら「ひとを嫌う・ひとに嫌われる」ということを考え抜いた本。文庫本だしそれほど厚みもないのでさらっと読めるかな?と思ったら想像以上に濃い内容に驚いた。

本書の内容には深入りしない。
ただ、著者のいうように、「嫌い」に代表されるいわゆる「ネガティブ感情」に対する社会的な抑圧は非常に厳しい。

明るいこと、ポジティブであること、前向き・積極的であること

たしかにこれらは社会生活を営む上で好ましい要素である。しかし、これらを奨励しすぎるあまりにその逆であるネガティブなものを社会的に必死で抑圧しようとする。その反動だろうか、本書のようなものが登場する始末。
しかし一方で、そうした好ましい要素をもつ人の方が、社会的には有利に過ごせる、という事実がある。だからこそ、好ましい要素が奨励され、本来は自然であるはずのネガティブな感情から目を背けてしまう。
著者が語るように、そうしたネガティブな感情とうまくつきあう術をすでにもっている人には価値のない本だろう。一方、そうした感情とうまく折り合いの付けてこられなかった人には、一読をおすすめする。

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2013年09月16日

Posted by ブクログ

 妻子にひどく嫌われてしまった経験があり、その状況がずっと続いている哲学者の著者。生い立ちもかなり大変だったよう。そういった経験をした著者だからこそ書けたのだろうと納得の一冊だった。どこかで聞いたことのある話、ではなく、著者の考えた完全オリジナルの話、と感じた。〔人を好きになる事と同様、人を嫌いになることの自然性にしっかり目を向けよう〕と呼びかけ、〈嫌い〉の段階や原因を考察している。

 部分的に抜き出すと、とても誤解を受けやすい内容だと思うので、安易に紹介するのは怖い一冊だ。なので、気になったり引っかかったりした方は是非通読してみて欲しい。私も途中まで、人を嫌うことをこんなに肯定してどうするんだ?嫌いにまみれたら辛いではないか、と居心地が悪くなり、自分の中にある〈嫌い〉の感情を余計に情けなく思ったりしたが、終盤になると靄が晴れた。

〈嫌い〉の原因について八つ書かれている中で、(一)相手が自分の期待に応えてくれないこと(四)相手に対する軽蔑 が特に興味深かった。

(一)のカテゴリーより
○善人とは(他人と感情を共有したい人)のことです。(略)しかし、ここにとどまりません。彼ら(近い他人)も同じように自分を気にかけてもらいたい。期待してもらいたい。(略)ですから善人とは嫌いに向き合わない人といえます。
 この人種には大きく二通りある。一つは自分はいつも善意の被害者であり、相手がいつも加害者であるという人。自分の加害性に全く盲目なのです。こういう善人は常に愚痴ばっかり言っている。(略)
もう一つのタイプは、全て他人は善人だとみなす人。すべての人を好きになるべきだと考えている人。(略)
両者とも、自分と相手との対立を正確に測定しない。
こうした善人たちは、この国では猛威を振っていて、それに抵抗する事はまずできない。(略)
私があえて本書で試みているのは、こうした日本人の体内に染み込んだ幻想をわずかでも打ち砕こうというささやかな抵抗です。79

そして、終わりに近づくと、著者が、自分が経験したように〈嫌い〉にがんじがらめになっている人を心から助けたい、自分が楽になった方法を教えてあげたいと思っていることが伝わってきます。ここがとても私にとって助けになりました。

○自分を含めて人間一般が嫌いというタイプが、難攻不落の城のように堅固な構造している。ここで嫌いの発展段階は行き止まりであって、死ぬまでこの城の中で暮らすほかはない。「それでいい」と言う人に何も言う事はありませんが、老婆心ながら付言しますと、こうした城の中に住んでおりますと、本人でも気づかないうちに、肉体的にも精神的にもやせ細ってきて、抵抗力がなくなり、干からびてくる。そのまま仙人のように死ねば良いのですが、どうも凡人にとっては少し無理があり、あまりお勧めできません。私は、こうした城を築いた人に、あえてもう一度娑婆に、、ただし「半分だけ」引き戻してはどうかと提案したい。こうした城を改築して、適当に敵がなだれ込み、戦闘状態を繰り返すような安手の城に生きる方が、凡人にとってはハリのある豊かな人生だと思うのです。177

○リルケは人生を(重く取る)ことを提唱しています。重く取るというのは、真の重さに従って受け取ること以外に他意はありません。物事を疑いや運や、偶然で測るのではなく、心の重量で測ろうとする試みです。この世に存在することに対するどんなに無限の同意であり、賛同であることでしょう。 196

この方の考え方、よくよく読むと結構好きでした。「嘘がない」ということが、私のような人間嫌いな人が、人に対しても自分に対しても欲している特に重要なことで、著者の言い分も、勧めていることも、嘘がないからだと思う。

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2023年09月01日

Posted by ブクログ

ひとを嫌う理由は
嫉妬、軽蔑、期待したことに応えてもらえなかったときなど

ひとを好きになるのと同様に
ひとを嫌うことも自然なことなのだから
それを受け入れる方が、
嫌いを排除しようとする人生より豊かになるということ。

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2020年09月07日

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日常的にふりかかる『嫌い』もしくは『嫌う』に罪悪感を感じたり、存在価値がないように感じたりせずに、ただ自分の感情を受け止めるだけでいい。むしろ『嫌』は人生を豊かに味わい深いものにしてくれる、という新しい発見があった本。もう一度読み直したい。

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2016年02月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「嫌い」と言う感情には罪悪感が付き物。だから誰かを嫌いになった時、それを自分に誤魔化そうとして、そんなこと無い事の証明を一生懸命しようとして、無理して誰かと付き合おうとしたり、行きたくもない飲み会やら食事会に行ったりして、時間をすり減らし、自分の時間さえもすり減らし、そのことにより自分がストレスでいっぱいになる。

そういうことに心当たりのある方は、この本を読むと「嫌う」と言う感情に素直になれるかもしれないです。

「誰かを好き」、と言う感情に理屈が無いのだとしたら、「誰かを嫌い」、と言う感情に理屈が無い筈。通常人は、「嫌い」を表現する時に、「あの人はこうでああで、だから良くない。だから嫌い」と言うように説明するが、大抵そういうのは実は後付けで、最初から嫌いだったのだと言うこと。

嫌いと言う感情には、投影があることもあることも書かれている。著者は父親が嫌いだったそうで、”不条理なのは次の段階です。つまり、私は他人の中に認める「父の影」にも敏感に反応してしまい、その人を嫌うことが多いのです。父と似た肉体の持ち主を嫌う。そればかりか、性格の持ち主も嫌う。(略)父は何事にも潔癖すぎるくらい潔癖で、会社のセロテープすら私用に使わない人でした。たまにそういう人に遭遇すると、ぶん殴りたくなるほどの嫌悪感を覚える。(略)こういう時刻表のような男をたまたま見かけると、鼻面をつかんで引きずり回してしてやりたくなるほど憎らしいのです”
と書いていて、ここまできっぱり嫌っている自分を観察し、相手の様子を観察している様子は、すごいなと思ったりした。

でも、こう言うのは人は良くやっていること。よくよく嫌いなその人は、親の声に凄く似た持ち主だったとか、口癖が同じとか、良くあることで、勝手に自分のどこかがそれに反応して、目の前にいるその人を勝手に一緒くたにしてしまう迷惑な行為をしているのは、自分ってことですね。嫌われたその人は、本当は中身は違うかもしれないけど、その鼻だから嫌われているのかもしれず、そしたら、存在することで嫌われるなんてしょっちゅうあるなとかえって納得できる。

本にもあるけど、自分の「嫌い」を見つけると、自分の勝手さ、理不尽さ、盲目さが見えるようになるとのことで、「確かに」と思った。「嫌い」と言う感情を認めることで、自分の弱さや欠点を知る。これは、「嫌い」を通しての、謙虚さを身に付けるやり方かもしれない。

それにしても、本の著者は、すんごくいろんな人を嫌っていて、いやあここまでじゃないわ、と言うことでも安心したり(笑)。本のフレーズで気に入ったのは、「さらりと嫌いあう関係」と言うここと。その辺ってある意味成熟してないと出来ない事だと思う。

もう一つ、すごく「なるほど」と思ったのが、”「自分の落ち度がなければ嫌われるはずはない」という単純な論理を求めますと、相当おかしくなっていく。あなたが嫌われるのは、自分に落ち度がない場合がほとんどだからです。”と言うこと。割とここにハマってしまうことってあるように思う。

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2015年09月22日

Posted by ブクログ

嫌うということをありのままに受け止めることがより豊かな人生につながる。

興味深かったのは、人は嫌うという感情を自分から払拭したいがために、自分で都合の良い原因(嫌いなところ)を見つけ、それに全てのマイナス感情を被せるということ。

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2015年01月16日

Posted by ブクログ

この本は人を嫌うことを「奨励」してるのではないというところがポイントかな.誰かを嫌ってしまった時は,嫌いだ嫌いだで進展なく終始したり感情的になったりせずとりあえず冷静に原因を考えてみる.それで解決しなくても,愛情の裏返し,人生の一つの味わいとして受け止めれば楽になる.

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2014年10月11日

Posted by ブクログ

この本の主題は、理不尽な理由で嫌う、嫌われることは自然なことである、ということ。

嫌う、嫌われることに対する恐怖心が薄れ、ぐっと心が軽くなった。

「嫌い」という感情を少し客観的に見られるようになり、今後の人生は今までよりも器用に送れる気がする。

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2013年03月27日

Posted by ブクログ

人が人を好きになることは社会的に快く受け入れられがちで、逆に嫌うことは拒否されがち。でも食べれば排泄するのと同じで、好きになることがあれば嫌いになることもあって当然。そんなことが前提として書かれている。
なぜ嫌うのかを中心的に書かれている。自分が他者を嫌うのは、(倫理的に悪であるとされているので)つらい。そのつらさを軽減するためには、なぜ自分が他者を嫌うのかを理解することが良薬である。だから「なぜ嫌うのか」が中心的になっている。
で、大事な「なぜ嫌うのか」の部分。8パターンに分けられていたが、どれも納得いく内容だった。
若干くどい。

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2013年01月07日

Posted by ブクログ

人が嫌いなひと、自分が嫌いなひと、人が嫌いな自分が嫌いなひとに。健全に人を嫌って豊かに生きるための本。

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2012年11月06日

Posted by ブクログ

『私はこまでの長い人生において、むやみやたらに他人を嫌うことがあり、また他人からとことん嫌われてきたことも少ないない。』
更に妻から子どもからも嫌われて、思えば、父親からも嫌われ、同じくくらい自分も嫌っている。という状況の中で<嫌う>とは何か研究せざるをえない状況に陥る中島義道氏という存在自体がおかしい。

ひとを嫌うことは、人間関係の負の側面と考えがちだが、嫌うことは自然なことで、それを肯定して居心地の悪さを味わうことで人生は豊かになる。

嫌うことはよくないことだと思うと他人を否定できないので自己否定、自己嫌悪になっていく。中島氏も学生時代はすべてにわたってみんなとずれていて、その時は自己嫌悪に陥り、不登校になってしまったとのこと。

それよりはまず自分の形を決めて、それにそぐわない人は嫌うという人間関係を肯定したほうが健全である。それで嫌われることもあるがそれも人生の滋味の一つである。

嫌う原因を8つあげて分析している。このあたりが中島さんらしいが、その考察力の鋭さはいかにこの問題に悩まされて続けてきたかが伺える。8つも原因があるのだから嫌いになっても当然である。

さらに自己嫌悪について言及していて、その裏返しで、自己を正当化するために他人を否定するなど屈折した心情になっていく。

『私がこの歳になって心から望むこと、それは夫婦とか親子とか親友とか師弟、さらには知人とか職場の同僚とかの「嫌い」を大切にしてゆきたいということ。そこから逃げずに、嫌うことと嫌われることを重く取りたいということです。どんなに誠心誠意努力しても、嫌われてしまう。どんなに私が好きでも、相手は私を嫌う。逆にどんなに相手が私を好いてくれても、私は彼(女)が嫌いである。これが、嘘偽りのない現実なのです。とすれば、それをごまかさずにしっかり見据えるしかない。それをとことん味わい尽くすしかない。そこで悩み苦しむしかない。そして、そこから人生の重い豊かさを発見するしかないのです。』

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2011年12月12日

Posted by ブクログ

勝間和代さん推薦書。
これまで人の気持ちについて、実用的な気持ちの持ち方や、心理的、脳科学的な本は読んだことはあったが、哲学で解いた本は初めてのような気がする。「嫌い」や「恨む」感情について、体や脳に悪くて、自分にとって損もしくは良くないですよ、ではなく、それが人間じゃないか、嫌いという気持ちも持つことによってより豊かな人生になるんじゃないか、とまとめられている。
その分、読んでいてポジティブになれるような本ではないが、人間の性質に任せようという考えは的を得ているような気がする。「つまり社会的な成熟を諦めて、自己嫌悪に塗れたしかし充実した人生を送ればいいのです。」
あらゆるビジネス書で、「主体性」や「自分を変えること」、「環境に影響されない自尊心」というススメを読んできてのこの本。妙に肩の力が降り、納得させられた。
時々筆者の独特な表現にふっと笑いもでる。

・人を嫌いになるということは、人を好きになることと同様自然なこと。嫌いになることは、悪いこと・良くないこと、ではない。
・彼(女)が罵倒するにはそれなりの深い理由があるんだろう、と考えないこと。そうかもしれない。しかし、社会生活とはそうした配慮を許さない残酷なものであることを教えること。
・「この国では、社会的に上位の者が下位の者を嫌うなどとは考えられない暴力であり、断じて許しておけない。下位の者は上位の者を思う存分嫌っていいが、上位の者は下位の者を決して嫌ってはならない…。一応、表面的にはこうした逆差別がまかり通っている」
・ある少年(「中学生日記」にでてくる少年)が心から欲しているのは、同情でも愛でもそして憎しみさえ、本物だけだ。
・嫌いの結晶化(ひとたび嫌いになると、様々な嫌いになることが出てきて嫌いの要因になる。そんなときは、その自然の流れに任せておこう
・適度な復習のすすめ
堂々とすること。されたことの1/3は返しても良いのでは?
(「まずいから、試してみよう」と言ってうどんを注文した子にうどんを作らなかったおばさんの例)
・われわれは、もしある人がわれわれの憎む者に喜びを与えるのを想像するなら、その人に対しても憎しみを感ずるであろう。(スピノザ「エティカ」)
・相手に期待もし自分も期待されたい人種と、相手に期待せず自分も期待されたくない人種に二分される。お互いをわがままに思う。
・全力を尽くして誰かに職を与えることは「恩知らず」を必然的に生み出すが、能力があるものが次から次にやすやすと職を世話してやる場合には「恩知らず」は生じない。
・嫉妬は同じものを目指す近いもの同士のあいだで頻繁に発生する。
・われわれは、相手にうんざりしても、その人を大目に見てやることが多いが、われわれにうんざりするような相手は容赦できない。(ラ・ロシュフコー)
・人は単独に存在しているのではなく、他人との関わりの中にあるのですから、他人が嫌いなのは、私との関係にある他人が嫌いだということであり、自分が嫌いなのは他人との関係にある自分が嫌いだということ。
・自己嫌悪とは、他人に嫌われることを恐れるあまり、みずからに「嫌い」を向けて身を保っている形態なのでそれを溶解させるためには他人の「嫌い」を自分のうちに改めて豊かに取り込むほかない。
・嫌い合うことは自然なのです。だからこそ、嫌いあいたくないと望む。
・夫婦は何らかの点で好きになって結婚するのだから、その表裏一体の嫌いについても骨の髄まで実感する豊かさを味わえる。

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2011年07月03日

Posted by ブクログ

「『嫌い』の力学を人生の豊かさと割り切って、その渦中に生きるしかない。そして、その渦中においてもけっして自己自身を批判する目を濁らせないとき、それは道徳的な生き方ですらある」

“嫌い”を大切に。

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2013年07月20日

Posted by ブクログ

中島義道という人が優れた書き手かどうかはひとまず置いておいて、人を嫌いになったら、あるいは誰かを嫌いな自分に嫌気がさしたら、自ずとこの本に興味が湧いて来るでしょう。氏は嫌われ者らしく(それが最も面白いポイントである)、それ故「嫌う」こと「嫌われる」ことについて、この本の他にも数冊書き上げている程に考えをうんぬんかんぬん巡らせている。「嫌われること」を本にしてしまっている時点で、氏を嫌っている人はますます嫌いになる事必須である。もちろんそんなことに本書は触れる訳ないのだ。目次構成がぱらぱらしているので、僕はいつも風呂に入りながら読んでます。

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2010年11月10日

Posted by ブクログ

<印象に残った点>
・人を嫌うこと自体は食欲、性欲と並んで、自然なこと。
・ある人が生理的に嫌いであればある程、差し当たり努力してその原因を突き止めること。
・嫌いの原因を探ることは、絶大なプラス効果がある。自分の理不尽、盲目さが見える。ゆえに、自己批判的に人生を見られる。他人から嫌われても、冷静に原因を考えれば、大抵の場合許せる。本当の意味で寛大になれる。

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2010年06月05日

Posted by ブクログ

ひきこもりにして、厨二病患者の中島先生が説く、「嫌い」との向き合い方。中島先生の本の中でこれが一番好きです。普通の人は躓かないような小さな小石に躓いて、それを拾い上げて論理的に文句を言う、そんな感じ。

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2010年04月29日

Posted by ブクログ

人間は人から嫌われたくない生き物

‼️我々は誰でも人を嫌う、理不尽に嫌う、それが自然

‼️ほのかな愛があるなら、ほのかな憎しみがあっても良い

「私何も気にしてないの」という言葉には注意、本当に気にしてない場合と、大変気にしてる場合、五分五分

どんなに努力してもある人が嫌いであり、どんなに努力してもある人から嫌われる、どうしようも無い

相手が自分の期待に応えてくれない、子供
‼️他人に夢をかける、は誤った態度

自分に傲慢さがなければ、人の傲慢さは気にならないはず

‼️どうにか保持している自己幻想を容赦なく切り崩す相手を嫌う、自信のなさと恐れ

‼️あなたが嫌われるのは落ち度がない場合がほとんど。そういうものか、とでんと構えるしかない

‼️嫌いを認めたとしても、その渦中にいても自己自身を批判する目を濁らせないこと

人を嫌ってはダメ、他人を傷つけてはダメ、と育てられると、世間はそんなに甘くないので、他人との対立自体が怖くなる。
‼️仕返しをする技術を学んでいない

‼️難攻不落の城よりも、適当に敵が雪崩れ込み戦闘状態を繰り返す安城の方が、張りのある豊かな人生

嫌いに躓かない人はそれでいい、生きるのが困難な人へのメッセージ

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2020年04月13日

Posted by ブクログ

この人の考え方けっこう好きです。社会で数か所働いてみて痛感したんだけど、人間って嫌われるいきものですよね。孤独だから誰かとつながりたい。繋がると拘束感がやってくる。自分が嫌ってる人間にさえ嫌われるのはショックだ。ずいぶんムシのいい希望でどれだけ厄介なんだと思いますが、この作者は正直ですしなにより自分が人に好かれようという欲望を捨てたところからの考えなのでフェアな感じがします。

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2016年03月22日

Posted by ブクログ

好きと嫌いは表裏一体、蓋をするのではなく、正確に見届けることは、豊かな人生を築く一環である。

好きが強いと嫌いも強い、好きが弱いと嫌いも弱い。そんな気がします。

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2013年06月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人を嫌ってはいけないことは、学校や家庭で何となく教えられた気がします。しかし、嫌うことっていけないことでしょうか?
僕個人の考えだと、嫌うことそのものは別に構わないと思っています。逆説的ですが、それは自分が嫌われてもいいと思っているからです。
当たり障りのない、無難な人生を送ってもいいかもしれませんが、僕はそうじゃあない方が好きです。誰かに嫌われるようなことをしても、それが世のため人のためを思ってやったことであればいいじゃないかと。
人を嫌うということは、人から嫌われることを考えるのと同じことで、共感できる部分が多々ありました。

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2013年01月17日

Posted by ブクログ

金沢の21世紀美術館で衝動的に買った本。言われてみれば至極当たり前のことが書かれている。どこかで誰かに嫌われるのは仕方ないと割り切れると思う。でも本当に仲良くしたいひとから嫌われるのは、どう理屈をつけたってつらい。頭で割り切れない感情があるってことが初めて実感としてわかった。。。

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2012年08月22日

Posted by ブクログ

人のことが好きなようでいて嫌いなことが気がかりで人のことが嫌いなようでいてやっぱり好きなのかなあとかフラフラしていたので読んでみた。それに今日はコイツ嫌いだなあって思ってたんだけど次の日になったらなあんだやっぱ気のせいかあみたいなことがよくあったので読んだ。けっか。やっぱりそのヘンはあいまいにしておきたいと思ってしまった。それと。自分に期待せず他人にも期待しないでおこうとも思った。

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2011年09月15日

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