中島義道のレビュー一覧
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これまで本を読んでほぉほぉと納得して読むことはあったが、この本は読んでいて「やっぱりそう思うよねぇ」と共感した箇所が多かった。哲学的な話については、あまり私に教養がないのでよく理解できなかったが、普段のものの感じ方などがあまりにも私と似ていて驚いた。哲学に興味をもつのがもっと早くて、大学で哲学を専攻していたらなぁ…と妄想しないでもないが、後悔はしていない。この本を読んでいなければ、そもそもそんな考えに至らなかっただろうし、この本を読んだことで哲を今後の人生の趣味にできれば、と思えたのは収穫だった。
私には後悔する過去も、あるべき未来もなく、ただ“今”しかないのでR。 -
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初めての「哲学」の本だったが、予想以上にのめりこめた。哲学は、おもしろい反面「深入りは危険」という狂気を孕んだ領域だということが少しながら感じた。
本書では、死とは、存在とは、言語とは、心とは・・・etcという哲学の命題を著者の経験を踏まえながら伝えているし、多くの示唆を与えてはくれるが、いかんせん難しい。内容はもちろんだが、哲学独特の表現は慣れないと読んでいくのはしんどい(自分だけかもしれないが)。
しかしながら、教科書と銘打っているだけあって、思想と哲学の違いや哲学研究者と哲学の違いなど興味深いテーマでひきつけてくれた。
巻末には引用文献やオススメ本なども載っており入門書としては十分だと思 -
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もはや常識となった「空気を読む」という行為を始め、人間関係や社会現象などを「対話(対立)」という視点から見て書かれた本。
本書を通して、「もっと対話をすべきだ」と言われているように感じた。
「対話」の定義を、「自分の意見を主張することで人と対立した場合に会話によってお互いの意見を理解しようとする行為」としたとき、文面だと穏やかに見えるけれど、実際に遭遇すると口角泡を飛ばすイメージになってしまう。
異なる意見の人に自分の意見を分かってもらおうとして、でもわかってもらえないと感情的になることが予想される。対話の相手が、もう何をやっても壊れない関係ならそんな対話もできると思うが、そうでない間柄の人 -
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テーマについて言えば、村上春樹の『海辺のカフカ』と全く同じ。そして、結論的に不幸そのものを受容する決断を下して生きる選択をする点も共通している。ディテールが全く異なるのは当然だが、内容的な差異を指摘するなら、村上春樹が究極的に不幸を受容していくカフカ少年をわざと僅かながらの希望をもたせる様な描写をし、奇妙というより姑息というべきレトリックを用いた(僕自身はこういう書き方をしたところに春樹の人間に対する諦念が表れていると思うが、多くの読者に誤解をされかねない)のに対し、中島義道は飽くまで不幸というものに誠実に向き合ったという点に尽きると思う。ここまで誠実に不幸を直視し、それをわかりやすい言葉で、
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本の中身に100%同意したとか、完全に理解できたとかそういうのではない。
中島義道がこの中で述べている「哲学病」、ないし死に対する感覚に大変共感したのだ。
共感というのもちょっと違っていて、少し傲慢な言い方をすれば「同じ事考えてた(る)」というところか。
厳密に言えば同じではないだろうし、自分は中島義道と違って、それなりにコミュニケーションもとれるし、人間関係の構築に未練あるし、生きにくさは今はあまり感じていない。感じてないことにしてるのかもしれない。
ただ、この「死」というものへの「恐怖」、「哲学」「哲学研究」の差異など、節々に納得同意してしまうことが多く、もっと著作を読みたいと思った。
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なぜ、私はこの世に自分の意志ではなく生まれさせられ、
苦しみあえいで生きねばならず、
そしてじきに死んでしまわねばならないのか、
しかもほとんど何もわからないままに。
10年ほど前に高速道路で交通事故に遭ったことがある。
自分のクルマは全壊。
しかし、自分はヒザをほんのちょっと打撲しただけで奇跡的に助かった。
もし、あのときクルマから脱出する前に、
トラックやバスのような大きな車両が自分のクルマに突っ込んできたら、
即死だったはずだ。
精神的にズタズタにされ、苦しみながら、なぜか今日も生きている。
もし、あのとき死んでいたら、今日の苦しみは味わずに済んだ?
果たして、どっちが自分にとって -
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コミュニケーションの典型かつ第一歩は対話である。
しかし日本は、公の場で特定個人を評価あるいは非難することがはばかられる(優しい構造=和の精神)社会であるので対話が成り立ちにくい社会である。一人一人の間の格差が大きければ大きいほど対話によるコミュニケーションは成立しにくくなる。だが、そんな今こそ対話の難しさを再認識するとともに、それにとらわれずに対話を行っていくことが大切である。
なぜなら、対話をすることが、即、「よく生きる」ことにつながるからである。
思えば、プラトンの書いた著作集は全て対話から成り立っていた。
(以下略、中村雄治郎『問題群』に譲る)
【標語と言霊思想】
古来より日本の文 -
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本書は、著者である中島義道氏が、その繊細さ故に人生に悩み苦しみ死にたいとさえ思ったT君という若者に向けて語られる手紙のような内容である。内容を読んで自分自身のことを言われているようで心が痛くなった。半分うつっぽくなった。中島義道という中毒にかかったような感じがした。この本から汲み取れたことは次の二つ。一つ目は自分自身について。一度きりの人生なんだから、自分に正直に、自分らしく生きたいと思った。世間はそれを認めないだろうけど、自分のやりたいことを我慢して、自分を殺して人生を過ごすなんて、なんのために生きてるのかわからないじゃないか。二つ目は他人について。普段から無駄に粗野、粗暴にふるまって他人に