死にたい人のほとんどは、心の底では生きたいと思ってる。
死ぬほど追い詰められたのは気の毒だ。でも、死にたい人の態度が文句なしに正しいわけではない。
死にたいところまで追い詰められている人が、模範的な態度をとることを拒否したからって、非難する理由になるか?
自由は自由によって制限を受けなくてはならな
...続きを読むい。
私たちは社会的な動物だから。
どんなに考えをつきつめていっても、結局は「なぜだかわからないけれど」へ行きつく。それが信念だ。数学の公理と同じ。それ以上さかのぼれない取り決め。
善意の嘘、相手を喜ばせるための、自分を守るための嘘。
そんな嘘をついてもいいのか、自分の気持ちをしっかり見つめること。
カントは、人の命より真理が大切だという。「道徳的に良い」ことは普遍性を持っていなくてはならない。カントはこう考えた。
ぼんやりとしかわかっていないことを正確な言葉で考えなおしてみるのはおもしろい。
本当の事から目をそらしている人生はつまらない。
完全に無になるとはどのようなものだろう。
哲学は自己欺瞞を許さない。何よりも本当のことを知りたいという要求だから。でもたいていの人は、本当の事なんか知りたくない。もし本当のことを知って不幸になるなら、本当の事なんか知りたくない。
なぜ、人に親切にしなくてはならないの?
なぜなら、私たちは社会的な動物だからだ。でも、人に親切にするのは義務ではない。そうした方がいいことではあるけれど、そうしなくちゃならないことではない。
親切に振舞う余裕を持っているなら、そうした方が、自分や周りの人が生きやすくなる。
人に親切にする時だって、重要なのは動機だとカントは考える。
「立派」な行為が間接的に強制される社会は恐ろしい。
誠実は真実の一種。自分が思っている通りのこと、感じている通りのことを、そのまま思い、感じることを誠実という。
哲学真理とは、どうしてもわからないことを、なぜわからないのか、しっかり言葉で説明すること。
誠実であろうとすればするほど、どうしたらいいのかわからなくなるのが現実だ。
すべてを完全に正確に捉えるのは無理だ。どうやったってわからないものはわからないのだから、自分が絶対に正しいと思ってはいけない。
カントによると、学ばない人生は生きる価値がない。
真理はすべての人の思い込みを超えている。
「世の中には、毎日が苦しくて地獄の中をさまよっているような人がいる。そういう人は、「なぜだ?なぜだ?」と考えざるをえない。」 p.120
人生は虚しく馬鹿げている。私たちはなぜ生きるのだろう?この答えのない問いを身体全体で考えて生きている。
人生に意味も価値もない。私の存在に意味も価値もない。
でも、愛だけが与えてくれる価値を信じたい。
人生は実際には生きてみなければどうなるかわからない。
そしてみんな確実に死ぬ。
考えない人はなぜ人間として生まれてきた?と思っていたけど、カント的にはもっともな考えなのかも。
でも、優生思想につながりかねない考えでもあると思う。
自分に厳しく他人に親切にすると、生きやすくなる。
そうなのかな?