あらすじ
ニーチェの「善人批判論」をテキストに、現代社会にはびこる「善人」たちの暴力性を暴く。自らの弱さを武器に、権利を過度に要求し、偽善、欺瞞、嘘をまきちらし、それに気づかない人々。ニーチェの本質が明らかに。
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Posted by ブクログ
善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学。中島 義道先生の著書。現代社会にはびこる善人たち。善人たちほど暴力性を秘めていて善人たちほど偽善、欺瞞、嘘のかたまりの悪人。善人と思っていた人が暴力、偽善、欺瞞、嘘のかたまりの悪人だとしたら絶望感におそわれる。善人ほど悪い奴はいない。胸に突き刺さる言葉。自分が善人であると思っていたとしたらそれはただの自信過剰な妄想にすぎなくて暴力、偽善、欺瞞、嘘のかたまりの悪人なのかもしれない。
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ニーチェを勉強中でこの本に出会った。善人がなぜ悪捉えるのか読んでてなるほどと思った。
筆者がものすごい勢いでズバズバ切り捨るのは爽快でもあり恐怖でもある。
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善人が必ずしも”悪”であるとは思わないが、弱者に関する記述で、私が人に対して違和感を感じる部分の正体を完全に文章化してあってものすごくすっきりした
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ニーチェの思想を人間学を通して理解でき、有意な読書行為であった。
「弱者」となり、被害者を装い怠惰な生活を送るよりは、他者の批判を恐れず戦いの人生を過ごしたい。
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前半から中盤にかけては、善人の持つ善性とされる諸価値に対し、「ニーチェが今生きていたとしたらどう糾弾するか」、といった勢いで、鋭く追及します。
やがて、後半部分でニーチェ自身の生涯にも触れ、いかに苦しみながら生きてきたかを示されることで、彼の思想は、人々の価値転倒に対する慧眼であったとともに、彼自身の救いの言葉として遺されていったものなのかもしれない、と感じました。
この書全体として、強さや弱さなど価値に対する人々のありよう(創り、捻じ曲げ、流布させる)を考えさせられました。単純に答えの出ないものだと強く思いました。
Posted by ブクログ
うん、これは掛け値なしに面白かった。自身は善人(弱者≒大衆≒畜群)にならならいように努力している状態だと思いたいが、そうとも言い切れないものを抱えているのも自覚...。ただ、自身の弱さを正当化し、他者に対して暴力的な発言はしないでいたい。
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ニーチェの思想と照らし合わせながら、自分の弱さを認識しながらも、その弱さを正当化する欺瞞、偽善を武器にして、頑張って戦う強者批判する現代の「善人」を、「弱者」として批判する。
中島さんの本はクセが強すぎてどちらかというと苦手だったのですが、本書にはかなり共感できました。
本書のキモは、そんな「善人」を批判する人(読者)も実は欺瞞に満ちている「善人」だという指摘です。世の中どこでも偽善者だらけ、といわれると切なくはなりますが、まあそういう見方はあるんだろうな、と。
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中島義道流ニーチェの読み方。特に「善人=弱者」に対する考察。
「弱者」は「仰向けになるイヌ」であり「加害者」であり「権力と権威を愛す」のであり「安全」を求め「善意の嘘」をつき「群れ」「(弱者にとっての)公正・平等」を求め「エゴイズム」を嫌い、そして「同情して傲る」のである。ニーチェは「超人」ではなく、そう生きられなかった柔和で、品行方正で、臆病で、弱気で、善良で、卑劣で、素直である「反対物」。
「2ちゃんねる云々」のくだりは、そういった「叫び」を「自分の都合の良い解釈」として畜群を罵る状況をかぶせた説明。
Posted by ブクログ
善人…努力も規則を破ることもしない普通の人
悪人…村八分にされようとも犯罪をする勇気のある人
エリート…努力し結果をだした人
善人は耳障りのいい言葉(平等、環境保護など)を掲げ数によって主張をする。
善人は一人では良い人だが数が集まると厚かましくなる。
善人がいじめを見て見ぬ振りをするのは善人の善は道徳から来ているものではなく自己保身のためのものだから。
自己の安全が保障されている所では善人はとても親切である。
怠惰は重罪であると知れて良かった。
将来、貧困になった際に社会を恨むのではなく貧困から抜け出す努力をしたいです。
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2012年の一冊目。昨年のダメージを引きずったまま、ツァラトゥウトゥラ→中島義道のコースの終着点。
義道くんに言わせると、ニーチェは「ださく、かっこ悪い」そうだが、本書を読むとまぁその感覚がよく伝わってくる。徹底的に善人を叩きのめし、超人への愛を説くニーチェその人は超人などには到底至れず、まさしく弱さを抱えんでんでいたであろうからだ。ご指摘のとおり、弱者の醜悪さを叩きのめすには、その弱さを自分の中に見つけていることが出発点になる。そういう意味で読み直すと、ニーチェの主張は強がりの空元気に思えてくる。しかも、その繊細でない大雑把な感覚が、義道くんをして上のように感じさしめるのであろう。その批判は甘んじて受け入れた上でやはり、僕はニーチェが好きである。どうしようもないまでの強がりがとてつもなく人間くさいから。
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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の理解を深めるためにニーチェ関連の著書を読もうと手にとった一冊。本文でも倫理に触れられていて、読んで損はなかった。
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例え私の生きる態度として悪しか成し得ないとしても,少なくともその「悪をしか成し得ない自分」に自覚的でありたいと思う.悪を成しつつ自分は善人だと頭から信じて疑わないのが「善人ほど悪い奴はいない」最大の理由とも言えるのだから.
Posted by ブクログ
とにかく「善人=弱者である」というニーチェ哲学の根本にある思想を深掘りした一冊。
ニーチェ自身が自己に対する鬱屈した感情を抱いていたのではないか、という著者の考えには同意。
内容からして、読んでいて気持ちのよい本ではないので読む人を選ぶ本。しかし、こういった本でしか得られないものもありニーチェ好きな人こそ手にとってほしい気はする。
Posted by ブクログ
タイトルにつられて読んだがなかなか面白かった。
善人(というより弱者、大衆)に対して批判的な意見があんまり受け入れられている印象なくて個人的に疑問に思ってたところをドンピシャで突かれた。
著者の主張と自分の意見が異なる部分ももちろんあったが概ね理解できる内容であった。
ニーチェについてはよく知らなかったが本書で紹介されている限りでは面白そうな主張をしているなと感じた。
自分自身は本書で描かれている善人な部分も持ち合わせているのでそれに甘えないように気をつけなければいけないと再度確認できた。
強者になりたいともなりたくないとも思う複雑な気持ちである。
Posted by ブクログ
ニーチェの批判した「蓄群」を、著者が批判し続ける鈍感な「善人」に重ねあわせるとともに、「蓄群」批判をくり返すニーチェその人の心性を、自尊心を肥大させた現代の若者たちのそれと二重写しにしています。
いわばニーチェの人と思想を、現代の状況に引き寄せているわけで、そうした解釈がどの程度妥当なのか、わたくし自身には判断がつきませんが、ニーチェの批判する「善人」について具体的なイメージをもつことができるようになったのは収穫でした。
また、執拗なまでに「蓄群」批判をつづけるニーチェそのひとの「弱さ」を言い当てているところには、著者特有の鋭さが発揮されています。いつものことながら、著者が自分自身と読者の双方に刃を突き立てるようにして考察を展開していくのに、不愉快さを覚えつつも引きつけられてしまいます。
Posted by ブクログ
ニーチェのアンチクリスト論に感銘を受けたため、とりあえず手に取った1冊。
一般人の普通感覚における見せかけ上の道徳に秘められたラク・トクを求めているだけの卑劣な本性を暴き出しているため、読後は世の中が曲がって見える。
以下要約
・善人とは自分が弱いことを認めているが、そのことに対して責任も取らず、努力もせず、更には弱いから害を与えていない、弱いから悪くない、弱いからこそ思いやられるべきだと弱者の権利を主張し、ラク・トクを自分以外の強者(才能のある人間、お金のある人間、社会的に立場が上の人間)から与えられることを望み、それが叶えられずに自分のラク・トクが侵害されるど目の色を変えて自分と違う立場の人間(強者、犯罪者、マイノリティなど)を処刑しようとする善良にして醜悪なる小市民のこと
・善人の求めることは(自分と自分の身の回りの人々の)安全であり、それが謙虚で慎ましやかで道徳的なことと洗脳されている。そしてそれが(国家、社会、政治家などの強者によって)守られている(ラクでトクな)範疇であれば善良な振る舞いを演じるが、それが脅かされた途端自分のことは完全に棚上げして国家、社会、政治家などの強者、または安全を脅かす他人(犯罪者)を「嘲笑し、足蹴にし、罵倒し、追放する」
(2ちゃんねるで政治家や有名人を叩いている人々が例にあげられている。「匿名のまま、自分は安全なところにいて、ありとあらゆる有名人を、犯罪被疑者を、定式通り裁くことは、最も頭の悪い人間にもたやすくできることである」「匿名で他人を貶めることに夢中になっている行為を誇っているわけがない。いや、恥じているに違いない。そういう精神の未発達を丸出しにする”きわめて劣悪な中学生”並みの行為をあえてするものは、身体の芯まで恥じて当然なのだ」「彼らは、もっと大らかな仕方で他人を攻撃すればいいのに、「嫉妬と憎悪」の塊であることがすぐにわかる形でしか書き込みができず、それだけの知能と判断力しか持ち合わせていない」各個家庭板で泥ママにDQN返しして我こそは正義と快哉をあげている既婚女性たちもこの部類であろう…)
・善人は自分のラク・トクが確保される範疇において老人にも身体障害者にも優しいが、犯罪者やいじめられっこ、企業や政治家には優しくしない。善人の優しさは時と場合によって使い分けられる嘘でしかない。自分の安全を確保するために人から反感を買うことはいっさい口にしないよう気を配っている。
・善人は弱く、人に立ち向かう勇気も思想もないため群をなし(畜群)、善良な弱者が守られる思いやりのある社会を作るべきだという道徳観で社会を支配しようとする。そしてその群からはみ出たものを「嘲笑し、足蹴にし、罵倒し、追放する」ことで自分たちのラク・トクを守ろうとし、その卑劣な態度からいっさい目を逸らし、自分は善良であると思いこんでいる。