あらすじ
「相手の気持ちを考えろよ! 人間はひとりで生きてるんじゃない。こんな大事なことは、おまえのためを思って言ってるんだ。依怙地にならないで素直になれよ。相手に一度頭を下げれば済むじゃないか! 弁解するな。おまえが言い訳すると、みんなが厭な気分になるぞ」。こんなもっともらしい言葉をのたまう大人が、吐気がするほど嫌いだ! 精神のマイノリティに放つ反日本人論。
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Posted by ブクログ
非常に痛快でした。常識的・世間的な人たちが吐く偽善ワードをこれでもかとぶった斬る。切れ味は抜群です。おそらく筆者が一番嫌いな言葉が「お前のためを思って言ってるんだぞ」じゃないかな。身近にもいますけど、こんなセリフよく言えますよね。その鈍感さに寒気がします。
マイノリティー(少数派)の思想は一切認めないという、常識人の残酷さを指摘している貴重な本。たぶんマイノリティー派の私としては、中島氏の著作は今後も読んでいきたいと思わせる内容でした。
Posted by ブクログ
当たり前に言われている言葉を痛烈に批判する。天邪鬼と思ってしまう部分にもなるほどと思い、とても面白かった。自分の常識のおしつけが、嫌いな言葉につながってるんだと思った。
バッサリ多数派をきっているのが爽快だ。
かなりのクレーマーであるだろう
Posted by ブクログ
彼の著作を初めて読んだのがこれ。
よくぞ言ってくれた!!って衝撃が強くて色々考えちゃった。私もモヤモヤ感じていたことが明らかになった感じ。
表立って言いにくいというか、タブーまではいかないある種のタブーかもね。
・・・・なんか。小学生の私に読ませたい。(笑)
感受性は皆違うのに…相手も自分と同じ感受性・価値観って前提の押し付け。正直疲れることない?w
例をw
・相手の気持ちを考えろよ
→同じ条件・状況でも『感じ方』は様々。
例えば子どもが騒いでいるのを見ても『可愛いなぁ』『煩いガキだ』『あの子好みだ〜襲っちゃおうかなグヘヘ』みたいに人により感じ方は違うはず。(なんて微妙な喩えなんだ笑)
人はみな感受性は違うんだから、相手の『気持ち』を『わかる』ことなんてない。簡単に『相手の気持ちを考えろ』なんていう人は、自分は他人の気持ちを分かっているつもりでいるのが怖いよね。
いくら考えても他人の気持ちなんて完全にはわからない。
だからわからないことが大前提で、それでも『わかる』状態に少しでも近づくために言葉があるんじゃないかな?
まぁ言葉を駆使しても、理屈はわかっても感性って完全には分かりあえないし、そもそも『分かろう』とするもんでもないけどねー。
・もっと素直になれよ
→素直とは本人が決めるのではなく、周りが決めている。
これ納得!!
例『彼氏いなくて寂しくない?』
『いえ、仕事に必死でそれどころじゃないんで。』
『そういう忙しいときこそ寂しくない?素直に言いなよ』
そう!『素直』とは社会通念上(笑)想定されている気持ちが『素直』。その人個人のありのままの気持ちが『素直』とは限らない。
似たようなことで、小学校の読書感想文なんかで「思ったとおりに書けばいいんだよ」って言われるけど。
本当に自分が「思ったとおり」に書くのではなくて、教師側の想定内の範囲で「思った」ことを「選んで」書くものなんだな、身をもって感じた。
・「一度頭を下げればすむことじゃないか」
上の「素直」と関連することだけども!!自分の非を認めているか否かは関係ない。丸くおさめるためにすぐに謝れる人が「素直」で、自分は悪くねぇ!と「自分の心に忠実に」謝らない人は「素直じゃない」とされる。あ、どっちがいい悪い抜きねw
にしても小学校の頃から・・・・よく言われたなw
・弁解するな
→相手の話を聞く気ないよね。決めつけだし、相手を『理解』しようともしないよね。
小さい頃からこの言葉が本当に嫌いで嫌いで仕方なかった。
私は先生に怒られて『素直』に謝る子じゃなくて、自分が納得いかない!って感じたら立場が不利になろうとも徹底的に食い下がった(笑)
いや、自分が悪けりゃすぐに謝るけどさ(笑)
これはより正確な状況を伝えたがっている相手を、無理やり抑えこんでるよね。
言葉の中の暴力?(言い過ぎか)
言い訳って思っても一応聞いて、それからおかしいと思ったなら、理論整然と反論すればいいと思う。
これこれこういうところがおかしいんだよ、って具体的に。
頭ごなしに「言い訳するな!」って状況も知らないくせに!!って反発するし、死んでもあやまらねぇぞ!って思うねー。
つべこべ言うなって言われると、理屈で返せないんでしょwって言い返したくなることもあるし・・・笑
そんなことを私は小学校低学年から考えていました。
当然『理屈っぽい子』のレッテルを貼られました。笑
理不尽なことを上手く言葉に表したいって想いは、思えば小学生の頃から持っていたんだよね。
書きたいことがまだまだまだまだあるー。
Posted by ブクログ
世間でよく聞くが内容がよく吟味されていない、半ば欺瞞的な言葉を分析する本。
著者の中島義道氏がこうした分析を行う理由は「いつでも生き生きとした自分固有の感受性を保っていたいから」であり、「定型的な干からびた感受性に収まって安心したくないから」だそうである。
特徴としては、彼の嫌いな10の言葉の持つ意図や暴力性あるいは傲慢さを、著者の体験と鋭敏な言語感覚を元に議論を展開しているところ。
嫌いな言葉を見つめるとつい、感情的になってしまうが、著者はアカデミックな立場に身を置いていたことがあるおかげだろうか、嫌いな言葉を論理的な思考によって考える立場を放棄していない。なので、彼の主張には納得してしまうことも多々あるのだ。(偏屈なのは変わりないが!)
彼の嫌いな言葉には、ある程度の共通の要素が存在する。すなわち、
・発話される意味と期待される意味の齟齬に関する欺瞞
・自己批判精神を抑圧させる態度
・暗黙に了解されている暴力的な前提
などである。
この本はこれら共通の要素を知ることよりも、著者の生々しい具体的な話に価値があるので、多くは述べないが、一つ例を紹介するなら「お前のためを思って言ってるんだぞ!」である。
この言葉の欺瞞性は、この後に「後で泣き言を言っても知らないぞ」などの“脅迫的台詞”が発せられるのに、「お前が“心配”だ」と言う精神であると著者は考えている。
こんな痛烈な批判を行い最後にこう締めくくる。「たとえ後で振り返り、言われたことに感謝しても、このセリフに感謝することはないだろう」と。
これには思わず笑ってしまった。
本書を読めば何かしら得ることができる。それは、この本が毒か薬にしかならないからだ。しかし、仮に毒であっても、これくらいの毒をプラスにできなきゃやってけないので、恐れずに中島ワールドへ入場するといいと思う。
Posted by ブクログ
孤高の哲学者である著者が、様々な日本人的思考、言動を斬って斬って斬りまくる。ああ、こんなこと言っていいんだ、考えていていいんだと、全体的にはスッキリ。
解説でも触れられているが、「「お食事どうなさってます?」と聞く人は「セックスどうなさってます?」と聞けないものだから、こう聞くのではないか。私はいつもそう聞く人はじつはこう聞きたいのだと「改釈(Uminter-pretation)」しております。」は論理的でなく、もう妄想に近い穿った見方だが、笑ってしまった。
自身の傲慢さを振り返ることができる一冊。
Posted by ブクログ
中島は「笑い」(P110-115)と「無礼講タイプの会話空間」(P215-217)について、個人の発する言葉をなぎ倒すものだと指摘しているがこれに強く共感した。
言葉による訴えに取り合わず、笑って取り繕う。過ぎ去るのを待つべき嵐としてしかそこにある言葉を扱わない。笑みで躱す。たしかに、笑みは意思伝達や疎通で大きな位置を占めるものではあるが、言葉を受け取らないために使われる場合はあちらこちらで見受けられる。
「無礼講タイプの会話空間」、こちらには特にときおりときおり息苦しさを感じる身であるから共感も一入。そこではこちらの「本音」は勝手に決められる。真剣に語ってはいけない、茶化しに参加せねばならない、希薄でなくてはならない、弱みを見せねばならない、そうした空間だ。「弱み」の内容も俗人的でなくてはならない。紋切型にならねばならない空間なのだ。文化的なものは好きだが、感受性や内面を紋切型に矯正しようとする世間の在り方の大きな一面に当てられすぎるのはごめんだ。
ウィーンの地下鉄の話が面白かった。
人に薦めない好きな本。
Posted by ブクログ
★ 言葉の裏側にある「傲慢さ」にムカつくんだよなぁ~
出勤前にTVニュースを見聞きしながらコーヒー飲みながら
身支度しているとあれ?
常日頃、自分が思っていることをズバリと
的を得て言っているおじさんが出演ていた。
「もっと素直になれよ!」って言葉を使う人は、
なにをもって素直になれと言っているんだろう・・・
そういうテーマを語るおじさんは哲学者の中島義道だった。
あたしも過去に上司から言われた事がある。
”依怙地にならないで素直になれよ、
おまえのためを思って言ってるんだ!”な~んて一見、
親身でいい人っぽいセリフだが、
あたしから言わせれば傲慢だ!と思っていたので
たまたま知った中島義道のこの本に興味深々。
このおじさん只者ではないなぁ~・・・
そりゃそうだ哲学者だったんだ。
なかなか面白い
Posted by ブクログ
自分が思うことを素直に表現しにくい社会で、特異なアイデンティティは排除され、また非常識とみなされる。さらにひどい場合は「配慮を欠いた発言」などと非難される。そんな社会でも、自分のアイデンティティを保つべきと教わる本。
もちろん、著者の価値観に完全同意するわけではないが、自分の表現方法や他人への真の配慮を考えさせられる。
Posted by ブクログ
【本の内容】
「相手の気持ちを考えろよ!
人間はひとりで生きてるんじゃない。
こんな大事なことは、おまえのためを思って言ってるんだ。
依怙地にならないで素直になれよ。
相手に一度頭を下げれば済むじゃないか!
弁解するな。
おまえが言い訳すると、みんなが厭な気分になるぞ」。
こんなもっともらしい言葉をのたまう大人が、吐気がするほど嫌いだ!
精神のマイノリティに放つ反日本人論。
[ 目次 ]
1 相手の気持ちを考えろよ!
2 ひとりで生きてるんじゃないからな!
3 おまえのためを思って言ってるんだぞ!
4 もっと素直になれよ!
5 一度頭を下げれば済むことじゃないか!
6 謝れよ!
7 弁解するな!
8 胸に手をあててよく考えてみろ!
9 みんなが厭な気分になるじゃないか!
10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
[ POP ]
『孤独について』を読んで以来、怒れる哲学者(イカれた哲学者ではない)中島さんのエッセイのファンになった。
中島さんは押しつけがましい「共同体」を嫌う。
言葉がまともに通用しない「世間」や「集団主義」を断固拒否する。
「私ははっきり語ること、それを文字通り信じることに(大げさに言えば)命を懸けたいのです」。
本書に出てくるこの言葉は、かつて『哲学の教科書』で示された哲学の定義──「あくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み」──にぴったりと重なり合っている。
つまり、哲学的問題と格闘することは、人生に対する態度の変更・決定の試みにほかならないということだ。(でも、こんな生き方は疲れるだろうし、周囲の人間はたまったものじゃないだろうな。)
本書には、中野翠さんや塩野七生さんへの、まるで女神を敬うような純情なまでの賞讃の言葉や、含羞の人(?)中島義道の言い淀みがいっぱい出てきて、とてもいい。
宮崎哲弥さんの「解説」もいい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
相当に捻くれている人の至言。
各々の言葉を嫌悪する裏には確固たるロジックが存在している。
当たり前の、紋切り型の言葉に潜む自己批判精神、想定力の欠如を批判している。
ご多分に漏れず、私もひねくれ者なので、大いに共感出来た。
正しい自己批判、客観性の重要性を再認識出来た。
Posted by ブクログ
一言でいえば、「愉快」だった。
中島氏の本は、好き嫌いがはっきり別れると思う。
というのも、きっと彼の本が、
他のフィクション小説・なんらかのテーマにそって学術的な知見をまとめ、それをふまえて最終的に自身の知見をくわえる、といった本にくらべて、
圧倒的に、作者自身の「我」が全面に感じられる本だからだ。
彼の主張に賛同する、しない。
共感する、しない。
・・・なんて分かれ道の前段階に、
まず彼の「我」が、生理的に好きか嫌いか。
みたいな、分かれ道がある気がする。
人に、安易にすすめられる本じゃない。
というか、これほどすすめにくい本はない。
私は、好きだ。
正しいと思う、良いと思う、というよりも、(そう思うところは個人的に多々あるが)好ましく思う、という方がしっくりくる。
人を、都合よく分類して
◯◯派だとか、◯◯なタイプだとか、
あっち側だとかこっち側だとか、
それだけをもって、すっきりさせるのは、
安易すぎるかなあ、という気がするが、
これを読むと、
つい、そうゆうことを考えずにはいられない。
彼の本を、愉快に思う。
私は、”そうゆうタイプ”なのだろう。
Posted by ブクログ
個人の言語を徹底的につぶす日本文化、よく使われる正しいとされる言葉。
それを言われたら、ほとんど思考停止になっていたんだということ、なんとなく感じていたことをきっちり言葉で表現する、できるということがすごいと思いました。
Posted by ブクログ
自分が日常の中で感じている「居心地の悪さ」の理由に気づかされる。
「阿吽の呼吸」「みんな」「共通認識」言わずもがなとして一般的に共有しているであろうもので括られた集団の中で「場を乱さずに」いる事を強いることの暴力性の恐ろしさ。言いたい事を言わない事の美徳を共有させられるグロテスクな事と言ったら!
生きる事はなぜこうも不自由で居心地が悪いのか。そこから抜け出すヒントをたくさんもらった。
Posted by ブクログ
最初数ページで、なぜこんな本を読んでいるのだろうと思った。なぜこんな細かいことをうじうじ書いているのだろうと。でもだんだんそれが面白くなってきてしまった。最後の章はまじめに書かれている気がして、意外にもためになった。
Posted by ブクログ
「ひとりで生きているんじゃないから、つまりひとりで生きる事が許されないから、私は凄まじい苦労をしてきたのです」感情の部分についてはともかく、書かれている理屈の多くは納得のいくものだった。それだけに気が重くなる。生きるのは大変です。
Posted by ブクログ
歯に衣着せぬタイプの口の悪い人が好きな私は、この本を読んで本当に気分爽快になったのだけど、人によっては不快になるだろうなぁ、と思える「日本人が好きな言葉」徹底批判本です。「相手の気持ちを考えろよ!」
「ひとりで生きているんじゃないからな!」
「おまえのためを思って言っているんだぞ!」
「もっと素直になれよ!」
「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」
「謝れよ!」
「弁解するな!」
「胸に手をあててよく考えてみろ!」
「みんなが厭な気分になるじゃないか!」
「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」
著者がなぜ、この10の言葉が虫酸が走るほど嫌いなのかを追求しているのですが、暴走しているように見えてしっかり問題の核心を突いているところがすごいと思います。ただ、痛いところを突かれた人はたぶん逆上するのでは…とは思いますが…(汗)
Posted by ブクログ
著者が嫌いな言葉。
1.相手の気持ちを考えろよ!
2.ひとりで生きているんじゃないからな!
3.おまえのためを思って言ってるんだぞ!
4.もっと素直になれよ!
などなど。
これら頻出の言葉によって振るわれる同調圧力・形式主義・傲慢といった暴力を非難する。
お題目のように欺瞞を語り続け本当に本音をぶつけ合うことは無作法とされることなども繰り返し具体的に指摘し、抗議する。そういう本です。
自分もこういう言葉とその意図が大嫌いで、常々困っているので、この本をたくさんの人に読んでもらいたい……と思った。わかりやすくどのへんが暴力なのか述べられている。
ただし筆者は自らの意見を持って闘うあまり、攻撃的になるすぎの面もあるかと思った。それも他人に対する押し付けになってしまう。
また、日本人特有、日本文化であるとしているけど、個人主義の国でもこれはあるよね
という部分もある。個人主義の国でも空気読むことはありますよね もちろん。
Posted by ブクログ
「相手の気持ちを考えろよ!」「ひとりで生きているんじゃないからな!」「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」「もっと素直になれよ!」「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」「謝れよ!」「弁解するな!」「胸に手をあててよく考えてみろ!」「みんなが厭な気分になるじゃないか!」「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」。
こうしたもっともらしい10個の言葉を吐く人びとの背後に、著者はマジョリティに立つ者のマイノリティに対する粗野で傲慢な精神を嗅ぎつけ、告発します。あらためて指摘されるとまったく著者のいうとおりなのですが、世のなかってそんなものでしょう、と思ってだれもが問題にすることなくやりすごしてしまうようなことに、徹底して批判を加えていきます。正直なところいささか辟易させられるのですが、著者のどこまでも真っ当な議論には敬服せざるを得ません。
Posted by ブクログ
20180223 凄い本。誰にも媚びない、方向を示してもくれない。自分がまさに嫌いな言葉の中に生きていて感じている違和感に付いて答えが出てきたような気がしている。ぶれてないか後何冊かは読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
なかなか痛快。
特に「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」は私も大嫌いな言葉です。
それはイコール「俺様の言いなりになれ!」だと思うので。
でも全編読み終わると「この人(著者)もこれだけ捻くれてたら生きづらいだろうなぁ……」としみじみしてしまいました。
その分、共感したんですが。
Posted by ブクログ
○○だから××。
○○が問題なのではなく、××が問題なのではなく、「だから」で答えを導きだそうとしていることが問題なのです。
そこに、傲慢と無神経が含まれていると。
あと、以下は印象に残った言葉。
「わかってもらえない」苦しみは、人間の苦しみのうちで一等級のもの
言葉を何のために使うのか考えさせられた。
Posted by ブクログ
「私の嫌いな10のひとびと」の後にこちらの「私の嫌いな10の言葉」を読みました。
わたしにとっては2冊目だったので前者ほどの新鮮さや刺激や爽快感はなかったものの、中島節は健在(というか出版はこちらが先ですね)。
1.相手の気持ちを考えろよ!
2.ひとりで生きているんじゃないからな!
3.おまえのためを思って言っているんだぞ!
4.もっと素直になれよ!
5.一度頭を下げれば済むことじゃないか!
6.謝れよ!
7.弁解するな!
8.胸に手をあててよく考えてみろ!
9.みんなが厭な気分になるじゃないか!
10.自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
言葉が「暴力」になるときとは、自分で発した言葉に責任を持てずにただ「投げて」しまったときではないでしょうか。
こちらの著書で挙げられている10の言葉は、受け売りで使われることも多い言葉だと思います。
自分で考えずに目の前に転がっている言葉をただ拾って投げただけ。
言葉への違和感ってそういうところから始まって、同じことを言っていてもいう人によって綺麗事に聞こえたり、説得力がなかったりします。
ここで挙がってる10の言葉は、特に、裏付けもないまま発してはいけない言葉であると思います。
たまに反射的にこれらの言葉を発してしまいそうなとき、一旦飲み込んで考える必要がある、そう感じました。
Posted by ブクログ
面白い。けど、『私の嫌いな10の人々』には負けるな!
言いたいことはよーーーくわかるし、共感もするけど、そのようには生きれない弱いわたし(笑)
Posted by ブクログ
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無念の拳を振り上げながら、彼はまた新たに言葉を押しつぶすことを学んだのです。彼は「こんなことってあるものか!」と叫ぶでしょう。しかし、その彼が銃数年後、同じようにして他人(部下)から言葉を暴力的に奪わないとは限りません。37
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多くの女性は「この人、私がいなければ何もできないの」と思い込みたいのでしょうが、それは夫を恋人を人間としてひとり立ちさせたくないから。精神のてん足をして、ひとり占めしたいからです。こんなことをしていると、いつかツケは自分に回ってくる。120
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この国ではすべてが定型化する。このことはどんなに強調してもしすぎることはない。私がここで強調したいことは、とくにわれわれが何か「運動」を始めるや否や、すぐに標語を募集し、看板を立て、垂れ幕・横断幕を掲げ、スピーカーでがなりたてる、というかたちをとること。何ごとにせよ、みんなで一斉に掛け声を発して実現しようとすること。147
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すべてが定型的になっているので、一度こうと決めたらよっぽどのことがないかぎり変えようとしない。そして、誰もそれに疑問をもつこともない。すべての人為現象が、自然現象のようにまさに変えられないようなものとして見えてしまうのです。158
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Posted by ブクログ
マジョリティの暴力的全体主義に徹底的に抗戦している。
本音と建て前の建て前が突出していてあいかわらずある種の痛快さと不愉快さが織り交じった文章である。
Posted by ブクログ
この本に書かれていることに賛同しようがそうでなかろうが、読後は自らの感覚が先鋭化される内容。
ただこんな本を読まずとも、この社会で生きていれば自ずから考えざるを得ない話ばかりだとも。
他の著書も読ませていただいたし、この作者の思想を喰らって生きるのは非常に面白いと思うが、喰らってなお希望とともに生きる、自分はそうありたい。
次点として、「俺(私)、間違った事言ってる?」も加えていただきたい。
Posted by ブクログ
わかる、すごくわかる、と思いながら読みました。特に、七番目の『弁解するな!』の章。
外に出ると、怒りや不満でいっぱいになるような事がたくさんある。
それに対して、自分の意見を言ってやりたい気になるけれど、公共の場では言えない→言わない私。
結局事なかれ主義な自分…
頭の中では台詞までは出来上がっているのだけど。
考え方には大方賛成するものの、何故かもやっと感が残った。得体の知れないもやもやが残るのなら、私は土屋賢二のエッセイのが好きだ。
それでも、この本読んで、腹を立てるような人とは、友達になれないなーとも思った。
Posted by ブクログ
♦相手の気持ちを考えろよ
♦一人で生きてるんじゃないからな
♦おまえのためを思って言ってるんだぞ
♦もっと素直になれよ
♦一度頭を下げれば済むことじゃないか
♦謝れよ
♦弁解するな
♦胸に手をあててよく考えてみろ
♦みんなが厭な気分になるじゃないか
♦自分の好きなことが必ず何かあるはずだ
教育者(人を育てる人)が読んだらいい本。
斬新でおもしろい。
私の身近に似たような人がいるから余計に。
言われると「確かに」と思う部分も多い。
10あげられた嫌いな言葉の一つ一つは、著者の言わんとしている事とは少し違った意味で自分自身も警戒する言葉が多かったのですが、例えばなしや論点が飛躍しすぎに感じました。
読みすすめていくのも不快感があり稚拙さも感じました。
私は京都の事は知りませんが、皆まで言うなという奥ゆかしい文化もあっていいものだと思うので道徳の押し付けは暴力だと言うことを論じている文章が逆に言葉を押し付けられているように感じました。これもまた著者の言うところの暴力でしょうか。
評価やレビューがよかったので手に取りましたが、時間とお金の無駄でした。
評価してるのは若い方が多いのかしら?