円城塔のレビュー一覧
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購入済み
伊藤計劃原案、円城塔著
こちらの小説は伊藤計劃さんの書かれた物語ではないですが、小説としては前作の「虐殺器官」「ハーモニー」よりエンターテイメント性があります。伊藤計劃さんが書かれていたらどんな物語になっていたのか•••2つの作品が素晴らしいだけに悔やまれます。しかし、ご本人が1番悔しかったと思いますし、円城塔さんも大変な思いをして書かれたと思います。
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ネタバレ2017年発行。あの攻殻機動隊の世界を土台にした、全編書き下ろしのアンソロジー。
このアンソロジーの中では円城塔の「Shadow.net」が一番好きな作品だったけど、これは『年刊日本SF傑作選 プロジェクト・シャーロック』に再録されているので、個人的にはそちらを購入するほうがオススメかなと。
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Shadow.net 円城塔 ★★★★☆
* 相貌失認症を持つ「わたし」は、プライバシーの観点から街の監視を行うシステム一部としての役割を担っている、という設定が、なるほど、と。近年(リアルの世界の近年)のAIによる顔認識技術は監視システムを強化したり、あるいは相貌失認症の人を支援したり、とい -
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見るからに前衛的だけど、ある意味で分かりやすく宇宙を飛行しそうなロケットを指差して
「これは花火です」
という。
こちらは「そうかこれは花火か」と思いつつ、宇宙空間を飛んでいくこの不思議な物体を想像する。
発射直後くらいから飛行物体はその結合を失っていく。見方によっては更なる加速のための意図的な分離にも映るし、見方によっては設計者の意図しない分解にも思える。
時に蛇行し、時に回転し、時には一瞬姿を消してみせ、すぐその先に現れる。そんな花火ともロケットともつかない不可思議な動きをみせる。何人かはこの辺りで背を向け帰っていくが、なぜか目を離せない。
だんだんと分離は加速していき、分離したパーツは華 -
Posted by ブクログ
ネタバレ思えば初期「Self-Reference ENGINE」「Boy's Surface」「オブ・ザ・ベースボール」から約10年なのだ。
作風は拡がったり膨らんだりしているとも言えるし、堂々巡りしているとも言える。
文体の実験、メタ意識、抒情。
すべて筒井康隆を連想してしまい、円城塔自身は筒井康隆を敢えて避けていると言うが、短編ではどうしても共通するものがある。
しかし筒井のドタバタハチャメチャコミカルとは違うリリカルコミカルな味付けなのだ。
もっとはっきりいえばエモい。
また、所々に差し挟まれるハリウッド映画的な身振り手振りの小気味良さは、人物を記号的に扱う思い切りの良さがあるからこそ -
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ひと月ほど昔の読書内容が、当該の書籍のページを繰りな押しても全く浮かばないのは、私がぼけたからだろうか。
「イグノラムス・イグのラビムス」の章に「言葉そのものの問題ではない。まさに『君』が、その発言をするという所が問題なんだ。人間が『自分はキリンだ』といったとしても別に問題は起こらない。キリンが『自分はキリンだ』と言い出したとしてもまあいいだろう。しかし、カバが『自分はキリンだ』といいだしたなら、事態は戦慄的なものとなり、森の仲間も大宴会だ」
この部分で、大いに笑い納得したはずなのだが、なにも浮かばない。この浮遊感はなんだろう。これが円城君なのだろうか。とわけわからんことをつぶやいて -
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ネタバレ2018年2月10日第一刷。
「文學界」連載も楽しみに読んでいた。
私小説とは概ね徒然なる日常を書くもの。随想からの跳躍ありき。
本作もまさに徒然なる日常と、その都度考えたことを徒然に書いているらしい。
が、そこは円城塔。凡人の思考ではない。
私小説では語り手は単純に「わたしは云々」と書き始めるが、この小説の「わたし」は「小説そのもの」のことだから、不用意に「わたしは云々」と書き出せない。
そのうちに著者の要素がいろいろなキャラクターに分散、分身、仮託、委託、されていく(?)
さらには堂々たる「わたし対わたし問答」も生起し、それが詰まらないトートロジーに堕さない。
私小説を刷新するのか~、