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Posted by ブクログ
伊藤計劃から派生して読む。ぜんぜん違う。
無数の入れ子構造と時間の改変、というふたつの柱による、奇想天外な論理物語。
何でもあり小説。常識は一切通用しない。
個々のエピソードはそれなりに理解できるのだが、全体を通して何が貫かれているのかを統合するのが難しい。
まわりくどい文章(語り手云々ではなく著者の声)で煙に巻かれて。
そもそも大掛かりなジョークでもある。
はっきりいえばわかっていない箇所のほうが多いのだが、情感あふれる文体や場面に引き付けられる。
ぐっと胸の詰まる場面も。
(アンチロマンであるのは間違いないが。)
つまりは、かっこいいなぁ、と溜め息。
そして、あたふたする巨大知性体萌え。
Posted by ブクログ
いくつもの時間と物語の断片から相互に参照し合いながらそのつど生成される機関。という形の小説。入り組みすぎてて笑ってしまうほどだが、完全に理解できなくても判る面白さが絶大にあって、脳が踊る。こんな形の小説は読んだことがないし実際あまりないのだろうけれど、それなのに「これこそが小説としての楽しみだ!」と言えるようなところがあるのは、読むそのつど世界が拡散・収束して私のなかに生成されるからだろうか。小説と物語と書くことと書かれることについて考えた。
なお佐々木敦の解説がわりあいにわかり易く纏まっていてさすが。読後の整理には役立つが、しかし厳格に整理する必要はあまり感じない。
円城は本当に小説の構造、というところに関しては他の作家間の間でも卓抜していると思う。文章にやや引っかかる癖を感じたけど、デビュー作ということで、ご愛嬌。
Posted by ブクログ
たとえば、『ダ・ヴィンチ・コード』は息もつかさぬ展開で、一気に読まされたにもかかわらず、読後、もの凄く不満が残った。その含蓄の浅さはさておいても、小説でなければならない必然性がないのだ。アクションの連鎖なら映画のほうが効果的ではないか。
本書『Self-Reference ENGINE』は小説であらねばならない手応えを感じさせてくれる。それでいて至って軽く不真面目な語り口。しかも語り得ぬことを、ヴィトゲンシュタインのように沈黙せずに、とにかく、何とか語ってしまったのだ。
もちろん映画にはできないだろう。20の短編にプロローグとエピローグのついた22の断章(文庫化に際し、2編増えた)。それぞれの短編はまあ、映画にできるかも知れない。死んだ祖母の家を取り壊したら、床下から22体のフロイトが出てきて、親族が困って会話を交わす。十分映像化はできる。シュールな短編映画。
しかし22の断章が醸し出すヴィジョンは映像化できまい。『虐殺器官』の帯に、宮部みゆきの「私には三回生まれ変わってもこんなのは書けない」という讃辞が載っていたが、可能性の問題としてならば、才能に恵まれ、修練を積めば『虐殺器官』の執筆は手の届く地平にあると思うのに、『Self-Reference ENGINE』は宇宙が三回生まれ変わっても書けそうにないという気がする。
何かが起こった。それをイベントと呼ぶ。そのイベントとは時空構造が壊れてしまったことらしい。時間が順序よく流れなくなってしまった。その原因は人工知能が進化して自然と一体化して巨大知性体となった、その知性体が関係しているらしい。巨大知性体たちは時空構造を元に戻そうとたがいに演算戦を繰り広げている。
何だか解らない? ジグソウの最後のひとつまでかっちりと嵌って「解った」とならないと気が済まない向きにはほとんどストレスフルな小説だろう。だいたい時間の前後関係が成り立たなくなった世界など記述可能ではないし、われわれの脳では理解できるはずもないのだ。自然と一体化した巨大知性体というのは、結局のところ世界がコンピュータ上のシュミレーションと化したといっているのではないだろうか。その巨大知性体同士の演算戦とは世界の書き直し合いということだろうか。
作者はそんな風に安易に説明してくれず、鯰の像が消えたとか、靴下が生きているとか、奇天烈な断章を語るのだ。でもどこかでジグソウのピースがかちっと嵌っているらしいというあたりが知的興奮をかき立てるのだ。
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