ブルース、ジャズ、ロックンロール、ロック、ソウル・ファンク、ディスコ、ヒップホップ、そしてラテン音楽まで、アメリカで生まれたポピュラーミュージックの歴史を1冊で学べる通史。
私は著者の『文化系のためのヒップホップ入門』シリーズを愛読していたが、本来アメリカ文学・アメリカ音楽などの研究者である著者の
...続きを読むこの手の論考は未読であり、著者の研究者としての眼差しのユニークさに感動させられた。
いわゆるこの手の音楽史的な本というのは世の中にはごまんとある。音楽ライターやミュージシャンその人らなどによって書かれることが多いそうした本は、ともすると細かい事実関係の整理であったり、当事者のインタビューであったりという事実そのものに着目することが多い。
そうした歴史はそれはそれで面白いのだが、歴史学とは単なる事実関係の寄せ集めではなく、それらをどのような視点から眺めるか、という背景の思想こそが重要である。
その点で、本書が提示する視点、それは”擬装”である。
”擬装”をもたらすのは「誰かになりすましたい」という欲望である。アメリカ音楽は、この”擬装”、ひいてはその欲望から生まれ発展した、というのが著者の本書での視点となる。
例えば、アメリカ音楽のルーツとされるミンストレル・ショウは、顔を黒く塗った白人によって演じられる踊りや音楽、演劇の総称である。現代の人権意識からするとタブーに近いこのブラック・ペイントは一体どのような意味を持つのか。その”擬装”のメカニズムの中で著者は、2級の白人として扱われていたユダヤ人やアイルランド人などがブラック・ペイントをすることで自らの”白さ”を逆説的に誇張し、1級白人入りしたいという欲望があることを指摘する。
そうした新たな視点から、通説とされている様々なアメリカ音楽史の言説を一つずつ取り上げながら、その真偽も含めて丁寧に議論を進めていくことで、高い知的刺激を受けながら様々なアメリカ音楽がどのように生まれていったかを知ることができる。2011年の本であるが、可能であれば自分が学生時代のときに読みたかった、とすら思う名著。