我々の大半は自分達を中流と思っているが(家あり、職あり)、実態は世界の富を一部の少数が独占し、中流という言葉も普通の生き方をしていればすぐに下流に転落するということで形骸化しつつある。著者が言うところの無理ゲー社会に今生きている。
上級国民に近づくためにはHACK、ルールを無視して近道を見つけ、ふつうの奴らの上を行くしかない、ということらしい。
「ふつうの奴らの上を行く」この言葉が表すように、著者には優生思想が根強くある。
性愛、金融、ギャンブル、生存本能、自己改革などの分野にHACKを試みた人達の実例が紹介されている。これらの分野に共通するのは、人間の欲望に結びついている、何らかの脳内物質が関係していることだ。
HACKをしていく過程は苛烈だ。そしてHACKし尽くした末の彼らの心持ちは、もうその分野に執着の見られない悟りのような状態になっている。
皆必ず何かに依存しながら、HACKされながら生きている。言ってしまえば人間は動物で、等しく脳に支配されているのだろう。何を好んで手に取るのかも、本当は自分の意思など関係ないのかもしれない。猫が好きな自分は、オキシトシンの下僕だ。
そして現代、人には自分の思う道を進む(と思い込む?)権利がある。そしてそれが許される社会のためにある程度の義務を果たし、逸脱しすぎれば相応の代償を払う。国家はその公正な受け皿であらねばならぬ。
しかしこの権利部分だけのいきすぎ(いわゆるリベラル思想の一部)が、今のこの無理ゲー社会の大きな一因であるという点は賛同できる。
そのうえ自分の思う通りに生きなさいと、世界は手をこまねいて人をHACKしようとしている。必然的に義務や依存は増え、ものを考えたつもりになり、転落すると受け皿はザル。抜け落ちた先は荒野で誰も助けてくれない。どっぷりとHACKされた頭では今さら這い上がる知恵も意欲もない。極端な想像だけれど。
だからこその逆にHACKせよ、だろうが、個人的にできぬ者の人生を高みの見物でおとしめることは好きではない。自分から見れば著者も、自分より下だと思う他者を見下すことで出ている脳内物質の、もしくは強烈な真実(と思っている)を他者に見せつけることによって出る何某かの脳汁(書いていて馬鹿になった気する)の依存症に見える。
この本を読んでも、新しい抜け道を見つけ世界出し抜くことは極めて難しいと思う。我々の脳はほぼ何かにHACKされているのだから。一度知った様々な快楽を誰が手放せる。また快楽に依存している状態が全て理不尽であるとも思わない(本人がそう思っている場合や被害者がいる場合は除く)。民へのHACKを誘導することで金を稼ぐ企業を軽蔑できても、この世から永遠になくなりはすまい。
逆に出来る人は、矢印を内向きから外向きに変え、できれば政治家等になって、今よりマシな暮らしができる最大公約数を増やしてもらいたい。国家は民を飼い慣らすと言う意味では最大のHACK集団なので親和性は高いと思われる。
人間はよほど追い込まれないと真価を発揮できない。そしてできない理由を適当にごまかしているうちに大体寿命が尽きて死ぬ。だがその一人の人生の中で成し得た僅かのことが、人間の数だけ何世代にも積み重なって、世界は変わっていくのかなと思う。その成し得たことがHACKすることだけならば、逆に未来は暗いのでは。
この世界をどう生きるか、最後に提案されているのは、物を捨てミニマルに暮らしながら節約投資し、早期リタイアはせずある程度社会貢献しながら自分の価値を保ち続けること、と理解した。結局皆それなりにやってることのような気もする。
この本には夢も希望もほとんどない。読んでいて疲れた。
しかし夢も希望も好きなだけ見なさいと人間を誘導し、いざ立ち行かなくなれば放置される世界もたいがい残酷だと思う。得体の知れない怒りもわいてきて、ちょっとゲロ吐きそうになった。やはり著者はある程度の本質をついているのだろう。
俯瞰的な視点を忘れずに、かつ自分は地面(現実)を歩いて行こうと思う。長文失礼。