重松清のレビュー一覧
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ネタバレ
◼️短編概要
01.ワニとハブとひょうたん池で:娘、友達、両親
02.ナイフ:父、子、不良グループ
03.キャッチボール日和:私、父友、父友の子
04.エビスくん:僕、転校生、友
05.ビタースイートホーム:父、母、娘、教師
(概要)⇒娘の教育方針についてキャリア志向だった元教師の母と娘の担任の熱心系の女教師が対立する。対立内容は娘が日記に感想を書かないことについて。教師が何度も注意しても娘は一向に感想を書こうとしない。母も教師の過剰な教育介入に反発する。この教師は他の父母とも対立しており、親vs学校の対立にまで発展する。対立はその後に色々あって収束。その後、娘がなぜ日記を書かなかったのかが判明する。占い本に、背を伸ばすためには自分の思いを誰にも書いたり話したりしてはいけない、と書かれていたのを忠実に守っていただけだったのだ。
(感想)⇒大人の思いとは全然違う流れで子供の世界は進んでいる。子供は子供なりの考えで勝手に生きている。実際のところは当人にしか分からない。
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Posted by ブクログ
あのひとのことをどう呼べばいい?
決めかねている。
あのひとは気づいているだろうか。出会ってから二十年が過ぎて、言葉を交わしたことは何度もあったのに、僕はまだ一度もあのひとに呼びかけていない。
おじさんー。
藤井さんー。
フジシュンのお父さんー。
どれもだめだった。小学生の頃から顔見知りだったフジシュンのお母さんのことは「おばさん」と呼べるのに、フジシュンが死んでから出会ったあのひとを「おじさん」とはどうしても呼べなかった。
あのひとだってそうだ。僕はずっと名前を呼んでもらえなかった。
僕があのひとに語りかけて、あのひとが僕に語りかける。でも、僕たちの言葉にはずっと宛名がなかった。ぽつりと漏らしたつぶやきが、頼りなげに揺れながら、漂いながら、かろうじて相手の耳に届く、そんな対話を僕たちは何年も何年もつづけてきたのだ。
僕の二十年間の物語も、ひとりごとをつぶやくように語られるだろう。
あのひとに届いてほしい、と祈っている。
ひとを責める言葉には二種類ある、と教えてくれたのは本多さんだった。
ナイフの言葉。
十字架の言葉。
「その違い、真田くんにはわかる?」
大学進学で上京する少し前に訊かれた。僕は十八歳になっていて、本多さんは三十歳だった。
答えられずにいる僕に、本多さんは「言葉で説明できないだけで、ほんとうはもう身に染みてわかってると思うけどね」と言って、話をつづけた。
「ナイフの言葉は、胸に突き刺さるよ」
「…はい」
「痛いよね、すごく。なかなか立ち直れなかったり、そのまま致命傷になることだってあるかもしれない」
でも、と本多さんは言う。「ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」
十字架の言葉は違う。
「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。歩いてるかぎり、ってことは、生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」
どっちがいい?とは訊かれなかった。
訊かれたとしても、それは僕が選べるものではないはずだから。
代わりに、本多さんは「どっちだと思う?」と訊いてきた。「あなたはナイフで刺された?それとも、十字架を背負った?」僕は黙ったままだった。
しばらく間をおいて、本多さんは「そう、正解」と言った。
「お母さん、本多さんに言ってたんだって。たった十四年しかない人生って、ほんとうにむなしい、って。思い出話があっという間に終わっちゃうのが、悲しい、って」わかるような気がする。
「あとね、お母さん、こんなことも言ってたって。十四年間生きてきた俊介の思い出
十四年間かけてしゃべらないといけないのに、それができないのが情けなくて…なんで、ぜんぶ覚えててあげなかったんだろう、って…」そんなの無理に決まってるじゃないか、と思わず言いかけたが、口をつぐんだ。おはさんのその気持ちも、まったくわからないというわけではなかったから。
考えてみれば、藤井くん以外のみんなは、ずっと生きてて、毎日毎日、思い出が増えてるんだよね。真田くんも、わたしも、これからずーっと、新しい思い出が増えていくんだよね」
すでにフジシュンが死んだあとの思い出もたくさんある。つまらないことだったが、あいつは修学旅行にも行けなかったんだなあ、と不意に思った。あいつのできなかったことを僕たちはこれからどんどん体験して、あいつが見られなかったものをたくさん見て…そうだ、あいつは校舎の三階からの景色すら見ることができなかったんだと、また不意に思った。
「真田くん、背が伸びたでしょ」
「うん…」
「わたしも、部活を引退したから、もうちょっと髪を伸ばそうと思ってる。高校生になったら制服も変わるし、友だちとか、趣味とか、世界がぜんぶ変わると思う。そういうのって、お母さんは見たくないよね…」本多さんは、こんなことも中川さんに言っていた。
亡くなったわが子のぶんも友だちには幸せになってほしい」というのは、嘘だ。
「嘘っていうか、いくら頭ではそう思ってても、本音の本音は違うんだって。それはそうだよね、自分の子が死んじゃったあとは、誰がどうなろうと関係ないし、逆に、みんな幸せになってるのに、なんでウチの子だけ死んじゃったんだ、とか…思うよ、わたしだって」
「おまえらにとっては、たまたま同じクラスになっただけのどうでもいい存在でも、親にとっては…すべてなんだよ、取り替えが利かないんだよ、俊介の代わりはどこにもいないんだよ、その俊介を…おまえらは見殺しにしたんだ…」
「寂しさってのは、両方で分かち合うものじゃないんだ。自分は寂しがってても向こうはそうでもなかったり、その逆のパターンだったり…。片思いみたいなものだよ。だから、寂しいっていうのは、相手がそばにいないのが寂しいんじゃなくて、なんていうか、そばにいない相手が、自分が思うほどには自分のことを思ってくれてないんじゃないか、っていうのが寂しいっていうか…その寂しさが寂しいっていうか」
「親は、学校で起きたことをこの目で見るわけにはいかないんだよ。だからじるしかないんだ。ウチの子は元気でやってる、毎日を幸せに過ごしてる…。だから親はみんな子どもに訊くんだ。学校どうだ?毎日楽しいか?って」
僕も子どもの頃は、親父やおふくろにしょっちゅう、うっとうしいほど訊かれた。
「考えてみろ、子どものほうは親には訊かないんだよ。お父さん、会社どう?お母さん、毎日楽しい?そんなことを訊く子どもはどこにもいないし、子どもにそんなことを訊かせちゃだめだろ、親としても」「はい.....」
「心配するのは、親の仕事だ。でも、子どもをじるのも親の仕事だ。だったら、子どもが、学校は毎日楽しいよ、って言ったら信じるしかないだろ」でも、ほんとうはそうではなかったのだとわかったらー。
それがわかったときには、もうすべて手遅れだったらー。
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Posted by ブクログ
自分にもあてはまる、親の無力さを感じる。何とかしてあげたいという親の行動が子供にとって全くよくないことにつながることがほとんどだ。普段通り、生活を変えずに、接する。仕事を辞めたりせず、気を使いすぎず、いつも通りに。寄り添う気持ちで、愛情は伝わる。とか聞くけど、そんな神対応みたいな冷静な親なんていないだろう。愛情ってなんだろう、今までの子育てってなんだろう、私が悪かったのかとか、親もただの人間であることを思いしらされる。
最後のビタースイート・ホームが若干軽さがある話で助かった。「エビスくん」は本当にきつかった。防波堤でエビスくんに病院に来てくれるように頼む辺りは、もう限界やんと思って涙がどんどんでた。大人が気がつくこと、できることは、こんなにないものだろうか。 -
Posted by ブクログ
題名の「きよしこ」がキリストを連想させ、天からきよしの日々を見ている感じ、祈の気持ちで読み進めた。
転校の連続、吃音というハンディキャップから、ずっと1人で闘っている印象。他者との分かち合い、きよしの荷を軽くしてる存在、を彼は永続的に持てない。両親はそういう存在に足りえず、共に歩む友人、支えとなる大人とのつながりが薄い。
それでも何とか高校3年までたどりつき、自立、自由の入口にたつ。結局、それぞれ環境の変化や自分の生き方にもがきながら、答えを見つけていかなければならないのだろう。それが大人になるということなのか、成長と呼ばれるものなのか。
回りに左右されていた子供時代とは違う、自分で選ぶきよしのその先が良いものであることを祈りながら読み終えた。
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