重松清のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
君は不思議だと思わないか?
ひとが追い求めるものと、目が覚めたら消えてしまうものを、なぜ同じ「夢」と呼ぶのだろう……。p18
ぼくは1963年に生まれた。高度経済成長期に産湯を使い、アポロと万博と星新一に「未来」を教わる一方で、水爆とノストラダムスと『宇宙戦艦ヤマト』によって、地球はやがて滅亡するんだという予感も植え付けられた、1970年代型少年ーーである。p24
「うまくしゃべれなかったから…優しさが好きになれたかもしれない」p220
人間と人間は百パーセントわかりあえるべきものなのだとしたら…たぶん、小説はずっと昔に滅びていただろうと思います。p240
子どもの問題を社会問題と見な -
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やばい
不覚にも、泣きました。
最初、ほんわか、次第に現実的に、中盤は「ふうぅん」と、遥かな自分の記憶を微妙に重ねたりしながら、そこまでは…と思いながら。
最後、あれで良かったんだろうな。
それにしても、14、5歳であれだけ密度の濃い体験、孤独と孤独が重なる体験が出来るのは、ないだろうなぁ。望んでも出来ることじゃない。
疾走とは、うまい題をつけたものです。
久しぶりに心に残る小説を読みました。
濃い2日間でした。
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Posted by ブクログ
2011年3月11日──東日本大震災。
多くの人々を死に至らしめたあの震災から2年以上経った。
これまでは作家たちも、あの震災にどう向き合い、どう表現するか試行錯誤していたに違いない。
2年経ち、ようやく彼らもあの出来事をテーマにした作品を書きつつある。
なかでも重松清は、最も積極的に震災に真正面から取り組み、作品を出している。
この作品の前作であるドキュメンタリータッチの「希望の地図」でも、震災を取り上げている。
この「また次の春へ」でも、七つの短編の主人公すべてが、「震災」に関わった人々だ。
その物語の構築の仕方が、何とも心優しい。
七編のなかでは、「おまじない」に涙が止まらなかった。
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Posted by ブクログ
最後の章を読んで、やっとわかった。
自分のこのモヤモヤ感、喪失感が何か。
哀愁とは、何かを失って終わりかけていることなんだ。
この作品の全ての章を振り返れば、確かに「終わり」「結末」がないことに気付く。
その後どうなったの?って。
最後の章で、小さな無邪気な子が、
東京タワーの双眼鏡を覗き込み、
「あったよ!ぼくんちがあったよ」
とはしゃいでいる姿。
こんな広い景色で、
こんな広い東京で、
自分の家なんか見つかるわけないのに、
小さな子は、喜んでいる。
私には、
自分の家や自分の住む町どころか、
自分の存在さえ、見つけることできないんだろうなぁ。
きっと