あらすじ
池袋の通り魔、音羽の幼女殺人、少女監禁、カレー事件、リストラ、田舎移住、ニュータウンの30年……。世紀末の1年の事件は、21世紀のいまも「現役」。遠くて近い隣人たちのドラマに寄り道しつつ迫ってみると、そこにはあなたとよく似た顔が――。直木賞作家による異色ルポルタージュ。(『隣人』改題)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
重松清による、20世紀末に起きた事件等々のルポルタージュ。新鮮でした。
「世紀末」の、独特の世間の空気を感じられた気がしました。もう少しひとつひとつの事件について掘り下げて欲しかったような気も。
Posted by ブクログ
初めてこの人のフィクションではない物語を読んだ。
20世紀末に起きた事件を彼独自の見解で書き記している一冊である。
重松清という人は、事件の犯人だけでなく
友達や親、さらにはテレビの視聴者等
さまざまな視点から物事を捉え
物語を構成しているのだとこの本で知ることができた。
Posted by ブクログ
この本は小説ではなく20世紀末に起こった数々の事件を検証しているものです。
池袋通り魔事件、神戸児童殺傷事件から、日産自動車の業績不振までいろいろなことについて書かれています。
ただ真相を追究するのではなく、その事件の周りにある重松氏の言葉で言う「寄り道」、「無駄足」、「蛇足」にこだわったものになっています。
ただ、それで中心にあるものがボケてしまうのではなく、その周囲の関係ないように思えることこそが大事だと気付きます。
また、そのことを調べることによって、重松氏の作品の奥深さにつながっていると思いました。
Posted by ブクログ
タイトル通り世紀末に起きた事件や問題について書かれたルポルタージュ作品。
風化し、忘れ去られたような、今となってはもう過去でしかない話。 だけど、その原点への寄り道、無駄足あるいは蛇足こそが隣人達を再び今に蘇らせている。
「夜明け前、孤独な犬が街を駆ける」
「支配されない場所へ」
「寂しからずや、「君」なき君」
など同世代が抱いた感情は少なからず共感してしまう部分もあった。読めば読むほど深みも出てくる。
重松小説にも深くリンクしているこの一冊。 一見の価値あり。
Posted by ブクログ
読み物作家の重松清による、国内ルポルタージュ。
とても謙遜した書き出しで始まるこの作品は、雑誌に寄稿されたもので、当時ワイドショーなどで話題になった事件や、過去に話題になった事件などの現地(現場)を「寄り道」、「無駄足」と称した彼なりの(実際の移動、思考の中での)歩き方で事件についての外延を描き出している。
今までに重松作品に親しんできた方、つまり、フィクションの重松小説を読んできた人には最初違和感があると思いますが、読み進めていくにつれて、これは小説の中の出来事なのではないか?と思ってしまうほどの重松色あふれた切り口で事件が描かれていきます。
過去・現在・未来 ワイドショーをにぎわせたさまざまな主人公に脇役、そして、テレビの前でそれを楽しみにしている観客・・・誰も彼もが今まさに生きていて、現代の日本に存在するということ。。。つまり、誰しもが「隣人」になりうるということが、つまりは、ワイドショーに出てくる「隣人」が特別な存在ではなく、まさしく『隣人』なのだということがほのかに頭の中で帰結したような読後感でした。
Posted by ブクログ
20世紀末、実際に起こった事件などの、ルポルタージュ。たまに「ん?」と思うときもありますが、切り口が面白いです。人によっては、今までとはちょっと違った「事件」との関わり方が見つかるかもしれませんね。
Posted by ブクログ
ルポルタージュ。重松清がどんな人なのか知りたい人には良いのかも。
事件が起きた現場に行き自身の感想を述べていて、そういえばそんな事件があったなと思い出す。
帯に寄り道、無駄足のノンフィクションと書かれている。
目新しい事は無いのだけれど、重松清はこの事件に関してこんな風に考えていたのだなという作品。
Posted by ブクログ
期待してなかった分面白く読めた。
事件が起こるとそれに少しでも関係した人の数だけ色々なドラマが続くが、部外者はその状況をすぐに消費し、歪な印象のみを残す。
Posted by ブクログ
尊敬する作家の一人、重松清さんが初めて臨んだルポルタージュ。
ご本人いわく、寄り道、無駄足、蛇足だらけの一冊で
世紀末に起きた犯罪や出来事に縁のある土地を訪ねて書かれたものです。
西暦2000年はあたしがハタチになった年で
当時の出来事で鮮明な記憶に残っているのは
和歌山で起きたカレー砒素混入事件ぐらいだったんですが
ここ数年で立て続けに起きているかのような気がしていた
通り魔殺人事件や監禁事件、そして若者による犯罪はあの頃も存在して、
世の中を震撼させ、評論家を騒がせていたんですねえ。
犯罪者や人間の弱さを擁護するわけじゃないんですけど
世の中が狂ってきたと何年も嘆き続けたってなくなりはしないんだから
そろそろ”最近の日本”に落胆するのはやめてもいいんじゃないかって
そんなことを考えさせられました。
★が3つなのは
序盤の犯罪の話から
終盤にかけて日産や多摩ニュータウンの話に移行して
ちょっと尻すぼみな印象を抱いたことと
最終章が東京育ちのあたしには物悲しすぎたからです。
相変わらず文章には惹かれるので
今度はもうちょっとのどかで優しいルポを読んでみたいなあ。
Posted by ブクログ
作家、重松清が事件現場を訪ね自分の目と周辺の取材を駆使し、事件のなぜに迫る。事件が起こる要因がどこにでも潜んでいるのならば、わたしたちは安心して暮らすことはできない。全ての事件に共通しているのは、どこでも起こりうることなのだといことなのだ。本の題名がそれを語る。
Posted by ブクログ
こればっかりは賛否両論仕方ない。
中途半端な私は星三つという軟弱者。
でもどっちかっていうと反対意見。
しかし、読み物としてはとても興味深い。
足し算の原理はあたしもそうかもしれないなあ。
そうだよね、単純に「増える」とかそういうことじゃないよね。
でもなあ、これ「重松清」っていう優しいルポライターの憶測でしかないんだよなあ。
そうなのかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよね。
別にこの人だって庇ってるわけでは決してないんだろうし、あくまでも客観的に、あんまり見ない角度から事件を見るっていうコンセプトなんだろうけど。
でも被害者家族はたまんないだろうな。
あたしも決して加害者をかばうわけではないけど、悪いことっていうのはわかってるけどどうしようもないときっていうのはあるんじゃないかと思っている。
だって人間って言うのは自己中なものだし、そうじゃなきゃだめだと思う。
Posted by ブクログ
家族や教育などを中心に執筆している著者が、社会問題、とりわけ家族が絡む問題、にスポットを当て、ルポを書いている。
新聞やニュースでの取り上げられかた、とは異なっているのは間違いない。異なっている、といいうよりは一歩踏み込んでいる、といったほうがいいかもしれない。
一つの事件に対する視点が変わります。
Posted by ブクログ
新感覚。
『寂しからずや、「君」なき君』のなかで、
十七歳は危険な年齢、らしい。そして十七歳とは童貞の年齢である。マスターベーションの年齢である。
と重松清はこう措定している。なるほどなるほど。いろんな事件を引き合いに出し彼独自の考察がおもしろい。だが簡単には納得しない。
Posted by ブクログ
ルポライターとしての重松清の話は始めて読んだかな。
2000年辺りの事件を追う。
カレー事件や17歳のバスジャック事件、幼稚園児殺害事件とか。。。。
外側から書く、調べる、ルポする。自分もやってみたいって思った。
「まわり道まわり道」って言っていたけどなんかそれでよりリアルで時間もおいて冷静に見れるって言うかよかった。
日産の工場閉鎖「モノより思い出」多くの家族は苦しんだんだな。。。。。。。
モノを多角的に見られるようになりたいな
Posted by ブクログ
こういう本には精神分析が詳細なルポタージュを求めてしまうので、宙ぶらりんな感じがした。
池袋通り魔事件が『疾走』の元になっているんですね。あれはいわゆる“少年犯罪もの”のジャンルとして書いたのかと思っていたが、そういう括りだけではないと知って納得。
Posted by ブクログ
重松清どくとくの多摩地区重視。笑
殺人事件とか
人ごとに考えているけれど
私の周り、私自身にいつ起こってもおかしくなくて
起こる確率はいつも誰にでも一定なのかもしれない…と考えた本。