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いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。吉川英治文学賞受賞作。
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Posted by ブクログ
吉川英治文学賞受賞作。いじめを苦にして自殺した少年。主人公の少年ユウはさほどその少年とは仲良くなかったのに遺書に親友と書かれてしまって…。息子をいじめで失った両親のやり場のない想いが胸に刺さる。傍観者であることも罪。後半は涙なしには読めない心に残る話。
・テーマ/世界観 ★★★★★ ・背景描写 ★★★★★ ・キャラクター ★★★★★ ・インパクト ★★★★★ ・オリジナリティ ★★★★★ ・テンポ/構成 ★★★★★ ・文章/語彙 ★★★★★ ・芸術性 ★★★★ ・感動/共感 ★★★★★ ・余韻 ★★★★★
3回は読んだ 中学生の時に読んで感動した。十字架を背負う人たちの物語。いじめを受けた側、傍観した側、いじめをした側、自殺した生徒の親。全ての人たちが背負う重たいものがとても心に刺さった。 重松清は描写がじんと心に残るものが多い。
中二という多感な時期。いじめというテーマを、残された人達のその後の人生という切り口で、語りかけている本。父親の葛藤に痛ましいほど共感。時間をかけても、大切な子供を失った痛みは癒えることはない。それでも懸命に生き、家族で弱さを支え合い、生きていく。子供は親の鏡。思春期は子育ての山場のひとつだと思う。親...続きを読むとしてだけではなく、ひとりの人間として、自身の生き方に否応なく向き合わざるを得ない時期。 人間の感情のややこしさを感動する程、見事に描かれた本。精神的に苦しい時、重松さんの本が読みたくなる。今回も一気読み。心の痛みに寄り添える自分でありたい。 #重松清さん #思春期の子育て #共に生きる
重松清ワールド全開のお話でした。十字架を背負うというのはこういうことなのですね、と改めて考えさせられました。また主人公の真田くんに、自分を重ねてしまい、自分だったらどうだろうか、と判断を迫られる場面が多々あり、後半に向けてそれが加速していった感じです。いじめは絶対にあってはならないのは、誰しもわかっ...続きを読むています。でもなくならないのはなぜか。いけにえということばが自分の胸につよく残りました。
いじめで自殺した子の遺書に親友として名前が書かれていた少年のお話 以下、公式のあらすじ -------------------- いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あ...続きを読むいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。吉川英治文学賞受賞作。 いじめを止めなかった。ただ見ているだけだった。それは、「罪」なのですか――? 自ら命を絶った少年。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。 -------------------- 誰に自分を重ねるかによって感想は異なってしまう いじめられていたフジシュンだとしたら、そんな決断をする前に相談する事もできただろうにと思うし 主人公のユウだとしたら、同じ小学校で中学でも同じクラスだからといって親友として遺書に名前が書かれてあったら困惑する 哀れとも思うし、なんでそんな事を書いたんだと憤るかもしれない でも、私だったら暫くしたら何もなかったかのように流す気がする 一番のとばっちりはサユ 勝手に好きになって、誕生日にいきなり電話してきて、それで来訪を断ったら自殺って 本人はそのつもりはないのかもしれないし、そこまで頭が回らないくらい追い詰められていたのだろうけど、サユの立場からしたら嫌がらせみたいなものだよな フジシュンの父親が今の自分にとって近い立場なのかもしれないけど この人もあまり共感できないかな 息子は自殺ではあるけれど、実質的に殺された、見殺しにされたとか思ってそう でも、その怒りは筋違いなように思う いじめられたのは息子であって、その復讐する権利は本人にしかない 親だからといって、いじめの首謀者や、助けなかった周囲に対して何かしていいわけではないんだよね 被害者の親だからといって許されることって実は少ないと思うよ 個人的な意見としては、いじめで自殺なんて愚かだと思う そうなる前に周囲に相談できるような雰囲気を整えて、もし相談してくれたら解決に向けて動くのが親の役目だと思う この作中で、親は我が子がいじめられている事に気づいていなかったのかが疑問 家にピザやら何やらが勝手に届けられるというわかりやすい被害があるんだから、それとなく察していてもいいと思う そんな、自分たちの過失を無視して周囲に攻撃的になるのは、どうしても同意できないな まずは自らの至らなさを恥じるべきだと思うよ 確か、甲本ヒロトが言ってたと思うんだけど 学校なんてものは、電車で同じ車両に乗っていただけの集まりだと それだけの共通点で、友達だの仲良くだのとかなれなくてもいいと その理屈でいうと、この作品の傍観者も別に悪いことはしてないと思う ナイフ持って暴れる乗客がいたとして、襲われている人を助けずに遠巻きに観ているだけの行為を批難する気にはならない 助けに入ったりする人がいたらそれは勇敢な行為として称賛こそしてもいいけど、その他の傍観者を批判するのは筋違いでしょうに 「いけにえ」という言葉 誰かが生贄になることで、他に危害が加わらない状況 「何故助けない?」と、綺麗事は簡単に言えるだろうけど 前述の通り、もしナイフ持って暴れてる人が現れたら逃げるのは間違った選択ではないよ ----------------- ひとを責める言葉にはニ種類ある、と教えてくれたのは本多さんだった。 ナイフの言葉。 十字架の言葉。 p.78 ----------------- ユウやサユは別に十字架を背負う必要はないと思う 真面目な二人だからこそこんな結末になったわけだけれどもね まぁ、サユのような生き方ができればそれはそれで本人は納得できるのかもしれない 一番嫌悪感を懐いたのはマスコミの二人 事件との関わり方は違えど、十字架を周囲の人に背負わせようとするのは違うよなぁ じゃあお前らは何を背負うんだ?と問い詰めたくなる 社会正義を気取って、関係ない輩が関係者をかき乱すんじゃねぇという怒りを感じる あと、「絶望するのはいつか?」という問い 私の体験談として、とても辛い境遇になったとして 本当に絶望するのは、その状況が自分で良くする事もできず、良くなる見込みもなく、誰かに頼る事もできなくなった時 なので、「希望が絶たれたとき」が本当の絶望するときだ それまで、この人に頼れば何とかしてくれると思っていたところに、いざ弱音を吐いたのに手を取ってくれなかったのはとても辛かったなぁ…… 酷いいじめと言えば、地元でのいじめマット死事件を思い出す 隣の学校区だったけど、被害者は1学年下の子 被害者の兄が1学年上で、進学した高校が同じだった うちの中学の学年の先生の奥さんが被害者の担任教師だったり 直接的には関係ないけど、若干の繋がりがある感じ 当時は学校もいじめには神経質になったけど 決していじめはなくなってなかったような気がする 自分たちのやってるのは、いじめではないとか、あそこまで酷くはないという言い訳をしていたのではなかろうか あの事件は、起こったその事も酷いけど その理由や、その後の周囲の反応、刑事民事の裁判の結果、賠償金の未回収とかも含めて、田舎特有のいやらしさ前回の展開だからなぁ 山形のイメージって、あの事件でかなり悪くなったと思う
ひとを責める言葉には二種類ある。 “ナイフの言葉” と “十字架の言葉”。 “ナイフの言葉”は胸に突き刺さる。刺された時にいちばん痛いのは刺された瞬間。 “十字架の言葉”は背負わなくちゃいけない。それを背負ったまま ずうっと歩く。どんどん重くなってきても降ろすことなんてできないし 足を止めることも...続きを読むできない。生きている限り その言葉を背負いつづけなきゃいけない ─。 中学二年の九月四日 同じクラスの藤井俊介(フジシュン)が自殺した。原因は いじめだった。 彼は遺書を残した。 そこには四人の名前があった。 親友になってくれてありがとう。と書かれた僕(真田 裕)。いじめたグループの中心にいた三島武大と根本晋哉。 そして ごめんなさい。誕生日おめでとうございます。と書かれた小川小百合。 四人は一方的にフジシュンの思いを背負わされたままその後の人生をあゆむことになった。 重いテーマだった…。最初そこには ずっと悲しみとともに誰かの怒りがあった。 なのに物語の最後にあったのは経過した時間とそれに比例して染み込んでいった静かな深い悲しみ。そしてフジシュンに対する残された者の背負った思いだった。 立場のちがいをこえて 苦しい思いを長い年月 共有してきた人たちの労りや気づかいに少し救われる。 しみじみと涙が出た。
いじめによって自殺に追い込まれたフジシュンという中学二年生が最後に書いた遺書には、親友として「僕」の名前が書かれていた。しかし実際には「僕」は親友だとは思っていなかった。それどころかいじめを見て見ぬふりをして彼を死なせてしまった傍観者であった。というところから始まる話。フジシュンの遺族と彼の遺書に名...続きを読む前の書かれた者たちが彼の死をめぐってそれぞれに十字架を背負っていく。 とても苦しく考えさせられる話であった。特に遺族の気持ちを考えるとたまらなかった。私も若くして病気で兄を亡くしているから、子を亡くした両親の気持ちを痛いほど想像させられたし、当時の表情もありありと蘇ってくる。重松さんの書く遺族の心情は、輪切りにした心の断面を見せられているかのようにリアルでビビッドだ。人の親になることが怖くなったほどだ。覚悟と責任を持たないと親にはなれない。 いじめ、そして自殺は単に被害者、加害者だけでなく、残された遺族、いじめの傍観者、学校はもちろん、マスコミを通して多くの人にしがらみを与える。いじめについては私にも背負っていかないといけない十字架がある。忘れて過ごすことはあるが消えることはない。これからもその十字架を含め様々な苦しみを抱えながらも生きていくのだろう。 田原さんの人間味があって遠慮のない感じが好きだ。彼は「僕」を含めたクラスの傍観者にとって、実はとても大きい存在だったのではないか。
重松先生の作品は高校生の頃によく読んでいたのですが、やはり面白いです。学生時代の言葉遣いというか、思考回路というか、とにかく子どもの頃特有の言動の表現方法がすごくうまいな……と思っていましたが、大人になった今さらにその生々しさを感じました。 お話も面白いです。私の学生時代ではいじめをする、される、傍...続きを読む観するといった経験はありませんでした。ですが、きっとどこかであるんだろうなというようなあくまでも他人事になってしまう私達にまるで訴えかけるような……。実際に重松先生自身が息子さんをいじめで亡くしてしまった方にインタビューをしたときに生まれたストーリーであったようで、最後のあとがきが1番染みました。 物語は、『いじめを傍観していた』ことが罪なのか、というところが軸になっていますが難しい問題ですね。答えはないし、人によって変わるし、話の中でもそれを決めつけるわけでもないし。結局課題なんですね。
いじめにより自殺してしまったクラスメイトを、見殺しにしてしまった男の子のお話。 ものすごく心に迫るものがあり、あとがきを含めた400ページを一日で読み切りました。 あと、区切って、気持ちを整理して読むのは違う気がして… たぶん、自分を含めて、誰しもに心当たりがある、もしくは起こりうる内容なんじゃ...続きを読むないかなって思います。 色々と思うところはありましたが、私個人としては、 フジシュンのお母さんが闘病の末亡くなった後、お母さんの遺影がフジシュンと一緒に撮った頃のもので、「結局、その頃の幸せを超えることがないまま、お母さんの人生は終わった。」という文章を見て、なんともいえない苦しい気持ちになりました。 その幸せな写真を撮った時は、お母さんはこれから子供の成長を見守り、もっと笑顔で生きていく瞬間などを当たり前に想像していたはずでした。 それがいじめで自殺してしまい(そのいじめに子供が苦しんでいたことに気づけなかったことも無念でならないと思う)、その幸せを超えることが無いまま、お母さんが亡くなってしまったことを想像して、たまらない気持ちでいっぱいでした。 誰もこんな思いをしてはいけないと思う。
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