角田光代のレビュー一覧
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わたしが誰かの名前を呼ぶとき、極力ファーストネームにしているのは、この本を読んだから。
この世に生まれて初めてもらう「名前」、
それはきっとあなたの誕生を心から
祝福する誰かがプレゼントしてくれた、
願いと愛情。
本作はプレゼントがテーマのアンソロジー。
収録の最初の作品がすばらしいために、本全体の印象が良いものとなっている。
もちろん全部、すてき。
あのひとに、プレゼントを選びたくなりました。
本作はプレゼントがテーマのアンソロジー。
収録の最初の作品がすばらしいために、本全体の印象が良いものとなっている。
もちろん全部、すてき。
あのひとに、プレゼントを選びたくなりました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ母にまつわる短編集。解説が「母は娘を支配する」の斎藤環で、そっちの本でも角田光代の「マザコン」は引用されていたし、解説も母娘関係に焦点を当てたものになっていたが、母と息子の物語も半分くらいある。息子の場合、大抵妻も出てくる。
「共感」みたいな気持ちになるのはやっぱり娘モノだが、息子モノも面白かった。どちらにせよ、苛立ち、息苦しさ、胸くそ悪さ、ヒタヒタと染み渡ってくるような狂気…みたいなものを現出させるのがうまいんだなあ、この人は。それでいてこっちまで嫌になっちゃうような不快感はない。それで小説として面白く読めてしまう。
特に好きなのは、「パセリと温泉」「ふたり暮らし」「クライ、ベイビイ、クライ」。 -
Posted by ブクログ
におい。
仕事をくびになり「暇」になった「わたし」は、ここに住みたい、という友人・吉元のために、空き室のない「菊葉荘」に忍び込み、住人の動向を探る日々を送る。
「鍵を鍵穴に差し入れ、扉を開けると、よそよそしいにおいが染み出してきてわたしをつつんだ。~大きく息を吸いこみ、自分のものらしいにおいを嗅ぐ。これがいったいなんのにおいであるのかわたしにもわからない。」
菊葉荘の蓼科の部屋に入り浸っている「わたし」が、久しぶりに自分の家に戻ってきた時の描写である。
家=居場所=すみか=テリトリー=縄張り
私は臭いに敏感な方で、他人の家から戻った時に服や体に染みついた他人の家の臭いというのが、ひどく気になる質である。(それが嫌な臭いだというわけではなくて、それを引きずっていることに、ひどく落ち着かない気持ちになる)なので、私にとっての家は、自分の臭いに満たされている場所、だと思っている。
自分の臭いを見失った「わたし」は、もうそこが自分の部屋だと思うことが出来ない。
「何かが違う気がする。わたしがいないあいだにだれかがここへ侵入したような、異物感がある。」
同じように「落ち着かず、臆病なとかげのように」「部屋から逃げ出した」吉元が姿を消した。一人残った「わたし」は、仕事の面接を放り出し、菊葉荘の空き部屋へ、吉本の家の荷物を次々運び込む。(その姿はちょっとキチガイじみていて怖い)
「質素な空間が目の前に広がる。玄関に突っ立ったまま、わたしは大きく息を吸いこむ。だれのにおいもしない。どんなにおいもしない。」
他人を所有し束縛し、自分のテリトリーに引き入れようとする=自分の臭いに変えようとする蓼科やヤス子とは対照的に、所有することを放棄してきた「わたし」が、最後に「どんなにおいもしない」部屋を所有しようとする。彼女はそこで自分のテリトリーを、居場所を、築けるのか。 -
Posted by ブクログ
女性・子ども、そんな生まれたときからの事情によって、
虐げられる世界の人達の現状を著名な有名人作家7人が綴り、
それが日本語訳された本。
僕自身、カンボジアに売春街に訪れ、
そこで沢山の男性達と一緒にいる少女達を見た。
不慣れな化粧をして、必死に男性達を誘惑して、
一夜を共にして、お金を稼ごうと必死になっていた。
そんな光景が頭の中に強く蘇ってきた。
実態を見て、知った、
本で読んで、知った。
女性だから、子どもだから、そんな理由で、
虐待を受け、レイプをされ、孕ませられ、
未来を失っていく、現状。
「知る」という行為の先に、
何が待っているのか分からないけど、少なくとも、
「知って」はいたい。
自分たちが何かをしたい、何かが出来るはず、と思うのは、
きっと「知る」という選択肢を経た後にくるものだから。 -
Posted by ブクログ
「海外支援の目的は、支援が必要でなくなる状態を作ることでなくてはならない」ために、目の前にいるウガンダの女の子たちを助けられないかもしれないことに、筆者が怒って泣き狂った場面。私もわんわん泣いていたら、はいはいで近づいてきた息子(生後9が月)がにこにこしながらドンドン私に頭突きしてきました。
映画「ホテル・ルワンダ」で「世界の人たちは虐殺のニュースを見ても『こわいわね』といって結局ディナーを続けるだけ」といっていたシーンを思い出し、自分の姿を重ねました。
「女の子だから」という理由で差別などを受けている女の子たちを、7人の作家が描いています。訳は角田光代さん。その土地がもつ色彩の豊かさやにおいや雰囲気を疑似体験できたきがして楽しかったし、「かわいそうだったな」ってだけではすまない結末の話もいくつかあったと思います。
女の子に生まれたから、日本に生まれたから、長女だから、親が貧乏だから、●●だから、人生がどんな風に変わっていくのか、変わってしまうのはいいことなのか。
「●●だから」といって生きてきた自分は、他の人と違う部分を誇らしく思うことあれば、恥ずかしく思うこともあるけれど、それって本当にそんな風に思うに値することなんだろうか。
とかね。 -
Posted by ブクログ
7人の作家による女の子に纏わるアンソロジー。
生まれながらに受ける様々な虐待、受け入れることしか許されない人生、それを由とされてしまう世界。少しは知ってはいたけれど、敢えて目を背けていた実情は、歯を食い縛ってないと読み続けることができない。
「女の子だから」。ただそれだけ奪われていくものの大きさに、怒りと悲しみが混ざり、その不条理さに呆然とする。
国や地方、部族の数だけ様々な風習や慣習、伝統や思想があり、そこに生まれてきたものとして当然受け入れ生きてゆかねばならないことはわかるけれども。
彼女たちには選択する術も何もない。
そしてわたしは何もできないことに苛立つ。