角田光代のレビュー一覧
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角田さんと穂村さん、それぞれの綴った文章から男女のことについて実際にあったことを踏まえながらやりとりしていく。
このやりとり自体も読んでいて楽しかったのだが、お互いが綴っている内容も大変興味深く思わず納得させられることが多かった。
そのうちのひとつ…
たぶん、女性の脳は圧倒的に現在優位なんだろう。そう考えることで、私はこの現象を自分自身に納得させてきた。女性にとって「今」が全て。だから、そこまでの経緯がおごりか割り勘かは、「今」となっては問題にならない。
一方、男性たちは過去から「今」までを連続的に捉える傾向がある。過去の女性たちとの思い出を或る種の資産のように思ってみたり、「戦国武将でいうと俺は信長タイプ」と大真面目に語ってみたり。男性の脳内では過去から「今」までの時間が一直線に繋がって並んでいるのだろう。(p30-31) -
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このエッセイは「夜」をテーマにして書いてあるが、夜というのは特別な時間だと思う。夜更かししているとなぜか気分が高揚してしまうし、気分が高揚しているからか、大胆なことも言えたり、面白い(というより変?)考えが生まれたりもする。(俗に言う深夜ノリというやつか?)夜ってなんなんだろう。まあ、夜と言っても、人間が勝手に夜だと位置付けているだけだけれども。
私は角田さんと似ている箇所が多少あると思っていたけれど、西加奈子さんの解説を読んで、全くそんなことはないだろうと思ってしまった。角田さんは、西さんによれば、「剥き出しの人だ」とのこと。私は、真正面から人とぶつかったこともない(と思う)し、誰に対しても全てをさらけ出すことは出来ない。でも、20代の時って、誰しも自分を曝け出すことを少々恥ずかしく思うのかもしれない。プライドなども相まって。角田さんもそういう時期があったのかな。もし20代でそれがあるとして、それを乗り越えられたら、すごく楽になれると思う。素直な自分になれるのだろうか。
そういえば、全く違う話だけれど、寝台列車は私もすごく好きだ。寝台列車の選択肢があるのならば、迷わずそれを選択する。ミャンマーのヤンゴン〜バガン間で乗った際は、縦横揺れがすごく、また体がバウンドして宙に浮いたりして寝ているのにとても具合が悪くなった。だが、また乗ってみたいと思ってしまうから不思議だ。
スペインのグラナダ〜バルセロナ間の寝台列車はとても快適で、ミャンマーとえらい違いだと思ったことを覚えている。寝ている時は振動はほとんど気にならず、あっという間に朝になっていた。
世界中の寝台列車に乗ってみたいが、特に日本は厳しそうだ。切符が人気のため取れない。日本では移動することが目的、というより、寝台列車に乗ること自体が目的となっているからだ。どんどん寝台列車がなくなる中、一生に一度でも良いから、日本の寝台列車に乗ってみたいと、いや乗るぞ、とこのエッセイの寝台列車のページを読んでまた決意した次第。 -
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ネタバレ2014年の67冊目です。
3つの短編が収められています。
1つ目の「幸福な遊戯」は、女子大学生の主人公が、男性2人と、家賃の倹約の為シェアハウス生活を始めます。そこでのルールは「同居人同士の不純異性交遊」禁止です。自分自身の家族から得られなかった”居心地の良さ”を3人の生活の中に見出した主人公。でも、自分より”生きる目的”を未だに見出していないと思っていた、彼らが、追い求めることを見つけて家を出ていきます。取り残された寂しさや焦燥感にさいなまれながら、前に進むことができない若い女性の心情が描かれています。私の年齢では考えられない「不純異性交遊禁止」付の男女一緒のシェアハウス。でも、そこにしか、自分の居場所を見つけられなかったという設定が、主人公に対する不憫さを強くします。突き詰めると家族の情の薄さが、奇妙な生活を作り出しているような気がします。3人の間に、全く恋愛感情が発生しないのも少々奇妙の感じがしますが、この「不純異性交遊」禁止は、守られることはあるませんでした。
2つめの短編は、「無愁天使」です。
これも、母親との支配的関係がその死によって崩壊したのちの、私の刹那的な生き方が描かれている。たくさんあった母の保険金を憑かれたように物を買いまくり使い果たし、お金の為に風俗係の仕事をするに至るのだが、そこには、淡々とした心のうつろいのみがあり、後悔や後ろめたさは見られない。彼女の初老の客が、”死”をイメージして眠るという奇妙な癖を持つ。今生きていこの時間を、眠りにつくたび、洗い流し人生をリセットするかのように。何度も死に生まれ変わる儀式を繰り返すのだが、決して彼女がそれで救われることはないように思える。満たされないことは、出口のないことのようにさえ感じる。
3つめの短編は、「銭湯」です。主人公の彼女は、就職した今も、アパートにお風呂が無く、銭湯に通います。そこに、丹念に丹念に体を洗い磨く普通の容姿で普通のスタイルの女性客を見つけます。主人公は、都会で学校を卒業した後も、好きな演劇を続けていると母親に偽りの手紙を書きます。実際の彼女は演劇を諦め小さな食品会社で目的もなく、働きます。それは、母に書いた偽りの自分を確かなものに変えるためのようにも感じられます。でも、この手紙は、一度も母に差し出されることはありませんでした。どちらの人生にも意味のないことに、気がつくきっかけが、銭湯の中の些細な出来事からやってきます。人が自分の人生に、これでいいんだと気付くのにドラマはいらず、日々繰り返される些末な出来事だと思います。 -
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短編集。それぞれ別な話ですが、だいたい語り手が30代から40代、そのお母さんは60代から70代。
病気で入院していたり、第二の人生を始めようとしていたり。
わたしも最近身近に感じはじめていた漠とした不安や戸惑い、この年で読むからより理解深まる感じ。
最後の話が一番かわいらしかったな。お嫁さんが特にいい。
この本のマザコンて、決して冬彦さんじゃない、いろいろなお母さんとの関係が描かれてる。
お母さん。振り返ると、子どものころ、読めない字をすぐ聞きにいき、意味のわからない言葉もそう。それから、学校であった嫌なこと、不思議なこと、身の回りのあらゆる世間話。すぐいつも居た母に話してた。そこで母のうつ相槌や、ふともらす感想を意識せずたくさん浴びて生きてきた。
これがその人の考え方のモノサシになり軸になるなんていちいち思わずきたけれど、母の考え方だけじゃなく他にあると気づくのは大人になってから。母も学校の先生も、人間なんだと気づく。多少偏りあるよね。
わたしも、わたしの子どもたちのお母さん。ふとした日常会話やテレビの感想、持ってるきた悩みへの答え、、、
すべてこの子たちの考え方の軸になりモノサシに影響するかと思うとこわいな。と、思う。
いろんなお母さんでてくる。
なんかやらかしても「だから言ったでしょう」とわたしに一度も言わなかった、そんな母に感謝しながら、読み終えました。 -
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国際的なNGOプランが展開する"Because I am a girl"キャンペーン。
女の子だと言うだけで教育が受けられなかったり、虐待を受けたり、売春の道へ進まざるを得なかったり。
そんな目をそむけたくなるような現実が発展途上国には溢れている。
そんな女の子たちを支援し生きる力をつけさせるのが活動の主旨。
本書はこのキャンペーンに賛同した7人の作家たちが実際に現地を訪れて、小説だったりルポだったりと形は違えどそれぞれの思いを綴りアンソロジーにまとめたものである。
アフリカの貧しい国々での惨状は私の想像が及ぶ範囲でもあった。
ろくな教育も受けず、一日一食があたりまえ。
通学路でさえいつレイプされるか分からない。
学校のトイレさえ整備されておらず、教師は低賃金にやる気を失う。
イニシエーションと称して女性器切除の慣習が残る地域すらある。
おまけにアフリカの女性達は従順だ。
家父長制度を重んじ、自分の意見を述べることすらはばかられる。
これは本当に同世代に住む女性達の姿なのだろうか。
アフリカだけはない。
サッカーワールドカップが開催され、次はいよいよオリンピックという経済成長目覚ましいブラジル。
スラムに住む女の子達、そしてその母親たちの生きざまを読むと胸が締め付けられるようだった。
下水も整わない家の中では汚物があふれかえり悪臭が漂う。
不衛生な環境で皮膚病に罹る子供たち。
こんなひどい状況で10代のうちに何人も子供を産まざるを得ない現状。
母親を必要としている少女のうちに自らも母親となってしまう。
その悪循環の繰り返し。
父親などもちろん存在しない。
オリンピックの開催資金だけで一体何人もの子供たちが救えるのだろうか。
気が遠くなる。
これが世界の現実。
日本でももちろん男女差別は残っているし、悲惨な境遇で育つ子供達もいるだろう。
しかしその比ではない。
彼らに選択肢などないのだ。
この本の翻訳は角田光代さん。
角田さんはどうやらボランティアでこの本の翻訳を引き受けたようだ。
彼女の小説には独特の女性ならではの視点があって、女性性についての違和感や憤りの描写も多い。
でも彼女自身の強い主義主張と言うのは正直感じられなかった。
ところがどうしたことだろう。
この本の前書きを角田さんは書いているのだがこれほどまでに彼女の強い思いを感じた事は今までなかった。
『私は非力だ。けれど、なんとかしたいと思うところからしか、ものごとは動かない。』
まずは現状を知ること。そして自分に何ができるか考えることから始めたって良い。
まずは一人でも多くにこの本を読んでもらいたい、と私は思った。