ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ちょっと前に「白痴」も読んだが、ドストエフスキーって長編作家として欠点有り過ぎだと思う。
海堂尊さんは同日に同時並行に起こる事件をデビュー作として書いたが、編集者の助言で「チームバチスタ」「ナイチンゲール」の2作に書き直したという。僕が編集者だったら、この作品をステバン氏、ピョートル、ニコライが主人公の3作に書き直させるな。
終盤のステバン氏の再登場。ロシアの大衆を愛すると云いつつ、世間知らずで、まったく大衆を知らない。知と美に殉じ、変な拘りで自分を追い込んでいく。しかし、ドストエフスキーは愛情をもって、このピエロ的人物を描いている。
その息子、ピョートルは頭に穴が開いたよう軽薄な人間。その仲間たちの中で披露されるシガリョフの説は、平等を齎すため人々を原始的な天真爛漫な家畜に作り替えるべきという。まるで毛沢東やポル・ポトを予言しているようだ。ピョートル以下の破壊分子達はロシアの改革に理想を見ていない。ただ、破壊を目指している。
平然と転向者の汚名を着せた人間を殺害し、その罪を自殺願望者に押し付けるピョートルは人間的な感情を失っている。
最後に未完の稿として収録されたニコライ・スタヴローギンの告白がなかったら、彼は単なる奇妙な登場人物であったろう。人々を、女性を、陰謀家のピョートルまで惹きつける魅力のある人間なのに、周囲を破滅させ、平然と罪を犯す。何故こんな人間が出来上がったのかと考えれば、高等遊民でロシアの地に根を張らないデラシネであったこと。そして、やはり当時の無神論の所為だと思う。
チホンとの対話の中で黙示録が引用されて、「白痴」にも黙示録を購読する無神論者が登場していたことを思い出す。しかし、僕はロシア正教にも黙示録にも不案内なので、首を捻るばかり。社会主義が神への信仰の問題と語られるのは日本人には理解しがたいと思う。
ピョートルが知事夫人に取り入って、大イベントの裏で陰謀をめぐらす茶番劇はあまり感心しなかった。
この顛末は、頭が悪く立場をわきまえない首相夫人が、かなり低能なペテン師にいい様に乗せられていたことを想い出させた。本当、くだらない茶番だ。
カバーの裏表紙に「組織を背後から動かす悪魔的超人スタヴローギン」とある。
新潮文庫とあろうものが、何だ、この出鱈目は。 -
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの本は一度読んだだけでは理解が完全ではないと言われてますが、この本は苦戦しました。
まず、登場人物が多い!
これから読む方は書き出しながら読むのをお勧めします。
内容としては、とにかくごちゃごちゃしています。
というのもヴェルシーロフが何人もの女性を抱えるのは今で言う「ゲス不倫じゃないか!」とも言えますが、調べてみるとこの頃のロシアは離婚という法律がなく、一度結婚したらずっと離婚をせず、ヴェルシーロフのようにカテリーナに結婚を申し込むような二重三重結婚はよくあることだそうで、日本人の感覚で言うとちょっと信じられないから余計に混乱してしまう理由の一つでもあると思います。
一番好きなシーンは戸籍上の父親マカール公爵とアルカージイとの会話。
マカール公爵は彼にとって有益な言葉を沢山残して、またその語口が凄く好きだなと思いました。
まだ、よくしっかり内容を掴む為に、時間を置いて再読したいと思います。 -
Posted by ブクログ
ギャンブルの描写が、
ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。
主人公が後半に大勝負するところも含めて、
ギャンブルにはいろいろな面があり、
いろいろな局面をつくり、
いろいろと作用することがよく描かれていると思った。
そして、その魔性についても。
このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。
もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、
そうなると個人的すぎて、
ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。
『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、
ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。
ギャンブルそのものについては、そう。
ぼくもね、
けっこう競馬とパチンコではあるけれど
ぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、
その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)の
ギャンブルについての知識というか、
どれだけわかっているのかを
値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。
さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。
重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。
そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。
五大長編の読破以来、
久しぶりにドストエフスキーを読みましたが、
やはりよかったですね、おもしろいです。 -
Posted by ブクログ
『悪霊』というタイトルのくせに上巻のワルワーラ夫人の庇護の元生活しているヴェルホヴェンスキー氏の高等遊民みたいな話で「このおっさん、好き勝手に暮らしてんなー」と気楽な雰囲気がある。
ところが、下巻に進むにつれてヴェルホヴェンスキー氏は脇によけて不穏な動きが出てきて事件が起こし、ラストの方は悲惨。
「ルカの福音書」の引用にからめて、スタヴローギンを中心として(表面的にはピョートルだけど)悲劇に向かっていく展開の仕方、書き方は好み。
神(またはそれぐらいすごいもの)を信じるか、信じないかで全然違う。信じている人は平穏。信じてない人はなんで生きてるのか意味を見つけようとして苦しむ。そんな図式が古典文学にはよく見かける。
キリーロフの考え方も理解できない。だって、〜することで自分が神になるって⁉︎ うーん、大人なんですから妙な考え持たないで下さい…って思ってしまった。
自分自身でもやっぱり自信がなかったのか、揺らぎが見えてたけど。
日本では信仰を持たない人が多いので、自分を信じろ!という感じで、キリーロフとは全く違う。
それにしても、わかりにくい。
何回も何回もじっくり読まないと理解しがたいことだらけ。