あらすじ
1861年の農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。青年たちは、無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。――聖書に、悪霊に憑かれた豚の群れが湖に飛び込んで溺死するという記述があるが、本書は、無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたものである。
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この作品の持つ魔術的な力は計り知れません。 あくが強い人物たちが一つの舞台でぶつかり合い、自らの存在を主張し合います。 まさに「悪霊」に憑りつかれたごとく、悪役たちは巧妙にそして残酷に社会を混乱に陥れていきます。その過程があまりにリアルで、読んでいてお腹の辺りがグラグラ煮え立ってくるような感情が私の中に生まれてくるほどでした。 やがてそれは生きるか死ぬかの究極の思想対決へと進んで行き、一体これからどうなるのか、彼らの心の中で何が起こっているのかと一時も目が離せぬ展開となっていきます。 これは恐るべき作品です
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これまでに何冊か読んだドストエフスキーの小説の中で、最も難解な作品。
主人公はステパン・トロフィーモヴィチではなく、ニコライ・スタブローギンだとわかるまでに時間がかかった。
上巻のクライマックスは、ニコライとガガーノフの決闘であろうか。
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再読である。まるで初めて読むように味わうことができた。日本の近現代文学にも影響を与え続ける名作をたっぷりと味わえ、普段の読書より濃密な時間を過ごすことができた。スタヴローギンがやはり気になる。彼の最後が暗示する「未来」とは予想してみたくなる。ステパンもカルマジーノフも滑稽でもあるが、生きることに真摯で好感持つことができた。「スタヴローギンの告白」にもある通り、作者のこの作品にかける情熱は熱く沸き立っている。
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この作品の中で語られる思想的な側面についての批評は、多くの方々の先行するそれをご覧ください。他のレビュアーの方々の批評はもちろん、これに関する論文等、読み込めば読み込む程の面白さがあると思います。
私はむしろ、ドストエフスキーという名前、作品の分量、そして「思想的な」難解さという、この作品についてまわるイメージ・評価が先行しているようにな印象を受けます。
本作の思想的な対立軸や、対決の内容自体を追いかけて読むことも面白いと思います。しかしそもそも、それ以前に、この作品は物語として、読者をこれでもか、これでもかと引き込んでくれる面白さ、楽しい(というとやや語弊があるか?)仕掛けに満ちています。
次の展開がついつい気になってしまうワクワク感、クスクスと笑いが漏れてしまう強烈な皮肉、ゾクゾクと背筋を凍らせる背徳、思わずうめきを漏らしたくなる鈍痛のような衝撃、等々・・・
思想的・哲学的な側面に深く踏み込まなくても、純粋に物語として楽しめます。そして、そのような読み方は決して間違っていないと思いますし、むしろ間違っていると斥けてはならないと思います。物語として楽しめた時点で、十分に小説の楽しみを享受できているといえるのではないしょうか。
登場人物別に言えば、まずステパン氏が面白い。この作品の笑い担当といってもよいかもしれません。彼は生活力のない、浮世離れした感のある、貴族をパトロンに持つ学者先生です(『学者先生(爆)』としたいところです)。やや社会不適合なタチの、今風に言えば「自宅警備員」風の人物です(中年のいい年なんですが)。そんな彼に向けられる、語り手の少し遠回しで辛辣な物言いは、上巻冒頭部から冴えわたっています。学者先生を向こうに回して、鋭いジャブを繰り出します。パトロンのワルワーラ婦人の彼に対する理不尽なまでの罵詈雑言とともに、彼の登場する場面は笑い通しになること請け合いです。
次に、ピョートル。彼はステパンの息子で、混乱・騒擾を引き起こしてロシア社会を転覆させてしまおうという陰謀を抱いて、小説の舞台である街にやってくるのです。今風に言えば「中二病」をこじらせている点では、あの親にしてこの子と言った感があります。しかし、彼はとにかくよくしゃべる。16ビートのドラムス、速弾きのギターの様な、究極のマシンガントーク。彼の言葉の身も蓋もないあけすけな内容、異常な熱のこもったアブナイ独演会。これが夜な夜な、「同志」達の秘密の集会等の場の、ろうそくが照らす薄暗がりの中で展開されます。時に笑いあり、時に迫力あり、醜悪なのについつい聴き入ってしまう―一級のペテン師の弁舌に身を委ねる、危険な愉悦があります。彼のハイテンション・ハイテンポな語り(というか騙り)が読者の脳内で再生されたとき、その強烈な魅力に引きずり込まれることでしょう。
最後にスタヴローギン。下巻の「スタヴローギンの告白」に全てが詰め込まれています。人を誘惑し、陥れ、破滅させてしまう彼の悪魔的所行-身の毛もよだつ、同時になぜかその背徳に強く胸を打たれてしまう、高鳴る鼓動を禁じ得ない感覚。これは他のどんな物語でも、そうそうは得られません。これこそがこの作品の真骨頂でしょう。
長々と恥かしげもなく述べ立ててしまいました。私の低劣な作文力では、もはや(当然のことながら)この作品の魅力を語り伝えることは出来ません。とにかく、だまされたと思って読んでみて下さい。難しく考えずに、書かれたことを享受してみてはいかがでしょうか。心を根底から揺さぶる仕掛けが満載です。この巨大な熱量を持った物語を満喫してください。こんなに強烈な、こんなに迫力のある物語、そう簡単には出会えないのですから。
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「地下室の手記」→「罪と罰」→【悪霊】→「カラマーゾフ」の順で読んでいくと、長さ的にもムリなく、ドストエフスキーの根暗な魅力にハマれると思います(^ω^)
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帝政ロシア末期、地下組織が脱退者を殺害したという「ネチャーエフ事件」をモチーフに書かれた。革命勢力を揶揄しているとして、ソ連時代は弾圧された問題の小説。子離れしない親を持つ各々の息子スタヴローギンとピョートル。二組の親子を中心とした人間関係を成す多彩な登場人物たち。やはりキリーロフが好きである。語り手の一人称は誰だろう?と思っていたら、いつのまにか「G」という名前で呼ばれる人物として物語の中に入り込んでくる。個人的には「スタヴローギンの告白」はあまり好きでない。10年位前に改版されて文字が大きくなった。
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ドストエフスキーの長編小説の中でも最も難解といわれるこの『悪霊』だけどその分より深淵に踏み込んだ、どうにも救われない個人の内面というテーマの描かれ方は随一。見栄や思想、強欲、宗教、そして時代…誰もが目に見えない「何か」に心を奪われ、病人の様に生きている。キリスト教には病人の代わりに悪霊を引き受けてくれる豚たちがいる。だけど僕らには、そんな病を引き受ける豚はいない。目に見えない何かに取り憑かれたまま溺れていく人は今も沢山いるわけで、そんな人達になんとか呼吸の仕方を伝えようとするような、例えるならそんな小説。
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「ニコライ・スタヴローギンは事実、部屋の中にはいっていた。彼はごく静かに部屋にはいってくると、一瞬戸口で立ちどまり、もの静かな眼差しで一座をみわたした。」
やっと出てきたか、と言いたいけど、スタヴローギンの登場で物語は動き出す。
ヒントは二つある。
(ヒントその1)
ミハイル・バフチンはドストエフスキー小説の特徴を、
「自らの意思と声を持つ、自立的な存在としての登場人物を設定し、
相違なる思想同士の、事件に満ちたポリフォニー(多声楽)のような対話が実現している。
そのジャンルは民衆的な笑いの文芸、カーニバルにたどりつく。」と述べている。
(ヒントその2)
ドストエフスキーは世界中文学中もっとも偉大な小説としてセルヴァンテスの「ドン・キホーテ」を挙げ、理想としている。
実際の事件をヒントに空想のつばさを広げる、まさに近松の浄瑠璃なのだ。おおいに笑えばいい、泣けばいい。
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結構難しい。いや、かなり。
カラマーゾフの兄弟と並ぶドストエフスキーの思想書と書かれてるけど、こっちの方がより観念的というか。最初のほうとか、ステパン氏の説明にどれだけ割くんだという感じ。
それでもさすがなのは、読ませられる。各キャラクターが非常に際立ちます。ピョートルはいけすかないし、悪魔超人スタヴローギンは、全く嫌いになれないし、それらを取り巻く社交界のこの毒な面面や、シャートフの悲惨さ。ドラマドラマで、楽しい。
1か月かかりました。持ち運びが大変。
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農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、
動揺と混乱を深める過渡期ロシア。
悪霊に憑かれた豚の群れが、
湖に飛び込んで溺死するという聖書の記述から
無神論的革命思想を悪霊と見立て、
それに憑かれた人々とその破滅を描く。
そんな裏表紙の触れ込みのドストエフスキーの大作、悪霊。
罪と罰で遅かれ、初めてドストエフスキーに触れ感銘を受け、
そして次に選んだのがこの悪霊。
罪と罰で慣れたのか、今回は読みやすく感じる。
やはり人間の心理描写を描くのにすごく長けているというか、
時代性というものを感じずに読み進めることができる。
とても100年以上前の作品とは思えない、ある意味新しさがある。
重苦しい裏表紙の触れ込みからは想像することもできない、
前半のステパン先生の情けなさにどこか安心感すら覚える。
物語はニコライやステパン先生の息子ピョートルの帰還によって
途端に加速感を増し、重みと緊張感を持たせる。
賽は投げられたり。彼らの運命は確かに破滅へと回り始めていた。
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「無神論を悪霊に見立て、それにとりつかれた人々の破滅を描く―」
裏表紙の文です。
シャートフやニコライ、またそれに迫るピョートルなど、確かに破滅の足音が聞こえてくる感があります。
しかし正直「白痴」同様読みにくさを感じました…。
ステパン氏とは何の描写なのでしょうか?
アンチ無神論者であるが滑稽に描かれている彼の様は何の意味を持っているのでしょう。
風車に向かうドン・キホーテのような無謀な挑戦をする存在としてでしょうか?つまり新時代の自由思想に無謀にも向かっていく、哀れな過去の遺物という役割を背負わされているのか。
悪霊という題は何を意味しているのか?
ただ単に著者の嫌悪感を表しているのか?
それともいつかは駆逐されるものとして、逆にキリストの福音を強調するものなのか?
また無神論に対する教会という存在がシニカルに描かれているのも気になります。
…正直理解は難しいと思いますが、それでも読んでいきたいです。
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9/10
真実は文字の向こう側に存在する。
第一部は長尺であり様々な登場人物の相互関係が描かれ、クロニクル的で、極めて難解だが、止まらない。この部が悪霊の土台を作ると思うから、何があっても無視してはならない。中には無視をする人もいるらしいが、勿体無い。そしてニコライとピョートルが出てきた場面は、突如の登場で、ようやく来たか!と素直に思ってしまった。まるで霹靂を感じた。そこから、一気に面白くなる。革命が起こる前の、この不安定な空調がしみじみ、最初っから感じることができる。第二部はもうたまらなく面白い、難しいのは難しいが、ピョートルとニコライの隠された謎と不気味な空気がドストエフスキーでは感じられない数少ない空気だなと感じた。
江川卓 新潮文庫版の流れ方が完璧。ステパンとワルワーラの出会いからの遍歴から始まり、関係の終局で終わる。
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「罪と罰」が面白かったので、そのまま本書を手に取った。会えば身内だろうと浮浪者だろうとお金無心されるってどういう状況T_T 価値観ががらりと変わる時代においてインテリたちが苦悶するのはなんか、ちょっと三島とか太宰とかと近いものも感じるなぁ。死の捉え方も興味深いとのがある。登場人物再整理しつつ…下巻に続く。
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文豪による大作。
一人称になっているが他作品と違って三人称になったりもする形式。
ワルワーラ夫人の庇護下にあるステパン氏が主役かと思えばそうでは無くステパン氏の教え子ニコライ・スタブローギンが主役。この男、美青年であり教養もあり腕っ節も強くいわゆるイケメンであるがドス黒い過去を持ち合わせており尚且つ登場時には無気力状態という正体不明なカリスマ性があります。今まで読んだドストエフスキー作品の中でかなり個性的なキャラだと思われる。
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ドフトエスキーの話は展開が気になるものばかりだ。
侮辱を侮辱で返されず善で返されると人は良心の呵責に苛まれてしまうものなのか。ニコライは本当は良い心を持った人間だったんだろうなあ。
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悪霊 (上巻)
(和書)2009年09月13日 01:19
1971 新潮社 ドストエフスキー, 江川 卓
米川正夫翻訳「悪霊」は以前に読んだことがあるのですが、今回は江川卓翻訳で再読しています。
関係というものが関係妄想のように諸関係がその活動を開始し始めその呪力(ハウ)のようなものによる関係性がからみ複層的に争乱の予感を滾らせていきます。それがどうなっていくのかとても興味深く読んで行くことになると思います。
下巻も楽しみ。
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『白痴』が俗世に現れた天使が主人公ならこれは俗世に現れた悪魔が主人公なんだけど、その対極を本心から心理描写できるのが凄い著者だなぁと思う。神あるいはそれに近い、人間よりも偉大な概念が無くなった時代には善も悪の概念もない、そうだろうなぁと漠然と思った。
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政治思想、あるいは思想。そういう領域ですか?
各時代にはその時代ごとの、地域ごとの思潮・風潮がある。(きっとこの今、現代にも)
それを描き出し書き留めておくのが彼や彼らなのだろうなと。こういうことを誰かがやらないとダメなんだろうなと。
歴史は事実(史実)の連なりだから正確ゆえに無味無臭。
そうではなくて、物語の形態に再構築することで、激しく匂い立ち、それでいて、腑に落ちる。そういうことね、と五感でもって、体感的な理解に至る。
いや、しかしムズいので、再読が必要かも・・
とりあえず下巻へ。
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ドストエフスキーの思索的文学的探求の頂点に位置する大作。性格分析や言動解明を受け付けない、規格外のスケールで描写される個性的な登場人物たち。時代を反映した混沌の様相を呈する彼らの思想や言動は一見常軌を逸しているようだが、その実人間の本質を鋭く抉り出しているように思える。特にスタヴローギンの告白の章など。狂気に満ちたこの作品の背後には、作者が帯びるある種の霊感、あるいは悪霊が透けて見えるようだ。
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上下巻合わせて1300ページくらいある中で、最後の300ページくらいは目を離せない展開なのですが、それまでの前置きとでもいえる部分には読むのに忍耐が必要でした。が、面白いことは面白いのです。
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農奴解放令によってこれまでの価値観が崩れ、混乱を深める過渡期のロシア。改革という名のもとただ破壊に走る若者達の破滅的な行動を、作者は「悪霊につかれた者たち」として表現しました。それは人間誰もが潜在的に持っている「悪」の表出にすぎないのかもしれません。数あるドストエフスキーの作品中でも「救い」の見られない、残酷で悲しい作品です。
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上巻は謎が謎を呼ぶ一方で1章ごとに休憩入れながら。下巻の1/3読み進めたあたりからは展開がジェットコースター。いつもながらエピソード作りはめちゃ面白い。
けれど、やはりこの信用できる人間が誰もいないタイプの構造は苦手。人物が本音で話し出すまでが辛かった。
こんな小説が産みながら密告と粛正の国になっていくこの時代、やはり興味が尽きない。
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村上春樹「騎士団長殺し」にドストエフスキーの悪霊の〇〇のような、との比喩があった。単身住まいで手元に本がないが、スタヴローギンのような、という文だったんだろう。
兎も角、そんな切っ掛けで悪霊を読んでみる気になった。
悪霊がどんな小説であるかは裏表紙にある。無神論革命思想に憑かれ破滅した青年たちを実在の事件を元に描いたと。冒頭には、プーシキンの悪霊に憑かれた姿を描く詩とルカの福音に描かれる悪霊に憑りつかれて湖に飛び込んでいく豚達の文が引用されている。
最初の登場人物はステバン氏。歴史学者で活動家と紹介されるが、卑小な存在だったとあけすけなく綴られる。そして、彼のパトロン、ワルワーラ夫人。登場人物は多数あるが、第1部は殆どこの二人の物語。ドストエフスキーの悪い癖で意味なく唯々、長い。物語が何処に向かうのかまったく見当つかない。
ワルワーラ夫人の子、ニコライ・スタヴローギンとステバン氏の子、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーの登場でやっと物語が前に進む。しかし、40年前の高校生の時分だったら「スイスでの他人の不始末」なんて持って回った云い方はピンと来なかったかも知れない。
一旦、決着着いたと思った話が、次のシーンでどんでん返し。あれ、ミステリーだった?ネタバレに注意しよう。
無政府主義の青年たちの心情の吐露が神についての問答となるのが日本人の自分には判りづらい。カソリックについての批判には納得するが、ロシア正教について無知だし、難しいなあと首を捻るばかり。
最初、伝聞として語られていたニコライが小説の中で動き出すと、どう説明して良いか判らない。婚約や決闘。彼はまともに行動しているつもりなんだろうけれど、正直、理解しがたい人物として存在が重くなってくる。
やっとの思いで、上巻を読み終えた。暫くしたら、ステバン氏のエピソードは何も頭に残っていないだろう。何のための長編だったかと云えば、疑問だらけ。ストリーテラーとしてドストエフスキーには根本的な問題があると思う。
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相変わらずのドフトエスキー調。ロシア節。ニコライが魅力なのに出てくるのが遅すぎやしないか?前半の長々とした退屈な場面であやうく本を置きそうになってしまった。
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司馬遼太郎が、ある講演で、日本の小説は前置きが短いが、海外の小説は本題までがやたら長く苦痛なのがあると言ってたが、この小説はその最たるものかもしれない。14.3.3
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こんな場面転換、ありなのか・・・
ストーリーといい、登場人物の多さといい、ドストエフスキーの作品はまだまだ私と馴染みが良くないようです。
下巻へ行くには、いったん、休まねば…
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一番難解といえば難解。スタヴローギンとは結局何者か。キリーロフがいい。お茶が好きで、生きているのが好きなんだけど死のうとしている。その思想がスタヴローギンの所産とされているのが解せない。スタヴローギンの他人をそそのかすという資質がとても良い。ピョートルステパノヴィチの実務的な才能とは違い、そのカリスマ性を描写されている。主人公がいるタイプの作品。結構好きだよ。