ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
以前別の出版社のものを読もうとしたら訳が馴染めず序盤でリタイヤしてしまったけど、こちらは読みやすい訳なので読みきれた。
この訳者の訳は批判されることもあるようだけど、細かいところは一旦おいておいてまず読みきることを前提とするなら一番向いてる気がする。
しおりに登場人物表もついてるのでわかりやすいし。
それでも後半までは話があまり進んでる感じがしなくてしんどかったけど、キリーロフの話は引き込まれるものがあったし、終盤やっとスタヴローギンとピョートルが登場してからは展開が気になって楽しく読めた。
ここからだいぶ話に勢いがつきそうな気がするので2巻も楽しみ。
(2024/01/22 再読) -
Posted by ブクログ
一応架空の主人公を設定していますが、実際にはドストエフスキーの実体験を描いているルポタージュのような小説。ノンフィクション、ドキュメンタリーの好きな私には読みやすかった。描かれる囚人たちの描写も様々で面白く読めた。
鞭打ち刑は想像以上に厳しい物のようで、それで死んでしまうこともあった刑罰のよう。小説内で主人公は「犯罪の差異に刑罰の結果の重みが平等に応対しているか」「同じ刑罰でも、受ける人によって非常に軽い結果となる場合と思い結果になる場合があるが、それは平等なのか」、囚人たちが真に欲しているのは「自由」であり「思い通りにふるまう自由」を求めていること、刑罰が囚人の更生にならないことなどについて論じさせている。そして、病人の収容される病棟で、病に苦しむ囚人の外されない足鎖、閉鎖される病室の空気の悪さなども描写される。一方で、収容所内のクリスマスなどの祝祭日、囚人たちが演じた劇の盛り上がり、馬の購入、集団入浴などの賑やかな様子の描写は非常に面白く興味深い。
「死の家の記録」はこれが初めて読んだので、他の翻訳版と比較することはできないのが、光文社古典新訳文庫の望月哲男訳版は非常に読みやすかったし、巻末の読書ガイドも非常に面白く参考になった。そのガイドの中で、監獄に収容されている状態を「生きながらの死(人間的尊厳の破壊)と定義し」「暴力や恫喝は後悔にも矯正にも結び付かず、そうした効果は理解や許しという生きた魂への働きかけから生じる」と示唆している(p.707)と述べているが、そのような罪に対する罰は、現代でも難しい。正直、私が罪を犯した人に求めているものも「罰としての罰」であるのが本当のところだと思わないでもない。
「自由」「贖罪」というテーマは、その後のドストエフスキーの「地下室の手記」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」でも根底に据えられているとのこと、これらの作品も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
本書の魅力は、登場人物がそれぞれ強烈な特徴を持っていることです。
特にラスコーリニコフは、自らの考えを正しいと信じ、最後まで変わることがありません。自首し投獄される中でも道徳的な罪というものを認めることができずに葛藤します。自分を非凡な人間だと信じる自尊心が強く、高慢で不信心な若者が、人を殺めたときにどう感じるのか、生生しい苦悩の描写に引き込まれました。
ラスコーリニコフがソーニャを罪人だと責める理由が最初分かりませんでした。ソーニャが自分の人生を生きないから、つまり偉大な人生を貪欲に求める彼の思想と正反対だからだと読み終わった後に思いました。
エピローグの結末は個人的に好きです。
時を経ても変わらない面白さを感じることができるまさに名著です。 -
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ネタバレFeBeで聴書
主人公の心の動きを整理してみました。
家族の訪問にて家族との再会に喜ぶも同時に拒絶する。
ソーニャの訪問にてソーニャに惹かれる。
ポルフィーリーのもとへ時計を取り返しに行くと称して偵察に行く。ラズミーヒンを騙す狡猾さが見られる。
スビトリガイロフの訪問に驚く、幽霊の話に自分の経験と重なりあっけにとられる。
ルージンと妹の縁談の破談。家族と絶縁する。罪人としての意識と決心が読み取れる。
ソーニャに会いに行く。彼女を自分と同じ罪人とし、一緒にいるべきだと考える。
警察署にてポルフィーリーと面会する。自白に行くのかと思いきや、ポルフィーリー見抜かれないように振る舞う。手の内を暴こうと心理戦を繰り広げる。
上巻はほとんど主人公について語られていましたが、中巻では家族や友人、その他の登場人物が多く登場し物語が豊かになってきます。さらに面白くなってきました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレFeBeで聴書
主人公の心の動きを整理してみました。
ある計画が頭に浮かんでいるが、現実味がなく感じている。
マルメラードフとの出会い。自分の惨めな境遇と重なって、彼に共感する。人間どこかに居場所がなくっちゃいけない。
母からの手紙。彼の人柄が分かる。妹想いの兄であること。事の一切を見抜く鋭い利口さがある。ひねくれている。
衝動的に行った外出。偶然に絶好の機会が訪れ、計画の実行を決心する。
計画の決行。精細さを欠いた、行き当たりばったりの行動から決心しつつも、自分の中で受け入れられていないことが分かる。そして、自らが事を起こす前に想像していたにも関わらず、気が動転しこらえきれなくなる。
その後は、自らの行いを受け止められない。
病気になり、証拠を隠滅する。
それでも、罪の意識が彼の心を蝕み、自首、自殺の寸前まで行った。
マルメラードフの死に直面する。彼を救おうとすることで主人公の本来の良心が蘇る?もしくは彼の娘から感謝されることで救われる。
貧しさからすっかり心がやせ細った人間の起こす、人の矮小さ、心の葛藤が描かれていて面白いです。
続編が楽しみです。 -
Posted by ブクログ
ちょっと前に「白痴」も読んだが、ドストエフスキーって長編作家として欠点有り過ぎだと思う。
海堂尊さんは同日に同時並行に起こる事件をデビュー作として書いたが、編集者の助言で「チームバチスタ」「ナイチンゲール」の2作に書き直したという。僕が編集者だったら、この作品をステバン氏、ピョートル、ニコライが主人公の3作に書き直させるな。
終盤のステバン氏の再登場。ロシアの大衆を愛すると云いつつ、世間知らずで、まったく大衆を知らない。知と美に殉じ、変な拘りで自分を追い込んでいく。しかし、ドストエフスキーは愛情をもって、このピエロ的人物を描いている。
その息子、ピョートルは頭に穴が開いたよう軽薄な人間。その仲間たちの中で披露されるシガリョフの説は、平等を齎すため人々を原始的な天真爛漫な家畜に作り替えるべきという。まるで毛沢東やポル・ポトを予言しているようだ。ピョートル以下の破壊分子達はロシアの改革に理想を見ていない。ただ、破壊を目指している。
平然と転向者の汚名を着せた人間を殺害し、その罪を自殺願望者に押し付けるピョートルは人間的な感情を失っている。
最後に未完の稿として収録されたニコライ・スタヴローギンの告白がなかったら、彼は単なる奇妙な登場人物であったろう。人々を、女性を、陰謀家のピョートルまで惹きつける魅力のある人間なのに、周囲を破滅させ、平然と罪を犯す。何故こんな人間が出来上がったのかと考えれば、高等遊民でロシアの地に根を張らないデラシネであったこと。そして、やはり当時の無神論の所為だと思う。
チホンとの対話の中で黙示録が引用されて、「白痴」にも黙示録を購読する無神論者が登場していたことを思い出す。しかし、僕はロシア正教にも黙示録にも不案内なので、首を捻るばかり。社会主義が神への信仰の問題と語られるのは日本人には理解しがたいと思う。
ピョートルが知事夫人に取り入って、大イベントの裏で陰謀をめぐらす茶番劇はあまり感心しなかった。
この顛末は、頭が悪く立場をわきまえない首相夫人が、かなり低能なペテン師にいい様に乗せられていたことを想い出させた。本当、くだらない茶番だ。
カバーの裏表紙に「組織を背後から動かす悪魔的超人スタヴローギン」とある。
新潮文庫とあろうものが、何だ、この出鱈目は。 -
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの本は一度読んだだけでは理解が完全ではないと言われてますが、この本は苦戦しました。
まず、登場人物が多い!
これから読む方は書き出しながら読むのをお勧めします。
内容としては、とにかくごちゃごちゃしています。
というのもヴェルシーロフが何人もの女性を抱えるのは今で言う「ゲス不倫じゃないか!」とも言えますが、調べてみるとこの頃のロシアは離婚という法律がなく、一度結婚したらずっと離婚をせず、ヴェルシーロフのようにカテリーナに結婚を申し込むような二重三重結婚はよくあることだそうで、日本人の感覚で言うとちょっと信じられないから余計に混乱してしまう理由の一つでもあると思います。
一番好きなシーンは戸籍上の父親マカール公爵とアルカージイとの会話。
マカール公爵は彼にとって有益な言葉を沢山残して、またその語口が凄く好きだなと思いました。
まだ、よくしっかり内容を掴む為に、時間を置いて再読したいと思います。 -
Posted by ブクログ
ギャンブルの描写が、
ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。
主人公が後半に大勝負するところも含めて、
ギャンブルにはいろいろな面があり、
いろいろな局面をつくり、
いろいろと作用することがよく描かれていると思った。
そして、その魔性についても。
このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。
もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、
そうなると個人的すぎて、
ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。
『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、
ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。
ギャンブルそのものについては、そう。
ぼくもね、
けっこう競馬とパチンコではあるけれど
ぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、
その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)の
ギャンブルについての知識というか、
どれだけわかっているのかを
値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。
さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。
重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。
そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。
五大長編の読破以来、
久しぶりにドストエフスキーを読みましたが、
やはりよかったですね、おもしろいです。