あらすじ
ドイツのある観光地に滞在する将軍家の家庭教師をしながら、ルーレットの魅力にとりつかれ身を滅ぼしてゆく青年を通して、ロシア人に特有な病的性格を浮彫りにする。ドストエフスキーは、本書に描かれたのとほぼ同一の体験をしており、己れ自身の体験に裏打ちされた叙述は、人間の深層心理を鋭く照射し、ドストエフスキーの全著作の中でも特異な位置を占める作品である。
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すっごく面白い。冒頭はけっこう硬くて、これは厄介なものに手を出してしまったと後悔したのだけど、おばあさんが出てきてから俄然面白くなり、特にカジノの場面はめちゃくちゃ面白い。主人公が、好きな女の子といい感じになってその流れでカジノで大勝ちする場面が痛快だ。とっくにパブリックドメインなので、現代に置き換えて漫画にしてみたい。
Posted by ブクログ
この作品を27日で書き上げたのはすごい。
とても救いようのない話だった…金、金、金!
「あと一回、あと一回」が重なって有金がなくなるんだろうな。主人公もそうだし、お祖母ちゃんの破滅具合は読んでて苦しかった…ギャンブラーってこんな感じなのかなって想像できた。
あと、フランス人に対する当たりが強くて面白い。
Posted by ブクログ
ルーレット賭博の魅力に取り憑かれ、泥沼に嵌まっていく人たち。賭博そのものよりも、賭博に取り憑かれる心理を通じて「人間」を描く。本作からも、「全てを平準化する力としての金の威力」という、ドストエフスキーの一貫したテーマの一つを強く感じとることができる。またギャンブルに対する関わり方や、金銭的な感覚を通じて、ロシア・フランス・イギリスの国民性の違いをかなり強調して描いている。ロシア=蕩尽、フランス=収奪、イギリス=分配といったかなり大雑把な分類(イギリス推し・フランス嫌いがすごい)ではあるが、それなりに説得力はあるし、なによりそういった分類が、作中の登場人物の特徴を際立たせ、魅力的な人物として描くことに貢献しているように思う。フランス人は怒るかもしれないが。
ドストエフスキーらしさ全開の面白い小説でした。
Posted by ブクログ
ヤバイ。愛も金も人生をかけてルーレットにかける主人公の感情に完全に惹きつけられた。"ロシア人特有の病的性格を浮き彫りきする"と本の広告にあるが、この一発に全てをかける気持ちは誰もが持ってるんじゃないか??
Posted by ブクログ
賭博狂の心理がリアルに描かれていて、非常にスリリング、かつ恐怖感を抱かせる作品だった。
賭博で大勝をする興奮、負けを取り返すという心理、それらを醒めた眼で眺める第三者的な視点と、自分自身がそこにはまり込む快楽の全てが、圧倒的なリアリティを持って描写されている。そのあまりのリアルさに、この作品に描かれている狂気が決して人事ではないと感じさせ、善良な人間も、賢い人間も、老いも若きも男も女も、簡単に狂気へと転落させる賭博行為への恐怖感が強烈に後味を残す。
Posted by ブクログ
ギャンブルの怖さがよくわかる小説。ドストエフスキーが、債権者である出版人に苦しめられて、わずか27日の口述筆記によって完成。そのため、とっ散らかった序盤の読みづらさや、登場人物によっては行く末が尻切れトンボな人もいますが、著者のギャンブル経験あっての迫真な賭けのシーンは十分楽しめました。
あらすじ:
家庭教師のアレクセイ・イワーノヴィチは、金策にパリなどを駆けずり回り、南ドイツのカジノがある観光地に滞在している雇い主の将軍一家に合流します。この将軍、借金だらけで、フランス人債権者のデ・グリューに首根っこを抑えられている始末。頼みは、危篤状態の資産家のお祖母さんの遺産。それが手に入れば全額返済しても余裕な莫大な金額なため、遺産を手にマドモアゼル・ブランシュとの結婚を考えていたのでした。一方、将軍の義理の娘ポリーナに恋焦がれるアレクセイは、遺産がポリーナに与える影響をフランス人債権者のデ・グリューとの関係を勘ぐってヤキモキします。そんな折、お祖母さんが皆の宿泊しているホテルに現れて、亡くなるどころか健在ぶりを披露。アレクセイを伴ってカジノに行き、ルーレット勝負に大金を賭けはじめて…。
ギャンブルではアルアル話しの心理面の変化が、著者自身も賭博者だけに、なんとまあリアルな書きっぷり。賭けにハマって行く過程やスリル、そして運に見捨てられて破滅に至る終局や、勝っても負けてもお金に群がる人たち…そんな悲喜交々がドキドキしながら味わえました。やっぱりギャンブルは胴元が儲かるようにできてるんですね。読書中は某有名通訳もこんな感じだったのかなと脳裏をよぎったのでした。
Posted by ブクログ
デ・グリューとミスター・アストリーを同一人物だとずっと勘違いして読んでいた。最後の最下位ののシーンでなんかおかしくね?ってなって気づいたけど、ロシア文学はややこしい。
自分はパチンコ位しか賭博をやった事がないからあまり詳しくないけど、負けた時のあのゾクゾク感は分かる。その瞬間、金を取り戻す事しか頭に残らないんだよね。お祖母さんがとんでもない金額負けるシーンはなんか共感出来た。最後まで嫌な人にならず、自分の事を馬鹿な老人って反省してるのがいいね
ポリーナが自分勝手で、あんまり好きになれなかったなあ。主人公を弄んで、最後はフランス人とぬくぬく生活。まあ主人公も悪いけど。
Posted by ブクログ
不思議な感覚、後半の読書疾走感が気持ちよかった、ぐいぐいページを進められた。ギャンブルの真髄が垣間見えた。でもそれが何かって、言い表せない。不思議で素敵。
Posted by ブクログ
ルーレンテンベルグなる観光地でルーレットに取り憑かれた人間模様。
賭博にハマった人たちの行動と心理描写のリアリズムが凄い。結局のところ大勝しても大敗しても破滅的な末路に陥るのは勉強になる。特にお祖母さんの顛末はテンプレート的ですらある。
魅惑のポリーナの描写が生々しいと思ったところ解説によるとモデルは不倫相手。更にドストエフスキー自身もギャンブル狂という実体験によるリアリティと納得。
ラストも印象的な賭博小説の逸品。
Posted by ブクログ
他の長編にくらべると思想的なものが薄かったりして読みやすかった。
ギャンブルにはまったひとにしか書けなさそうな文だとおもったらドストエフスキーもギャンブルでえらいめにあってたのね…。
書いてあることが、ギャンブル依存症の知人が言ってることとだいたい同じだった。
老婦人が登場してからの勢いのある賭け方とスリ方にはつい笑ってしまった。
ドストエフスキーの登場人物は唐突に叫んだり激昂したりするけど、この人もそんな感じで、周りが必死になってとめてるのにウォォォ!とばかりに賭けまくって持ち金全部なくす様は潔くもあり滑稽でもありまた切なくもあった。
負ければ取り返したくなるのは仕方ないことだけどあまりにもはちゃめちゃな賭け方。
『生涯にせめて一度なりと、打算的で忍耐強くなりさえすれば、それでもうすべてなのだ!せめて一度でも根性を貫きとおしさえすれば、一時間ですべての運命を変えることができる!大切なのは、根性だ。』
という文は、すごい根性論ではあるけれどつい逃げそうになってしまう私には響いた。
Posted by ブクログ
愛するポリーナのためになけなしの金を賭けて、主人公イワンは20万フランの勝ちを得る。
だが「あんたのお金なんか貰わないわ」と顔に投げつけられてしまう。
何たる屈辱であろうか。
ギャンブルって、はまると抜け出せなくなりそうだから怖いよな。
気がついたときには、この作品の主人公のように、労働を忘れてしまった、滅んだ人間になってしまっているのかもしれない。
「ゼロさ、ゼロだよ!また、ゼロだよ!」
お祖母ちゃんの快進撃がかなりおもしろいです。
Posted by ブクログ
最終章となる第17章がとても印象的だ。
マドマアゼル・ブランシェとのパリでの浪費生活を終えたアレクセイは、ルーレット賭博のためにルーレテンブルク、ホンブルクと流れ着き、各地で手痛く敗北する。
やがてホンブルクで再開したアストリーから、かつて恋い焦がれていたポリーナの真の気持ちを告げられる。その内容は、あれだけつれなかったポリーナが、実はアレクセイを愛していたというものであった。これを機にアレクセイは再起を志す。しかし、既にアレクセイの生活から賭博は切り離し難く、再起のための手段と称して再び賭博に手を出そうとする…。最早、彼にとって賭博を打つことは経済的再生の手段ではなく、刺激を得る為の目的となったようだ。
私は小心者であるから、博打ごとはとても苦手だ。お金が増えるのは有難いが、無為に失くすかもしれないと思うと興奮よりも恐怖が先立ってしまう。そのような自分には、この賭博者で描かれているアレクセイやワシーリエブナお祖母ちゃんの心境について理解仕切ることは難しいだろう。分かるといえば、失ったものを取り戻すために更に失うおそれのある行動をしてしまう心理は分かるかもしれない。
月並みな感想だが、博打は怖そうだから極力避けようと強く思った、というところです。
この本のもう一つ印象深いところは、自分自身の価値観に照らすと、登場人物のほぼ全員が嫌な奴ばかりで、イライラさせられるのに、途中で読むのを放棄したいとはならないところかな。それだけ惹きつけるものがある。
人柄としてはアストリーが一番マシだが、ポリーナに対する対応は英国流の騎士道精神に隠した下心がありそうで嫌だし、他人の破滅をそっと眺めて楽しんでいるようにも感じてしまう。
最大のイライラ人物はブランシェでしょう。次点で賭博場にいたポーランド人たち。
やたらとこの本はフランス人とポーランド人、そしてロシア人に厳しい。どんな作者も一定の批判精神を持って作品を書く場合、自国民には当然に厳しくなるかも知れないが…。
ところで、この本は初版が1861年に出版されたそうです。そうするとクリミア戦争でフランスがトルコ側についた恨みや、ロシアがポーランド王国を支配していたことからくるポーランド人への蔑視なんかがあったのかもしれないですね。また、罪と罰で悪し様に扱われたユダヤ人ですが、端役ではあるものの、この本ではちょいと良い人として現れるのも不思議な感じです。ネットで調べる限りではドストエフスキーさんは、晩年、ユダヤ人嫌いだったようです。これを書いていた当時はまだそこまで嫌いではなかったのでしょうか。
Posted by ブクログ
ギャンブルの描写が、
ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。
主人公が後半に大勝負するところも含めて、
ギャンブルにはいろいろな面があり、
いろいろな局面をつくり、
いろいろと作用することがよく描かれていると思った。
そして、その魔性についても。
このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。
もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、
そうなると個人的すぎて、
ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。
『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、
ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。
ギャンブルそのものについては、そう。
ぼくもね、
けっこう競馬とパチンコではあるけれど
ぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、
その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)の
ギャンブルについての知識というか、
どれだけわかっているのかを
値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。
さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。
重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。
そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。
五大長編の読破以来、
久しぶりにドストエフスキーを読みましたが、
やはりよかったですね、おもしろいです。
Posted by ブクログ
お祖母ちゃんが登場してからの展開のジェットコースター感たるや。僕は頭に血が上りやすいタイプなので、ドストのほかの作品を読んでも登場人物に共感することが多いのだが、この本はまさに賭け事にハマった自分のシミュレーションに他ならないなと感じた。パチンコにだけは手を出すまい。自らの誠実な気持ちのすべてを、賭博室へ向かうための言い訳にすり替えてしまう描写がリアルで恐ろしい。
Posted by ブクログ
2015/01/05
ドストエフスキーはこの作品をわずか27日間の間に口述筆記で書き終えている。
ルーレットに取り憑かれた病的な青年の絶望的な恋が悲しい。
ドストエフスキーの経験が大きく影響しており、後半の展開は熱中させられた。
Posted by ブクログ
能動的に仕掛けているようで、実はほとんど運任せという受動的な遊び
それがギャンブルだ
お金とは、人間にとって社会的な生命とも呼べる重要なものだが
ギャンブルという「大人のお遊び」においては
この、お金というものを、おもちゃとしてあつかってしまう
お金を賭けたが最後
否応なく生と死のグレーゾーンに直面させられるのだ
だがしかし、それは勝負が決するまでのほんの一瞬において
彼がすべての社会的責任を放棄できるということでもある
つまり、幼児に返るということだ
こう考えると、ギャンブルはまさに「享楽」と呼ぶにふさわしい遊びである
一方、ギャンブルを「信仰」と解釈することもできるだろう
なにしろ、信じて賭けつづけていれば、いつか当たりがくるのだ
破産しない限りは!
しかし、今や神の実在を無邪気に信ずることのできない時代でもある
たった一度の偶然をもって、奇跡の実現とみなすことは不可能だ
ゆえに、ビギナーズ・ラックは地獄の門となりうる
奇跡をもう一度、いや何度でも確認したいばかりに
ギャンブルの神を信じる者たちは、どんどん深みにはまっていくわけだ
悪い男にだまされて
純情だったロシアの娘は、もはや神の実在を信じることができない
賭博者が、一生に一度の大当たりをすべて彼女に捧げたところで
そんなものは偶然の産物でしかない
そう考えざるをえないのが、現代の絶望である
だから賭博者は
世界の絶望を癒すために、今日も賭けつづけるのだ
悲しい話だと思いませんか
Posted by ブクログ
バクチって怖いよね、と雑に一言で終わらせてしまってもいいかもしれん。賭け事に嵌ってしまい、ズルズルと破滅していく登場人物の心の動き方、周囲の人との関わり方が克明に表現されています。一方、描写そのものはくどくもなく、ダレる感じもないのであっさり読み進めていける感じです。
中盤から登場する、ある人物がルーレットで凋落していく様子は、「きっとこういう人が当時は間違いなくいたんだろうな」という感じで、シニカルであると同時に戦慄すら覚えます。
ドストエフスキーの他の作品はあまり読書経験がないのですが、恐らく読みやすい部類に入るのではないかと。それほど厚くもないですし。
一部は著者自身の経験にも基づいているらしいので、著者の人生の一部を覗いてみるという感覚で読むのも面白いかもしれません。
Posted by ブクログ
著者自身が南ドイツのヴィースバーデンに滞在していた頃の経験を元に、ロシア人特有の気質ゆえにルーレットで身を滅ぼしていく人々を描いた一冊。
序盤で出てくる、誠実な勤労によるドイツ式蓄財法とロシア式の無謀な博打の対比が良い。
ドストエフスキー『賭博者』の中で一番の名文だと感じた箇所をまるごと引用↓
...
「しかし、僕の考えだと、ルーレットというのはもっぱらロシア人のために作られたものですよ」とわたしは言い、わたしのこの感想にフランス人が蔑むような薄笑いをうかべたので、そりゃもちろんわたしの言うことが正しい、なぜならロシア人が博打好きだとわたしが言うのは、ロシア人を賞めると言うより、むしろけなしているのだし、したがってわたしの言葉を信じてもらって差支えない、と述べた。
「あなたのご意見は、いったい何を根拠としているんです?」フランス人がたずねた。
「根拠ですか、それはつまり、文明化された西欧人の美徳と徳性の基本的テーゼの中に、歴史的に、それもほとんどもっとも重要な項目として、資本を獲得する能力が含まれた、ってことですよ。ところが、ロシア人は資本を獲得する才がないばかりか、ただいたずらに、むちゃくちゃに浪費するんです。それでいながら、われわれロシア人にだって金は必要です」わたしは補足した。「したがってわれわれは、たとえばルーレットみたいに、二時間ほどで労せずしてふいに金持になることができるような方法を歓迎しますし、ひどく取りつかれやすいんです。こいつはわれわれには大きな誘惑ですからね。だけど、われわれは勝負するのも、苦労せずに、ただいたずらにやってのけるから、負けるんですよ!」
「それはある程度正しいですね」フランス人がひとりよがりに指摘した。
「いや、それは間違っている。君は自分の祖国をそんなふうに批評して、よく恥ずかしくないね」きびしく、いさめるように、将軍が注意した。
「とんでもない」わたしは将軍に答えた。「だって、実際のところ、ロシア式のめちゃくちゃと、誠実な労働によるドイツ式蓄財法と、いったいどっちが醜悪か、まだわからないでしょうに?」
「なんてめちゃくちゃな考えだ!」将軍が叫んだ。
「実にロシア的な考えですな!」フランス人が叫んだ。
わたしは声をあげて笑った。ひどく彼らを挑発してやりたかった。
「でも僕は、ドイツ式の偶像にひれ伏すくらいなら、むしろ一生キルギス人の天幕で放浪しつづけていたいですね」わたしは怒鳴った。
「何の偶像だって?」将軍がもはや真剣に怒りだしながら、怒鳴った。
「ドイツ式の蓄財法にですよ。僕はここに来て日が浅いけれど、それでもやはり、ここですでに気づいたり、確かめたりしたことが、僕の中のタタールの血を憤激させるんです。まったく、あんな美徳なんぞ、厭なこった!僕はここの周囲を昨日いちはやく十キロばかりまわってみたんですがね、寸分違わずそっくりですよ。ここでは、どこへ行っても、それぞれの家に、おそろしく行い正しい、並はずれて誠実な父親がいるんです。そばへ寄るのも畏れ多いほど、誠実な父親がね。」そばへ寄るのも畏れ多いほど誠実な人間なんて、僕には堪えられませんよ。そういう父親の一人ひとりにそれぞれ家庭があって、毎晩みんなして声をあげて教訓的な書物を朗読するんです。こぢんまりとした家の上では楡や栗の木がざわざわと鳴っている。夕日と、屋根にとまったコウノトリ、何もかもが並みはずれて詩的で、感動的なんだ・・・
怒らないでくださいよ、将軍、もっと感動的な話をさせてください。僕自身だって、死んだ父親が小さな庭の菩提樹の下で、毎晩、僕と母にそういった本を朗読してくれたのを覚えているんですから・・・だから僕自身、こういうことに関してはきちんと判断できるんです。ところで、ここのそういった家族はすべて、父親に完全に隷属し、服従しているんです。みんなが去勢牛みたいに働き、みんながユダヤ人のように金をためている。で、かりに父親がもうある程度のグルデン金貨をためたとなると、家業なり、ちっぽけな土地なりを譲るべく、長男を当てにするんです。そのために、娘は嫁入り支度もしてもらえず、いつまでもオールド・ミスでいることになる。そのためには、下の息子は奴隷奉公に売りとばされるか、兵隊にやられるかして、その金は一家の資本に繰りこまれる。実際、ここではそういうことが行われているんですよ、僕はいろいろたずねてみたんだけれど。そうしたことすべてが行われるのも、誠実さゆえにほかならないんです。それも、自分が売りとばされたのは誠実さゆえにほかならないと、売られた下の息子まで信ずるくらい、強化された誠実さですよ。‐生贄に曳かれていく犠牲自身が喜ぶなんて、これは理想じゃありませんか。それからどうなると思います?その先は、長男だって前ほど楽じゃない。長男には心で結ばれたアマリヘンだとか何とかいう娘がいるけれど、まだそれだけのグルデン貨幣がたまっていないから、結婚するわけにはゆかない。二人はこれまた品行方正に、まじめに待ちつづけ、笑顔で生贄に赴くってわけです。アマリヘンはもう頬がこけて、しなびてゆく。二十年ほどたって、やっと財産がふえたし、グルデン貨幣も誠実に、行い正しく貯えられた。そこで父親は、四十歳の長男と、乳房もしなびて鼻の赤くなった三十五歳のアマリヘンを祝福してやるんです・・・その際にも泣いて、人の道を説き、やがて死んでゆく。長男は今度は自分が行い正しい父親と化して、ふたたびまったく同じ物語がはじまるんですよ。こうして五十年なり七十年なりのちには、最初の父親の孫が実際にもうかなりの資本を作りあげて、自分の息子に譲る、それがまた自分の息子に、そいつがまた自分の息子にといった具合で、五代か六代後には、ロスチャイルド男爵だか、ホッペ商会だか、何だかわからないけれど、そんなものが出現するって仕組みなんだ。どうです、実に雄大な眺めじゃありませんか、百年も二百年もの代々の勤労、忍耐、知力、誠実、根性、不屈さ、打算、屋根の上のコウノトリ!この上何が要りますか、だってこれ以上のものはないんですからね、そしてこういう観点から彼ら自身は全世界を裁いて、罪ある者、すなわち彼らにほんの少しでも似ていない者をすぐさま罰するようになるんです。どうです、こういうことなんですよ。だから僕はいっそロシア式にどんちゃん騒ぎをやらかすか、あるいはルーレットで大儲けするかしたいんです。五代後にホッペ商会になるのなんか、厭なこった。僕が金を必要とするのは僕自身のためにであって、僕は自分を何か資本にとって必要な付属物とはみなしてませんからね。ひどく大法螺を吹いたことは、僕にもわかってますけど、それはそれでいいじゃありませんか。僕の信念はこうなんです。」
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厳粛なる祖母の登場により、狂った様な性急さで乗客を混乱させる。主人公が終世忘れえぬと述懐した奇跡的な夜の賭博は圧巻。打ちのめされた主人公が最後に向かう場所が、愛する人の待つスイスでは無く、自身を破滅させたカジノであり、まさに病的な賭博者。
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カジノに集まる人々の熱狂的な射幸心と金銭欲。作者の自伝的作品。ヤマは2つ。遺産を当てにされている将軍の伯母のビギナーズラックと破綻。第二は主人公である家庭教師の大勝利と散財。そのタイミングのズレで愛する人は精神を病んでしまった。
ラストで革命を経験したフランス人は貴族の財産・文化を「相続」して、うわべだけの「洗練さ」を獲得した事。ロシアには性急な革命はまだ早いというメッセージが込められている。
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後半のアレクセイがポリーナのためにルーレットに挑み、大金をメイクし続ける描写はまるで自分自身が賭博場にいるかのような興奮を覚えた。ルーレットに勝っても人生そのものの賭けにはおよそ負け続ける状態。それでも何かを信じて、明日もまた賭博場に行ってしまう。哀しき人間の性。
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びっちりと一面に並べられた文字とその内容は、理解するのに難しく、なかなか頁が進まなかった。
しかし賭博のシーンは面白かった。
またドフトエフスキーの思考がありありと見えるところには新鮮さ、驚きがあった。
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1866年 45歳
第22作
出版業者とのひどい契約で、締め切りに追われた作者が、口述筆記を使って完成させた作品として有名。
そのせいだろう、作品の最初はゴタゴタしてして、進行ももっさりしている。
中盤、金持ちの伯母が登場してから面白くなるが、ドストエフスキーは、若い女や、いろんな境遇の男たちを描くのは上手だけれども、老女はあまり得意ではないようだ。
全体としてはあまりいい出来の作品とは思えないのは、やはり、やっつけ仕事だからだろう。
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お祖母ちゃんが出てきたところから面白くて、もうお祖母ちゃんの言葉とか態度も面白くて、主人公にしてほしいぐらいだった。
ドストエフスキーの経験から書かれた作品。
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主人公はさる将軍家の家庭教師。思いを寄せるポリーナにはすげなく扱われ、フランス野郎デ・グリューやイギリス人ミスター・アストリーとも不愉快な付き合いをしている。滑り出しは穏やかだが、中盤〈お祖母ちゃん〉登場の辺りから俄然周辺が騒がしくなってきて、主人公も次第にルーレットにのめり込んでいく……。後期の長大で深遠なる傑作群には及ぶべくもないが、程よい文章量と観念色の薄い世俗的な内容は入門編には最適かも。
Posted by ブクログ
物語の筋には全く魅力を感じませんでしたが、話に聞く麻薬のように賭博の魔力というものは非常に強力で、一度成功の幸福感を味わってしまうともう他のあらゆる嗜好に満足できなくなるのだろうと恐ろしくはなりました。賭博において危険なのは、きっとその失敗による損失ではなく、成功による異常な快楽なのでしょう。賭博狂となった主人公に対する、「あなたの人生は終ったんです」というあまりにもあんまりな断定が、なかなか小気味よくて好きです。
Posted by ブクログ
タイトルにもある賭博者の心理描写がメインなのですが、私は登場人物が恋い慕う女性に対して、冷たい扱いを受けて苦しみながら、奇妙ながら密接な関係を気づけていることそのことに喜びと生きがいを感じている哀れさが心に響きました。その後身に起きる出来事に翻弄される中で、恋い慕う気持ちを失い、完全に人間性を失う、それをかつての友人に数年ぶりの再会で指摘される、ぼんやりとした絶望で幕を閉じます。
Posted by ブクログ
解説によると著者の体験をベースに書かれているらしいが、やはり賭博は人を変える強力なパワーが秘められていると感じた。
主人公の家庭教師が仕えていた将軍のお祖母ちゃんの熱狂ぶりは目を見張るものがあった。
それ以上に主人公のアレクセイの賭博へのはまり方が異常だった。
恋焦がれているポリーナが自分の部屋に来てくれただけで、その興奮によって狂ったように賭博を行い、そのまま賭博の虜になってしまう。。
現代でも十分に通用する話だなと思った。
Posted by ブクログ
極端な物語だ。
登場人物みんなが、切羽詰まっている。こういうギリギリの状況こそ、文学が人間を描くのには最適な舞台なのだろう。そう考えてみると、賭博場というのは、作家にとって理想的な環境が揃った空間であるのかもしれない。
この小説には、二人の強烈な賭博者が登場する。
一人は「わたし」という一人称で語られる主人公、もう一人は、高額な遺産を遺すであろうと親戚から期待されている老婆。いずれも常軌を逸したギャンブルの仕方をして、その行為で、自分の人生そのものを博打のタネにしようとする。
そして、もう一人、自らはギャンブルには関わらず、大儲けした男の金を使って堅実に地場を固める、峰不二子っぽいマドモアゼルが登場する。結局のところ、この悪魔的美女が最強キャラというところが、なんだかリアルだなあと思う。
一瞬にして人生が変わる瞬間というのは、一度経験したら逃れられないほどの誘惑なのだろう。その大きな賭けの結末は、周りの人々の人生の崩壊や、パリでの数週間の夢のような日々へと変わっていく。この、夢とうつつがリンクしたような、ドラマチックな展開はとても好きだ。
ドストエフスキーは、そういう破滅的な性格を「ロシア的なもの」と主人公に言わせているけれど、これが的を射た事実かどうかはわからない。でも、確かに、ドイツ人やイギリス人にはなさそうな気質の感じはする。
この小説で、一番好きなシーンは、ラストシーンだ。主人公は、ルーレテンブルグ(「ルーレットの街」という意味の架空の街)で有金を全部失ってしまう。食事を一食する分だけの金がポケットに入っていることに気づいた時、引き返して、それをも賭けに使おうとしてしまう。
いろいろと悲惨なところがある物語だけれど、最後の締めくくり方には、希望を感じさせられる。
あの時わたしは、有金残らず、すっかり負けてしまった・・カジノを出て、ふと見ると、チョッキのポケットにまだ一グルデンの貨幣がころがっていた。「ああ、してみると、食事をするだけの金はあるわけだ!」。わたしは思ったが、百歩ほど行ってから考え直し、引き返した。わたしはその一グルデンを前半に賭けた(あの時は前半がよく出ていた)、実際、祖国や友人たちから遠く離れたよその国で、今日何を食べられるかも知らぬまま、最後の一グルデンを、それこそ本当に最後の一グルデンを賭ける、その感覚には、何か一種特別のものがある!わたしは勝ち、二十分後には百七十グルデンをポケットに入れて、カジノを出た。これは事実である!最後の一グルデンが、時にはこれほどのことを意味しかねないのだ!もし、あの時わたしが気落ちして、決心をつけかねたとしたら、どうだったろう?明日こそ、明日こそ、すべてにケリがつくことだろう!(p.310)
わたしがルーレットにそれほど多くのものを期待していることが、いかに滑稽であろうと、勝負に何かを期待するなぞ愚かでばかげているという、だれもに認められている旧弊な意見のほうが、いっそう滑稽なような気がする。それになぜ勝負事のほうが、どんなものにせよ他の金儲けの方法、たとえば、まあ、商売などより劣っているのだろう。勝つのは百人に一人、というのは本当だ。しかし、そんなことがわたしの知ったことだろうか?(p.26)
僕はいっそロシア式にどんちゃん騒ぎをやらかすか、あるいはルーレットで大儲けするかしたいんです。五代後にホッペ商会になるのなんか、厭なこった。僕が金を必要とするのは僕自身のためにであって、僕は自分を何か資本にとって必要な付属物とはみなしてませんからね。(p.55)
僕はなんの希望も持っていないし、あなたから見ればゼロにひとしい存在だから、ずばりと言いますけど、どこにいても僕の目に映ずるのはあなたの姿だけで、それ以外のものはどうだっていいんです。なぜ、どれほどあなたを愛しているのか、僕にはわからない。どうなんでしょう、ことによると、あなたはまるきりきれいじゃないのかもしれませんね?ねえ、どうですか、僕はあなたの顔さえ、美しいのかどうか、わからないんですよ。あなたの心はきっと、よくないに違いない。知性も高潔じゃないし。こいつは大いにありうることですね。(p.66)
わたしはこのゲームをまったく知らなかったし、ここにもやはりある赤と黒以外は、賭け方もほとんど一つとして知らなかった。その赤と黒にわたしはひきつけられたのである。カジノじゅうがまわりにむらがっていた。この間たとえ一度なりとポリーナのことを考えたかどうか、おぼえていない。その時わたしが感じていたのは、ずんずん目の前に積み上げられてゆく紙幣の山をひっつかみ、かき集めるという、一種の抑えきれぬ快感であった。(p.246)
あなたは人生や、自分自身の利害や社会的利害、市民として人間としての義務や、友人たちなどを(あなたにもやはり友人はいたんですよ)放棄したばかりでなく、勝負の儲け以外のいかなる目的を放棄しただけではなく、自分の思い出さえ放棄してしまったんです。わたしは、人生の燃えるような瞬間のあなたをおぼえていますよ。でも、あなたはあのころの最良の印象なぞすっかり忘れてしまったと、わたしは確信しています。あなたの夢や、今のあなたのもっとも切実な要求は、偶数、奇数、赤、黒、真ん中の十二、などといったものより先には進まないんだ、わたしはそう確信しています!(p.299)
そう、あなたは自分自身を滅ぼしたんです。あなたはある種の才能や、生きいきとした性格を持っていたし、わるくない人間でしたよ。あなたは、人材を大いに必要としている祖国にとって、役に立つことさえできたんです。だけど、あなたは残るだろうし、あなたの人生は終わったんです。わたしはあなたを責めはしない。わたしの見たところ、ロシア人はみんなこうか、あるいは、こうなる傾向を持っているんです。ルーレットでないとすれば、それに類した別のものってわけですね。労働が何であるかを理解しないのは、べつにあなたが初めてじゃないんです。(p.307)