あらすじ
ドストエフスキーには過酷な眼で人間性の本性を凝視する一方、感傷的夢想家の一面がある。ペテルブルクに住む貧しいインテリ青年の孤独と空想の生活に、白夜の神秘に包まれたひとりの少女が姿を現わし夢のような淡い恋心が芽生え始める頃、この幻はもろくもくずれ去ってしまう。一八四八年に発表の愛すべき短編である。
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随分と昔に書かれた話のはずなのに、全然古っぽさを感じない。そしてその古っぽさというのがこれから先も一生出ない作品であり続けると思った。消えてくれない愛に目を背けて、それでもやっぱり無理!好きだ!を繰り返す彼女に、振り回される主人公はすこし可哀想だけれども、何をしたって消えてくれない愛というのは確かに存在していて、それを知っているからこそ、わたしは彼女にどうしても自分を重ねてしまった。
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白夜の闇は深い。
出会いは、
濃霧に抱かれたような夜。
彼女とある約束を。
饒舌な会話劇が白夜の幕開けか。
日本の近代文学の奔流を想起する
硬質な文体と憫然な恋慕。
そう云えば、
彼は友人も身寄りもない独り身だったな。
彼の闇も深い。
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『夢想家の妄想が生み出した純愛失恋物語』
孤独な夢想家の青年。祖母の束縛から逃れられない娘。偶然の出会いから純愛へと発展し、白夜の下で交わされる二人の会話。どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか?甘く切ない恋物語かと思いきや…!?
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ドストエフスキーの初期の短編作品。夢想家の主人公がやはり夢見る娘と偶然知り合い、逢瀬を繰り返すうちに2人が、というお話。『カラマーゾフ...』や『罪と罰』とは一味違った雰囲気を持つ作品ですが、主人公のモノローグの部分など、大作に通じる片鱗が見受けられます。
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孤独に空想家として生きる主人公が、町を歩いていてお祖母さんと二人で生活し同じく孤独を抱えたナースチェンカと知り合い、身の上話をしていく話。
現代に置き換えると恋愛相談してきた相手に恋をして成就しかけるも、相談相手は結局、相談内容の相手と付き合ってしまうという話だった。
セリフ回しが舞台や演劇のようで、最初は取っ付きにくさを感じたがだんだんと慣れていった。
別れの失恋のシーンは肉薄するような表現で美しくも儚い夢の終わりだった。
主人公の弱気や人の良さがさらに切なさを加速させ、この主人公はナースチェンカを祝福はしているが、きっと今後、自分と上手くいった未来を空想するものの特に行動はせず、以前と変わらない生活を続けるんだろうと思う。
ナースチェンカの最後の手紙は冒頭に「赦して」だの「あの人があなただったら」などと書かれていたのが、気が付いたら「ありがとうございます!」や「永遠にあたしの親友、あたしの兄」となって恋の盲目さよりも厚かましさを感じた。まぁ最初からナースチェンカは「あたしに恋をなさらないこと」と言っているので初志貫徹と言えばそうなのかもしれない。4.4。
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純愛小説。まだきわめて若い男女の、三角関係のような恋物語を描いた話。
彼や彼女たちと同じくらい若い方々に特にお薦めしたい。でも、この類の経験が比較的多いであろう年齢層の方々のほうが、内容は解りやすいかもしれない。
このような小説に書かれていることは、実際に似た経験をしてみなければわからないところがあるからだ。遠い昔の僕がそうだった。
『愛していれば、いつまでも侮辱されたことを覚えていられるものではありません』
僕に最も印象的だった言葉だ。こんな僕でも、ある異性に対して似た心地をいだいたことがあるから。
あの子も今もどこかで元気にしていればいいなと、柄でもないことを考えるのだった。
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短いドストエフスキーの本が読みたいと思って手に取った。丁度今実写化の映画が上映されている。この本を読んだ後に予告編を観たら、絶対に映画でも観たくなった。読んでいながら自分の恋愛のことについて思いを馳せた。叶わなかった恋は忘れようとして一度忘れても、こうしてふとした拍子に蘇える。話としては古典的に見えるようなものだけれど、でもこうして現代まで読み継がれているものを読めた功績は大きい。
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人間は子供の頃に持っていたものを取り戻すために生きているのではなかろうか。
自分を三人称化する
今の愛vs過去の愛
ドストエフスキーは愛と恋をどう分けているのだろうか。
愛は存在を対象とし、恋は性質を対象とする、という考えではなく、愛は恋の上位互換のような扱いだろうか?
「われわれは自分が不幸のときには、他人の不幸をより強く感じるものなのだ。」
「でもやっぱりあたしはなんだかあまりにもあの人を尊敬しすぎてるみたいで、これじゃまるで二人が対等な人間じゃないようね?」
「いったいどうしてあたしたちはみんなお互いに、兄弟同士みたいにしていられないんでしょう?どんなにいい人でも、いつもなんだか隠しご とでもあるみたいに、決してそれを口にださないのはどういうわけなんでしょう。 相手に向っ てちゃんと喋っているんだと知っていたら、なぜすぐに、ざっくばらんに言ってしまわないのでしょうね?」
「空想の女神」
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心やさしき孤独な夢想家青年の、恋と失恋の短編。名もなき主人公は惨めに描かれてはいるが、長い人生誰しもこのような時期はある。つらい苦しい結末にも良心を失わない主人公にほのかな安堵感を覚える愛すべき小品。
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最後まで名前のない青年の未来に、幸せのあることを祈りたくなる話だった。
丁寧に心の動きが書かれ、2人きりの会話から感情がほとばしる様子は非常に瑞々しい。無垢で無邪気で純粋な愛に満ちていることが羨ましく思えてくる。
青年を苦しめるナースチェンカの発言や、行動の一つ一つに切なくなった。けがれのない青年の心を余すことなく表現されていて、感情移入せずにはいられない。
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妄想過多なひきこもりっぽい男性の恋愛における一人相撲。ちょっと寅さんぽくもあるが、寅さんほど純情じゃなくてニヒルか?ドストエフスキーさんは意地悪い人なのかなぁ~とか思った。
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子供じみたことはもうたくさん。
さあ、家に帰りましょう。
こんな風に愛する人がいるのだろうか。
こんなにたやすく恋に落ちてしまうものなのだろうか?
なんという弱々しさだろう。
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映画から。ブレッソンが原作を自分の映画文体に落とし込むのがいかに上手いかが分かって良かった。こちらはかなりサッパリしていて絶望感は少ない。どちらにしろ私が抱いているドストエフスキーのイメージとは全く異なるのだが。妄想の詳細をことごとく台詞で語り尽くすところは狂気に近い。
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まず、会話がギャグ漫画かってぐらい突拍子がないし、そんなこと言わないだろーってツッコミながら読んでた。まぁそれはそれとして面白くはあるが。
恋愛小説の世界一簡易的な本、みたいな小説。もはやすべての恋愛小説はこれぐらい軽くていいのではと個人的には思わされた一作。
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YouTube で短い海外文学傑作として紹介されていたので読んでみました。
ドストエフスキーを読むのは初めてで、予備知識なし。どう読んだらいいのかわからず…。
冒頭は「わたし」(26)がひたすら町が静かだ、みんな別荘に行っているのに私は友人もおらず、別荘に行くことができない、と、ひたすらうだうだうだうだ…長い…。
そして、ナースチェンカ(17)と出会う。その時の「わたし」の正直すぎる心の内は中二病。
そして結末も中二病…。
ごめんなさい、文豪。笑ってしまって。
でも最終章は本当に美しかったです。
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少女が、恋愛じゃなく友愛や兄弟愛のようなものを得て嬉しい気持ち少しわかる。
その区別がまだよくついてないところもその年頃らしいのでは。(半ば監禁状態で世間知らずでしょうし)
余計なお世話は重々承知で、男には幸せになってほしい。
いや、一歩踏み出したんだからこれは確実に実生活に変化起きてるよ!
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ドストエフスキーとして、これがわたしが初めて読んだ本になります。夢想家が、自分のこれまでの人生を語る前半の長い告白のところは、なかなか頭に入ってこなくて、読み進めるのが大変でしたが、それ以外のところはなんとか読み進められました。すんなり読み進めにくい理由は、翻訳の問題なのか、ドストエフスキーの物語の特徴であるのかは、別の訳書であったり、別の作品を読んでみないわからない。
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一度昔の映画を見て本を手に取った。
映画でのこのヒロインは勝ってな女性だなーと
呆気に取られたのを覚えている。
実際小説でも、純粋で夢想家の青年を無邪気に
振り回している様に感じる。
若い男女の恋愛の温度差が、最後のオチに
皮肉に繋がっている。
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最後、こうなるだろうなあと思いながら読んでたらその通りになって、ホッとすると同時に自分の性格の悪さが嫌になる。その落ちを期待していたから……。
ドストエフスキーの時代でもこういう雰囲気の人って変わらないんだなあってしみじみ思う。絶妙な気持ち悪さが描くの上手い。けれど空想家の話は自分にも思い当たる節があるから共感しながら読んでた。多分読書家なら皆あの部分は共感するものなんじゃないかなあ。
ナースチェンカも大概だけれど。女友達に絶対なりたくないタイプ。
冒頭の家に話しかけたりするシーンや空想家の話、「自閉症だったわたしへ」で読んだのと全く同じ雰囲気で、もしかして自閉症……?それともこういうの描くのが上手いだけかなあって考えてる。
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僕が大学を卒業する直前、いろいろ訳があって松葉杖をついていた。そんな僕が神戸三ノ宮の東門街で泥酔して転んだとき、松葉杖のすぐそばにポケットから飛び出した角川文庫クラシックの『白夜』を見つけて僕の友人は闇の深さを感じたらしい。
とんでもない。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』に比べればライトノベルズの類と呼んでもいいくらい軽くてナイーブで青臭い小説だ。
今夜は都内に泊まらないといけないので読みかけの分量がちょうどよいこの本を持ってきて、高野馬場あたりで読み終えた。
ヒロインのナースチェンカは正直言ってメンヘラビッチである。主人公が鬱々とした暮らしの中でナースチェンカと邂逅し、惚れてしまったのは仕方ないにしても、それにしても無様な男女模様なのである。はっきり言って交通事故だ。オラこんなの嫌だ。
「いい人防衛ライン」を突破して攻めに転じた主人公の青年を僕は応援したい、が、ダメでもともとの試合に出る潔さが足りなかった。
もっと軽く!もっと軽薄に!!
『どうかあたしをお責めにならないでください、だってあたしはあなたを裏切るような真似はなにひとつしなかったのですもの。あたしはあなたを愛しつづけると申しました。いまでもあなたを愛しております、いえ、愛しているなどというなまやさしいものではありません。ああ!あなたがたお二人を同時に愛することができたならば!ああ、もしあなたがあの人だったならば!』
これがラスト付近でナースチェンカが主人公に出した「詫びの手紙」です。いやぁ、クソ女ですね。このあと、舌の根も乾かないうちに青年のことを「親友」とか「兄」だとか呼んで愛の換骨奪胎を始める始末。
そら青年も「侮辱」という表現を使うよな。
青年は完全にナースチェンカの後出しジャンケンに翻弄された。しかも二回。彼女は青年が自分に気があることを十分に理解して、自分は如何に賭け金を少なくしながら相手がどっぷり勝負にのめり込むかを見極め狡猾なゲームを展開した。
そしてその二股はナースチェンカに奏功した。
酷い話です。
だから僕は青年に言いたい。
「もっと軽く!もっと軽薄に!!」
ただ、『白夜』のストーリーの優れているで点は青年は自分の試合をして、そして負けたこと。僕が軽蔑するのは「脱オタク」をサクセスストーリーとして成就させる『電車男』のような商品だ。エルメスを仕留めたお前、そもそもコンセプトがオタクじゃなくなってるやんけ。
映画『ダメージ』や『ゴーストワールド』のように一本筋を通し切ったあとの虚無感こそ美しい。
そして『ナポレオン・ダイナマイト』がいかにぶっ飛んだヒーローなのか、ドストエフスキーを読んで今更ながらに実感するのである。
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出だしはうじうじした男の戯れ言がつらつら綴られていて退屈だったけど、彼女と出会ってからは割りとスムーズに読めた。
よくある純愛小説で、結末も予想した通りだった。若い娘特有のズルさに翻弄された彼だけど‥‥まあ、いい夢見れたんじゃないかな。
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ドストエフスキーの作品はどうしても受け付けないものがあり、彼を嫌いになりかけるのだがその時にいつでも思い浮かべてしまうのがこれ。抒情詩人としてのドストエフスキー、これがあるので嫌いになりきれない。愛すべき宝石のような小品。
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ドストエフスキーの本の登場人物って変な奴本当に多いよな~(笑)なんだこの主人公(笑)
ぼっちで妄想過多でヤバいなと思うけど、せめて知力だけはあるから、まともっちゃまともなんだろうな(笑)
そしてそんな妄想男が惚れたナースチェンカの裏切りっぷりもすごい(笑)こんな切り替え早い女初めて見た(笑)
100ページくらいの短い本だったけど、なかなかおもしろかったです(笑)
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非モテが饒舌に自分の趣味(妄想)を語りまくるシーンのキモさが最高に良かった!www
ナースチェンカが(無意識に)主人公をキープしといて本命が現れたらあっさり乗り換えて「来週結婚しまーす」というのが、なんというか酷すぎて素敵。
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非モテ男の恋愛の話。
「非モテは非モテであるから非モテ」という悪魔的スパイラルを思い出さずにはいられない。
非モテを書いたこの本が100年以上前に発表されているという事実。きっと有史以来、いやそれ以上前から非モテは非モテであるから非モテなのである。
非モテは心して読み、ラストの手紙に悶絶すべし。
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中学生の時に手を出しておけば良かったなと思える作品。ドストエフスキーという作者名の重苦しさからは想像もできないほどセンチメンタルな短編。『地下室の手記』の主人公とは違って、何だか愛らしさを感じてしまった。ナースチェンカが青年の空想の産物では無かっただけ救いがあると考えよう……
訳文にはやっぱり違和感を感じてしまった。光文社古典新訳文庫とかで新しく訳して出した方が良いんじゃないかな……
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ドストエフスキーにはいきなり「カラマーゾフの兄弟」から入った。光文社古典新訳文庫に亀山郁夫の新訳が出たばかりだったので手に取った。次に「罪と罰」を亀山氏が新訳を出すということだったが、私の希望に間に合わなかったので、こちらは江川卓訳で読んだ。
「白夜」はドストエフスキー初期の頃の作品らしいが、若い頃はこういう情緒的な作品も書いていたのだなと確認することができる作品であると思う。比較的短いのですぐに読み終えることができた。
登場する主人公はドストエフスキー本人なのだろうか。ナースチェンカの一言に一喜一憂する彼の心の浮き沈みが痛々しくもある。清純そうでありながら、若いくせに「あたしに恋をしないで」とあらかじめ釘をさすナースチェンカのしたたかさ。そしてあんなにも「私」に傾いていたナースチェンカの心が、いとも簡単に先の恋人に戻っていく薄情さ。呆気にとられる「私」は言葉にならない。百年くらい前のロシアならいかにもありそうな話かもしれない。
(ちなみに本作品とは直接関係はないが、亀山郁夫氏の訳を批判する向きがある。私は門外漢であるからその正否はわからないが、批判するからには亀山氏よりもロシア語に精通する人がこれほど大勢いたとは驚きであった。)