養老孟司のレビュー一覧
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著者の教育論。
著者は、近代になって、意識にとって理解できるものだけが存在すると考える「脳化社会」への動きが加速化し、「自然」が見られなくなってしまったという観点に立っています。そこから、現代人が「自然」である子どもや身体をどのように扱えばよいのかわからなくなってしまっていると論じています。
意識は、自分というものは変わることなく、ずっと「同じ私」だと考えますが、教育は意識を変えることを意味しています。著者は、すべてを自分の意識で理解できるという考え方から、「生成する自分」という発想をとりもどすことが、迂遠に見えても現在の教育が抱える問題を根本的に解決する道だと考えています。 -
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この本は米国でのシェールガス・オイル革命が明らかになる以前の2008.9に出版された本なので、その点は少し考慮すべき点があると思いますが、第一章で述べられている、「人類史はエネルギー争奪史である」という解説は戦争の歴史を見るに当たって興味ある見方でした。
この本は「バカの壁」で有名な養老氏と、最近(2014.2)になって彼の著作の面白さにとり付かれるようになりました、竹村氏との共著です。
特に、日本の農業について、何が問題なのか、選挙の洗礼を受けなければならない政治家では絶対に言うことのできない内容を解説してくれている点が良かったです。
都市化により有料な農地から高く売れることから失われ -
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「ヒトの見方」3
著者 養老孟司
出版 筑摩書房
p314より引用
“トゲナシトゲトゲはカヤのような植物の葉を喰い、珍しく、ト
ゲトゲのくせにトゲがないので、トゲナシトゲトゲという。”
解剖学者である著者による、あちらこちらに掲載した原稿をま
とめた一冊。
書評からエッセイ風のものまで、硬軟取り混ぜた理路整然とし
た文章で書かれています。
上記の引用は、虫について書かれた項での一文。
これだけ大きく矛盾した名前をつけるにあたって、発見命名者は
どのように思われたのでしょうか。
生物学や形態学について書かれている部分と、この項のような
気楽な部分との落差があり、飽きない作りとなっ -
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養老孟司の本はだいぶ読んだなぁ~
でも結局、同じことを繰り返し書いているだけのような気がするなぁ~
彼の言いたいことの大半は【唯脳論】で既に書かれているんじゃないだろうか。
だけれども、唯脳論は分かりやすい本ではなかった。
その後書かれた【バカの壁】がバカ売れした。
それは、彼の言葉をジャーナリストが代筆したからだ。
彼の言葉では一般人は理解できなかったのだ。
その後彼も勉強して、一般人に分かる言葉で書くコツを会得していった。
そしてこの本である。
また分かりにくい書き方に戻ってしまった。
彼自身もあとがきでこの本は売れないだろうと予想している。
でも、バカの壁以降乱発し -
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ネタバレ解剖学者の養老孟司さんと音楽家の久石譲さんとの対談集です。
本書のタイトルや表紙、裏表紙そして帯に書かれている文章を読む限り、
これは音楽や聴覚についての対談の本だと思ってしまいがちですが、
読んでみるとそれだけではなく、
現代の社会の話や意識というものの話(これは聴覚もつながっている)
にも大分、時間を割いて(ページを割いて)話し合っておられる。
まず、序盤の養老さんの、クオリアの話からして目からうろこでした。
一つの言葉あって、それで表現したとたんにこぼれおちてしまうもの、質感、
それがクオリアだというのですが、
僕は20代の頃に音楽を作っていた時期がありますので、
その音楽の源泉とし -
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嫌いな人は嫌いらしい。それは知らなかった。さほど、問題のあることを言っているとも思えないが。
面白く読めるものの、全体としてはやや散漫な印象である。ネットのレビューで、難しい、との声がある程度見受けられるようだが、私が思うには、むしろ、この本があまりキチンと書かれていない、ということかと思う。スケッチとしては面白いが、練られた内容とまでは言えないのではないかと。
以下の点について印象に残った。
ゼロの思想。日本人が実際に無思想なのかどうかはおいておくとして、思想、哲学にゼロを用意しておくのは、良いのではないかと思う。「数」のように思想、哲学の範囲をマイナスや虚へ拡大していくのは良いのかも -
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第一章「現代人の日常には現実がない」には衝撃を受けました。
1930年半ばに生まれた人々は,戦中・戦後の食糧難を過ごし「昔ながらの家庭の食」を食べずに育ちました。そして,その子,1960年代に生まれた人々は,親から食を含めた「家」を受け継ぐことなく,新しい日本の家庭をつくりました。そういった環境で育った我々世代は,実際にできたかどうかというよりも,前向きな姿勢の方が重視され,評価されるようになりました。
このような結果,日常の家事は母親任せで,震災のボランティアには積極的な若者が生まれたということです。つまり若者は,日常の「現実」に対する関心が薄れ,非日常の「体験」のみを求めるようになって