養老孟司のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
現代は情報化社会と言われる。情報は文字が中心であり、情報化社会とは、文字が溢れる時代と言える。そして、文字情報は脳で処理するから、情報化社会とは、脳化社会とも言える。
この本を読んで「現代は言葉のインフレが起こっている」と感じた。例えば、テレビ番組にもテロップが出ることが多い。音を聞きながらテロップも読む。もはや、テレビ番組にはテロップの文字が欠かせない。文字の重要度が増しているのである。
しかし、言葉が溢れる現代は、言葉の価値が下がり、言葉が軽量化する。ゆえに政治家の失言が増え、それを批判するマスコミの声が飛び交う。そしてそれに感化された民衆の批判の声によって、政治家が辞任する。
結果的に、言葉が言葉を生み、政治家も民衆も言葉に振り回されることになる。
オレオレ詐欺も言葉を重視した結果だと著者は言う。言葉は軽量化しているにも関わらず、同時に重視されてもいるという両者を合わせ持った状態が現代と言えないか。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災でせっかく津波から助かったのに、そのあと低体温症で亡くなった子どもとお年寄りが多かったという。それは火をおこせなかったから。燃やすものはたくさんあったはずなのに、海水に濡れたから燃やせないって思い込んでいたから
(CWニコル P76-77)
危機にあって必要なのは知識よりも知恵。ときに単なる知識は思い込みを生み、非常時には役に立たないばかりか、かえって命を危険に晒すことにもなる。知識は体験(=身体的経験)を重ねて知恵となる。人間は火の使用をもって他の動物と区別されるというが、火おこしの知恵を失った現代人は原始の祖先より進化したといえるのか?。。。俺も含めて、なんかヤバイな。。。そんなことを思った。 -
Posted by ブクログ
JALの機上誌で連載を重ねたものをまとめたもの。
雑学をより理論的に解説しているという感じ。
埋葬法でその地の文化が見えてくる、の項目は興味深く面白かった。
日本は小さな島国なのに、全世界の二割の大地震と噴火の一割が起きているとのこと。今の情報社会、調べれば何事もすぐにわかってしまい与えられ過ぎて見るべきものは見てしまった感覚に陥るとは納得。子供には自信の手足で獲得して欲しいと感じた。
仕事というものはその人のためにあるものではなく、世の中がたち行くように動かしていくもの、とあって少し心が軽くなる。
様々な物事への興味への入口のような本。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ割と最近の著、有名なお二方の対談は
視点も面白くメカラウロコ、、、たびたび。
どうも、一生懸命な日本人は
なんでもやりすぎる嫌いがあるらしい。。。
傾斜度の大きな山肌、
国産の木を伐採して使った後
どうせ使うからと原生林を杉や檜に全て変えてしまった。
傾斜度の大きな山肌は
その土地にあった原生林を構成する木であるならば
大雨が降ろうと、崖崩れも早々起こらない
ところが根っこが粘らない杉や檜を
そんな土地に均一に植えてしまうと
あっという間に土砂災害が。。。
また風光明媚な海岸線に一斉に走らせた道路。
そんな道路をただただ眺めがいいと作ったおかげで
海岸線が破壊され砂浜が消えてしまうことも。
地形はどうやって形作られたか?
山から流れる川が作る土砂、堆積物
大きな海洋からの波、風にも作られた海岸線。
そこにはまっすぐに作ってしまうことで
今まで起こらなかった災害もおこったり、
今まで防がれていた自然からの大きな影響を
クッションのように遮っていた
なんともいい具合の地形をなくすことにもなったり。
人は長い間自然とだましだまし付き合ってきた。
制圧する力はないことを知っていたからだ。
また、今では珍しくもないコンクリート建築。
シャープで現代的なその工法は
手先が器用で真面目な日本の大工さんがいればこそ。
コンクリートは生真面目にベニア板を並べ、
コンクリートを流すが、
一旦乾いてしまえば、中に何が入っているのかわからない。
真面目な日本の大工さんの信用にかかってる。
どことは言わないが、、、
コンクリートの中にゴミが入ったり
鉄筋が少なかったり、、、
目には見えないからこそ、
人の信用の上に成り立つ工法なのだ。
お二人はもっと木を使った建築も!とも言っている。
実に興味深い対談でした。 -
Posted by ブクログ
読書日記なのに、虫採りや虫についての話がちりばめられている。出張先では、移動の荷物を減らすために読んだ本のページを破り捨てるという、そんな人は世界中探してもあまりいない気がする。
129頁から始まる諸行無常という題の読書日記の部分にたまたま見たNHKの番組で森津順子さんというホスピスの医者のインタビューについて言及しており、一番印象に残ったのは、「ホスピスの患者さんで上手に死ぬことができるのはどういう人か」という話だったそうだ。
それは、その日その日、そのときそのときを懸命に生きている人であるという。
しかし今は、情報は死なない不変ものという感覚からいえば、自分自身をも情報とみなしている。個性をもった確固たる自分が存在すると思うから、死ぬのは変である。しかし人間は変わるものだし死ぬものだ。だからこそのその日その日、昨日の私は死んでいる・・・というクダリを読んで、前に読んだ池田晶子さんの言葉がようやく理解できた。
それは「自分は、日本人であり女である”池田晶子”を演じていると思っている。でも本質は誰でもない”Nobody”なのだ。そう分かっていれば皆さんも随分楽になりますよ。」
しかし実感としてそう理解できるまで、もう少し時間が必要な気もする。
読みたいなあと思った本は、「河岸忘日抄」。
読者の想像力を刺激するから上質なのだという。いちいちすべてを説明するのは読者を馬鹿にすることであるという。堀江敏幸著。
あとは、「風の影」。
カルロス・ルイス・サフォンという人が書いた。忘れられた本の墓場へ、父親に連れられた少年が一冊手にとり物語が始まるという。
読んでもいないのに、ワクワクする。 -
Posted by ブクログ
わたしの理解力ではすべてを理解できないけれど、よく、こんなこと思い付くなぁと、思う。
無宗教という日本人の思想の話より、「本来の自分」のくだりのほうが面白かった。
自分探しにイラク等にいく若者に対して、知らない世界を見ることが未知との遭遇ではない。未知がイラクにあるのではな&ーなかんじやねぉ飾ったんだ♪し!い。「自分が同じ」だから、世界が同じに見えるのであり、退屈に思えるのであり、自分が変われば世界も変わる、未知との遭遇とは、本質的には新しい自分との遭遇である、と。「本来の自分」なんてものはなく、商売や役職、住居など外的条件を変えれば、人は変わる。当たり前のことのようで、個性を意識しすぎている風潮の世の中だからこそ、アホなことに大学生時代は右往左往させられていたんだなぁ、と感じた。