養老孟司のレビュー一覧
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養老孟司の文章は分かりにくい。
話が飛ぶ。関連話、あるいは例として出てくるのだろうが、間にもう一つクッションがないと、つながりが分かりにくいのだ。自分の頭の中ではつながりの理屈がちゃんとあるのだろうけど。本当に適切な例なのかということもある。また、取り上げている他の人の言葉や本に一見賛成しているように見えて、実はそうではなく皮肉ではないかと思われることもある。結局、分かる奴だけ分かればいいということだね。
今回は、気楽に書かれた京都論なので、すごく分かりにくいということはない。さて、わたしなりに内容をまとめよう。
京都は都市化、合理化されているようでいて、古い共同体が残っていて、隙間がある。それがいい。グローバル化、情報化に置いて行かれる感覚的なもの、身体的なもの、地域の個性などを失くしてはいけない。それが、京都であり、方言であり、マンガであるという。
漢字仮名混じり文、音訓読みといった日本独特の文字体系が完成した京都は、日本の伝統や特異性を表した街であり、言葉から感覚を取り戻すためのサブカルチャーとしてのマンガと通じるものがある。
京都に都が移ったのは、水資源を確保するためであった。
さて、詳しくは読んでのお楽しみ。 -
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養老孟司の壁シリーズ本。中堅科学者、ジャーナリストとの対談集。
サブタイトルは、「理系との対話で人間社会を捉えなおす」。
理系とは言っても、いろいろなタイプがいる。工学系の人の中には、文系的な人が多い。数学ができること=理系ではない。むしろフィールド系と実験系の分け方の方がしっくりくる。文系は、物事を言葉で切り取るからデジタル的であり、理系の人は論理で通じ合う、、等々、仮想現実、今後に社会の在り方、科学ジャーナリズムについて、いろいろ示唆に富んだ対談で勉強になることが多かったけれど、本の内容自体は、雑多な話題を取り上げる対談なのでまとまりは無い。
読んでいて気が付いたのは、養老さんはタバコの話題になると、いつもムキになる。おそらく周りから禁煙を勧められているからだろう。彼にはどうしても受け入れられない「禁煙の壁」がありそうだ。 -
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サブタイトルは「理系の対話で人間社会をとらえ直す」とあり、養老孟司が4人の理系の研究者や理系出身の記者らと社会や人間や脳の問題についての対談。ちなみに帯には「文系が意識しづらい領域を、四人の理系の知性と語り合う」とある。
おれが文系なので、こういうタイトルとか帯の文句を読むとほんと文系でスミマセンという、文理のミゾを感じずには入られないが、別にそんな卑屈にならなくても、文系のおれでも読めば面白いし、もっと養老孟司の本を読みたくなった。(というか養老孟司って大学受験で読んだくらい。)だからこんな意地の悪いタイトルにしなくてもいいのに、と思ってみたり。
それにしても単純に理系のことについておれがあまり分かってないので、勉強になる。「ほとんどの医者は自分のことを自然科学者だと思っているでしょう。今や、医学部にも数学ができないと入れなくなってしまいましたが、医学において必要になる数学は、せいぜい統計学くらいです。統計学にしても、もはや数学とはいえないかもしれない。データの取り方で結果はまったく違ってくるわけで、見ようによっては統計学は嘘ばかりと言ってもいいくらいです。厳密に統計学に取り組もうとすると、今度はプロの数学者でないと手に負えない。本当の統計学は、非常に難しい分野です。」(p.25)なんて厳しい話。そう考えると教育学と医学なんて変わらないんじゃないか、と思ってみたり。あとその話の続き、「健康管理をしないほうが長生きする」という話があって、「要するに、ストレスが多いから長生きするはずがない」(p.26)なんて、当たり前だけど、改めて言われると、なんかおれの生き方すら考えてしまった。あと、p.74で麻酔薬を打って意識がなくなる理由はまだ分かっていない、というのは驚いた。そんなことも分かってないのか、という感じ。ちなみにその後「だから僕は、『科学的に証明された』なんて言うやつは一切信用しない。前提を考えたことがないって言ってるのと同じですからね。」(p.74)というのも、別の厳しい話だった。「前提を問う」のは「哲学なんか典型的」とあるけど、哲学的な訓練を受けていないと前提を問う学問、というのは本当に頭の良い人じゃないと出来ない気がする。だから養老先生に言わせれば、どれもこれもそもそも学問じゃないということなのだろうか。さらにその後、「サイエンス」という枠組みで「ルール」になっている「再現可能性の担保」について、「生物をやっている人が信用するのは、『ある範囲』ですよね。『こうなりました』と言われたときに、『八割はそうですね』というふうに見てるんです。そうは言わないですけど。でも、ほかの物理、特に工学系の人は、ほぼ100%再現性があると思っているでしょう?」(p.76)というところに、理系で一くくりにできない決定的な差異があると思う。この話は、後でも話題になっていて、「僕は、理系の科目の分け方がまずいと思ってるんです。生物学じゃなくて、フィールドサイエンスにすべきですね。フィールド系と実験室系は、非常に違いますから。」(p.184)という部分。確かにこういう違い、という話だったら「文系が記しづらい領域」と言えるかもしれない。あと、「手軽なVR」を開発している藤井さんによれば、「人間もそろそろ進化しないと。これは形態とかじゃなく、認知的進化で、複数の現実があるということを当たり前に受け止める大人になるということです。『そっちから見るとそうなるのか(僕は嫌だけど)』という新たな認知ですね。だから、相手を本当に否定することができなくなるんです。『俺は嫌だ』とはいえるけど、『お前は間違ってる』とは言えない。」(p.85)というのは、たぶんこの2人が話している文脈とは違う文脈で(デバイスを利用して人間の認知面を拡張させる可能性という意味じゃなくて単なる大人への成長という教育の意味で)納得。同じ意味で「人の認識はどうすれば変わるか」も、教育に示唆を与える内容だと思う。次に、また生物系、工学系
の話に戻って、iPS細胞なんて生物学以外の何物でもないと思っていたけど、「学問全体がそういう方向に動いていくと、たぶんどこかで行き詰まるでしょう。生命とは何なのかについて考えずに、ただ目の前にあるものをいじっているだけだから。」(p.127)とか、「細胞を完全にコンピュータ扱いしていますよね。でも、まったく違うんですよ。生き物って実は、一度も切れていない。」(p.176)とか、こういうのを複雑系科学というのだろうか。クローン羊のドリーも「あの手の実験は、『できれば勝ち』なんです。(略)でも、追試をやるとできない。歩留まりが悪いから。」(p.173)だそうで、「歩留まり」なんか問題になるんだ、という発見があった。ということで、どれだけの確率で「うまくいく」か(こういうのを記者の須田さんによると「手が切れる」と言うらしいが)、そして「ものを飼わせると、男はだめなんですよ。女性の方がやっぱり上手。」(p.175)とか、もはやこういうのが「サイエンス」の世界なのか、と思ってしまう。おれの思っている「サイエンス」と違う…。あと「社会契約論」について、複雑系科学が専門の鈴木さんかは「だけど、社会契約論なんて嘘に決まっているじゃないですか。契約したことのある人なんていないでしょう?また、ルソーはすべての人間は生まれながらに天から権利を与えられていると言いましたが、そんなわけはありません。(略)でも、そういうものがないと国家を維持できないから、みんなで嘘を信じたということにしたんです。考え方自体は嘘なんだけど、大勢の人が思考停止して信じることで、本当の社会制度ができあがっていく。」(p.129)なんて、倫理を勉強する時にこれくらいの口調で教えてもらいたかったなあ、と思って面白かった。
ということで、別に文系だからと言って卑屈になる必要はない、色んな思考を知るのが面白いと思える1冊。(19/05/06) -
Posted by ブクログ
養老節が心地よい。もう流れる様に書いているんだろうな。言葉で世の中は変えれないから、安心して書いているそうだ。なるほど。
一般論は具体よりも優越する。その理由は人間にとって楽だから。人は易きにつくもの。現代社会の楽は一般化にある。楽をするとどこかで元がとられる。シッペ返しがくることになる。それは言わないことになっている。楽が出来なくなるからである。
ほぼ80歳にいたるとはいえ、またそこまで大人になれていない。だからお若いですねぇ、と言われるのかもしれない。要するに社会的な発育不良。大人ってなんなんでしょうね。20歳になったら成人なんですが、自分自身ではいつになっても大人になりきれていない感がある。
日本の国土防衛はそもそも磐石。何故なら最終兵器を沿岸に50基余り並べているから。事故の後1週間以内に5000人の中国人が帰国した。アメリカ艦隊も近海まで来たが引き返した。凄く皮肉な結果だが実際そうなんだな。他国にはない現象らしい。
戦時はまさに両者が命がけで戦っているので横から何を言われても無駄に決まっている。むしろ真の中立は両者から敵とみなされるのが普通。中立である為にこそ、あらゆる意味での力が必要なのだ。
「どうすればいいのか」という質問自体が「ああすればこうなる」である。現代人はその中をひたすら右往左往している様に見える。確かに誰かに指示してもらいたい病。
生きていればあとは死ぬだけ。意識が主人か身体が主人か?
嫌いなのは好きと同じで、向きは違うが関心は強い。その関心がなくなってきたら気にならなくなる。
子育ての問題に現代人は本気ではない。待機児童の存在が問題だと切って捨てている。切って捨てられているものは、子供自身の子供の人生。子供は大人になる事を前提として扱われている。世間から子供自体としての価値が消えた。それを補っているのはペット。少子化になるのも無理はない。
コンピュータにできない仕事。人は何のために生きるのか?人生とは何か。そんな青臭いことを考える時間が必要。答えは出ないけど、考える価値はある事だと思う。