あらすじ
「言葉は意識の産物である。現代は意識優先、つまり脳化社会で、だから情報化社会になる。人生は『意識のみ』になってしまった」……。著者はあまり言葉を信用していない。言葉を読み過ぎず、先を読まず、解剖学者の眼で世の中を見つめ、静かに考える。すると現代日本人が気づかない、人間社会を取り巻くシステムが立ち現れる。たとえば、著者は本書で以下の意味のことを述べている。「秩序は同量の無秩序と引き換えでないと手に入らない。文明とは秩序であり、秩序を構築する過程で同量の無秩序を生み出している。それが炭酸ガス問題、環境問題の本質である。代替エネルギーもどうせ同じことであり、どこかにエントロピーを増やしてしまう」。日本人がこれからどう行動するかを考える上で、無視できない指摘ではないだろうか。本書は月刊誌『Voice』で2002年からはじまった好評長期連載「解剖学者の眼」を完全収録した時評集。石油問題、自衛隊のイラク派兵、靖国参拝、振り込め詐欺、オリンピック…。日本のこの7年を振り返りつつ、普遍的な視座を提案する。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
養老孟司、ラオスの話多すぎ
何故歴史が苦手だったかって言ったら、歴史って要は思想やん。歴史から思想性を抜くことは無理やろ。
「政治家に倫理を求めるのは「八百屋で魚を買おうとするようなもの」だからである。政治は倫理ではない。現実の取り扱い方である。その政治家が「倫理」だというのでは、本気のはずがない。何かの宣伝に決まっている。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「予測ができない、つまりランダムさを増す可能性があるものを、文明人は許さない。だからゴキブリや雑草が嫌いなんだろうが。ゴキブリの行動は、予測不能だからね。こうした暗黙の秩序の金縛りにあった若者のなかから、ヒステリーを起こして、ついにはトラックで秋葉原に突っ込むやつが出たりする。 人間は意識だけで生きているのではない。なんと、人生の三分の一は、確実に意識がない。でも、その時間なんか「ない」と見なすのが文明である。眠って意識がなくたって、身体は生きているではないか。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味での「全き人間」を、近代文明は忘れてしまった。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「東南アジアを訪れると、働いているのは、いつも女性である。男はなんだかブラブラしている。そんな感じがする。男が働くのは、収穫期のように、とくに人手が必要なときだけである。日常の細かい仕事はほとんど女性の独壇場なのであろう。 それなら日本では、いつから男が働くようになったのか。これは長年の疑問だが、いまだによくわからない。天照大神は女神で、日本は「女なしでは夜も明けぬ国」だったはずなのだが。 女性の社会進出が不足だということと、女性の寿命が長いこととは、無関係ではないであろう。社会的なストレスが男にかかっている可能性があるからである。男女の寿命を同じにすることが、よいか悪いか、いちがいにはいえない。しかし社会への参画が不平等だと指摘するなら、同時に寿命の不平等も指摘すべきであろう。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「知的障害という言葉は、あまり好ましい言葉ではない。多くの「普通の」人たちだって、ある意味では知的障害ともいえるからである。 現代社会は特定の知的能力だけを徹底的に要求する。それが学校の成績であり、言葉の能力である。しかしヒトの知的能力は、それだけに限られるものではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「知的障害という言葉は、あまり好ましい言葉ではない。多くの「普通の」人たちだって、ある意味では知的障害ともいえるからである。 現代社会は特定の知的能力だけを徹底的に要求する。それが学校の成績であり、言葉の能力である。しかしヒトの知的能力は、それだけに限られるものではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「私は戦後のドサクサ時代に中学、高校に通った。通った学校はカトリック系の私立で、なかに修道院があった。おかげでさまざまな国籍の神父さんから、勉強を習った。私の英語の先生はドイツ人、ベルギー人、アイルランド人、日本人だった。日本人を除き、ほかの先生たちに教師の資格があったのか、たいへん疑わしい。 そうした「公式には正しくない」、もし「検定」があれば通るはずのない教育のおかげで、私は損をしただろうか。日本の世間に適応するという意味でいうなら、損をしたに違いない。しかし日本の世間だけが世間ではない。おかげでどんな外国に行っても、私は楽に行動できる。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「自殺に関しては日本はキリスト教国になるべきか。それなら自殺は罪で、昔はお墓にも入れてもらえなかった。神様の与えた命を自分で勝手に始末してはいけない。日本では、腹を切ればチャラにするという思想がいまだにあるから、自殺が減らない。共同体の規律が厳しかった昔ならともかく、いまでは自殺はいささか時代遅れ、やめたほうがいい。 日本は殺人は少ないが、自殺が多い。これは攻撃性が内向するからだと考えられる。他人を殺すより、自分を殺す。どちらにしても「殺人」なのだが、自殺は殺人だと思われていない。戦争の末期にバンザイ攻撃になったのも、自殺の一種であろう。どこまでもしぶとく生き延びる。日本の世間はそれを美徳とはしないのである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「花鳥風月が欠けた世界では、いじめはどうしても拡大してしまう。人間世界だけが世界になってしまうからである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 現代世界が抱えている問題は「ああすれば、こうなる」で片付くものではない。ハエやカに象徴される問題である。もちろんそれは、ハエがいたり、カがいたりして、生活するのに困るという意味ではない。生物はきわめて複雑微妙なシステムである。それを破壊するのはハエ叩き一つで済む。しかし作るのは容易どころではない。じつはまったく「作れない」のである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「日本はことほどさように災害列島なのである。陸地面積は世界の四〇〇分の一しかない。ネコの額のようなその陸地で、歴史上の大噴火の一割、大地震の二割が起こってきたという。それが日本人の心性に与えてきた影響は無視できないはずである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 二週間、テレビも新聞もなしにブータン旅行をした。そのあいだの事件といえば、ロンドンのテロ(二〇〇五年七月)くらいか。それもブータンでは話題にならずじまい。 じゃあ何が話題かというなら、とくにはない。後生を願ってどう功徳を積むか、くらいのことだった。 いまどきそんな世界があるものか。そう思う人が増えるのを都市化という。いくら都市化して、便利になって仕事がはかどったとしても、人間がいずれ死ぬことに変わりはない。 昔ならひと月かかった仕事が、いまなら三日でできる。それなら百年生きる代わりに十年生きれば済むことにならないか。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「人を機械と見たらどうか。これは西欧文明では、ド・ラ・メトリの『人間機械論』以来の主題である。私見だが、レオナルド・ダ・ヴィンチは解剖図を描くときに、人体を機械と見立てている。どちらも科学史のうえでは、大変に古い人というべきであろう。 科学技術はさまざまな機械をつくった。しかしそれはあくまで無生物としての機械で、生物は創れない。今回の騒動について、いちばん気になったのは、そのことである。科学技術は進歩したと常識的にいわれているにしても、そこで隠されている最大の問題は「生物は創れない」という点である。大腸菌一つ、創れないのである。 科学が進歩すれば、それができる。それをいうなら、科学にできないこと、人間にできないことは何か。科学が進歩すれば、万能なのか。生物をまともに考えている人なら、生物や生態系を人間が創り出せるなどという妄想はもたないはずである。生命に関する技術とは、すべて既存の生物をいじっただけである。遺伝子を導入したって、「すでに存在する細胞」に遺伝子という物質を入れるだけである。細胞を創ったわけではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「百万単位の人たちが、例年初詣に戦の神様を参拝する。それなら日本人は相変わらず軍国主義者か。 お祈りは個人のものであって、その中身を他人がどうこうできるものではない。西洋の教会を訪れて、武運長久を祈ったところで、それは祈る人の勝手である。それを神様が聞くかどうか、それは神様のほうの都合である。それならこの種のことは、個人に任せておけばよろしい。それをあえて問題にするのは、何か別な意図があるからであろう。それは無視するしかない。私はそう思う。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「大国にはものがいいにくい。長いものには巻かれろ。それも保身術であろうが、正直にいえば、私はそれを好まない。小国の国民としては「手前勝手もいい加減にしろ」と、ときどきいいたくなるのである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 帰国したら、高校生が大麻の乱用で逮捕されたという新聞記事を見た。大麻ならブータンにはいくらでも生えている。放牧している牛馬が食べない草が残るので、大麻が多いのである。大麻を食べると、牛馬も具合が悪くなるらしい。地元の人はそんなものは使わない。法律で禁止したら、一部の若者が大麻を吸うようになった、とガイドが笑って話していた。 大麻がいくらでもあるところでは、若者は大麻など吸わない。日本では高いお金を支払って密売の大麻を買う。ブータンの人が松茸が日本で高く売れるのに気づいたのは、十年前だという。世界は広い。しかし、それを若者に上手に教えるのはむずかしい。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「おれおれ詐欺も、一種の芝居であろう。日本人は真面目で、人生は一面で芝居だという感覚がない。それでダマされる。もっとも生活にある種の余裕がないと、人生を芝居にはできない。それでも一世一代の大芝居というくらいで、昔の人は芝居の効用を知っていた。 西洋人は日本人より明らかに芝居上手である。西洋の古い町にある大きな建物は、教会でなければ劇場である。劇場とはそこで芝居をする場所である。その場所をあれだけ立派にするのだから、芝居の価値が高いのだとわかる。 世界は日本人より芝居上手が集まっている。だから私は大方のことは芝居だと理解することにしている。それならダマされにくいからである。九・一一は大騒動になったが、あれも劇場性がきわめて強かった。だからその公式説明にしても、芝居の筋だと思って聞いている。 派手なことほど芝居である可能性が高い。たとえ芝居でなくても、誰かが芝居に仕立ててしまうこともある。ダイアナ妃の事故も一種の芝居であろう。芝居は公認の筋書きのほかに、さまざまな筋書きがありうる。芝居だと思っていれば、違う筋書きを聞いてもビックリすることはない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「北京政府の反日でイライラする人もいるらしいが、反日にも利点はある。飛行機の荷物室に入って密航する人がいたくらいだったのが、さすがに密航は減ったようである。反日には密航者を根本的に減らすという効果があるはずである。日本なんてとんでもない国だと思ってもらえば、日本に来たいと思う人が減る。その意味では、強く反日をいう北京政府は、密航対策に効果的な手を打ってくれている。日本政府は北京政府に感謝すべきであろう。留学生も減るだろうし、そのぶんをほかの国から受け入れることができる。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「北京政府の反日でイライラする人もいるらしいが、反日にも利点はある。飛行機の荷物室に入って密航する人がいたくらいだったのが、さすがに密航は減ったようである。反日には密航者を根本的に減らすという効果があるはずである。日本なんてとんでもない国だと思ってもらえば、日本に来たいと思う人が減る。その意味では、強く反日をいう北京政府は、密航対策に効果的な手を打ってくれている。日本政府は北京政府に感謝すべきであろう。留学生も減るだろうし、そのぶんをほかの国から受け入れることができる。 そもそも日本なんかとんでもない国だという宣伝に素直に従って疑わない人に、日本に来ていただく必要はない。そんなバカは要らない。反日宣伝にもかかわらず日本に来る人たちは、現実的かつマトモな判断をする人であろう。そういう人なら安心して歓迎する価値がある。 そんなふうに考えていけば、反日はけっして悪いことばかりではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「世の中という複雑怪奇なもの、そんなもの、私に分かるわけがない。しかしそれを変える単純な方法を、私は一つだけ知っている。それは、その世の中を見ている自分全体を変えてしまうことである。 極端な話、世の中が暗いなら自分が躁状態になればいい。なんと、すべてが明るく見えるはずである。それじゃあ、本当の自分が消えてしまうじゃないか。冗談じゃない。いくら変えようとしても、変えられないものを「本当の自分」というのである。 変わってしまうくらいなら、それは本当の自分ではなかった。それだけのことであろう。どうせ我をもつなら、そのくらい強くもたなければ、生きてはいけない。それが難しいかといったら、簡単である。本当の自分なんて、変えてみなけりゃ、分からないんですからね。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「長いあいだ、私は自分がマトモじゃないと思って生きてきた。そもそも医学部を出て解剖をやること自体、あまりマトモではない。医学は患者さんを救う仕事で、死んだ人をどうこうしたって仕方がない。 自分がマトモではないと思えるのは、当たり前だが他方にマトモな多数の人たちがいるからである。そのマトモでない私が書いた本が、いまでは予想を外れて売れたりする。 そうなると、いくら私でもいささか心配になる。もしかして、私はマトモなんじゃないか。マトモでないと思っている人間がマトモに見えるとしたら、その分だけ世の中が変だという結論になる。じゃあ世の中、どこが変なのか。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「未来が見えることは、本当にいいことか。そろそろそれも考えなければならない。一寸先は闇。それが怖いのは当然だが、怖くない人生は面白い人生か。自殺が増えるのは、これと関係ないだろうか。 先が見える道と見えない道と、どちらを選ぶかといわれたら、私はよく見えないほうを選んできたような気がする。それがよかったかどうか、神様しかわからない。しかしともあれ、退屈だけはしないで済んだ。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
Posted by ブクログ
共感。やはり、今の時代何かがおかしい。そのおかしさというか違和感はどこから来るのかの回答が示されている。特に環境問題に関しての主張は参考になった。ガソリン文化(物質至上主義)の終焉とピークアウトによる文化の転換点という考えは非常に面白かった。なるほどね。そう言われるとストンと落ちた。文体も飾らなくて、理論的で良い。
Posted by ブクログ
雑誌の時評をそのまま載せた本。愚痴っぽい部分が軽くて読みやすい。
色々な事件や出来事に対して著者の思った事がストレートに書かれている。
ただし、その内容が正しいのか、間違っているのかは分からない。
判断は読者に委ねられている。
言葉や文字は過去の産物であり、常に現在の状況と比較し判断しなければならない。疑いを持ちながら行う一連の流れを、著者の養老さんは望んでいるのではないかと思う。
Posted by ブクログ
「言葉はタダで元手はいらない。その程度のもの。」
・言葉をどこまで信じるか。言葉の内容ではなく言葉そのものの重みについて。人が言葉を信用しているかは、振り込め詐欺の流行を見ればわかる。口でいうのはタダで元手がいらない。元手がいらない商品は実態がないので、普通は信用出来ない。
・河合隼雄の"私はウソしかいいません"という口癖。典型的な自己言及の矛盾。「ウソしかいわない」のが本当なら、本当のことを言ってるのでこの叙述はそもそも成立しない。言葉なんてその程度のものということ。
・昔は本を読むなという教育を受けた。本を読むと考えなくなるという。古くはソクラテスもそういったらしい。現代社会では文字を読まないわけにはいかない。じゃあどうするかというとできるだけ言葉による危害をこうむらないようにするしかない。なにしろネットに悪口を書かれて傷つくのは日常茶飯事、自殺する子がいるくらいなので。
「意識中心の情報化社会では言葉が全てと思われがち」
「意識なんて人間のごく一部。言葉も同様。」
・言葉は意識が生み出したもの。現代は意識優先の脳化社会で、だから情報化社会になる。人生は意識のみになってしまった。情報とは"時間が経っても変化しないもの"を指す。
・人間は意識じゃない。寝てる時間は意識がないので、人生の三分の一は意識がない。意識は人間の一部に過ぎない。でもそれがすべてだという社会をわれわれは懸命に作ってきた。それを情報化社会という。意識は情報しか扱えない。言葉は情報の元だから、意識は言葉なら扱える。それだけのことである。
・スキーの本を数冊読んだがスキーは上手にならなかった。当たり前である。スキーは情報じゃないからである。
「情報は変わらない。人は変わる。」
「人が情報とみなされ、自分は変わらないと信じ始めた。」
・現代人は、「私はいつも同じ私」で、「いつまで経っても私の本質は変化しない」と考えて、それを「個性」と呼んで「大切にしなきゃ」という。いつまで経っても変化しないものは私ではなく情報である。それなら「同じ私」というのは、「情報としての私」ではないか。
・人間が「同じ」なわけはない。歳をとりついには死ぬ。諸行無常と古人がいったとおり。いつまで経っても同じなのは情報で、人間は情報じゃない。それを取り違えたから、言葉が重いような、重くないような、変なことになった。変わらないのは私、情報は日替わりだ、などと思ってしまう。とんでもない、百年経っても、今日の新聞記事はそのままですよ。
「全てが言葉になるわけじゃない。」
・人間が生きているって、そういうことじゃないでしょ。まさに生きて動いているんだから。情報化社会では、それをしばしば忘れてしまう。だから自殺する人が増えたんじゃないかと、邪推してしまう。
・生きて動いている人生は、かならずしも予想通りにはいかない。すべてが言葉になるわけでもない。赤ん坊は生きて動いているけど、言葉はありません。じゃあ、赤ちゃんに価値がないかといったら、ひょっとすると親より価値が高いかもしれないじゃないですか。
「情報とは常に過去である。」
・毎日インターネットで新しいことを知ったと思っているがインターネットの中にあるもの、つまり情報とは、つねに過去である。済んでしまったことしか入っていない。毎日のニュースもじつは同じ。ニュースをひたすら見ている人たちは「ともあれ、済んでしまったことだ」と思った方がいい。
Posted by ブクログ
2002年3月から2007年12月まで雑誌Voiceに連載された時評集。内容はやはり「唯脳論」の敷衍。変わる自分と変わらない情報、と云う概念はとても面白い。ここで問題視されている事柄で、2011年現在深刻化しているものが多い。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
言葉は意識の産物である。
現代は意識優先、つまり脳化社会で、だから情報化社会になる。
人生は『意識のみ』になってしまった」…。
著者はあまり言葉を信用していない。
言葉を読み過ぎず、解剖学者の眼で世の中を見つめ、静かに考える。
すると現代日本人が気づかない、人間社会を取り巻くシステムが立ち現れる。
本書は二〇〇二年以降の日本と世界を論じた時評集。
石油問題、自衛隊のイラク派兵、靖国参拝、振り込め詐欺、オリンピック…。
日本人がいかに行動すべきかを考える上で示唆に富む一冊。
[ 目次 ]
第1章 石油と文明
第2章 社会と世間
第3章 都市と環境
第4章 政治と政治家
第5章 世界と日本
第6章 人間と人生
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
先入観とか、固定観念に違う視点を与えてくれる。
ああ、そうゆう見方もあるよなぁ。と、すとんと納得できることや、納得できないけれど、面白いなと思うことが書いてあり、楽しんで読めました。
Posted by ブクログ
雑誌voiceの時評をまとめたものなので、今読むと昔の自治ネタで著者が繰り返す「済んだこと」感が強い。
しかし、戦争についてや外交についての考え方はとても勉強になった。「反日に感謝」についてはユーモアと皮肉に富んでいて面白かった。
Posted by ブクログ
本書は、「政治、環境、世界に対する日本、人生、生き方」などに対する思いつきを心の赴くままに、というよなスタイルで書きなぐった養老孟司のブログである。ブログなので、何のまとまりもなく、ダラダラという印象はぬぐえない。面白くない。
Posted by ブクログ
現代は情報化社会と言われる。情報は文字が中心であり、情報化社会とは、文字が溢れる時代と言える。そして、文字情報は脳で処理するから、情報化社会とは、脳化社会とも言える。
この本を読んで「現代は言葉のインフレが起こっている」と感じた。例えば、テレビ番組にもテロップが出ることが多い。音を聞きながらテロップも読む。もはや、テレビ番組にはテロップの文字が欠かせない。文字の重要度が増しているのである。
しかし、言葉が溢れる現代は、言葉の価値が下がり、言葉が軽量化する。ゆえに政治家の失言が増え、それを批判するマスコミの声が飛び交う。そしてそれに感化された民衆の批判の声によって、政治家が辞任する。
結果的に、言葉が言葉を生み、政治家も民衆も言葉に振り回されることになる。
オレオレ詐欺も言葉を重視した結果だと著者は言う。言葉は軽量化しているにも関わらず、同時に重視されてもいるという両者を合わせ持った状態が現代と言えないか。
Posted by ブクログ
よく読むということは、とりもなおさず、なにを読まないでおくべきか判断するということだ。 読みすぎは逆効果というわけだ。
現代は意識優先の脳化社会すなわち情報化社会である。だから言葉をあまりに重要視しすぎるし、読みすぎてしまう。読みすぎてしまうから生きにくくなる。なぜなら、人間は意識ではないからである。意識がない時間は人生の3分の1以上あるのだから、意識は人間の一部に過ぎない。そこを履き違えて、意識だけが自分である、そして自分の本質は永遠に変化しえないのだという思い込みが自己を蝕むことになる。
いつまでたっても変わらないのは情報であって自分ではない。「万物は流転する」とヘラクレイトスはいった。しかし、万物は流転するという情報は流転していないのがその証拠だ。諸行無常、人間こそが変わっていくのだ。
Posted by ブクログ
まるで内容を覚えていませんが、読めば養老さん的アナロジーがよくわかると思います。
第二章以降、雑誌で連載していた、
800字~1000字くらいなのかな、
短い時事のエッセイをまとめた本でした。
そのくらいの分量ではたいしたことは
言えていないんだろうとお思いのあなた!
無駄のない主張にガツンとやられること請け合いです。
養老さんって文章が下手なのかなぁ、なんて思い、
さらに養老さんの理屈は屁理屈めいているなぁと、
これまで思っていたんだけれど、今回読んでみて、
それはアナロジーのせいだったんだなぁと、ほんのり理解した。
文と文のリンクの仕方が、どこか飛んでる感じなのも、
読みなおしたり、なれてきたりするとわかるようになります。
そういったところは独特なんでしょう。
内容もまえがきからしてやられてしまいます。
「巧言令色鮮仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という孔子の
言葉が引きあいにだされて、「口でうまいことを言うヤツなんて、信用できないよ」
という意味だと語られる。
痛いところですね。
文章がうまくなりたいとか、もっといろいろしゃべれるようになりたいとか
常日頃考えていますが、そういうのは人として枝葉末節な部分で、
大事にすべきところではないのだなぁ。とはいえ、プロの人とかは、
そういった枝の部分も、考えや独創性などの幹の部分も
しっかりしていたりするんだろう。
言葉を使った表現力って、なんぞや?って思ってしまいますね。
日本におけるユング派心理療法のパイオニアで文化庁長官も務められた
故・河合隼雄さんが、まじめになると「私はウソしかいいません」と
きっぱりと言われたという話も載っています。
「ウソしかいわない」というのは、じゃ、その発言はウソなのか本当なのかという
矛盾を含んだものですが、だから河合さんは、言葉なんてその程度のものですよ、
みたいなことを言っておられたということらしいんです。
ここでも、小手先の言葉じゃなくて、人としての幹を育てることの
大事さを感じさせられます。
まえがきでも十分勉強になるのに、他にもいろいろなエッセイが盛りだくさん。
簡潔で平易な物言いなのに、深みがあって、
知識人で識者の養老さんと対話しているような読書感覚を覚えました。
とはいっても、読み手はあたりまえですがうなづくばかりですけどね。
でも、こうやって文章にすることで、アウトプットに頭を使っているのだから
少しはましなのかもしれないです。
こうやってブログを書くことにも、
あんまりサラサラっと書いてしまうのは
なんの経験にも、思索にもならないですね。
そこのところを頭の片隅に置きつつ、
自分の幹を鍛えることができるような記事を書けたらいいなぁ。
そうそう、日本が軍隊を持つことについての論説があるのですが、
そこで、国家としては武士道の精神が必要になるみたいなのがあるんです。
そこのところ、以前に読んだ北大の社会心理学者の山岸俊男さんの
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』の主張とぶつかるところだったのが
興味深かったですね。武士道を可にするも不可にするも、帯に短したすきに長しな
印象をうけるんですよねぇ。とはいえ、統治の論理である武士道は、
きたるべき信頼社会をもたらす商人の論理とは相いれないと言われています。
これは山岸さんの主張なんですがね。でも、そこのところ、ちょっと山岸さんの
話は精彩に欠いているようにも読めるのです。信頼社会の欧米だって、統治の論理に
属する「二枚舌」を使ったりするじゃないかって。
どうも、どちらにしても、なんでもありじゃいけないっていう風潮なんですが、
僕が育ってきた中で感じてきた自由というのが、
そもそもなんでもありなイメージだったりするんですよねぇ。
考え直せということなのか。
そんな、いろいろ考えさせられて、
内容をつぶさに覚えておきたくなるような本でした。
養老さんは今年で73歳。もっと長生きしてほしいですねー。
Posted by ブクログ
見開き一ページごとに一つの題が付いてあり、読みやすい印象を受けた。また種々の内容があるが、一貫して養老氏の考えがあるため、自分の中で噛み砕いて吸収しなければならなかった。やはり、養老氏はすごく『知』的な人物であるなと思った。
Posted by ブクログ
養老孟司氏のコラムは、ふつう、簡単に「差別だ」とか、「エコだ」とかで思考停止しているぶぶんをグラグラ動かしてくれて、ありがたい。
<国立大学の教授に国家公務員の服務規程を応用したら、大学なんぞ違反行為だけでもある。>とは、これを書いた時点では、「でも、べつに警察もひまじゃないから、まさか、、」ということもあったのかもしれないが、いまや、本気で逮捕されてるひとが出てきている、ということでは予言的なくだりだ。