永田和宏のレビュー一覧
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教育の呪縛
・必ず答えがある
・答えは誰が導いても一つである
・城跡を叩き込む
↓実社会
・答えはないかも
・二つ答えがあるかも
・定石なアプローチだけでは捌けない
高校まで→学習
大学や社会→学問
読書の効果→無知だった自分自身を認知
知の開拓の感動、自己の相対化
科学的な実験
→"対照"との"差"を見出すこと
コラーゲンの経口摂取は無意味。体内でアミノ酸、ペプチドに分解されその後ようやくコラーゲンが生成されるから。肉を食べてた方が良い。
"必要な知識というものは、現場で必要になったときに、調べて仕入れるのがもっとも身につくもので、ただ漫然と机に向かって講義を聞いているだけでは、実践の場におけるほんとうに必要な知識は自分のものにならない"
「教えられる」から「自ら問い、自ら行う」
入学したての学生を3ヶ月間海外の研究室に放り込む→空気感の体感、自分が学問する言葉が最先端と地続きなんだという肌感
"世界は、望みさえすれば、すぐそこにある。そこに出ていくのをしり込みするか、やってみようと一歩を踏み出せるか、その決断だけである"
"安全な方をとるか、面白い方をとるか"
ウンチの固形部分は食べ物の食べかす、小腸などの粘膜細胞の死骸、そして腸内のバクテリアの死骸が3分の1ずつをしめる
時間と自己
相談事は大体「聞いてもらうだけでいい」 -
Posted by ブクログ
現実世界で問題が起きたときに、その局面に対処するために、自分の知識、情報の総体をいかに活用することができるか。それが「知の体力」。
学校で学んだことは無駄にはならないと思うけれども、「答えは必ずある」という呪縛を解くことが、「知の体力」への第一歩。それ故、大学の果たすべき役割についても言及している。
さらに生き方についても語る。特に印象的だったのは、①選択の機会が訪れた時に、おもしろい方を選べるか ②自分で自分を評価しない ③「二足のわらじ」という生き方、自分の居場所を複数持つ ④言葉は究極のデジタル。
著者後書きに記しているように、これからの生き方について考える、ある種のヒントになると思います。 -
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ネタバレ是枝監督のファンなので読みました。
天才5人がみんなと同じ人間だということを実感してもらうための書籍とのことでしたが、やはり5人とも若くから頭角を現しているように思う。
以下、備忘録。
山中伸弥
・iPS細胞のiはiPhoneをパクって小文字にした
・アメリカではみんな「素晴らしい研究だから頑張れ」と励ましてくれた。
日本では「こういうやり方ではダメだ」と忠告の方が多い。ディスカッションで大事なのは、身分の上下があっては絶対にいけない。
・学生時代に海外に行って欲しい。
・20代の失敗は宝物。財産。失敗してでも夢中になれることを見つけて欲しい
羽生善治
・様々な物差しを身につける。3年かかって英語を身につけたら3年の物差し、1週間で竹馬をマスターしたら1週間の物差し。
・棋士になって、コマを動かす楽しさは捨てなければいけなかった。
是枝裕和
・講演が苦手。1人で喋るのが苦手。
・1960年代のテレビドキュメンタリーに権力の抑圧を受けて歪められた姿がみえる
・英語が苦手
・小説家になりたい
・学生時代、サークルは入らなかった
・大学在学中から映画を撮りたいと思っていた。映画を見まくっていた。
・協調性がなかった。大人を信用していなかった。
・クイズ番組、旅番組、情報番組を1年目にやらされてくだらないとしか思えなかった。
・自分は全く役に立たないと悩んでいた。初めてディレクターとして「地球ZIGZAG」という体験型ドキュメンタリーを作った。
・1本目でやらせをした。演出というものに自覚的になった。
・先入観が崩れることが面白い。面白いことが起きてると感じる反射神経が最も求められること。
・映画は自己表現じゃない。
何かをじっと見ている表情を、見ている先を映さずに撮ると、何を見ているのかを含めて観客はフレームの外を想像し、人物の内面に寄り添う。
・映画を観てる人が、分かってくれるだろうという信頼感がないと説明に走ってしまう。テレビはながら見でも分かるように作るが、地球ZIG ZAGのプロデューサーからは「誰か一人に向けて作れ」と言われた。彼女でも母親でも。それが今も役に立ってる。
・自分の映画で取り上げたものが日常に戻った時にちょっと違って見えるようになるよう意識している
・普段自分たちは全然物事をみていない。カメラは世界を発見する道具と子供たちにも教えている。
・巡るというのが好き。楕円時間。1年経って桜が咲いているが去年のものとは違う。少し成長、進んでいる。
登場する人物にも変化が生まれる。
・悪を排除して解決出来ることなんて大して問題じゃない。
神もいないと思ってるので、グレーゾーンの中で物語を作り続けたい。
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なべてものの生まるるときのなまぐささに月はのぼりくる麦畑のうへ
(真鍋美恵子)
前衛短歌運動を端緒とし、「今後100年読まれ続けて欲しい」現代短歌100首以上が、テーマごとに紹介されています。1人の歌人の紹介に割かれているページは見開き1ページほどなので、さくさく読めますしどこからでも読めます。テンポがよいです。
日常の中でふと短歌を思い浮かべる瞬間。「そういえばこんな歌を詠んだ人がいたっけなぁ」──その瞬間ほど、歌人にとって幸せな瞬間はない、と永田さんは述べます。とても共感しましたし、まさしく短歌という表現の素敵な要素が凝縮されたような1冊でした。1回読んだだけで軽々しく理解した気になってはいけない。本書は何度も何度も読むべきですし、その価値があります。 -
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どの人もさすが第一線で活躍されている方。こんな風に歳をとりたい。
山中伸弥…20代はなんでもいいから失敗してでも打ち込めるものを見つけて貰いたい。それと体力は裏切らない。
羽生善治…失敗を挽回できないほど重ねないこと。ミスを重ねないためには「その時点から見る」という視点が大事。「次の一手から始まる」とその場に集中していく。様々な物差しを持つと何かに挑戦する時に必要以上に不安にならないし考えすぎない。結果だけを求めると上手くいかず苦しくなることもあるが、プロセスの中で「面白い!やって良かった」という感動を見つけられることが挑戦を続けることの支えになる。挑戦をスムーズに続けるにはどこまでアクセルを踏んでどこでブレーキを踏むか適切な判断ができるかにかかってる。相手の立場で考える難しさ。相手の立場に立って自分の価値観で考えてしまう。
是枝裕和…読者は目に見えない存在。うなづいているかどうか殆ど自信が持てない。だがみんなに分かってもらおうとすると最大公約数になってしまい、何も面白くない。もっともらしい言葉がないのがいい。
世界はいつも自分の文脈の中で認識される。文脈を外れてそれ以外の見方で接することは中々難しい。悪を排除して解決できることなんて、実は大した問題ではない。真っ白と真っ黒を放棄したグレーゾーンの中で物語を作り続けたい。
山極壽一…勝つ論理と負けない論理。どちらも共存するためのルール。勝とうと思ったら相手を屈服させなければならないから、恨みを買ったり、相手が自分を避けたりする。しかし負けない論理のゴールは相手を押しのけることではなく友好的に共存することだから相手を失わない。自分にしかできないことは何だろう、自分だからこそできることを探す。それが自分の知識をまとめることにも繋がるし、他人が考えたのではないことを自分が考えることにも繋がる。動物は諦めが早いが、人間はしつこい。 -
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友人の影響で少々万葉集にはまっている。その流れで永田河野夫妻のこの本も京都人としては一読しておこうと、巣ごもり中に読んでみた。
「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」
まるで与謝野晶子のようなズバリとした表現に男性ならお手上げだろう。
「とげとげともの言う妻よ疲れやすくわれは向日葵の畑に来たり」
とこれはまた、立派な先生ご夫妻でも夫婦の日常は一般人と似たようなところもあると安堵する。奥様の早すぎる死を前に収録されたご夫妻の歌集である。同じ日常でも歌を通して見るとこのような豊かな人生絵巻に仕上がるのだと言霊の力
を改めて感じた。京都大好きなご夫妻のまさに人生うた紀行である。 -
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夫婦ともに歌人であるふたりの相聞歌。20代の出会いの頃から、河野さんが乳癌に罹り64歳で亡くなるまでの、互いに向けられた歌を中心に、その他彼女のエッセイなどが時系列で編集されていて、その時々の思いが伝わってくる。
以前、NHKのなにかの番組で、永田さんのドキュメンタリーが放映していて、そのとき河野さんが亡くなるときの歌を紹介していた。それを涙ながらに永田さんが詠んでいた。その歌は本書にも掲載されている。
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ 河野裕子(P257)
その番組の内容はもう覚えていないのだけれど、歌で過去を振り返る様子をみながら、短歌というのは、その時そのときの気持ちを、そのままに残してくれる素晴らしいものだと思った。そこから私は短歌に興味をもちはじめ、歌集など手を出すようになった。本書のなかでも、それを感じさせた、印象に残った歌を抜き出してみた。
貧しさのいま霽(は)ればれと炎天の積乱雲下をゆく乳母車 永田和宏(P63)
昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき 永田和宏(P178)
平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ 永田和宏(P195)
河野さんの歌も多く載っているのだけど(表題である「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」など)、いまのわたしにはエッセイのほうが印象に残った。たとえば、
うちの夫婦は私が何でも喋るんです。永田が帰ってくるとトイレまで付いていって外から喋る。あったことも思ったことも全部。これだけ話してきて、いつもいつもくっつ いてきた夫婦で淋しさなんて一番わかっているはずなのに、「お前はこんなにさびしかったのか」って言われて、短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあってゆく詩型だなあと改めて思いました。/家族の仲がいい、といいますが、それはそのレベルでの話であって、表現をした時の心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。(P158)
仲の良い夫婦だけでない、歌人同士であることの、関係のとくべつなあり方が示されている。また、
作歌は、お天気のよい日、雑音の聞える所では出来ない。雨の日、曇った日がよく、一日の時間帯でいえば、逢魔が時といわれる夕ぐれのうす暗い時が一番いい。/逢魔が時は、情緒不安定を起しやすい時間帯であるので、気分が妙な風に昂って、ことばがうまくスパークしてくれる。しかし、夕ぐれ時というのは、家事のかき入れ時でもあり、庭を掃いて走りまわったり、風呂そうじをしたりしていることが多く、身体をハキハキと動かすと、なぜか歌は飛んでいってしまう。(P141)
などは、夕暮れの逢魔が時が、詩作のインスピレーションを生む創作の時間と同時に、家事というまいにちの生活の時間でもあるという面白さを感じた。彼女は、「歌は、台所のテーブルで作る。これは結婚して以来ずっと変わらない」(同)というところからも、詩作と生活がともにあった(それは当たり前なのかもしれないけれど)ことを思わせてくれる。どれも文章が上手い。
その彼女の一番大事にしていたのが、夫である永田さんだった。
私がしなくてはならないことは永田和宏という人を一日でも長生きさせること。私の仕事は全部放って置いても、永田が帰って来たとき、お皿をあたためて少しでもおいしくと思って待っているんです。歌は二の次。子供はメシだけ食わせて、あとは放っておいたらいい……(中略)……結局、子供よりも永田和宏を大事にしてやってきたというのが本当ですね。(P188)
この率直な愛の在りかたに、すこし共感するものがあった。蛇足にはなるけれども、今回本書を手に取ったのは、新潮社の広報誌「波」で、永田さんが河野さんとの恋仲だった頃のエピソードを連載(「あなたと出会って、それから……」)しているのを読んだのがきっかけだった。そのなかでは、河野さんが、永田さんと同時に、青年Nへの恋慕があったことを、日記や歌などを引用しながら綴っている(連載第8回)。
陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
永田さん あなたも Nさんも 同じ位 同じだけ好きな 阿呆な私を、 どうぞ つき放さないでおいて。(日記からの引用)
本書で纏められた美しい関係も、或るたまたまのなかで決まったものと思うと、不思議な感慨を覚える。