永田和宏のレビュー一覧
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ネタバレ本を読んで、歌を読んで、こんなに涙を流したのは初めてだと思う。同じ病で亡くなった妻を想いながら読みました。
永田和宏
ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき
薯蕷(とろろ)蕎麦啜りつつ言うことならねどもあなたと遭っておもしろかった
助手席にいるのはいつも気味だった黄金丘陵(コート・ドール)の陽炎を行く
最後まで決してきみをはなれない早くおねむり 薬の効くうちに
心配でしようがないと心配の素がわからぬ電話がかかる
一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
あなたにもわれにも時間は等分に残つてゐると疑はざりき
この桜あの日の桜どれもどれもきみと見しなり京都の桜
悔しいときみが言ふとき悔しさはまたわれのもの霜月の雨
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
亡き妻などとどうして言へようてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら
女々しいか それでもいいが石の下にきみを閉ぢこめるなんてできない
河野裕子
こはいのはあなたが死ぬこと 死んでゆくわたしの傍に居るも気の毒
一寸ごとに夕闇濃くなる九月末、寂しさは今始まつたことぢやない
私には保護者のやうな夫と子が赤い椿の真昼は居らず
このひとを伴侶に選びて三十年粟粒ほどの文句もあらず
兄のやうな父親のやうな夫がゐて時どき頭を撫でてくれるよ
栓抜きがうまく使へずあなたあなたと一人しか居ない家族を呼べり
ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい
この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁よ答へよ
死に際に居てくるるとは限らざり庭に出て落ち葉焚きゐる君は
長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ -
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がんで亡くなった歌人、河野裕子と、夫で同じく歌人の永田和宏がお互いのことを詠んだ相聞歌が収められている。
タイトルは河野さんの代表歌のひとつから。短歌には全く詳しくない私にも聞き覚えがあったので、教科書にでも載っていたのかも。
河野さんの歌は潔いものが多い。むしろ夫の永田さんの方が女々しい(←失礼)歌を詠んでいる気がする。
本には河野さんのエッセイも収められていて、二人の人生を追うように、出会いから結婚、出産、発病、そして河野さんの死に至るまでが記されている。言葉の数としては、エッセイ部分の方がずっと多い。でも、伝わってくるものは、歌の方がずっと多い。
夫婦ともに歌人であるということは、お互いに対する愛情だけではなく、どろどろした感情もそのままさらけ出される。闘病中の河野さんの歌には、夫に対する不満や憎しみとさえ言える思いも詠まれている。逆に、永田さんの歌にも、精神的に不安定になっている河野さんをもてあましているような様子が窺える。
それでも、歌を見ると二人がどうしようもなく夫婦であり、順風満帆でなくとも互いを大切に思っていたことが伝わってくる。特に、河野さんの死が近づいていた頃の歌はすごい。これ以上のラブレターがあるだろうかと思わせる。
初期の頃の若々しい恋歌も好きだけれど、40年の時を共に過ごし、遠からぬ別れを覚悟した二人の歌は、成熟されているのに驚くほど純粋で、胸を打たれる。
亡くなる前日、夫の手による口述筆記で遺されたという河野さんの最後の歌が、とても衝撃的だった。意識が朦朧とする中でも最後まで歌を詠もうとするその姿に、歌人としての生き様を感じた。 -
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歌人である河野裕子氏と永田和宏の出会いから、結婚・子育て・闘病、そして別れまでを、お互いの短歌とそれぞれが発表してきた文章を交えて、綴っていく。
河野氏は主婦として母親としての役割を果たしながら、歌人としても大いに成功を収めてきた。永田氏は京大の教授としても活躍されている。
2人とも歌人としてばかり時間を使えないのは同じであるのに、その歌はずいぶん様相が異なる。永田氏は仕事や歌の世界の区切りがはっきりしてるのに、河野氏はその境界が混じりあっていて、互いに有機的につながっているように感じる。これは、性別によるものなのか、彼女の個性なのか、とても興味深い。
さらに、河野氏の文章(新聞や本などに当時掲載されたもの)は、軽妙でありながらしみじみとかみしめたくなる味わいがある。
ものを書く人として生まれてきて、それを全うした人なのだなあと今改めて思う。
お二人はなんでもよく話し、時に喧嘩をすることがあっても、互いを思いあうおしどり夫婦であったことは間違いない。その上、共通言語である短歌を通して、また別の見方で(短歌を詠まない私には感じることはできないが)、お互いを深く理解し、また、これ以上分かち合うことはできないこともあるのだということを知っていた。魂のレベルで共感するとでもいえばいいのだろうか?
短歌という制約された文字数の中で、より輝きを放つ部分だけを切り取られた情景。余分なものをそぎ落としてこそ、強い思いや哀しみ、辛さを浮かび上がらせることができる。
短歌に詳しくない私が読んでも、後半、特に病を得てからの河野氏の歌には、多くの人にストレートに届く強さが際立つ。喜びも哀しみも、うれしさも不安も、いろいろなことが混ざり合って本質が見えにくくなっていることがある。けれど、因数分解をするように、それを形成しているいくつものことがらを解きほぐし、その性質や成り立ちのもっとも肝心なところを取り出して見せてくれる。
ああ、もっともっと裕子さんが何を見て、何を感じるのか、知りたかった。
新たな歌をこれ以上読むことができないのは、残念でなりません。 -
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相聞歌、というひとつの歌のカテゴリーがある。もともとは互いの安否を気遣う私的なやりとりを指し、それが『万葉集』では男女の恋歌を意味するものになり…と、起源を語れば色々あるのだろうが、なんというか、お互いに、相手を想い、相手に伝える、その双方間のやりとりそのものが「相聞」という言葉には含まれているのだと思う。そして、そういう意味では、この本はまさに「相聞」だ。
京都大学内の歌会で初めて出会ってから、惹かれ合い、人生を共にしてきた2人の歌人、河野裕子と永田和宏。その2人の、出会った当時から、河野が60代という若さで乳癌で亡くなるまでの40年の間の「相聞歌」が、時間の流れや時代の背景と共に、力強いみずみずしさをもって収められている。
現代でもよく、「この歌を◯◯さんに贈ります!」といった光景に出くわすことがあるけれど、昔も今も、「誰かのために歌を贈る」というのは、やはり特別なことだったのだと思う。それが、本当に相手のことを考えてその人が詠んだ歌なら尚更。
そして、三十一文字だからこそ、そこには誰かのための歌だけではなく万人が楽しめる文学性が生じる。抽象も具象も、論理も感情も、全てを盛り込んだ劇的な光景が、言葉を通して目の前に現れる。惚れ惚れする。
短歌に親しみなく生きてきた人でも、これは、ぐっとくるものが多く、良い意味で分かりやすい(背景の説明などもあるので)素敵な作品になっているのではないだろうか。エッセイと、記録と、歌のコラボレーション。お気に入りの歌に付箋を貼りながら、ぐいぐいと引き込まれて読み込んでしまった。そして、下手くそだけど、私も、少しずつ歌を詠みたいな、と、思う、そんな気にさせてくれた一冊。
中でも気に入った作品をいくつか。
河野裕子さんの歌。
・陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
・夕映を常に明るく受くるゆゑ登り詰めたき坂道があり
・息あらく寄り来しときの瞳の中の火矢のごときを見てしまひたり
・妻子なく職なき若き日のごとく未だしなしなと傷みやすく居る
・ほしいまま雨に打たせし髪匂ふ誰のものにもあらざり今も
・白桃の生皮剥きゐて二人きりやがてこんな時間ばかり来る
・あの時の壊れた私を抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて
・病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
・この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁よ答へよ
・この身はもどこかへ行ける身にあらずあなたに残しゆくこの身のことば
・手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
永田和宏さんの歌
・水のごとく髪そよがせて ある夜の海にもっとも近き屋上
・乳房まで濡れとおり雨に待ちいたる 捨つるべき明日あまつさえ今
・吾と猫に声音自在に使いわけ今宵いくばく猫にやさしき
・奪衣婆のごとく寝間着を剥ぎゆきて妻元気なり日曜の朝
・二人乗りの赤い自転車かの夏の万平ホテルの朝の珈琲
・馬鹿ばなし向うの角まで続けようか君が笑っていたいと言うなら
・一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
・たつたひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光
・呑まうかと言へば応ふる人がゐて二人だけとふ時間があつた -
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今思えば私は、子どもの頃から短歌には興味があったんだと思う。最初に覚えたのは、菅原道真か崇徳院のものだったか?
(覚えたきっかけは『いちご新聞』や『はいからさんが通る』ではあったが・・。)
短歌はふとした時、心にそっと寄り添って、自分ですら言葉にできない思いを気づかせてくれることが度々ある。
いつからか、新聞の『折々の歌』や毎週月曜日の短歌のページには目を通すようになっていた。
その選者である永田和宏氏(講評が特に好き!)を先に知ったのか、河野裕子氏を先に知ったのか今では思い出せないが、恐らく彼女の闘病が語られるようになってからは、双方ともに注目するようになった。
新聞にも特集が載り、TVでも取り上げられ症状も思わしくない様子が淡々と語られていた。
その河野氏の最期の一首。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
永田氏の口述筆記によるものという。
また、永田氏も彼女が亡くなる前に妻亡き後の日々を思って読んだ。
歌は遺こり歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
詳しく知らなかった私は、長く連れ添った夫婦の間に流れる2人の時間が、歌人としてお互いを尊び、穏やかに労わりあうものだと安易に考えていた。
しかし本書を読めば、それはものを作らぬ自分の、勝手な想像でしかなかったことがわかる。名人と呼ばれる人は様々な経験を経て、無心でものに相対するような枯れた味わいを持っているのではないかと都合よく思い描くのと似ていた。
河野氏が乳がんの診断を受け亡くなるまでの10年間の闘病生活を夫・永田氏の回想と短歌によって語られていく。
ものを作らず、物書きでもない私には想像つかない日常。診断を受けたその日、衝撃を受け打ちのめされた自分を客観視する自分がいて、それを歌に詠む。
先に夫がその状況を知り、本人は淡々としているつもりでも、普段との様子の違いからすべてを悟ったと詠んでいる。
また、手術は成功を収めながらも再発の不安を抱え、家族との均衡が崩れていくことにナーバスになっていき、また、睡眠薬の副作用か、精神のバランスも破たんをきたしていく。
それでも、読む。ときに前後不覚に見えても、どこか冴え冴えとし自分を客観視して。
辛く哀しいきっかけさえも歌に化学変化をもたらし、歌は至高に向かって研ぎ澄まされていく。
もちろん永田氏の歌も、妻の闘病の中で、自らの弱さをさらけ出し、変化を余儀なくされる。
創作する人、アーティストはどれほど身を削って、傷跡から赤い血が流れ出しても止めもせずつくり続けるのか?
誰にも止めることはできず、むしろそうすることでしか生きていかれない。
我々から見たら、破たんとしか思えないほどだ。
今までゴッホや太宰に対して特別だと思っていたことが、当然のことのように思われる。
それほどに、辛く厳しい作業が何か自分を奮い立たせ、人には見えない景色を見せてくれることを彼らは知っているに違いない。
河野氏と、やはり歌人の息子・淳さんや娘・紅さんと関係についても書かれており、この10年間の家族の記録にもなっている。
読み始めたら、本を閉じるのが惜しくて、一気に読んだ。短歌に興味がなくても、一家で病と闘った記録として読むこともできるだろう。それでも、知ってほしい。
歌人・河野裕子を。
いや、読めば気にならないはずはないか・・・。 -
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「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」
河野裕子さんを知ったきっかけは谷川史子さんの『積極-愛のうた-』(集英社/2006年刊)の表題作で河野裕子さんの短歌が短編のモチーフとして使われていたことだった。
谷川史子さんの漫画にも通ずる、純粋で真っ直ぐなんだけれども、芯が太く、汚れのない感情が31文字の短歌によって歌われていてとても感銘を受けた。
河野さんの第一歌集『森のやうに獣のやうに』は絶版となっており手に入らなかった。
この本が文庫化されていることもつい先日知り、急ぎ購入した。
歌に生き、歌に死んだ歌人であることは間違い無いが、負けん気が強く人間味に溢れる(若輩の自分が言うのも失礼な言葉だが)可愛らしい人であったことが歌の中からありありと伝わってくる。
またそれを一番深く近くで寄り添った伴侶の永田和宏の心情とともに読むことができる。
理想的な夫婦像である。 -
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岩波新書の好企画
明治・大正・昭和を中心に日本人の心のふるさととして永久に口ずさみ伝えるべき100首を選び、適切な解説をほどこした岩波新書の好企画です。
「恋・愛」「青春」「旅」「四季・自然」などの項目ごとに、いつかどこかで目にした短歌の名作が続々登場するので、楽しみながらすいすい読めてしまう、それこそ面白くて為になる詩歌集なのですが、なかにはここで初めておめにかかる作品も多く、わたくしの日頃の、いな、これまでの不勉強に赤面せざるを得ない選集でもありました。
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ 茂吉
この斎藤茂吉の「赤光」の「死にたまふ母」が全篇のハイライトをなしているのは間違いないと思うのですが、土屋文明の「君がもてる貧しきものの卑しさを是の友に見て耐へがたかりき」や「さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を棺に」、そして土岐善麿の「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」や「あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ」などの作品に接して私は大きな衝撃を受けました。
子規と茂吉が“近代短歌の父”ならば、その母の名にふさわしいのはやはり与謝野晶子ではないでしょうか。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に 晶子
これは短歌ではありませんが、若き日の彼女の「君死にたまふことなかれ」の5連40行は、いまこそ再読三読すべき内容を含んでいるとわたしには思われてなりません。
君死にたまふことなかれ、すめらみことは、戦いに おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ。
井の中の蛙は夜郎自大にて世界を相手に戦うと嘯く 蝶人 -
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今まで読んだ新書の中でいちばん面白かったです!
テーマとなるタンパク質が馴染み深いものであるだけに、聞いた事のある用語も頻出し、簡単に入りこめます。とくに、コナンを読んだことがあるなら始め数ページで興味を持つ事がっちり請け合いです。
タンパク質と人間の生涯の違いは、恋をしないことくらいかもしれません。彼らは淡々と、生まれて育ち、ときに病気になったり間違いを冒したりもしながら、せっせと働きやがて死んでいきます。中には途中で自殺を選ぶものもいます。
タンパク質の生涯はすべて、世界である私たちを保つためのものなのです。感動して涙すら出てしまいます。 -
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タイトル通りたんぱくの一生について、かなり専門的な部分について解説しながらも、読み手が理解できるところまで噛み砕いて説明している。
自身を(まさに)形作っている細胞の正体について知らないのは、あまりにもずさんすぎるだろうと思い、本書を購入したのだが・・・、読んでみると驚愕の一冊である。
細胞組織のなんと精緻なことか!
しかしそれでいて、彼らの仕事の大雑把なところは人間という特性の最小単位を体現しているようで非常に興味深い。
たしかに、本書は専門的であり、読みにくい。しかし、ペンと紙を用意しイメージを描きながら読み進めることで十二分に本書を理解し楽しむことができるだろう。
本書は、岩波新書の中でも文句なしに名著の部類に入る一冊である。
読み終わった後には、自分の体を多少なりとも尊敬することになるだろう。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
細胞という極小宇宙で繰り広げられる生命活動の主役はタンパク質である。
それぞれに個性的なタンパク質には、その誕生から死まで、私たちヒトの一生にも似た波乱に富んだ興味深いドラマがある。
数々の遺伝病やプリオン病・アルツハイマー病など、タンパク質の異常が引き起こす病気の問題も含め、最先端の科学の現場からレポートする。
[ 目次 ]
第1章 タンパク質の住む世界―細胞という小宇宙
第2章 誕生―遺伝暗号を読み解く
第3章 成長―細胞内の名脇役、分子シャペロン
第4章 輸送―細胞内物流システム
第5章 輪廻転生―生命維持のための「死」
第6章 タンパク質の品質管理―その破綻としての病態
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