永田和宏のレビュー一覧
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ネタバレとにかく名著である。なにをもって名著とするか。自分にとっては、読後まで延々と続く鎮めようのない興奮がその証である。身体が打ち震えるかと思うほどの知的興奮だ。
宇宙の誕生が140億年前、太陽系と地球の誕生が46億年前、そのあと6億年が過ぎてようやく生命が誕生し40億年の月日が流れた。淡々とした日々の暮らしの中では、この悠久の時間の流れに思いを馳せることはまずない。40億年の重みを体感するような出来事にそうそう出会わないからだろう。しかし本書を読み痛切にその重み、いや凄みを感じ世界観が一変してしまった。まさに衝撃であった。地味なタイトルで、古本屋でろくに内容をチェックもせずにさくっと買ったものな -
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大学の課題としてあまり前向きな気持ちで読みはじめたわけではない一冊だったが、自分がこれまでに得てきた見識を綺麗に言語化されたような、非常に明快で学ぶ意義の本質を絞り出した本だった。
各章どれもが腑に落ちる内容であり、大学入学前にぴったりな一冊だった。
しかしあえてこの本の趣旨に沿って自分なりに疑問点を挙げるとするならば、本文II部4編の自分「らしさ」の捉え方に違和感を感じた。
自分「らしさ」とは、必ずしもそれが自分たらしめるための呪縛ではない。その人の経験の中で気付いた新たな自分の側面を、忘れず取っておくための袋のようなイメージを私は持った。 -
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1ページとして読み飛ばせない。色々深くて考えさせられて味わい深い1冊。
京都大学は諸君に何も教えません。諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない。
高校までは先生が知っているはずの答えと自分のものが一致すれば正解という世界。
だが、正答は1つしかないと思うのは危険。答えのない質問もある。何一つ絶対的な答えというものがない実社会。問いがあって答えがない、宙吊り状態に耐える知性。答えがないことを前提になんとか自分なりの答えを見つけようとする意思。
小さい子供は〈他者〉を知ることによって初めて〈自己〉というものへの意識が芽生える。「自我の芽生え」は他者によって意識される自己への -
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学問の自由は私たちの生活とも関係している。学問をすることが自由なのもあるが、学問はそれ自体国の権力から自由で独立したものでなくては、また再び、戦争に使われる可能性がある。過去の過ちを繰り返さないという学者の決意から生まれた学術会議の経緯を知っていれば、今回の件は学者集団にとって、赤信号であるとともに、私たちの身にも危険が近づいていることを示している。
さまざまな学会から声明が出され、報道を賑わせたが、最近また忘れられそうになっている気がしてならない。しかし、このことは決して忘れてはならない。
個人的には内田樹さんの部分が、自分が薄々感じていたことをはっきりと明文化して提示されたようで戦慄が走っ -
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齋藤孝先生の「読書の全技術」でおすすめされていたので読みました。
短歌とは、五七五七七の、百人一首の...といった程度の学校で習っただけの知識しかありませんでした。
まず、字数は五七五七七に縛られなくてよいこと、花や景色を歌ったものばかりではないことが新鮮でした。現代の日常生活のことが、時に生々しく歌われています。旦那さんの名前をまるごと詠んだ歌もあったり。
夫婦となり、子供がいて仕事があり、そんな中でもお互いへの思いや不満や悩みを歌を通して開示しあう。もしも夫婦で小説家であったなら、ここまで直ではない。短歌だから、率直な気持ちを表現できるのだろう。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が -
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★5.0 2021.02.09
歌人であり科学者でもある永田和宏氏とその妻の歌人河野裕子氏の最期の10年を綴ったエッセイと短歌の数々。
壮絶と静謐という両極端を夫婦だけでなく家族で過ごす日々が書かれている。
夫婦の深い愛が惜しげも無く描かれており、激しく心を掴まれるものだった。
↓↓↓内容↓↓↓
その時、夫は妻を抱きしめるしかなかった――歌人永田和宏の妻であり、戦後を代表する女流歌人・河野裕子が、突然、乳がんの宣告を受けた。闘病生活を家族で支え合い、恢復に向いつつも、妻は過剰な服薬のため精神的に不安定になってゆく。
凄絶な日々に懊悩し葛藤する夫。そして、がんの再発……。発病から最期の日 -
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名著だ。今まで現代短歌は難解なものだと思っていたが、この本を読むとこんがらがっていた毛糸がするすると解けるようにその解釈も分かるし、その良さもびんびんと分かるのだ。現代の様々なことにどう短歌が関わって来るのかということもよく分かる。著者の解説は上手い!
「現代の共有財産として遺された歌の数々にふれてほしい」「日常会話の端々で、あるいはある場所や風景に出会った折に、私たちが受け継いできた歌が、ふと人々の意識と唇の端にのぼる」-こういう気持ちで著者はこの本を書いたそうだ。そう、事象に対する新しい見方、感じ方を示してくれるのが現代短歌なのだ。100人の歌人が紹介されている。 -
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歌人である妻の乳がんの宣告、手術と恢復に向けた日々、そして転移・再発を経た死去に至るまでを、同じく歌人・科学者である著者が綴ったエッセイ集。
随所で妻及び本人の歌が挿入されるが、その中には自身が病苦を抱える中で、自分の痛みを理解してくれないと映った家族をなじるような歌も多い。
例えば、乳がんの宣告を受けた時期に、夫の表情を描く次のような歌。
「何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない」(本書p15)
著者自ら「私のそれまでの人生で、この一首ほど辛い一首はなかったと言ってもいいかもしれない」と言わしめる31文字に込められた重さ。
夫婦の愛の物語と呼ぶのは陳腐すぎるけれども -
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歌人河野裕子さんを私はこの本で初めて知りました。
著者の妻である河野さんが胸のしこりに気づいた夜から亡くなるまでの記録。その闘病の過程にはあまりにも生々しい著者との葛藤もあり、読んでいて辛い部分もありました。それでもだんだんと自らの死を受け入れて心の均衡を取り戻していく河野さんの姿の美しいこと。
最後の数日間は鉛筆を持つ力すらないながらも河野さんが口にする歌を、ご家族が口述筆記されたそうです。
河野さんの最後の一首は
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
妻として母として娘として、そしてなにより歌人として、最後までほとばしるように歌を詠みながら生きた河野さんの姿に心