加賀山卓朗のレビュー一覧
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本書の解説には、某小説家による以下のコメントが引用されています。
「スパイを主人公にしているからスパイ小説にちがいないだろうが、そのようなレッテルは無用の傑作である」
まさにその通りです。
スパイ小説の傑作であることは間違いないですが、より大事なことはスパイという存在を描いた人間小説ということかもしれません。
誰が二重スパイなのかという謎を追いかける愉しみもありますが、それと同時に語り手であり主人公である男にとって何が大事なのかを知っていく愉しみもあります。
500ページ近い作品ですが、久しぶりに睡眠時間を削ってでも読み進めたいと思わせてくれた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の二作を読んでから読むことを勧める書評があった。訳者あとがきにも、同様のことが書かれているが、それはネタバレを恐れての注意。二作品を読んでいなくてもこれ一作で、十分楽しめるので、わざわざ旧作を掘り返して読む必要はない。ただ、これを読むと、前の二作を未読の読者は、おそらく読みたくなると思うので、読めるなら先に読んでおくといいだろう。
数あるル・カレのスパイ小説の主人公として最も有名なのが、ジョージ・スマイリー。眼鏡をかけた小太りの風采の上がらない中年男だ。ただし、現場から寄せられる真贋の程の分からぬ数多の情報を重ね合わせ、比較し、齟齬や遺漏を想像力を駆使して精査し、仮説を立て、読み解いていく能力はずば抜けている。スパイにも色々いるが、スマイリーは何よりも知性派で、冷静にして沈着。仲間や部下からの信頼も厚い。敵にすると厄介な相手だ。
そのスマイリーが息子のように接する若者がピーター・ギラム。もちろん、先に挙げた二作にも登場する。ただし、それほど重要な仕事はしていない。サーカスと呼ばれる情報部の中に保存されている資料を、そこを追われ、自由に見ることのできないスマイリーのために盗み出してきたり、スマイリーのための運転手をつとめたりする、要は手足となって働く、最も信頼のおける助手という立場。
『寒い国から帰ってきたスパイ』の主人公アレック・リーマスの友人で、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の中では、ジョージの片腕として、サーカスに潜入中の二重スパイの割り出しを手伝ったピーター。他の重要なメンバーと比べると歳が若く、今までそれほど重視されてこなかった。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を原作とする映画『裏切りのサーカス』でピーターを演じたベネディクト・カンバーバッチの人気にあやかった訳でもないだろうが、ここにきて一気に主役に躍り出た。
今は退職し、ブルターニュで年金生活を送っているピーターにサーカスから呼び出しがかかる。本来ならジョージに声がかかるはずのところ、行方がわからないためピーターの出番となった。かつて彼らが関わった作戦の犠牲者となったスパイの遺児が、情報部相手に訴訟を起こした。当時を知る関係者としての協力要請だが、平たく言えば尋問である。作戦というのは、ベルリンが壁で分断されていた時代、東独の情報部(シュタージ)に属する大物スパイを二重スパイとして使う案件で『寒い国から帰ってきたスパイ』はそれを扱っている。
当時、それを担当していたのがアレック・リーマス。原告はリーマスの息子。サーカスの判断の誤りが父親を殺したというのが、その理由だ。保管されているはずの大量の資料がサーカスから持ち出されており、裁判に勝つためには、まずその資料探しから始めねばならなかった。ピーターには資料の無断持ち出し容疑がかかっていた。はじめは渋ったピーターも徐々に重い口を開いてゆく。それは忘れようにも忘れられない苦い思い出だった。かつて愛した女性の死がからんでいたからだ。
こうして、回想される過去の出来事と、自身のスパイとしての在り方を振り返る現在が交互に語られる。複数の時間にまたがる回想視点と現在時の語りが絶妙に絡み合い、スパイという特殊な任務に就いた男女の通常でない心理や情愛の葛藤が描き出される。リーマスやその恋人が操り人形だとしたら、それを動かしていたのはジョージだ。そしてピーターは人形に結びつけられた糸だった。これは『寒い国から帰ってきたスパイ』の世界を、当時、事態を裏で動かしていた立場の者の視点で書き表した小説だ。
目的のためには手段を選ばず、時と場合によっては相手が友人であっても素知らぬ顔で足元をすくい、持てる魅力を最大限に駆使して純情な女性をスパイの愛人に仕立て上げる。いったい何のために、という問いは使命の前に押し殺してきた。それでも、胸の中には悔いや憾みがいつまでも残っている。尋問に用意された机の上に山のように積み上げられた資料が老いたスパイの心をえぐり、回想視点で語られる若いピーターの葛藤が生々しく甦る。
『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で、「もぐら」と呼ばれる二重スパイによって散々な目にあわされたサーカスのその後が描かれているのも興味深い。かつてのサーカスの記憶を手繰り寄せるピーターの視線が、現場を離れた者にありがちな懐旧的視点によって語られるのも共感できるところ。旧世代の目には今の情報部が形式主義に走り過ぎているように見える。隠された書類を見つけようと部屋中を引っ掻き回しながら、廊下に置かれた自転車を見逃すのがそれだ。情報化社会に慣れた今のスパイには紙の資料をどこに隠すかといったアナログな視点がそもそも欠けているのだ。
過去の作品を素材にとり、再度別のアングルから描き直すとともに、歳をとった当人に若い頃の自分を振り返らせる試みが功を奏している。過去のしがらみから解き放たれることのない老スパイの追想には英国情報部に籍を置いていた作者の心境が反映されているのかも、と考えたくなる。細々とした報告書やメモを通して、隠された事実を前面に引き出してくるのがル・カレの真骨頂。報告書の客観的な叙述と裏腹に、書き手のみが知る、語られることのなかった真実が赤裸々に告白される、その対比が鮮やかだ。余韻の残る終わり方にも好感が持てる。 -
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この本を読むと、リーマンショックは不可避だったのではないかと思う。振り返って見ると、それぞれの打ち手の良し悪しは評価できるのだろうけど、トップノッチの人たちが、頭脳と体力を振り絞っても(から?)、あの結果になったことを考えると、資本主義という仕組み上、起こるべくして起こったとしか言えない気がする。
P99 バフェットはまたリーマンの財務諸表に取り掛かった。ある数字や事項が気になるたびに、そのページ番号を報告書の最初のページに書きためていった。読み始めて一時間と立たないうちに、報告書の最初のページは何十もの番号で埋まった。これは明らかな危険信号だ。バフェットは一つ単純なルールに従っていた。疑問が多すぎる企業には、たとえその答えが用意されていたとしても、投資してはならない -
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「よくここ迄詳細に人物の発言や会議内の様子を含めて調べきれたな」というのが素直な感想。
話は、ベアスタンズ合併後のリーマンが破綻に向かう一部始終、その後市場は更に下がり続け、モルガンスタンレー、ゴールドマン・サックスにまで経営危機が及んでいく。
まさにリーマン・ショックの裏側。当時の実在のトップ投資銀行のCEOたちや財務省連銀の役員たちが史上最大の金融危機に対し、どのような行動を取っていなのかが詳細に記してあり、読み応えがあった。
金融危機のさなかのせいか、投資銀行が自社の保有資産価値を全然把握できていないのは何とも間抜けであり、適切な対策を施したとしも、市場は違う反応を示せば結局は危機を脱しないのはなんとも無力だなってという感じがした。また、困ったときはバフェットに支援を頼むことが多いのでやはり信頼が厚いんだなと思った。
また、モルガン・スタンレーと三菱からの支援を受ける話が出た時に、ポールソンが「日本の銀行は行動が遅く、何も決めれられない。よってその話は信用出来ない」と却下されたのが、まあ一般的な日本の企業に対する印象なのかなと何とも悲しくなった。
登場人物が多く、全部英語名なので混乱しそうになるが、親切にも巻末に人物表が載っているので、助けになる。 -
Posted by ブクログ
風采も人柄も問題はないが、思いやり溢れる優しい妻と、冷静沈着で親思いの娘のほかに、これといった能力、職歴は持ち合わせていない外務省職員キットは退職を目前に控えていた。人妻との火遊びがやめられない外交官トビーは三十代。持ち前の器量と上司の推挽もあって順調に出世街道を上っていた。本来出会うべくもない二人の男が、功を焦る閣外大臣の計画を機に、互いの人生を交差することになる。それは平凡な男二人にとって運命を狂わせる一大転機となるものだった。
イラク戦争が世間を騒がしていた頃。外務省職員のキットは、閣外大臣のファーガスン・クインに秘密任務を命じられる。ポールという変名でジブラルタルに赴き、アルカイダの中心人物を逮捕した後海上で待機する船に移送する、その現場に立会えというのだ。何が何やらよく分からないままに作戦は実行され、大成功だったとだけ知らされ帰途についた。
その少し前のロンドン。外交官でクインの秘書官を務めるトビーは迷っていた。クインは悪評高い軍需産業関係ロビイストのクリスピンと組んで、秘密裡に「岩」と呼ばれる場所で「囚人特例引渡し」を実行しようとしていた。クインの行動に疑問を感じたトビーが控室に仕込んだテープには、大臣と作戦に参加するポールとジェブの会話がはっきり録音されていたのだ。イラク戦争反対派の急先鋒、私淑するジャイルズが忘れてしまえと忠告するのも意外だった。五日後トビーはベイルートに飛ばされる。
三年後、退職し妻の相続したコーンウォルに住むキットの前にジェブが現われ、奇妙なメモを渡す。そこには、成功裡に終わったはずの作戦の陰で、ムスリムの母子が死んだ事実が記されていた。作戦成功の功で爵位まで得、悠々自適の引退生活を送っていたキットは混乱し、真実を知ろうと動き出す。当時の秘書官に一度会って話が聞きたい、との手紙がキットから届いたのはトビーがベイルートから帰って間もない頃だった。
東西冷戦下におけるスパイ合戦は、それなりにすっきりしていた。戦いの目的は国家のためであり、倒すべき相手は常に敵側だった。スパイ同士に暗黙のルールがあり、事は知的なゲームのように粛々と行われていた。ところが、冷戦が終了しても戦争はなくならなかった。軍需産業は営利を目的とし、国家の枠を超え、各国の官僚機構内部に巣食い、情報を売買することにまで手を伸ばした。外交や情報収集に携わる組織内部でも、私利私欲のために動く人間が頭を擡げ、そうでない一部の者は、自らの倫理観を頼りに内部の敵と戦わねばならなくなった。これはそういう腐敗した時代の堕落した英雄たちに楯突いた若い外交官の戦いの顛末である。
ごく普通の人間が、国家的大事件に巻き込まれた時、あなたならどうする、という問題提起。事は国家機密に関わるため、公にすれば自分が法に問われることになる。特定秘密保護法が施行されたばかりのこの国ならなおさら他人事とは思えない。ただ、そこはル・カレ。露骨な問題意識を表面に出すことなく、二人の人物の視点を切り換え、語りの順序を操作することで、シンプルなストーリーを興味深く語ってゆく。読者ははじめ戸惑うが、人物と共に関係者の証言を見聞きすることで、次第に事の真相に迫っていく。それと分からないように引かれた伏線が、後からそうだったのかと飲み込める。この展開はさすがだ。
トビーとキットの娘エミリーの二人が互いに魅かれてゆく様子も微笑ましい。いつも思うことだが、ル・カレ作品に登場する女性は、外見の美貌に頼ることなく、知的で意思がはっきり出せて、実に気持ちがいい。男の方はどうだろう。自分に対するジャイルズの感情に同性愛的なものがあったことを知ったトビーが見せる強い動揺といい、キットがコーンウォルの「無礼講の王」に紛する際、縦縞のブレザーにカンカン帽をかぶり、「完璧な『回想のブライズヘッド』ふうの装い」と自評するくだりといい、オックスブリッジ出身者が大半を占める英国の官僚世界に対する作家の目配せだろうか。
「トニー・ブレア」、「ニュー・レイバー」、「ガーディアン」といった実在の政治家や新聞誌名が当然のように使われることで、人物の政治的指向が手にとるように分かる。日本では小説でも映画でも「民自党」や「毎朝新聞」に変えられることで、いちいち説明が必要になる。実名を出すことに何か法的な縛りでもあるのだろうか。それとも、ただ臆病なだけなのだろうか。表現の自由という点から見て、彼我の差に目がいくのだが。
新聞広告には「寒い国から帰ってきたスパイ」、「スマイリー三部作」と並ぶ傑作、とあったが、ル・カレの作にとどまらず、スパイ小説の代表作と呼ばれる四作に並ぶ小説を、いくらル・カレでも、そうそう書けるものではない。巧みなプロットと、語り口調のうまさは他の追随を許さないとしても、ル・カレの作品として特に傑出しているわけではない。それよりも、東西冷戦が終結して、これでもうスパイ小説も終わったと言われながら、次々と新しい対象や切り口を見つけ出しては、相変わらず健筆を揮う、その若々しさに敬意を表したい。