筒井康隆のレビュー一覧
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ネタバレ七瀬三部作の最終章。
前作では、超能力者の仲間たちが抹殺され、七瀬自身もかなり危険な状況で終わってしまった。
この本では、七瀬はある名門高校の教務課職員として働いており、前作からどのように生き延びたのか、暗躍する組織もまったく触れずに物語は進んでいくので、七瀬が主人公であるものの、スピンオフ的な作品なのかと思いながら読んでいきました。
(最後の方でその謎は解かれるのですが)
不思議な力で護られている高校生の香川智広。そして七瀬は自分の意思か何かの意思の力で智広と相思相愛の恋愛に堕ちていきます。(今まで男性を避けてきた七瀬がそうなることに少し嫉妬した)
さてさて、内容は詳しく書けないのと自分 -
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ネタバレここまで平易にハイデガーの『存在と時間』を読み解くことができるのかという驚きの一冊。現存在が気遣いの存在であり空文を駆使して生きているが、そこから本来の生に戻してくれるのは死への不安である。一方で、死を絶対化していいのかという否定神学批判が展開されるのが、その後のポストモダンの思想であるというのが私なりの理解。
解説は大澤真幸によるキリストの二重性(生きて死んだ神)に着目したもの。頽落したキリストの弟子たちの話を書くことで『存在と時間』に話を合わせつつ、死への恐怖から神に祈りながらも結局殺されるキリストを描く。復活しては元の頽落に戻ってしまうので、あくまでも死ぬときの重要性を強調する。しかし復 -
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ある日、少年の頭上でボールが割れた。音もなく、粉ごなになってーそれが異常のはじまりだった。強い”意志”の力に守られた少年の周囲に次つぎと不思議が起こる。その謎を解明しようとした美しきテレパス七瀬は、いつしか少年と愛しあっていた。初めての恋に我を忘れた七瀬は、やがて自分も、あの”意志”の力に導かれていることに気づく。全宇宙を支配する母なる”意志”とは何か?
ー文庫うらすじより
もの凄い本を読んだのかもしれないと思いました。
『七瀬三部作』第三作。
私と同じ昔の田舎の高校生だった親友のAちゃんが「読書は苦手だけど七瀬のシリーズだけは好きなの」と言っていた七瀬三部作。
前にも書きましたが、こんな -
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まず最初に映画を観ることをおすすめしたい。
厚い本であると同時に専門的なことが詳細に描かれているので、映像でイメージできないとギブアップしそう。
映画が好きで原作も読んでみたが、世界観重視の映画ではわからなかった細かい設定や経緯もよくわかってすごくよかった。
夢と現実が混濁した世界を文字だけでこうも表現できるのは、流石文学界の巨匠といわれるだけあるなと感服する。
専門用語も多く、読み返すと理解が深まったり新しい発見が出来そう。
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精神医学研究所に勤める千葉敦子はノーベル賞級の研究者/サイコセラピスト。だが、彼女にはもうひとつの秘密の顔があった。他人の夢と -
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ネタバレ昭和を代表する小説家筒井康隆の短編小説論。きらめく宝石のように、小説についての名言がならぶ。ほぼ引用で要約するしかない。(下記は増補版ではなく初版の感想)
・「小説というものはいうまでもなく、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式なのだ。意外に思われる読者もおられようが、実は小説というのは最も新しい文芸ジャンルなのである。小説以前から存在した詩や戯曲などの形式による拘束、・・・、そうした形式上の束縛を嫌い、より自由に書こうとして生まれた文学形式ことが小説だった筈なのである。」
・しかし、特に短編小説の傑作は、生まれにくくなっている。第一に、芸道化(お稽古ごと化)している。第二に、韻律の -
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創作に関する技法や覚え書きを書いたもの。エッセイ。
実験作と言われる文学が読みたくなった。
「反復」の章は自作『ダンシング・ヴァニティ』の解説。映画・演劇では当たり前の技法である反復を小説に持ち込んだ実験作ということ。その反復の種類を解説している。
「人物」小説の人物リストを作るのは小説の楽しみ方のひとつ。500人が登場するトルストイ『戦争と平和』、リアリズム小説のゾラ『ナナ』など。
実験小説として書いた作品。『虚人たち』は「省略」というごくごく当たり前の技法を使わず、原稿用紙1ページを1分として正確に置き換えた実験作。
『残像に口紅を』は使用できる文字を制限する実験作。これが遊戯なのか -
ネタバレ 購入済み
不思議と引き込まれる怪作
知人からの推薦で購読。夢中で読み進めた。
「読めるんなら読んで見ろ」と威嚇されたような初印象。
実際に読みづらい。しかし、引き込まれる奇妙なテンポがある。
作者の文章力か自分が波長があったのが良かったか、両方か。
三章は特に読みづらいながらも、視点などが切り替わる前後が支離滅裂とは思えないし、前者が大きいだろう。
作者の自己主張も同様に直前の展開、作者の自己投影物である文房具の軌道と象徴の反芻も兼ねている。
一方でこれは賛否両論と言われれば確かに納得である。
一章、二章とカリカチュアに笑い、あるいはヒヤリとしていると
三章で耳元にまで接近された作者に息を吹きかけられたよ