筒井康隆のレビュー一覧
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どこかで評判を聞いていたことを思い出し読んでみた。
幼少期の記憶が鮮明であることに驚かされる80年以上前のことを、家の配置やら人の名前などよく覚えているもんである。また、学生時代は可愛い女の子がいたとか、誰と仲が良かったとか誰とは仲が悪かったとか、覚えているエピソードなど単なる起こった出来事の羅列なのでそれほど面白くはなかった。ところが中学に入ってから映画やら演劇やら熱を上げるものが出てきて俄然面白くなって来る。教師も相性の良い人と悪い人がいた様でその中間というのは印象が残らないのだろう。
さらに本を書き出してからは、勢いが止まらない。SFの黎明期が関西の書き手によって担われていたこともわかる。また、採算度外視で自費出版するくだりなどは感心した。その後も回顧のスピードは止まらない。何をどこに書いた。賞をもらった。酷評された、仲良くなった、出演したなどのエピソードが雪崩の様に紹介される。出てくる名士は福田恒存、井上ひさし、丸谷才一、蓮實重彦、山下洋輔、桂米朝など多士済々である。またご自身も映画に舞台にと出演しており、こんなに精力的に活動していたのかと驚かせられた。
しかし2023年に倒れ、以後車椅子生活となる。あれだけたくさんの本を読んで、博覧強記なのに服用指示に従わなかったというのは何やらあざなえる縄の如しである。
その後の動静は後の著作で読めるので楽しみにしている。 -
Posted by ブクログ
■はじめに
近ごろ、雑誌特集や新書で「日記」をテーマにしたものをよく見かける。何が火付け役なのか調べてみるも、これだ!という決定打は見当たらず、最近静かなブームとなっているZINE文化の影響説まで飛び出す始末。ともあれ、“日記界隈”がにわかに騒がしい。
そんな中、本書の著者 筒井康隆は1975年から「公開日記」を続けている大ベテラン。年季の入り方が違う。しかも連載開始時、〈おれの公開日記では、他に類例のない料理の値段を書くこととする〉と高らかに宣言。
以降2024年3月、神戸の自宅で転倒する前日まで、その日記は続く。はたして齢九十を超えた大作家は、いかなる晩餐を重ね、どんな日々を送っていたのか―
■内容
本書は『波』2023年2月号掲載の「老耄美食日記」を軸に構成されている。ただし単なる日記では終わらない。
『百年の孤独』の文庫版解説、盟友 大江健三郎追想、老境に差しかかった心情を綴る小説風随筆まで併録。読者サービス精神旺盛な、いかにも筒井康隆らしいお得な一冊となっている。
さて、この日記を読む上で押さえておきたいのは、筒井夫妻は東京と神戸の二拠点生活を送っていること。
神戸・垂水では比較的庶民的な店に通う一方、東京へ移ると様相は一変する。帝国ホテル「北京」「ラ ブラスリー」、ニューオータニ「久兵衛」「にいづ」、ザ・キャピトルホテル東急「オリガミ」…。
夫婦ふたりで5万、6万円超えは当たり前。でも驚くべきは金額より、その健啖ぶりである。筒井康隆92歳、光子夫人84歳。肉も魚もカルトからコース料理とペロリと平らげ、高級スーパー「KINOKUNIYA」で大量購入した食材も数日で食べ尽くす。
さらには夕方4時になるとアルコールを欲し始めるという…まさに鯨飲馬食。
しかも料理描写が実に執拗。値段、量、味、接客、酒―そのすべてを細大漏らさず記録していく様は、もはやグルメ日記というより「胃袋と老境の戦闘記録」のようで、そこにユーモアと毒気が混じる。
食べることへの執念と、衰えていく身体。そのアンバランスさが、筒井康隆という作家の晩年を、妙に人間臭く浮かび上がらせる。
そんな絢爛たる食生活にも、加齢は静かに影を落とし始める。身体の不調、減っていく酒量。そして2024年3月24日、神戸の自宅で転倒。以後、車椅子生活となり、夫妻で超高級老人ホームへ入居するも食欲は衰えない。入居者との外食ツアー、豪華ケータリング、編集者との会食―。身体は不自由になっても、“食べること”への執念は衰え知らず。
■感想
この日記の凄みは、単なる美食自慢に終わらないところにある。料理内容と金額を克明に記すだけでなく、味やサービスへの批評も歯に衣着せぬ、まさに論評。そこには、長年言葉で勝負してきた作家特有の“観察者の目”と飽食の限りを尽くしてきた“舌”が容赦なく、時に筆誅を喰らわす。
一方で、行間から滲み出るのは、
①光子夫人への深い愛情
「自分が先に逝ったら、光子は大丈夫だろうか」という不安が、ふとした一文からこぼれる。
②亡き息子への哀惜
老人ホーム入居後、夢に現れる愛息についての記述は胸を打つ。
つまり本書は、“豪奢な食日記”の体裁を取りながら、実のところは「老い」と「喪失」と「夫婦愛」をめぐる“私小説”でもあると言える。
■最後に
はたして、この日記は本当に終わってしまったのだろうか。
「車椅子文豪老いぼれ日記」―そんな得意の自嘲を込めたタイトルで、また何食わぬ顔で連載を再開してくれそうな気もする。
身体は衰えても、頭脳はいまだ現役。できることなら、また新作短編とともに、日々の“満腹中枢との格闘”を読ませてほしい。
読後、妙な感慨が残った。老いとは、食欲が尽きることではない。「まだ食べたい」「まだ書きたい」という欲望を、身体が追い越していくことなのかもしれない。 -
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筒井康隆『不良老人の文学論』新潮文庫。
91歳の筒井康隆が創作秘話、畏友交流、文学的信念などを綴るエッセイ&書評集。
高校時代から大学時代に筒井康隆の作品を読みまくっていたが、ユーモラスでぶっ飛んだ小説とたまにシリアスなSF小説を書く変わった作家だなと思っていた。その後、何時の間にか文豪と呼ばれる偉い作家となり、文庫本の解説や様々な文学賞の選考を務めていたことには驚いた。
筒井康隆の宗教観と『エディプスの恋人』や『モナドの領域』の創作秘話が語られる。様々な宗教から得た知識と考察から独自に宇宙論を構築していたようだ。
筒井康隆は小松左京の知識力を畏怖し、大江健三郎や開高健を尊敬し、大江健三郎を目指していたことが明かされる。筒井康隆と同時代の作家が次々と亡くなっている。小松左京、大江健三郎、開高健、井上ひさしなど大物作家の訃報は辛い。
筒井康隆はジャズにも造詣が深く、それは主にジャズピアニストの山下洋輔との交流によるものだ。自分も筒井康隆の影響なのか高校時代からジャズを聴くようになり、山下洋輔のコンサートやライブ・アンダー・ザ・スカイなどのイベントにも行っていた。
本作は、追悼、書評、解説、選評、インタビューなどで殆んどを占めているが、『孫自慢』『蕎麦道場』といった筒井康隆自身の日常を綴ったエッセイも非常に良かった。
本体価格710円
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ネタバレたぶん十代の中頃に出会った『旅のラゴス』がnfmとなって読書対象ではなくなっていたが、『虚航船団』と出会って『旅のラゴス』を再読し、未熟な読み手であったことを痛感した。
自伝というのは、小学校の頃のご近所さんを書くものだっただろうか。やけに詳しく語っているが、『虚航船団』を書いた作家だから鵜呑みにはできない。
小学生から高校生までの一人称をおれ、大学時代をぼくとあらわす。社会人になってまたおれ。作家の自伝といえば、前半生なら大学時代がいちばん濃くなりそうなものだがあっけない。ほうぼうで語り尽くしているのだろうか。手塚治虫との遭遇やらDAICONのくだりなども、そういうこともありましたくらいなものだ。
実を言うと、時かけすら読んでいない。もう少し読んでおきたい作家ではあるのだが、なかなかね。 -
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4年越しに再読。
年始に映画のリマスター版がたまたまやっていて、そういえば原作はどうだったかなと思った時、不思議なくらい覚えていなかった。夢みたいに。
物語の序盤では、能勢や粉川らの治療のために夢の中の世界でパプリカが縦横無尽に動き回っている感じが印象的だった。一方で小山内と乾が暴走を始め、夢と現実が入り混じるようになってくると能勢や粉川、さらにはラジオ・クラブの玖珂と陣内でさえも夢と現実を行き来して彼らと戦う。夢と現実の混交が始まった直後は各々が今目の前の世界が夢か現実かを区別することに躍起になっていたが、徐々にその境目を探すことはなくなり、さらには夢と現実の行き来に対しての抵抗というか、躊躇はほとんどなくなっていたように見えた。一読者であった私も、徐々に物語が今夢か現実かあまり気にしなくなっていたし、むしろその混ざった世界が愉快だった。最終決戦では、玖珂と陣内が大活躍だったが、彼らは何者なのか。物語の最後はラジオ・クラブでの彼らの会話で締められており、前半でパプリカと能勢、粉川との待ち合わせ場所になっていたことからも伺える通り、ラジオ・クラブが夢と現実の境目で彼らはいわば門番のような存在なのかと思ったりもした。
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何度か読んでいる。
最近夢日記をつけてみたけど3日でやめた。夢って囚われてそのことに昼間の起きてる間にも心がそちらを向いてしまって、あの夢の細部を知りたいってなって惹かれる時間が増えて。
このお話しみたいに、夢と現実の境がなくなったり、他人の夢が流れ込んだりしたらおかしくなってしまうのでは?みたいな。脳のチリチリした感じを味わえてくせになってしまう。
パプリカは男性はみんな好きになっちゃう魅力的な女の子が出てきたり後半ぐわあーんった意味がわからなくなっていったりするこの構成自体が夢みたいで、夢って都合よくてでも都合よくならなくてわけわかんなくて突然終わったりするよねみたいな温度感自体が通じちゃってキマる。 -
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筒井康隆は日本SF第一世代メンバーである。2013年に同じ豊田有恒が亡くなった後、最後の日本SF第一世代として孤軍奮闘、現在もなお執筆活動を続けている。昨年、自宅で転倒して頸椎を痛めて以来、不自由な生活を続けている。現在、リハビリ設備に入っているものの、毎月どこかしかの月刊文芸誌で作品が掲載され、本の表紙で筒井康隆の名前を見ない日は無い。流石に2~5ページの短い文章となっているが、この文学に対する執念は目を見張るものがある。この本以降、来たるべき日までの作品が今後必ず出版されると思うが、たぶん泣きながら読むことになるだろう。
自伝と言うだけあっていろいろな出来事が驚くほど詳細に記述されている。作品リストの意味合いは少なく、専ら思い出に残る作品・出来事に関わった人たちについての話が多い。一つの本を出版するにも状況に拠っては、すんなりいくものと紆余曲折を経て難産で出版されるものもある。同人雑誌「NULL」での活動以降の動きは、これまでに様々な記事で紹介されているのですんなり頭に入って行くが、それ以前のお話はあまり詳しく体系的に紹介されていない。その様な点では、幼少年期から青年前期までの内容はとても面白かった。裕福な家庭に育ち、モテていたことは知っていたが、登場する周りの人達の名前も含めて良くこれだけ正確に記憶できるものと感心した。その脅威の、いや天才的な記憶力には驚くばかりである。
本書と同時期に、早川書房から筒井康隆のエッセイ集成が日下三蔵の編集で出版されている。この本は、別の観点から筒井康隆の自伝にスポットライトを浴びせているとも言える。この様に、現在、筒井康隆の周辺がかなり動きが激しくなっている。この巨匠の背中をいつまでもいつまでも見つめていきたい。