筒井康隆のレビュー一覧

  • 文学部唯野教授

    Posted by ブクログ

    やはり筒井康隆は天才だなと思う。ややっこしい批評理論とその背景にある哲学を小説仕立てで騒乱の中でさらりと総覧させてくれる。もちろんこれは筒井康隆の読みであり理解であるにしても批評理論というものをよく描けているような気がする。読んで感じた一定の印象は今後、いい意味で役に立つと思う。

    0
    2017年12月18日
  • アホの壁(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    アホの冒頭から読みだすと頭に全く入ってこないことも
    後半から読みだすと頭に入って来るのかもしれませんよ。

    0
    2017年11月12日
  • 馬の首風雲録

    Posted by ブクログ

    10代の頃、一度読んだが、当時は面白いとは思わなかった。しかし再読は一気読み。
    おそらく戦争というものへの知識というか、イメージというか何かが不足していて、この本を消化できなかったものと思われる。
    馬頭星雲系に属する、顔が犬に似た人間の世界は、より文明が進んだ地球人類が関与した事も一因となり、全面戦争状態となる。
    戦争に入用となる物資を軍人に売る商売をしている、「戦争ばあさん」とその4人の息子。
    しかしその戦争が、長男・次男・三男を次々とばあさんから引き離していく。
    長男は戦争で富豪となり、次男は反政府の農民軍を率いるリーダーとなり、ばあさんの元に残ったのは、馬鹿で喋る事の出来ない、末っ子のみとなる。
    あとがきにも書かれているが、この本には戦争の全てが描かれている。悲惨で、カッコ良く、悲しく、馬鹿馬鹿しい。
    この著者ならではの切り口で語られる戦争は、リアルである。
    鳥居氏の「昭和二十年」の次に読んだので、まるで現実の戦争のように感じた。

    1
    2017年11月27日
  • 聖痕

    Posted by ブクログ

    筒井氏の作品はできる限り読むようにしているが、近年の作品でも好きなのが本書。

    主人公はじめ家族に起こった出来事や、その当時実際に起こった出来事を述べる部分が多く、個別の場面の描写が密にされることはあまりない。
    筒井氏は、「省略」や「時間経過」についての技法にかねてから取り組んでいたが、本書はその一つの到達点ではないか。

    くどくどと心理描写を重ねるのとは正反対の文体だが、読んでいてわずか数語の文字列に心を揺さぶられるところがあった。
    これは表面的に真似をしようとしてもできない、巨匠の名人芸である。
    ただただ、感服。

    0
    2016年08月13日
  • 大いなる助走

    全てにおいて強烈!

    是非々々一回は読むべき本、しかし、二回読む本ではありません。
    人間の汚さが、あまりにも“露骨に”書かれ過ぎてます。
    まるで、目の前に「膓」をぶちまけられた感覚…。
    私の読書歴の中でも読後の不快感は断トツのトップ…。
    でもあえて、その「不快感」を感じる価値がある本です。

    0
    2016年05月12日
  • 虚航船団(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

     本書が単行本で出たときに買ったのだが、積ん読になったまま幾星霜。
     宇宙を航行している大船団がある。その一宇宙船に船団司令部より指令が下る。使命は惑星クォール全居住民の殲滅。
     鼬族の人口爆発により彼らによる犯罪が頻発。特に凶悪な鼬族約千名を3度にわたり惑星クォールに流刑にして約千年。鼬族は惑星クォールで文明を再び発展させ、刑紀九九九年に到り、「大空からの殺戮者」が襲来する。
     そういう話なのだが……
     なのだが……

     まずコンパスが登場する。なぜなら、指令が下る船というが文具船だからである。船長は赤鉛筆で、副船長がメモ用紙、繊維じゃなくて船医は紙の楮(こうぞ)先生だったりする。文房具は生きているのか。生きているらしい。コンパスなら例の尖端に針のある両脚があると同時に、人間のような身体器官がある描写が何の説明もなく併存している。量子論で量子が波であると同時に粒子であるかのように、文房具たちは文具としての身体を持つと同時に人間の身体を持っているようなのだ。そしてそのことについては何ら説明がない。
     第1章「文房具」はこの文具船の乗組員たちを次々に紹介していくのだが、みな狂っているか、狂う寸前なのである。一見正常そうな者は、実は妄想を持つがゆえに正常な行動をとっているなどというややこしいことも起こっている。ただし狂っているといってもおおむねそれは性格が極端に偏っているとか著しいこだわりを持っているとかいうだけのことに過ぎず、われわれの周囲にいる人々を少し極端にしただけともいえ、いわば「普通の人々」の戯画なのだ。文房具とは人間が人間自身の機能を拡張するために生み出したものであり、極めて人間的なものともいえる。
     指令はクォールの居住民である鼬族二十四億の殲滅。しかも艦隊への復帰の指令はない。だいたいもう狂っているのだが船員たちは狂ったようになる。戦闘で死ぬかも知れない。二十四億の住民を皆殺しにするなどいつまでかかるかわからない。俺たちは捨て駒だ。

     第2章「鼬族十種」はクォール一千年の歴史である。記述法は歴史書か歴史の教科書かといったもので、おおむね淡々と書かれている。歴史の教科書を読まされるのはうんざりだなあと思うが読んでみるとこれが面白い。つまり内容は淡々としてはおらず、さまざまな王朝が起こっては戦争し虐殺しといったもので、人類の歴史の戯画なのである。最後は二大国の対立と核戦争の危機というところにいたる。鼬だけに前王を喰ってしまったり、最後っ屁をかましたりするが、人間だって似たようなものだ。実は第3章でこのクォール史は文具船のある船員によって数十年の調査執筆によってなったものであることが明らかにされるのだが、千年の歴史の重みを描いた上でその歴史を破壊する文具船がやってくることで否が応でも黙示録的な雰囲気が高まるという仕掛けになっている。黙示録とは歴史の終焉だからである。

     顕微鏡的に人間的なものをデフォルメした第1章に、望遠鏡的に俯瞰した人類史のパロディの第2章が激突すると、歴史の終焉のあとにあるのは第3章「神話」である。文具船侵攻直後やらその天空からの殺戮者の存在がもはや事実かどうかもわからなくなった未来までさまざまな時点の記述が文房具側も鼬側も次々に視点を変えて列挙され全貌はその断片から伺い知るしかなくなる。しかも、そこに雑音がはいってくる。作者の実生活の話題や、執筆中に聞こえてきたと思しき選挙カーの絶叫。
     矮小ながら徹底的に細部をえぐっていく人物描写と長大ながらも殺伐とした歴史、いずれも内容は矮小なのにその叙述の形式によって壮大な黙示録的世界を生み出す。つまりカオスとしての神話がここに実現されるのだ、しかも人間的なあまりに人間的な。

    0
    2016年02月15日
  • 巨船ベラス・レトラス

    Posted by ブクログ

     文壇をテーマにした小説らしいということで読み出したがすでにそうしたものには『大いなる助走』がある。うろ覚えで恐縮だが新進作家が文壇の俗物どもにいいようにされて最後にぶち切れて文壇皆殺しをはじめるといった話でなかったか。筒井康隆ともあろう者が同じようなものを書くとも思えぬ。と読み出してみると似たエピソードが導入となっている。つまり私小説を書いている同人誌作家が文壇の前衛作家を狙って爆弾事件を起こすというのが冒頭。しかし本書のテーマは「文壇」ではなく「文学」なのだ。
     そこで書評の導入もこんな風に路線変更。

     私は週に1回だが、少々遠方に仕事に行っている。これまで自家用車で行っていたが、諸般の事情で電車にかえた。すると片道1時間ばかり読書時間が確保できてとても嬉しい。車中読書をしながらふと視線をあげると覚醒している乗客の多くがスマホをいじっているというお馴染みの情景がある。それでも1車両にひとりやふたりは自分の他にも本を開いている人がいる。絶滅危惧種なのかも知れないが少しほっとする。これはそんな時代の「文学」に関するメタフィクションなのである。

     登場人物はいずれも実験的な姿勢をもった作家たち。登場するのはベテランの前衛作家、新進の実験的作家、ホラーを脱臼させた実験的作風で支持を集める作家、同様に推理小説でそれをやっている作家、前衛詩の大御所(彼は盲である)、その弟子でジュヴナイル小説で売れ出した作家など。三人称だが視点はどんどん変わる。
     「ベラス・レトラス」とは文学青年だったパソコン・ソフト会社社長が創刊した実験的文学の専門誌で、スペイン語で「純文学」の意である(ただし本書では「純文学」「大衆小説」という分類は取らない。実験的な小説とエンターテインメントと記されている)。破格の原稿料で登場する多くの作家が寄稿しているが、みなそこに書いた作品は実験的であるというだけで碌でもないものだと思っている。
     ここをフィクション第1層としよう。
     登場人物たる小説家の作品自体も地の文に続けて「引用」されているのでこれをフィクション第2層としよう。フィクション内のフィクションだからである。
     さて、フィクション第1層の登場人物たち、つまり実験的作家たちはふと気がつくと、船に揺られているような感覚を覚え、やがて実際に巨船ベラス・レトラスに乗っていることに気づく。しかしまたふと気づくと現実(すなわちフィクション第1層)に戻っている。こんな往復を続けながら話が進むが、巨船ベラス・レトラスには自分が書いた小説の登場人物も乗船している。すなわちそこはメタフィクション層なのある。とすれば当然、フィクション第0層のあの人も登場するはずではないか。

     巨船ベラス・レトラスは文学界の象徴である。批評家たちの集う空中楼閣があとを監視するようにつけてきており、航路にはテレビ島やインターネット島も見え、船主はそんなところに寄るななどと言っているが、ややっ、ここはインターネット島ではないか。
     昔は同人誌作家が大変な読書量を誇り文学界を下支えしてきたが、いまや彼らは他の人の作品を読まずデビューした作家をやっかむばかりである。かつてはエンターテインメント作家も文学的な教養を豊かに持ち、あわよくば実験的小説にも手を出そうとしてそれがエンタメ小説の面白味を支えていたのに出版社も作家もとりあえず売れればと言う姿勢でいるために却って小説がつまらなくなって売れなくなっている。などと当時人物たちが議論を展開する。あるいは差別表現の問題。言葉を憎むと差別をする人を憎むのではなくなってしまう。文学者としては「目が亡くなる」という言葉を大事にするべきだ。いまやネットなどを中心にただ批判するだけの人が増えてしまった。登場人物の作家のひとりは9.11多発テロ事件への論評で世間のバッシングを受けている。ならばその主張を小説にしてしまおう。登場人物の主張する意見ならばそれがすぐに作家の意見といえるわけではなく批判しにくいだろう。というのを筒井康隆はこの小説でやっているのだ。

     筒井康隆すなわちフィクション第0層のあの人が作品世界に登場するところがクライマックスである。ベラス・レトラスに降臨した彼が長々と述べるのは実際に彼が体験した出来事である。まあ文学に関わっているといえば関わっているがそこまでの話と直接関わってるわけではない唐突さ。それは北宋社なる出版社が彼の著作権を侵害した事件であって唖然とするような話で面白いことこの上ない。が、日常の些事を事細かに語るのだからこれは筒井の私小説である。なぜかここ、すごく盛りあがる。
     されば巨船ベラス・レトラス、どこへ行く。といった小説なのであるが不思議にも感動する。感動のあまり俺も文学を書くぞと奮起してしまいそうな小説である。

    0
    2016年02月15日
  • ダンシング・ヴァニティ(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

     本作は文学的実験である。しかし同時に娯楽小説でもある。実験の主たる手法は反復。
     「おれ」は美術評論家で、母親と妻、幼い娘、出戻りの妹とその娘と先祖代々の家に住んでいる。ストーリーは「おれ」の本が売れたり家を建てたり画家と付き合ったりという美術評論家の日常であるが……
     「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」と妹が言いにくる。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざと大学生が喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざの抗争だ。ついにパトカーが来ると、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前では下っ端相撲取りが喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、ようやくループから抜け出して次の展開に進む。
     といった具合。反復というのは音楽では古来当たり前の技法だった。ソナタ形式では提示部を反復する。というのは主題をすぐには覚えられないからである。展開部で主題は様々に変化を施され再現部で再びもとの主題がもとの形で戻ってくる。現代の芸術でも美術ではミニマル・アートがあるし音楽でもミニマル・ミュージックがある。ただ、本書でなされている反復はクラシック音楽的なものではなく、ジャズのアドリヴの意匠のようにも思える。演劇でも反復の技法があるし、反復のないダンスなんてあり得ない。ところが文学では反復というのは忌避されるだけだった。この「反復」については『創作の極意と掟』のなかで入念に解説されていて、先頃映画化された『All You Need Is Kill』などゲーム小説への言及もある。
     作品ではこの反復自体が魔術的リアリズムとして機能する。さらに死んだ父は思い出の父として平気で作中に登場するし、幼くして交通事故で亡くなった長男も思い出の中で成長して成人となって登場する。これも繰り返し登場するという「反復」でもある。浮世絵の始祖といわれる岩佐又兵衛のことを調べるために彼の住んでいたあたりに直接行ってみようと思い立てばそのまま万治三年の江戸に行ってしまう。
     表紙のフクロウは要所要所で顔を出す、これも反復のひとつの形態である。バーニーガールは表紙には2人しか書いてないが10人ほどいるコロスで途中で出てくる(あるいはこの2人は歌手になった「おれ」の姪と娘かも知れないが)。古代ギリシャ劇のコロスつまりコーラスの語源となったものである。舞台に上がって状況を説明をしたり注釈したり観客に語りかける。これを普通の小説的の記述の中でやってしまうのだ。コロスもまた反復のひとつの技法である。
     反復のリズムがギャグを生むこともあるし夢と現実の混淆を生み出しもする。しかしこの反復の律動に身を委ねていると、ああ人生ってつまらない繰り返しだなあなどといった想念も頭に浮かんでくる。ヴァニティとは、空虚、むなしさ、無意味といった意味で、転じて虚栄心の意味もある。踊る空虚。

    0
    2016年02月15日
  • 銀齢の果て(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    星1にするか星5にするかでとても悩みました。
    どうせなら、星0ということが出来ないかとも思いました。
    少子高齢化により溢れかえった老人達に暗喩ではなく本当の殺し合いをさせる社会を描いた筒井康隆さんらしい狂気とエロティシズムと社会批判に満ちた不快で仕方がない作品です。

    毎度のことですが、筒井康隆さんに軽蔑の意を示せばいいのか尊敬の念を抱けばいいのかが分からなくなります。ただ、どうしてもこの人の文には惹き付けられてしまうのです。




    ~「あちちちちちちち」津幡は思わず手を振った。梅子の血がこれほど熱いとは思っていなかったのだ。~

    0
    2015年11月11日
  • 文学部唯野教授

    Posted by ブクログ

    学問小説、と言う一風変わった形式。毎章後半に唯野教授の講義が行われ、その内容が非常に興味深い。文芸批評に強い関心があるため非常に楽しむことが出来、ナラトロジーや記号論など、力を入れて勉強をしている範囲については特に楽しめた。大学の講義を受けているような感覚だった。唯野のスタンスは、文芸と学問とのバランスについて、自分と完全に反転した形だなと思った。それらを両輪とした相互フィードバックを志向する点は共通だが、比重が逆だ。メタフィクションとしても面白かった。

    0
    2015年08月08日
  • 緑魔の町

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    筒井康隆の中で一番好き。SFジュブナイルのほうの文庫は表紙が気持ち悪いけど挿絵はとても良い。挿絵の人が表紙も描けばよかったのに。
    町の人に追いかけられているときの白川青年の「ぼくはきみが倒れたら捨てて逃げるぞ!」という台詞の必死さが面白い。笑った。
    主人公の武夫はさんざんな目に遭うけどきちんと助かるのでそこも良い。

    0
    2015年07月21日
  • ダンシング・ヴァニティ(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    冒頭から初期の短篇 「しゃっくり」 を思わせる時間の反復で始まり、 おい、 これいつまで続くんだよと、 半ば呆れながら読み進めていくと、 いきなりの鮮やかな場面転換が。時間と空間、 過去と現在を自在に行き来し、まるで夢を見ているときのような、 あの脈絡は無いのに妙に生々しい感覚を味わわせてくれる作品。筒井ヴァージンは手を出さないほうが良いかもしれぬ。

    0
    2015年04月06日
  • 文学部唯野教授

    Posted by ブクログ

    大学教授陣の内情を滑稽な姿でもって明かしながら、主人公・唯野教授の批評文学論の講義が一章ごとに進む。
    批評文学論、中でも構造主義の物語学に興味がわいた。文学論の本も読んでみようか? 唯野教授ほどわかりやすくはないかなぁ?

    0
    2014年12月01日
  • 虚航船団(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    【1章】文房具が、自らの使用用途(ひとつの役割)に拘るあまり、おかしくなってゆく…僕らと同じね。【2章】鼬の文明史。自前の毛皮があるため毛織物業が発展せず、産業革命が興らないという設定は巧い!【3章】物語のラスト。コンパスイタチは「これから夢を見る」という。彼は、戦争描写で埋め尽くされ、閉じられてゆく物語の中で、自分の内側にあらたな虚構(夢)を建立しようとしている。完全にあきらめられた世界の中で見る夢は、明るい未来か?SF的な危険予知夢か?世界を虚構化(解釈して認識)し、切り開いてゆく営みは、この先もまだまだ続く。

    0
    2014年06月23日
  • 愛のひだりがわ(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    ジュブナイルとされているが、大人が読んでも十分面白い。
    タイトルで勘違いされそうだが、甘酸っぱい恋愛ものではなく、片腕が不自由な少女が父親を探す近未来日本を舞台にした冒険活劇だ。徐々に大人びていく愛の成長には少し寂しさが漂う。

    0
    2014年04月14日
  • 巨船ベラス・レトラス

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    久しぶりの筒井康隆。「大いなる助走」の系譜にある文壇モノ(もちろん、メタフィクション満載)。
    「巨船」が本格的に動きはじめる中盤からは、めちゃめちゃ面白くなる。筒井好きな人は必読。

    0
    2014年01月14日
  • 脱走と追跡のサンバ

    Posted by ブクログ

    筒井康隆の傑作の1つである。登場人物の自我からの脱出の顛末。自我同士の絡まり合いとぶつかり合いによる、時空がねじれ合うドタバタなのに、不思議と最後までするすると読めてしまうのはタイトルにも有るサンバをはじめとした音楽的リズムの賜である。20年ぶりに再読したが相変わらず新鮮。自我により世界が想いのままにねじれのたうつのは、映画「マトリックス」「インセプション」の元ネタになったのではないかとの説もあるが、無いだろう。むしろ下地に有る夢野久作や、どっちが下地かわからないつげ義春の作品が時々フラッシュする。最後の論文のパロディがやや退屈と思ったところで、「これからがパロディでなく、これまでがパロディである自信は?」にギクリとする。夢の木坂も再読したくなった。こんな名作が、文庫で入手困難っていうのはどういうことですか角川さん。

    0
    2013年10月20日
  • 愛のひだりがわ(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    父親が蒸発したのち、母まで病死。住み込みで働いていた先の家族にいじめられ、番犬を連れて父親を探す旅に出る愛。
    波乱万丈過ぎる愛の旅。でもいつも左腕が麻痺している愛の「ひだりがわ」には愛を守ってくれる存在が出てくる。
    愛は優しさに甘えるだけの女のコじゃなく、自分で学び成長する。

    理不尽な環境に置かれたとき、それをどう考え、どのように行動すべきか、とても真っ当な理屈が貫かれていてさっぱりした。

    随所で出てくる「わたしはとても幸せだ」という感覚が大事。

    0
    2013年04月22日
  • 俗物図鑑(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    見た目の厚さの割に一気に読めます。読中はゲラゲラ笑いました。(痰壺評論家はかなりきつかったですが‥笑)俗物万歳!作者の奇才に天晴れ!

    2
    2013年03月16日
  • 日本以外全部沈没 パニック短篇集

    Posted by ブクログ

    著者大暴れ(紙)の作品。
    うっかり油断したら本の中から
    作品の人物が逃走してきそうな気がして
    ちょっと怖いような気がします。
    (現実にそういうことはありえませんが)

    表題作は本編の後がお楽しみです。
    何かは読んでからのお楽しみ。

    面白かったのは大暴れ大暴走の
    「ヒノマル酒場」と「農協月へ行く」の2つ。
    特に前者はギャグまっしぐらな作品だけれども
    実はよく読んでいくとメディア批判なのです。
    そういう意味で読んでいくと結構深いものです。

    ただし、少し構成に難があるので
    読むときには注意。

    0
    2012年11月14日