適菜収のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
岸田首相のバタバタ感溢れるニュースが毎日紙面を賑わしているので、今は昔となったように感じるが、安倍さんが首相を降りたのは、僅か3年前。
本書を読んで、当時の政治(家)に対する大不信感が甦ってきた。と言うか、当時ニュースにもなっていなかった内容も書かれており、彼の影響力が無くなって良かったとすら思ってしまう。
彼が、自分の存在をどう思っていたかは、これらのことばからもわかるな。
・私は総理大臣としてありえないとこう言っているんですから。間違いありませんよ。
・私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しておりますので。
・まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから。
・私は立法府の長であります。
こんな思いを持っているから、同時の天皇陛下を小馬鹿にするようなことを言ったり、物真似したりしていたんだろうな。
一国の総理大臣故、決して自分を卑下する必要はないが、自分を神格化してどうすんの。(統一教会とべったりだったので、スピリチュアルな世界にいたのかも知れないが)
もっと国民目線の政治をしてくれる人はいないのかね。
一方、著者の適菜収さん、よっぽど頭にきているようで、バカ、アホのオンパレード。気持ちは分からないでもないが、もう少し事実を淡々と述べた方が良かったんではないかな。 -
Posted by ブクログ
安倍元首相については断片的な情報しか知らなかったが、国会でヤジを飛ばしながら自分がヤジを飛ばされると「大事な話をしているんです」と言ってのけた辺りから不信感増大、その後の統一教会の件でおぞましささえ感じていたが、本書ではその異常な発言、事実が具体的に挙げられていてる。ここに挙げられている事は事実でしょうから、もっとメディアで取り上げられて欲しい。「売国奴」と言われても当然だと納得の内容。
ただ筆者が感情的になり過ぎて、何かと「バカ」を連発するのは本書の価値を下げている様で残念。「失敗の本質」ほどではなくてよいので、もっと理性的に分析、批判して欲しかった(書いているうちに腹が立ってくるは分かるが)。また単なる無知(「云々」が読めないとか)と、外交上の失敗等に繋がる資質の欠如の問題を同列に並べていたのも、安倍元首相が日本にもたらした害悪が何だったのかがぼやけてしまった様で残念に感じた。
こんな人間を国葬にした現政権の責任も問いただして欲しい。統一教会の件も加えた上で、今の自民党にも言及した続編に期待する。 -
Posted by ブクログ
本書タイトル「脳・戦争・ナショナリズム」から何を想像して書店で手に取ったか、奇妙な組み合わせだなと思いながらも、脳科学者中野信子氏、批評家の中野剛志氏、そしてズバズバともの言う哲学者適菜収氏と普段良く手に取って読んでいる御三方の座談会形式に、いったいどんな会話がなされたか気になって読んでしまった。内容はタイトルそのまんま、3名の分野がそのまんま話の中心として、なんかこう、練り上げられていくと言う表現が正しいのか、形容し難いが面白い内容となっている。
まずは信子氏の脳科学的な知見が飛び出してくる。人の見た目に関して描かれる書籍は数多くあるが、本に書いて文字に起こして大丈夫か不安になる様な記載でかなりのインパクトの中でスタートする。人だけでなく生物全般に対してだが、攻撃的なのは顔に出る。脳内物質のアドレナリンが出て攻撃的な側面が強いとキツネの様な鋭い目つきになる。悪人顔が大体わかるのは、アドレナリンの濃さが顔に出てるといい、犯罪者は見分けられると言う話。本書は座談会形式だから、意見を言える自由な空間であるとはいえ、その道のプロ3人が集まると流石に内容もエスカレートしていく。左翼が丸メガネをかけたがるだの、美人は右翼に走り(自分が肯定されて生きてきたから)、逆に容姿で否定されてきた女性は自由と平等を求めて左翼に走りやすいなど、うんうんと頷いてる自分も怖くなってくる。
日本人は自分で物事決めたがらず、ヨーロッパ人は自分たちでルール決めたがる。ドーパミンの分解活性が強い日本人と、そうでないヨーロッパ人。ドーパミンが残りやすいヨーロッパ人との脳科学的な分析も面白く、そこに剛志氏の社会的な背景や歴史の話が加わり、さらに適菜氏の哲学的なアプローチが裏付けを強くしていく。なおルックスの良い人は、男女ともにIQが高いことも統計学的にはわかっているなどは大変興味深いし、この様な座談会以外で聞けそうにない。
次にネイション(国家)とパトリア(土地や共同体のへの愛着)にテーマが移る。インドネシアの例。国境の枠ができた後に、その集団(擬似的共同体)に対して愛着が湧く様になるといった、これまでの成り立ちとは逆の意見も面白い。ナショナリズムは一種の宗教で、一神教の神によって国家をまとめる方が簡単、だからキリスト教が必要だったなど、その逆に聖的なものを破壊してコントロールするのは難しく、共産主義は指導者を神格化して統治しようとしたが失敗しているといった話も面白い。ISは国境など関係なくイスラムの力で連携しようとしてる。他人が引いた国境線は関係なく、彼らが大量に若者を集めて力を維持して戦う理由にも触れる。
後半になると益々話は盛り上がる。前半のテーマをこれまでの意見で集約していく様にも感じる。社会に問題があった場合の解決方法としては、経済学者アルバート・ハーシュマンが唱えたイグジット(その場から逃げ出す)とボイス(状況を改善すべきと声を上げる)。前者は税金の軽い国に移住するなどグローバリズムの弊害。後者はイグジットした若者を受け入れるISが巧妙な動画コマーシャルで人員募集するような、イスラムの力で世を変えるといったものが、そうした前半の話がある上で更に厚みを増していく様な形で繰り広げられている様に思える。
こうした自身の研究テーマに対して絶対の自信があるのは、誰よりも考え方に自身があり、維持するために常に深く考えているからだろう。考えるのを面倒くさがると、同調圧力に左右される方が楽になってしまい、声の大きな独裁者に頼りたくなる。民主主義の手続きは面倒。橋下徹や小泉純一郎が良い例だが、自分の考えがあれば、簡単には靡かないし(知った上で靡くというのも手だが)、しっかり考えをぶつけられる。
こうした座談会を見ながら、あたかもその場で自分も会話しているように一緒に考えていく。それにしては私に取って豪華なメンバーだし、友人になる機会もそうは無いだろうから、独り本書を読みながらその雰囲気に浸っている。 -
Posted by ブクログ
速読ばかりが持て囃されている気がしているこの世の中だからこそこの題に惹かれて読んでみた
結果自分の判断基準が良くも悪くもブレたし憤りを覚えつつカタルシスも感じ、共感もした
どんな著名な本であっても全面的に著者に同意する必要もなければ反発する必要もないと私は常日頃から考えているつもりだ
ただ著者が言う
"くだらない何か"と言うものにある程度価値を見出だしている人間が少なくともいる世界社会に対してくだらないと一蹴するスタンスに触れると
それを本当に精魂込めて苦労して作り上げている人もいるわけでその生みの苦しみを何ら知らない人間に易々と世界を語れるほど世界は小さくないと思う たぶん…
と言う自分も何者かと言う不遜と傲慢に満ち溢れてる気がして辟易するが…
JPOPに毒されて悲しい気分になるくせ汚染されていると毒づく
薬と毒はそもそも紙一重
私には著者がある意味傲慢で不遜な人物にも思えてしまったし
内容で私の感情が複雑怪奇でわだかまりがシコリが残った一冊でした -
Posted by ブクログ
徒然草は過激な思想書と帯にありましたが、今では当たり前のお話ばかりですが、人権などがない当時では過激な考え方かもしれません。
つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ
有名な一節ですが、当時は日記として他者の目に触れることがなかったと思うと、ひとりでその様な気持ちを抱え込むのは如何ばかりかと思います。今は、SNSで簡単に共有できますから。
どんな時代にも権力に対する不満はあったと思いますし、権力を握り驕り高ぶる人が失敗する姿を何度も見てきたと思います。
死生観についても、人はなんの前触れもなく死ぬことを考えたら、今日まで生き延びられたことは偶然でしかないという。だからこそ、日々に生きて、日々に死ぬという言葉が良いなと感じました。
驕り高ぶらず、謙虚に礼儀正しく、常識を疑う。
一つ一つは、シンプルなことですが、シンプルが一番難しいなと思います。 -
ネタバレ 購入済み
無理をしない生き方の勧め
一部ご紹介します。
・過去は何をするべきかは教えてくれないが、何をしてはいけないかは教えてくれる。
だから、過去を学び、無駄なことをしなければいい。
「やるべきこと」ばかり考えていると、つらいばかりか人生を無駄にしてしまう。
目標や目的や理想に縛られると、現実が嫌になってしまうのだ。
「好きだからやる」「楽しいからやる」。それでいいのだ。
・30超えたら、カラオケは一人で行くべし。
聞きたくもない他人の歌など聴いていると、精神衛生上良くない。
・「世界古典名作全集」や「ゲーテとの対話」を読むべし。
・「断捨離」の極意は、自分にとって最高のもの、一流のもののみを残すことにある。
・野球を観戦するのと、AVを鑑賞することには共通点がある。
他人がやっているのを見て、喜ぶことだ。そこに自分はいない。
・最終的に国民の権利を守ってくれるのは国家の暴力以外にない。
・不特定多数に向けて書かれる新聞を読むのは時間の無駄である。
数百万部売ることが前提ということは、レベルを下に合わせるということだから。
社会面は他人の不幸を喜ぶ人が見るものだ。社説は与太。
・テレビの目的はCMを見せることであって、番組はそのおまけ。
・流行の最先端を追ってた人の昔の写真を見るのは痛々しい。
時代の空気に流されていただけだから。
流行に流れるということは、自分の好きなものが分からなくなることに他ならない。
・趣味というものは、一級品に触れることで作られる。
・利口になるには、才能以上のものが必要なのだ。
自分への投資、つまり経験を積むということだ。
経験を積むとなれば、先立つものは金ということになる。
貯蓄がある程度できたら、必要なものに投資すべきだ。
・パチンコは依存症を作り出すために設計された装置である。
・価値あるものには支出が必要だ。
女房に財布を管理されるのでは、奴隷と変わらない。
行動は「お小遣い」の範囲で決めるのではなく、必要かどうか自分の意志で決めなければならない。
そうしないと、人生はそこで終わってしまう。
-
Posted by ブクログ
近代化に対する批判的な観点や、聖的なものの重要性が論じられている。共同体から切り離された個は、集団を求めてポピュリズムに向かうとの指摘は、まさに現代社会の問題点をえぐり出していると思った。
宗教やナショナリズムは知性を鈍らせ、死をも厭わない感情を抱かせるが、人間が生き延びるために必要なものでもある。デュルケームは、トーテム原理によって、共同体の社会的、道徳的同質性を維持できると書いた(「宗教生活の原初形態」)。トクヴィルは、人間は信仰をもたなければ隷属を免れず、自由でありたいなら宗教を信じる必要があると書いている(「アメリカの民主政治」)。ニーチェは、統合原理としての神とは、先祖に対する畏敬の念、自然への恐怖、農耕に対する感謝といった民族のあらゆる感情を投影したものであり、民族は神に祈りを捧げることにより、自己肯定したと指摘している(「アンチクリスト」)。国家のような規模が大きなものをまとめるには聖的なものが欠かせず、ナショナリズムとは一種の宗教であると言える。宗教を否定したはずの共産主義国家は、最高指導者を神格化するようにして国家を統治した。フランス革命は、理性を神格化してカオスに陥った。
戦争は近代を生みだした側面がある。宗教改革にともなう戦争によって、軍隊や国家を合理的、効率的に運営するようになり、近代的・合理的な組織や制度が生まれた。また、諸侯が分立する時代から中央集権になって、絶対王政が出現した。大砲などの火器が登場した軍事革命によって、権力が君主に集中した。庶民を戦争に巻き込んで動員すると、庶民は徴兵や徴税と引き換えに自分の権利を要求し、その結果として、近代的な自由権や参政権が誕生した。
人間は、共同体から切り離されて個になれば、他人の振りを見て動くしかなくなり、集団を求めて大衆扇動家やマスメディアに流されたりする。悪い意味での集団主義であり、これがポピュリズムの正体と考えられる。橋下維新の支持率は、昔ながらの町内会活動を続ける地域では低く、新興の集団住宅地では高く、共同体から切り離された人々が支持している。
伊藤博文や井上馨がドイツへ憲法を学びに行った時、憲法とは歴史から抽出したものであると教えられ、帰国後に古典を読み込んだ。そうして出来上がったのが日本帝国憲法だった。したがって、立憲主義とは保守のもの。
郵政選挙の際に自民党が広告会社に作成させた企画書で分類された、マスコミ報道に流されやすくIQが低い「B層」は、日本固有のシステムよりもグローバリズムに肯定的で、近代的諸価値を妄信する人々。現在の日本はB層がポピュリズムを支えている。知的エリートのA層が扇動的な政策を支持するのは、勝ち馬に乗るため。
ドーパミンレセプターのサブタイプDRD4は、細胞の中に潜っている部分で同じ塩基配列が繰り返される回数が人によって異なり、その回数が多い人ほど新奇探索性が高い。南欧や南米では、7回以上の繰り返し型を持つ人の割合が多く、日本人では1%以下。
セロトニンが少ないと不安感情を助長するので、新しいものを受け入れようとしない。セロトニンの量は、セロトニントランスポーターの量を決定する2種類の遺伝子の組み合わせによって、3種類に分かれる。日本では、SS型とSL型の合計が98%を占め、世界で最もセロトニンが少ない。
遺伝と環境の重要性は、資質によって異なる。身長の遺伝率は70%。知能は様々に分類され、地頭の遺伝率は70%以上だが、言語性知能の遺伝率は15%。学習経験やストレス耐性などの後天的な資質も、エピジェネティクスによって子に受け継がれるが、ほぼ1世代限り。
個人間では愛着を形成するオキシトシンは、集団内では結束を強固にし、集団外には排他的、差別的にさせる作用がある。
美醜と正邪を判断している脳の領域は同じ。 -
Posted by ブクログ
面白くて一気に読み終わってすぐに2回目を読み始めた。まず見開きから→「自分を救えるのは自分ではないと気づくことだ。自分の力などたかが知れていると思い知ることだ。」と自己啓発本の類なら大概「自分を救うのは自分しかいない」と書かれていそうだが、その逆を突かれ「ん?」となる。確かに我々現代人はマスコミや広告代理店のプロパカンダに毒されているとはよく言われる話ではあるが、では具体的にどう毒されているのかまでは深く考えない。何となく→「情報」を集めれば「正解」に辿り着くと信じているバカが多いのである。ではどうすれば良いか?それが適菜氏が昔から言っている「古典に還れ」「古典をあたれ」ということだ→「大事なことは、真っ当な世界に連なる意思をもつこと」だ。バカとは価値判断ができないとある。今まで生きてきてある程度こんなものかと高を括ってしまいがちだが実はこれまでの生き方は自分や親やその他の影響を受けて我流で考えた一面的な生き方である。その一面的な生き方をせず→世界が環境との関係性であるとするならば本を読むことでほとんど人生は変わる。と。それを期待する→「とりかえしのつかない人」とは近代大衆社会において、正気を失い時代に流されるしかなくなった人。である。偉大なものに常に立ち返る。偉大なものに敬意を示すことが大切。また引用の中で三島由紀夫は→一流の文学は読者に媚びるのではなく「ノウ」を突きつける。自分を否定し自分より大きいものを受け入れる姿勢。また鹿島茂は→読書の効能とは「事後的」にしか確認出来ないことにある。言い換えると事後的であるから、これから人生を始める若者に読書した方がいいよと「事前的」にはいえない/これは多くの先人たちの後輩への助言にもあてはまることだ。後輩たちは未だそれを、経験していないから事後的に言われてもピンとくるわけがない。こうして時間がたち後輩だった人間が先輩になり初めて理解し後輩たちに教えてあげようと「事前的」に助言をするのだ。だが後輩はピンと来ない。なぜならば後輩にとってはまだそれは未経験の事前的な助言だからだ。という連鎖が延々繰り返される。だから「とにかく読め」「黙って読め」しか具体的なアドバイスはしようがない。はほんと納得。ショウペンハウエル「読書について」より→読書の本質は、もっと危険なもの、読者に反省を迫る、迷妄の中で暮らしている、深く病んでいる、精神の奴隷であるという事実を直視し真っ当な世界につながる努力をする。未来や過去といった長いスパンを基準にして現在を考える。世論に流されるのではなく、人類が維持してきた正気について考える。その為の読書。今まで読んできたひたすら数を積み上げるのとは違う読書の方法もそろそろ取り入れる時期に来ているのかも知れない。特に今読んでる「ゲーテとの対話」(エッカーマン)は本当に多くの著名な人が勧めている本だと知り、また日を置いて改めて読み直そうと思った。気になるところに線を引き抜き出して資料として持ち歩き事あるごとに見返して自分に浸透させるというのはいいアイデア。もう「読んだけど全然覚えていない」はいい加減卒業したい。いつかこのやり方をやってみたい。齢40を超えてもう「とりかえし」はつかないのかも知れないが、だったら言い訳をせずにやってみるべき。との言葉を信じてやってみよう。事後的にしか分からないのならとにかく黙って読むしかなかろう。