齋藤孝のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
上のメール術の本と内容がかぶってしまってすいません。この本はストレスが主題となっていて、そのストレスを出来るだけ感じないための対話術が書かれている本です。くわしく説明すると人は誰でもストレスを感じるものなんですが、そのストレスの感じ方によってストレスの解消法などが違ってくるようです。日本人の場合、世界の国々と比べると独特なストレスの感じ方をします。それは、「言いたいことをはっきりと口に出せない」ことによりストレスを感じるというものです。この場合のストレスは癒しなどのストレス解消法では一時的に回避する「対処療法」にすぎないのであまり効果がないといいます。そこで、この場合のストレスは対話術の向上でしか解決することが出来ないそうです。なので、そのストレスをなくす第一の方法である対話力を向上するためにこの本ではマッピング・コミニケーションのやりかたなどがかいてあります。面白いので、ぜひ読んでください。
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Posted by ブクログ
楽しまないことは罪である
「たまたまそうなった」という偶然を、ニーチェは信じない。過去が現在の原因であるように、未来に何かが起こるには、今この瞬間が原因となる。その連鎖が永遠につづいていく。だからニーチェにとって、生きる上での出来事で無関係なことは一切ない。生はすべて必然となるのだ。
今この瞬間を必然だと認めるということは、すべての偶然の堆積こそが必然だったと捉えることである。すなわち、生の全肯定の思想が生まれる。ことばを換えれば、「今この瞬間を精一杯生きよ」ということだ。霊魂は生き残るから、今はどうでもいいという、現世軽視の考え方を、彼は厳しく批判する。この瞬間に、よく笑い、よく食べ、よく生きること。それが彼の理想だった。
独創的なニーチェ思想を支えているのは正反対に、ものすごくトレーニングされた知性なのである。膨大な量の学習を積み重ね、必死で頑張ったからこそ、今の自分の思想がある、ということを、彼はよく理解していた。 -
Posted by ブクログ
「日本語力と英語力」
とてもよかった。ぼくが言いたいことを的確に述べています。多くの人に読んでもらいたい。ぜひ。
この本は 本書は、齋藤 孝氏と斎藤 兆史氏の対談本です。
重要なところ,おもしろいところを抜粋したみたらかなりの量になりました。何回かに分けて紹介します。
まず,英会話と英文法について。
(兆史)
ごく簡単に要約すれば、国語教育を充実させよ,英会話ごっこにも似た低劣な早期英語教育を止めさせよ、型の訓練を中心とした骨太教育を実現させよ、ということになろうか。(p5)
( そういうことです。まったく同感。 )
(兆史)
たとえば、For here or to go?という表現を見てみよう。これは主にアメリカのハンバーガー屋の店員が、客が品物を店内で食するか持ち帰るかを確認するために用いるものである。逆に言えば、その状況以外で用いられることはなく、例文としてきわめて発展性に乏しい。第一、前置詞+名詞と to不定詞をorでつなぐ変則的な構文を初学者に理解させるのはほとんど不可能だから、勢いそのまま覚えなさいと指導することになるが、生徒は、「英語圏のハンバーガー屋では、品物を持ち帰るかどうかをFor here or to go?という表現で尋ねてくる」ということ以外、何を学んだことになるのだろうか。こんな表現は、海外旅行者用の会話本にでも載せておけばいいのである。
店員の最後の台詞に現れる Here you are. についても同様のことが言える。これまた、たしかに四十年前の Here is a pen. に比べて実際の会話でよく耳にするが、対面状況で物を差し出す動作を補うだけの表現だから、これを知らなければ対応に困るような状況は皆無だと言っていい。少なくとも、中学1年次に学ぶべき英語ではない。このように系統的に説明のしづらい「実用的」な表現を教えたがるのが、いまの英語教育の悪いところだ。日本語話者の英語習得の順序を読み違えていると言わざるを得ない。( p8〜9 )
( うれしくてたまらない。ぼくがこれまで言ってきたことです。まったく同感。「発展性がない」というのがキーワードでしょう。会話中心ではそれをそのまま覚えるだけ。ほかの表現に発展することがない。文法をきちんと学ぶと,単語を換えることで無数の表現に発展できます )
(兆史)
まして英語シャワーといっても、せいぜいー日にー、二時間、多くて数時間程度でしょう。生まれたときから、英語で話し、英語で考えるという具合に、母語である英語に四六時中触れながら成長する英語話者の人たちとは、まるで状況が違います。ただ英語漬けになればいいというものではなく、日本語話者が英語を学ぶ場合には、日本語話者にふこわしいそれなりの戦略、枠組みがあるはずです。
(孝)
それが、たとえば徹底した型の訓練や、基礎の反復練習ですね。
(p43)
( これもぼくがこれまで言ってきたこと。新聞投稿もしたことがあると思います。さがして掲載したいです。とにかく同感。 )
(孝)
それはたとえて言えば、長嶋茂雄が送球したあとに掌をヒラヒラさせるのを素人が見て、その”掌ヒラヒラ”を真似して野球をするみたいなものですね。長嶋はそれで野球がうまいわけじゃない。たまたま投げたあとにそうなるだけであって。
(兆史)
ところが、”掌ヒラヒラ”ごと教えるのがいまの英語教育なんですよ。
(孝)
基本の形というものは応用範囲が広い。ですから、特殊なケースではなくて、「この文型を覚えておくと、こういう場合にほとんど使えます」というやり方を優先すべきでしょう。(p45)
( 長嶋の掌ヒラヒラに例えるのはおもしろい。)
けれど日本語と英語とはまったく違った語族に属しますし、日本人が英語を自在に使いこなすまでには相当の修練が求められます。その過程で学習する文法や読解がー見機械的な印象を与えることや、多くの人がその段階で英語学習をやめてしまうために、従来の英語教育が意思伝達機能を軽視してきたかのように思われがちなのでしょう。(p46〜47)
( これも同感。日本人にとって英語をマスターするのが難しいということです。車の運転ができるために1ヶ月ほど教習所に行くようなわけにはいかないのです。そこのところを誤解しているから,今の英語教育が悪いということで,文法軽視になってしまう )
(兆史)
コミュニケーション中心主義の英語教育のもと、文法は軽視される傾向にありますが、英語と日本語はまったく異質の言語です。日本人にいちばんあう英語習得法として、まず言葉の骨組みを知る文法の学習は、日本人の英語の学び方に合ったものです。
(孝)
ネイティブではない人間が外国語を学ぶとき、文法は大きな武器になります。その文法が軽視されるのは問題ですね。文法というのは型でしょう。相撲の四股みたいなもので、型を知っていると応用が利くし、効率よく学習できます。それに型や骨組みがわからないで、雰囲気だけで英語を訳すことはできないですよ。話すにしても、文法がめちゃくちゃでは、論理的な会話はできません。(p85)
( 日本人にとって,英語の文法を学ぶことは大きな武器になる,同感です。 )
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Posted by ブクログ
本を読むなぜか。それはその中にかかれた情報を知りたいがためである。
そして情報を疑い考えることは俗に頭がいいといわれること以上に
人間には価値があることだ。
本を書き込み汚すことに抵抗を持つ人が多い。売るためや本を汚すことが自分の
判断の浅はかさを移すかもしれない。自分の汚れを見せるのに羞恥心が付きまとう。
本をきれいに読むと自分の棚はきれいなほんだらけ。美しい本棚。すばらしい。
しかしその内容はというと、必ずしも聞かれたときには答えられない。覚えている
範囲で解釈して「この本は単に〜だよ」と一言でまとめる。あっているとは限らない。
こころに残ったとしても位置を忘れていたら読み返しにくい。
三色の配色は意識のシフトだ。脳が飛び出てこの手で縦横無尽に使えるといってもよい。
本への線引き・書き込みは本を自分へひきつける。本も自分に寄ってくる。
読むとき線を引くとき、考える時間を要するようになる。そして刻まれるのは思考の跡。
自分色に染まる。自分色に染めるのは楽しい。本が汚れるのは楽しい。本を読むのは楽しい。
自分は愉しい。
わからない文があったとしようでも線を引いたところは何度もそこを確認しやすい。
確認のたび自分の頭は強化される。豊かになる。気分がよくなる。本も愛おしくなる。
わからないことはあってもいい。わかるときは至福。
あなたの読書は役に立つだろうか。この読書法は役に立つだろうか。役に立つかはすぐには
わからない。ならば記憶に留めやすく、考える場を与えてくれるの本へ線を引くことがまず
あげられるのではないか。そのために三色とボールペンは存在した。