齋藤孝のレビュー一覧
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ネタバレ知性が「よく生きる」ための能力そのもの
自分にとって新しい刺激になりそうなものを、なんでも貪欲 に取り入れてみようとする能動的な生のあり方こそが、本当の意味で知的な生活
知性を持つことの最大の恩恵の一つは、これを持つことで、日々の生活の様々な局面で「驚く」経験ができるということです。
:世界の解像度が上がる
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、ギリシャ語で「驚き」「驚異」「 驚愕」を意味する「タウマゼイン」、つまり自分の想像を超えたものを目の当たりにしたときに喚起される精神的高揚感こそが、すべての知的探求の始まりであり、哲学の始まりでもある、と考えていました。
既知の知識が未知の知識とつながった瞬間、自分の好奇心が満たされることで、他の何物にも代えがたい幸福感に浸ることができます。
知識がなければ、創造性も出てこないのです。
:クリエイティブに成るには大量のインプットとそれを基にした大量のアウトプット、そして作品をメタ認知出来る能力が必要
知識があることは、新鮮な感動にとって、障害であるどころか条件なのです。
なぜ外部の目にさらされたとき、薄っぺらく感じさせるのかといえば、それは 現代人の内面世界が、その人自身の「気質」だけで構成されていて、その気質を下支えする土台や、柱・梁 にあたるものがないからだと私は思います。
:厚みを作るには経験や知識が必要ではないか。経験は勇気を出して挑戦したり、失敗や挫折したりしたものがよいのではないか。知識は本を読むことで得られるのではないか。
戦前の身体文化と精神文化まで「なかったこと」にしてしまったのは大きな損失だった
メモ:世代が変わって戦争を知っている人がいなくなってしまい、国の復興や国民生活をより豊かにするという気持ちを持つ人がいなくなってしまった。また、全国民がほぼ豊かになってしまったので仕方ないのでは。
かつては「教養がないと恥ずかしいから本を読まなきゃ」だったのが、知的なプレッシャーがなくなり、「各自が好きなサブカルを楽しめばいい」という価値観になりました。
メモ:2026年現在では、サブカルチャーの細分化がますます進み、個人が周囲を気にせずに楽しんでいることが顕著になってきている。
現代人が教養を身につけることにそれほど熱心になれないのは、人間を評価する尺度としての教養の価値が昔よりも大幅に低下し、代わりに容姿や経済力に価値を置く比重が高まった影響が大きいのかもしれません。
メモ:外見が非常に重視される傾向(ルッキズム)が現在では強い
人を好きになる理由としても、「理解力がある」ことを重んじるような価値観を持つほうが、幸せになれると考えています。遺伝子至上主義ではなく、コミュニケーション力や理解力、共感力など、「自分のことを理解してくれている」「お互いに理解し合える」と感じられる基準を持つことで、人付き合いの選択の幅を広げてほしいと切に願います。また理解は、相性や趣味、物事の好き嫌い、思想や信条の違いさえも超越する ものでもあります。
メモ:先天的な容姿(遺伝的なモノ、ルッキズム)よりも、相手を理解するという姿勢の方が大切ではないか
「査定社会化」も若者を苦しめている
メモ:内申や出席数などを真面目に取らないと減点されるという評価基準。しかしある程度は必要では。
「学ぶ」という行為は、先天的な遺伝子とは違って、誰に対しても開かれています。文明を築き、社会を良くしていくものでもあります。美醜よりも向上心・向学心を問題にしたいものです。
メモ:ルッキズムは若い内はある程度仕方がない部分もあるが、基本的には向上心などの内面的な人間性で評価をしていきたい
私の授業では、先が読めないようにすることも含め、盛り上がる、ということを何よりも大事にしています。「へー!」「うそでしょ!?」という感動がエネルギーになって、教室に充満する。そうした祝祭的な学びや教育のあり方が、私にとっての理想であり、「当たり前」なのです。
メモ:自分の知識が広がり、世界の解像度が上がる瞬間を味わってほしい
それまである仕事をレギュラーで務めていた人が休んだときに、代理で入り込んだ人がその仕事ぶりを評価され、そのままその仕事をモノにしてしまう、というのは、現実社会でもあることです。 こうやって仕事をゲットする力を、私は「代理力」と呼んでいます。
メモ:チャンスをものにするには代理になれる位の準備を日頃からすること
学問をし、古今の教養に触れることで得られる満足感は、お金にはとうてい代えがたいものなのです。
メモ:精神世界が豊かになり充足感が得られる
本を読むという行為は、そうした飽きっぽい人間性を陶冶し、精神の粘り強さを養うもの でもあります。
メモ:読書体力(集中力)を養う。共通テストの英語にはかなり必要。スマホでは短いコンテンツばかりで読書体力がつかない。
一人の人間の人格は、その人が自分一人でつくるものではなく、両親やお世話になった先生など、その人が自分の中にどれだけの人物を住まわせるかによって変わってきます。 その人物というのは、本で出会った人物も含みます。尊敬する人物が生まれるたびに、その一部が自分になってくる感覚です。
メモ:人間性は出会った人や経験の積み重ねで形成される、それは実際の現実でだけでなく読書を通じてのものでもよい。
読書はそれ自体が人間によって行われる最高度の知的活動であり、受動的どころか非常に能動性の高い行為
メモ:文章やコマから頭の中で映像を作り出すので、イメージ力が上がる。動画ではすでにイメージがあるので鍛えられない。ポルノでも同様で動画ばかり見ると麻痺してくる。
ラクがしたい、退屈したくないという気持ちばかりが前面に出ると、人は知的なものをかみ砕く顎の力がどんどん弱くなっていきます。
メモ:面白いか面白くないかという基準だけで作品を選んだり、ドラマ、アニメ、映画、YouTube、ショート動画など映像作品ばかりだと衰える。
絵本は想像力を 駆使 する余地が多分にあります。
メモ:絵本は幼い時からできるイメーシカのトレーニング
「最高のもの」に触れることも、知性を育てる最良の道です。
メモ:最高のものは素人が見ても驚きや感動を覚え、好奇心を刺激してさらに学びたい知りたいと思わせる
専門家の批評を読むことは本当に重要だし、批評という行為には独立した価値がある
メモ:批評から新たな視点が得られる -
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訳は直訳ではなく随所で必要な語彙を補ったり意訳したりしているので、現代語訳としてとても読みやすい。その代わり原文に忠実な訳ではない。
これは、人々が礼儀正しくして親孝行でいれば国は安らかになる、ということだった。そのためにはまず上に立つ者が礼儀正しさを実践しなければいけない。そしてこれは一つの道で貫かれているものであり(339p、72p)、これは非常に困難なことで、世に聖君はおらず、孔子自身でも達成できない高みにある道である(132p)、この道を実現したのは、尭や舜の伝説時代の帝王だけだ(340p)。しかし、もし上に立つものが身をつつしみ徳行を修行し聖人のようになれば、下々もそれを敬い従い、さらに世界中の人がこの道を行くために学問をして身を清廉にしていけば、いつか世界中が皆兄弟のようになるだろう(249p)
ここから分かったのは、儒教というのは宗教というより道だということ。道徳を完璧に体現するために至る道であり、空手道や剣道と同じく儒道と呼びたくなる。儒教と言ったら目上に絶対服従みたいなイメージもあるが、孔子は「仁を行うに当たっては、先生にも遠慮はいらない」と言っている(361p)。目上の人間には服従せよ、みたいなことは言っていない。仁とは畢竟これ→265ページ。イエス・キリストだろうか?これを世界中の人間が実践できたら、世界は皆兄弟になるだろう。私としては、ある時から人間を尊敬することを学んだイマヌエル・カントを髣髴とさせる。
それはさておき、儒の弊害もちらほら見えてきた。孔子が言う学ぶべき学問とは礼・楽の学問で、それ以外の学問は小道とされ、道徳的究極に至らない道とされている(異端をおさむるは、これ害あるのみ。31p)。ここから医学や農学などの礼・楽以外の学問や、技芸や専門知識は軽視され地位が低下していく(428p)。礼儀正しく親孝行であれば、政治は上手くいくんだ!細々した農業の技術とか求めなくていい(274p)、果たしてそうだろうか!と思ってしまう。これは三国時代の曹操の例が分かりやすい。曹操は礼儀正しいだけとか親孝行なだけとかの人物が有能として官吏に任命されてる現状に憤慨し、「求賢令」を発令した。「求賢令」は道徳とか人品とかどうでもいいから才能のある奴が来てくれ!という叫びだ。管理の任命を儒者が長年行っていたので、彼らの人脈が太くなりすぎて、確かに礼儀は正しいがさして才能のない人物ばかりが推挙される、という弊害が後漢末に発生した。しかし孔子自身は人格に問題があったが有能な管仲を高く評価している(312p)。あとは後世に生きる人間として言えるのは、易姓革命というクーデターに儒教が利用されたこと。天は現在の王朝の徳が衰退したら、別の徳が高い人物を天下の支配者として命じる、このような建前を実力者に利用され殺人や戦乱が正当化された。孔子は、道を無視する無道者なんて殺してしまって、それで世の中に規律をもたらせばいいじゃないですか?と弟子に問われたとき、政治をするのに殺すなんてことは必要ないと言っている(261p)
あとは葉公が、羊を盗んだ父を正直に告発した人こそ真っ直ぐな者でしょうと言ったら孔子が「子は父のために、父は子のために(過ちを)隠すことが真っ直ぐだ」と言った(286ページ)。ここら辺も理解しがたいことかもしれない。これ肉親を組織や国家に拡大解釈すれば、組織や国の過ちに気づいても隠すことこそが礼儀にかなった行いだ、みたいになってしまう。隠すというのは往々にして嘘をつくという行為を伴うので、国が間違ってるのに正当性を付与するためにデマや嘘を吹聴するみたいな行いも正義の行いになってしまわないか。 -
Posted by ブクログ
私は、親から"教育"を受けた記憶はあまりなく、テスト成績がほどほどならうるさく言われなかったし、よく言えば自主性を尊重された家庭だった。結果、勉強はテストのためのつまらないものだったし、考える力の弱い人間になってしまったなと思う。(親のせいではない)
この著書は中学生くらい向けで平易ではあるけど、学校で教えてくれない必要な内容が詰まってるなと思った。だからこそ、学生時代に出会って知っておいておきたかった知識だった。学生時代の幅広い学習は世界を広げて、生きやすくするためだったんだね。そう思うと、意味を持って楽しく学べたはず。
大人になった今はとても実感しています…
子供が大きくなったら読ませたいな。 -
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話の深い人ができる人は
①展開力。いかに話を広げられるか、その話に精通しつつ、ほかの領域にも造詣があるか
②本質把握力。本質的な部分を抑えているか、コアとなるポイントや骨格が明確で、端的にそれについて述べられるか
③具体化力。具体的に説明できるか、自分事としてエピソードのように述べられるか
が備わっているとして、その考え方や取り組み方を紹介。
全てその通りの内容で、色々な本を読んでも似たようなことが書いていた。
特に印象深かったのは、上記のことが備わっているなら、与えられたテーマに対して500ページでも、30ページでも書くことができると言うこと。
意識して取り組んでいこう。 -
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ネタバレ話が深い人には共通点がある。
「展開力」「本質把握力」「具体化力」の3つだ。
展開力は、情報の集め方や広げ方のことで、古典や歴史はもちろん、インターネットのコメント欄をも参考にしているのは流石だと感じた。
本質把握力は、物事を深く捉える観察力とそこから本質を見抜く洞察力の話。多面的、多角的に見たり、細部に着目したり、考え抜いて案を1つではなく3つも4つも用意している人は深い。
具体化力は、自分の変容や感動をエピソードとして語ることの重要性だ。エピソードを見つけるために、◯◯ベスト3は?と問うベスト3方式や、判断力を養う「で、どうしたでしょう?」問題などは具体的で秀逸。人の見えないところや意外なところを発問したり、提案したりできると具体的で深いと感じさせられる。
最後の話し方の技術では、「具体的かつ本質的にいうと、」という口癖や、ホップ・ステップ・ジャンプで深くする「スリーステップ論法」などが紹介されていた。
面接試験で語るのは、自分自身を深く掘り下げた発言であり、実績ややってきたこともそうだが、自分の感情や考えに結びつけて語ると深く感じられる。
細部をエピソードで語る方法、1分で話せるようになる15秒トレーニングなど、短い時間で人に伝わるようにアウトプットを重ねてきた斎藤孝さんだから、これだけ多くの書籍を出したり、テレビでいろんな分野のことについてコメントできたりするのだなと裏側の努力の一端を垣間見た気がした。 -
Posted by ブクログ
まずプロローグから 現代人は孤独を恐れる。その反動なのか<友達がいないと不安だ症候群>とでも言いたいほど、人とつるみたがる。だから、、、という本だった。
人気の齋藤先生は今は孤独と距離のある人だろうと感じていたので、この方の孤独って、と興味を持ったのです。孤独感がない人だとは全く思っていませんが。
続きで
それが居心地がいいというなら、それも一つの生き方だ。だが、本心では満足していないのに、一人でいることの意味をポジティブにとらえることができなくて不本意な時間を過ごしているなら、その膨大な無為は人生の意味を薄めてしまうことに等しい。
だから無為に人生を空費しないためにこの本がある。
本書は、孤独が力になることを実感してきた私なりの<孤独礼賛>なのである。
礼賛するほどのものでなくても、人は孤独なのが普通だと思っている。人それぞれなのだから心から溶け込める場所などは稀だとおもう。
「チカラ」を「チカラ」に出来るのは孤独であろうとなかろうと自分自身の心の「チカラ」だともおもう。
世間から引き離され放り出される孤独、仲間から切り離され無視される孤独。生まれながらの孤独。自分で心の中にとり込んでしまった孤独。
知らない間に年を取り死が見えてきたという孤独。孤独にはまだまだ人の数だけある。自覚していてもしなくても。
生きていく物理的的な機能の裏にあるもの。幸せや不幸の中に垣間見える負の心が孤独という名だったとしよう。
そんな孤独とどう仲良くするのか、と書いてある。
孤独を愛し充電する方法を考えよう。放浪するスナフキンのように。
時代との違和感はパワーに代えよう。
年齢によって変わることもある孤独感は、折り合いをつけてみよう。
等々。
そこはかとない寂しい気持ちを言葉にして分析すればこうなるのか、それでも孤独感とはいつも二人連れだ。
人である限り、薄れたり濃くなって取り込まれそうになることもあるが。
言葉に出来ない複雑な個人的な寂しさを見つめていこうという。
これはそういう本で、最後は文学や詩にあらわされた孤独についても書かれている。
単独者になる
内観する
教養を養う
読書をする
最後に
単独者たることから見えてくるもの
愛の孤独を知る
孤独こそが他者への理解力を深める
孤独と楽器
孤独にふさわしい作業とは
孤独力のベースはノルアドレナリン(不快感の素かな)
無常観を武器に
地下水脈
だが仕事もなく病気で家族も養えない、生活の困窮からくる孤独や社会のひずみによる孤独について書かれたものではない。
「チカラ」のない人はどうするのだろう。手を引くのもひかれるのも辛い。
これを読んでチカラになる人、孤独感にまだ余裕があり頑張れるひとなら、ヒントが欲しいときに読んでみてもいいかも知れない。
それぞれ異なった読後感を持つに違いないが、或る意味、孤独に縛られる形の違いはあるけれど、お試し型の孤独の癒し方のようでもある。 -
Posted by ブクログ
このタイトルを見ると、かつて上司がよくかけて
くれたフレーズであることを思い出し、初心に
帰る。副タイトルも今の自分を後押ししてくれる
ような気がした。
本書は、文豪が遺した言葉も紹介している。
夏目漱石ががむしゃらに自分の道を突き進めと
背中を押してくれると、迷いもどこかに消えて
しまうのではないか。
この作品も、齋藤氏による他の著作に負けるとも
劣らない珠玉の言葉をふんだんに盛り込んだ
良書である。
英国の哲学者フランシス・ベーコンが遺した言葉
(読書は、充実した人間をつくる。)は、豊かな人生を
歩まんとする今を生きる人にとっての良き羅針盤と
なるはずだ。一読を薦めたい。 -
Posted by ブクログ
齋藤孝氏の著書は、いつも気持ちを前向きに
してくれる。タイトルの如くに、学生時代の
自分に言い聞かせたい内容だ。
本書は、種々のことにアンテナを張り巡らし、
主体的な姿勢を持つことが知的生活を送る
ためには必要不可欠であり、そのことが
結果としてより豊かな人生へと導くものであると
説く。
個人的には、今よりも人生における経験知等が
乏しかった若かりし頃の自分には、後半部の
対人関係を良好にするための記述等を伝えたい。
実は、この本に出逢ったのは、学生時代を過ぎ去りし日々として懐かしむ頃であった。
しかし、「今が一番若い」という言葉があるように、
本書で教えてくれたことを積み重ねて行きたい。
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Posted by ブクログ
筆者がこの本で伝えたかったのは、とにかく口を動かす頻度を増やすこと。
分かったと思っていても、意外と口で説明しようとすると言葉が出てこなかったり、相手に分かりやすく伝えることは難しい。
これは、分かったと思っていたことが、実は分かったつもりでいることが多く、例えば、本を読んで知識が増えたと思っていても数日経てば既に本の中身をほとんど忘れてしまっていることからも言える。
それを本当に分かったと言えるようにするための方法として「一分間アウトプット勉強法」が役に立つという。
確かに、時間を限って、短時間で集中して物事を吸収し、伝えたいことを主に3つに絞って話せるようになれば大いに理解度が上がり、プレゼン能力も向上して仕事にも役に立つと思う。
ただ、そのためには普段から集中して知識を吸収しようと意識し、そして考えること、口に出すことが必要となる。
このことが、簡単なようで実はなかなか行動に移せないことであり、まずは意識改革して行動に移さなければ、結局この手の自己啓発系の本をいくら読み漁っても能力向上には繋がらないなと自戒した。