あらすじ
『学問のすすめ』『文明論之概略』などを著し、慶應義塾の創設にも力を尽くした近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉。激動の時代を痛快に、さわやかに生きた著者の破天荒なエピソードが収められた本書は、近代日本が生み出した最良の読み物のひとつであり、現代日本人が生きる上で最高のヒントを与えてくれるだろう。
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福沢諭吉の自伝。学問のすすめがなんとなく硬い印象を持っている人はぜひ読んでほしい。
日本の一万円札の人だから、ではなく単に面白い伝記として読んでほしい。もちろん偉人なので人生の教訓にもなる部分もあるが、天の上の人ではなく、同じ人間として捉えることができるようになると思う。
福沢諭吉のファンになること間違いなしの一冊。
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最後までとても面白く読めた。
福沢諭吉という人がどんな人物だったのか、けっこう理解できたのではないかと思う。本人が書いたものだから、うそではなく真実が書かれたものと思う。彼がいかに自由に自分に正直に生きて、物事を成し遂げてきたか、かなり理解できたのではないかと思う。「学問のすすめ」も機会があれば読んでみたいと思う。
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とても面白く一気に読めた。福沢諭吉の封建的な考えに囚われることなく、自由奔放・清廉潔白に育った性格と、東洋学問ではなく、数理・事実に基づく西洋学問の将来性を見抜く先見性という、福沢諭吉の卓越した個人的資質に思わず目がいきがちだが、その自由な発想を理解し後押しした母・お順、そして規律と自由が調和した校風の中、鍛錬・勉学の場を与えた緒方塾長の存在は非常に重要だったのだろう。
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■ひとことで言うと?
慣習に囚われず、自分の信じたことを全力で成した人物
■キーポイント
・自立自活
- 自分のことは自分でする
- 極力人に頼らない生き方をする
・血に交わって赤くならない
- 自分の「軸」を持つ
・手段を選ばない
- やりたいことはいかなる手段を用いても成し遂げる
・「およそ人の志は、その身の成り行き次第によって大きくもなりまた小さくもなるもので、子供のときに何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の保証になるものではない。ただ先天の遺伝、現在の教育に従って、根気よく努めて迷いのない者が勝ちを占めることでしょう。」
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今まで自分は福沢諭吉のことを慶應義塾を建てた人間だということしか知らなかったが、この本で福沢がどんな人物で何に興味を持っているかという人物像を知ることができて面白かった。
個人的には学問のすすめより面白かった。
他の作品も読んでみたい。
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福澤諭吉が還暦を超えた頃に人生をざっくばらんに振り返った本。全体の20%は酒の話。
特に中盤で禁酒を誓った福澤が、友人に「キツい我慢はよくない」と唆され煙草を吸い始めた挙句に禁酒にも失敗し、ただの大酒飲み&ヘビースモーカーに成り下がった話は涙なしには読めなかった。
気難しそうな顔からは想像し難い、破天荒な人物像。しかし、男子高校生のような言動ばかり。
友人に「鯛だ」と言って河豚を食わせ、「お前は河豚を食った、もうすぐ死ぬ」とビビらせ横で爆笑してたり、神社の御神体をその辺の石ころにすり替え、それを知らず人が拝んでるのを見て爆笑してたり。
しかし勉強に対する熱意も凄まじい。
昼夜問わず蘭学書を読み続け、たまには枕で寝るかと思ったら、実は枕で寝たことがそもそもなく持っていない、と気づく程度に。
読んでいく中で、その継続する熱意には驚かされたが、現代での「勉強」とはかなり色が違うなと思うようになった。福澤がハマっていた幕末〜明治初期の『勉強』は、今まで日本で閉じた世界しか知らなかったところに降ってきた未知のものである。
これは今で言う『勉強』とは全く違い、掘れば掘るほど、進めば進むほど必ず知らないものが出てくるという、もはや『冒険』のようなもので、そりゃハマるわと思った。
今の「勉強」は全世界が可視化され、そこを生きていくための教養がベースなので、どんなに勉強しても「他の人も知っていること」の範疇を出ない。なのでワクワクしない。
大学研究以降の「他の人が知らないこと」に到達するまでがあまりに遠すぎて、現代に福澤のような人間を量産するのは難しい。
あと面白かったのは、欧米旅行に行った時にそこで見る科学知識の大半は既に書物で知ってきたので、もっぱら興味は社会構造や法律の理念などだったという話。こればかりは現地でないと分からない、ということが分かったのが収穫と述べているけど、まさにその通りだなと思う。
1冊を通して「知らない世界を知る、見る」ということは強烈な原動力になるんだなと思いつつ、今の世界で自分が見いだせる知らない世界はやはり人の中なんだろうなと思ったり。
現代語訳もかなりフランクな口語でされており、ざっくり読めて面白い本だった。
Posted by ブクログ
齋藤孝氏による現代語訳版です。
齋藤氏自身も、この本は座右の書に挙げており、非常に
頻繁に彼の著作の中でも紹介されています。
福沢諭吉氏が死の3年前に発表したこの自伝は、「学問
のすすめ」にも通じる、今こそ日本人がもう一度見直す
べき気骨に満ちあふれています。
日本人必読の一冊です。
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福沢諭吉が65歳になって書いた自伝。若い頃は、無茶苦茶をしつつも一本筋の通った厳格さを備えていたことがわかる。当時の様子のわかる貴重で面白い一冊。
「「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも。君が義士と言えば、僕は不義士にする。君が不義士といえば、僕は義士にしてみせよう。さあ来い」」p110
「枕がない。どんなに捜してもない。これまで倉屋敷に一年ばかりいたが、いまだかつて枕をしたことがない。というのは、ほとんど昼夜の区別がない。日が暮れたからといって寝ようとは思わず、しきりに本を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば机の上に突っ伏して寝るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るかで、今まで布団を敷いて寝ることなど、ただの一度もしたことがない。その時に、なるほど枕がないはずだと初めて気が付きました」p111
「そもそも日本人が初めて蒸気船というものを見たのは1853年、航海を学び始めたのは1855年、その勉強がなって外国に船を乗り出そうとしたのが1859年、すなわち蒸気船を見てから足かけ7年目である」p153
「むかしナポレオンの乱でオランダの運命は断絶して、本国は言うまでもなくインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を揚げる場所がなくなったように思われたが、世界中にわずか一ヶ所を残した。それはすなわち日本長崎の出島である」p194
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福沢諭吉の自伝、現代語訳版。
まず単純に面白い。
あっけらかんとしていて自尊心にあふれ、卑屈なところがない福沢青年の大胆な行動、巻き起こる事件...
そもそも世の中が大きく動いていた時代に、その急先鋒にいた人物の自伝である。面白くないわけがない。
そして読み物としての面白さとともに、
大人物かくあるべしという示唆に富んだものとなっている。
学問のすすめと合わせて読みたい。
Posted by ブクログ
素晴らしい。面白い。名作。
さすが、近代日本きっての偉人の自伝。
どうすれば福沢諭吉のようになれるのか、参考になる。
常に勉強に勤しめば、いつか役に立つ。余り、何に役に立つとか考えすぎてもいけない。
さすがに、時代が違うので参考にならない部分もある。
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福澤諭吉という人物の歩んできた道、またその過程で培われてきた価値観など、ダイナミックに感じ学べる本だと思いました。
また、時間を空けて読んでみたいと思います。
Posted by ブクログ
普段はあまり自伝は読まないが、
機会があって手に取った1冊。
福沢諭吉はもちろん知っていましたが、
その一生をこうして読むことができて、
大変勉強になりました。
自分の願いを叶えるために人脈を大切にし、
そして何事にも臆せず飛び込んでいく。
またこうと決めたらひたむきに努力して、
たとえダメになってしまってもまた新たな一歩を踏み出す。
今の社会にも通じる多くの教訓を学びました。
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福沢の破天荒な生き方に意外性を覚えた。近代日本の学問の始祖でありながら、真面目一徹ではなく、多くの友人と遊び、楽しく暮らしていた。彼の豪胆さや心の広さは見習いたい。
Posted by ブクログ
「学問のすすめ」、そして一万円札の顔として知らない人はいないであろう福澤諭吉。その自伝がおもしろいと良く聞くので本書を読んでみた。
まず第一に、福澤諭吉のイメージががらっと変わった。聖人君主のような人柄、人生を想像していたが、とんでもない。驚くほど人間くさい。基本斜に構えて、どこか人をバカにするような見ていて、飄々としてどこか冷めている。間の抜けた所もあるしやんちゃな部分も見て取れる。近くにいたら友達にでもなれるんじゃないかと思ったり。
では福澤諭吉の何がすごいか。本人が「喜怒色に顕わさず」という言葉を大事にしていると述べていたが、どんな時でもブレない。自分の信念、軸が一本スッと通っている。
借金は決してしない、愚痴は言わない、なにか大変なことが起こってもそれを不自由と思わない…等、基本他責で物事を考えず、常に自責で物事を考える。
また、福澤諭吉は中津の国の下士の身分の出であった。そういった生い立ちもあり、誰に対しても平等にフラットに向き合う。そして人によって態度を変えたりということはなかった。
当時で言えば変わった人間だったのかもしれないが、結果的には大成して今やお札の顔となっている。
幕末という混沌とした時代を、自分の信念をもって飄々と駆け抜けた福澤諭吉を純粋に素晴らしいと思った。今の時代を生きる人たちにも、福沢諭吉の生き方は刺さる部分があるのではないだろうか。
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2011年出版。齋藤孝さん、現代語訳。慶應義塾大学の創始者、お札の肖像画、歴史の教科書にも登場する認知度の高い有名人。しかしながら、どんな少年時代青年時代を送られたのか、ほとんどと言っていいほど知りませんでした。早稲田大学の創始者である大隈重信さんとは対局的で、終生在野を通された方。内容は、自伝にありがちな都合のいいことばかり書き並べるのではなく、大酒飲みで素行の悪いことも書かれており、とても近しい存在に思えました。しかし筋の通った方であることは、よく知ることができました。私が大阪に住んでいた頃、淀屋橋にあった適塾跡を訪ねたことがあります。なんだか幕末の時代に勉学に励んだ若者たちの息遣いを感じた印象が残っています。蛇足ではありますが、自伝中に、手塚治虫さんの曾祖父が登場されるのが興味深かったです。
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一万円、学門のすすめ(未読)、脱亜論(未読)というイメージしかなかったので、お堅い真面目な人だったのだろうな、と勝手に思っていましたが、全然違いました笑。持ち前の行動力と茶目っ気で、面白い人生を歩んだ人なんだ、と印象がガラッと変わりました。周りに結構悪質なドッキリを仕掛けたり、自分の物腰で相手の態度かどう変わるかというような社会実験もしてて今のYouTuberみたい笑。
不思議なのが、福沢諭吉を主にしたドラマとか映画って他の幕末~明治の有名どころの人物に比べて、少ないですよね。何でだろう?アメリカやヨーロッパ渡航もしてるし、大河とかにしたら面白そうだけどな。
それはさておき、他の著書も読んでみようと思いました。
~追記~
ドラマ映画化がほぼ見られないのは、脱亜論を書いた人物でもあるので、中韓に配慮してのこと、とある人に言われ納得した。
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齊藤先生による現代語訳でとても読み易いです。
福沢諭吉と言うと堅いイメージがあるかもしませんが、本書を読むとそのイメージが変わります。
破天荒だけど悪戯好き。ですが論理的で思考や価値観、生活態度1つとっても時代を先取りしていたことが判ります。
悪戯等のエピソードは笑えますが、学問に対しては妥協を許さず取り組んだからこそ、幾度の海外進出や塾の開校、名著の執筆等、歴史に名を残しお札の顔になれたのかもしれません。
日本を西洋に劣らぬ国にしなければならないという考えの下、政府に肩入れをし所属するのではなく、庶民の立場から文明開花のために尽力した福沢諭吉の人生が綴られています。
読み易さ重視の為、原書からは割愛した内容もあるとのことですが、福沢諭吉を手軽に知る事ができ、勉強にもなると思います。
また、この書と併せて現代語訳版の学問のすすめを読んでみるとより一層理解が深まり良いかもしれません。
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福沢諭吉の自伝。
口語体で書かれていて、あまり飾らない性格らしく、子供の頃から酒を飲んだ、だとかどうかな、と思うようなことも書いてある。読み始めた頃は、開き直ってる!と思ったが、だんだんこのおじいのすまし顔の描写も好きになってくる。
特にアメリカに行ったりするようになってから面白かった。咸臨丸では、小料理屋で盗んできたお椀が宝物だったエピソードが好き。
なんだか福沢諭吉の孫になって、昔話を聞いているような気分になる本だった。
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福沢諭吉の(口述速記による)自伝。その齋藤孝さんの現代語訳。本の帯にあるとおり「『学問のすすめ』より面白い 日本最強の自伝」だった。抄訳なので、ぜひ原典を読みたいと感じた。
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他の出版社の福翁自伝は読みきれなかったが、ちくまの現代語訳は 読みきれた
この本を読むと福沢諭吉が 近い存在に感じる。学問のすすめの効果を長続きさせるために この本とセットで読んだ方が良さそう
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福翁自伝
部活の大先輩に勧められた福沢諭吉の自伝。福沢の破天荒な性格は文章にしてもなお面白く、その生きざまはぜひ真似してみたい。なんといっても福沢の因習にも社会にも全くとらわれない本質思考の姿勢と思い切りのよい性格が彼をここまでの人間にしたのではないかと思う。本質思考といえば、彼が初めて横浜に行った時、彼が苦学して会得したオランダ語が全く通じず、英語を学ぼうと決心したとき、彼が最終的に師事したのは長崎から来た子供であった。儒教的精神の色濃く残る幕末で、学びうるものは子供からでも学ぶという、本質思考はとてもすごい。なんといっても金のなかった福沢は何を学ぶにも無形財産(人脈)を頼りに飛び回り、結果的には当時のエリートしか乗れない咸臨丸への乗船や外務省での仕事につくというサクセスストーリーは学ぶものが多い。人々の胸は借りるだけ借りるというやり方でのし上がった福沢が、誰にもこびへつらわず、なれ合いを嫌うような性格であったことは面白い。もちろん人にものを頼むときには下手に出るが、横柄な態度をとられれば馬鹿野郎いつか仕返ししてやると表ではにこやかに退散する福沢のスタイルは読んでいて気持ちが良い。幼少期の話で面白いのはやはりいたずらの話である。物理学の大家・ファインマンもどうやら生粋のいたずら好きの人間であったようだが、福沢もファインマンも旺盛な知的好奇心がそうさせているのであろう。神なんかいるもんかと神社の神体を捨ててみたり、偽の手紙を作って友人を風俗におびき寄せ、丸刈りにしてやったり、もう目に余るものばかり。こう言ってしまうのは野暮だが、いたずらをよく解釈すれば、仮説と検証のサイクルと、目的達成のために役割分担といういわゆる組織を動かすために必要なことを楽しく学ぶことができる格好の舞台なのかもしれない。また、政治や経済にあまり首を突っ込まないということも学ぶべきことなのだろう。僕の好きなホームズも言っているが、脳の容量は決まっているため、何かに特化した人間になるためには何かを捨てなければならない。(ホームズは推理に必要な論理学や地学、薬草学に関しては天才的な知識を持つが、哲学や政治に関しては全くの無知であったと自認している)。福沢も、自らを政治の下戸と称し、新政府には手を貸さず私塾(慶應)のやりくりに命を燃やしたのであった。これまた野暮ではあるが、経営学者の楠木健は、優れたリーダーを見るポイントとして、「何をやらないか」を基準にしているそうだ。センスのないものには手を出さない。たとえ面目がつぶれようともやらない。そう言った、自己認識というか、群像の感覚を優れたリーダーは持っているという。福沢もその例にもれず、群像の感覚を持っていたからこそ、ここまでの人間になったのだろう。自分も彼のように、いつかはお札に顔が載るような人間になってみたいものだ。
Posted by ブクログ
「学問のすすめ」に続けて、「福翁自伝」も読んでみた。すべてを見習うことは難しいにしても、自分にもできそうな考え方・心がけは真似してみたい。そう思わせるくらい、人間・福澤諭吉という人は、現代においてもなお、魅力溢れる人物だと思った。
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TVで取り上げられたのがきっかけで読んでみました。
福澤諭吉の良い所は、これを絶対にやり遂げるという変な使命感や気負いがない所だと思いました。
自分のやれることをやるだけというスタンスを感じました。
『学問のすすめ』も読んでみたくなりました。
Posted by ブクログ
タイトル通り福沢諭吉の自伝である。その自伝を著者が抄訳したものであり全編ではない。福沢諭吉とはどんな人物でどのような生涯を辿ったのかが分かるようになっている。自己啓発書というよりは、読み物として読むべき。
Posted by ブクログ
まず福澤氏がひたすら酒好きというのに驚いた。アメリカに初めて渡ったときの、日本人のはしゃぎっぷりも読んでいて笑える。福澤氏といえば「学問のすゝめ」だが、そこでは語られなかった福澤氏の人となりを見ることができた。
Posted by ブクログ
慶應義塾の創設者 福沢諭吉の自伝
現代語訳版
中津藩、今の福岡県ぐらいの下級武士出身で封建制度の時代に一生をそこで終わる人生に嫌気が差し、二十歳で蘭学を志して長崎へ出る。その後、大阪で蘭学を学び続け、江戸に出て蘭学塾を開く。渡米、渡欧し見聞を広げる。
行き当たりばったりだが、芯の通った人生
全く知らなかった
現代語訳版だったのでとても読みやすかった
ありがたい
Posted by ブクログ
現代語訳なので、とても読みやすい。若くして長崎、大阪で学んだことが礎になったことがわかるが、理解力が高く、勉強熱心であったことが伝わってくる。さらに、横浜に行ってオランダ語が通じないことを知って英語を学び始めたり、自らアメリカ渡航を志願したり、ウェブストル辞書を買ってくるといった積極的な行動が、その後の活躍につながったのだろうと想像できる。
1854年、21歳の時、窮屈な中津を出ることを目的に、兄の共で長崎に行き、蘭学を学び始める。翌年、中津に返す計略を受けて江戸を目指すが、大阪の兄の助言で緒方の下で学び始める。23歳の時に兄が死亡したため家を継いだが、母親の許しを得て大阪に戻る。1858年、25歳で江戸の蘭学塾に呼ばれる。翌年、開港した横浜を見物に行き、オランダ語が役に立たないことを知って英語を学び始める。
1860年、27歳で咸臨丸への乗船を志願してアメリカへ渡航する。帰国後、幕府の外国方に雇われて英語力を磨き、英語と中国語の大役単語短文集「華英通語」を出版した。1862年、29歳の時、幕府から遣欧使節を命じられてヨーロッパを巡遊する。
33歳で「西洋事情」、39歳で「学問のすすめ」、42歳で「文明論之概略」を発表。49歳で時事新報を創刊。65歳で「福翁自伝」脱稿後、脳溢血を起こし、明治34年、68歳で死去。